はじめに
インド・マハーラーシュトラ州の小さな村シルディで、1918年10月15日、ヴィジャヤダシャミーの日に、一つの時代が終わりを告げました。シルディ・サイババとして知られ、愛された聖者が、この世を去ったのです。この日は、善が悪に勝利する日として古くから祝われてきました。しかし、サイババの信者たちにとって、この日は深い悲しみと同時に、偉大な魂の解脱を祝う日となりました。
サイババの生涯は、謎に包まれています。彼がいつ、どこで生まれたのか、誰が彼の両親だったのか、これらの疑問に対する確かな答えは誰も知りません。ババ自身も、自分の出自について語ることはありませんでした。しかし、彼の教えと慈悲の行為は、出自や宗教の壁を超えて、多くの人々の心に深く刻まれることとなりました。
シルディへの到来
1854年頃、わずか16歳の若者として、ババはシルディに姿を現しました。彼は村はずれのニームの木の下で深い瞑想に浸り、昼間は誰とも会うことなく過ごしました。夜になると、彼は恐れることなく村を歩き回りました。彼は誰の家にも入ることはなく、暑さや寒さにも全く動じませんでした。
村人たちは、この若者が聖者のような雰囲気を持っていることに気づき、彼が誰なのか、どこから来たのかを尋ねました。しかし、彼はそれに答えることはありませんでした。
ある日、突然彼はシルディを去りました。そして数年後、チャンド・パティルの甥の結婚行列とともに、再びシルディに戻ってきたのです。カーンドバー寺院の司祭マハルサパティが、「ヤー・サイ(来たれ、聖者よ)」と言って彼を迎えました。この日以来、彼は「サイババ」と呼ばれるようになり、シルディに永住することになったのです。
奇跡と教え
サイババの名声は、彼が行う奇跡的な行為によって急速に広まりました。彼は多くの人々の苦しみを取り除き、彼のもとを訪れる者は誰一人として失望して帰ることはありませんでした。しかし、ババは単に奇跡を起こす者ではありませんでした。彼の本質は、深い精神的な教えにありました。
ババは、形式的な説教を行うことはありませんでした。代わりに、彼は日常の出来事や簡単な例え話を通じて、深遠な真理を伝えました。彼の教えの核心は、すべての生き物への無条件の愛と慈悲でした。
ババはよく言っていました。「神を見たければ、まず人間の中に神を見なさい」と。この言葉は、彼の教えの本質を表しています。彼は、宗教や階級、種族の違いを超えて、すべての人々を平等に扱いました。
予兆と準備
サイババの最期の日々は、まるで神秘的な劇のように展開しました。1916年のヴィジャヤダシャミーの日、ババは突然激しい怒りに駆られました。村人たちが「シーモーランガン」(村の境界を越える儀式)から戻ってきたとき、ババは頭巾やカフニ(長衣)、ランゴータ(腰巻)を脱ぎ捨て、ドゥニ(聖火)に投げ込みました。
「お前たち、よく見て決めろ。わしがイスラム教徒か、ヒンドゥー教徒かを」とババは叫びました。誰もババに近づく勇気はありませんでしたが、ようやくバゴージ・シンデがババの腰にランゴータを巻くことができました。
「ババ、今日はシーモーランガンの日ですよ」とバゴージが言うと、ババは杖で地面を叩きながら答えました。「これがわしのシーモーランガンだ」
この出来事は、2年後に起こることの予兆でした。ババは自身の人生の境界を越える時が近いことを、象徴的に示していたのです。この行動は、ババが常に教えていた「形式や外見にとらわれるな」という教えの実践でもありました。
最後の慈悲の行為
1918年9月28日、ババは軽い熱に襲われました。数日で熱は下がりましたが、ババは食事を摂らなくなり、日に日に弱っていきました。しかし、その意識は最後まで鮮明でした。彼は、自分の時が近づいていることを完全に理解していたようです。
最期の瞬間が近づくにつれ、ババは周りの人々への配慮を忘れませんでした。マスジドで献身的に働いていたラクシュミーバーイ・シンデに、ババは特別な贈り物をしました。ポケットから5ルピーを取り出し、さらに4ルピーを加えて、合計9ルピーを彼女に渡したのです。
この9という数字には深い意味がありました。それは9種類の信愛の形(バクティ・ヨーガの9つの実践方法)を表すものかもしれません。あるいは、人生の境界を越える際の最後のダクシナ(布施)だったのかもしれません。
ババは、以前ラクシュミーバーイに重要な教訓を与えていました。彼女がババのために用意したパンを、ババが犬に与えたときのことです。ラクシュミーバーイが不満を漏らすと、ババは言いました。「なぜ何もないことで悲しむのだ?犬の空腹を満たすことは、わしの空腹を満たすことと同じだ。すべての生き物は魂を持っている。生き物は違っても、空腹は同じだ。空腹を満たす者は、本当にわしに食べ物を与えているのだ。これを真理として理解しなさい」
この教えは、ババの最後の行為にも反映されています。9ルピーを与えることで、ババは再び、すべての存在に対する無条件の愛と慈悲の重要性を示したのです。
運命の交換
ババの最期の日々には、さらなる神秘が秘められていました。数年前、ババはラーマチャンドラ・パティルに、タッティヤ・パティルが1918年のヴィジャヤダシャミーの日に亡くなるだろうと予言していました。タッティヤはババを叔父のように慕っていた信者でした。
ラーマチャンドラはこの予言を秘密にしていましたが、タッティヤの命が危険にさらされていることを知り、深く悩んでいました。ババの言葉は不変のものであり、タッティヤが2年以内に最期を迎えることを、彼は確信していたのです。
予言通り、ヴィジャヤダシャミーが近づくにつれ、タッティヤは重病に倒れ、床に伏せていました。ババ自身も熱に苦しんでいました。タッティヤはババへの完全な信頼を持っており、ババは主ハリへの完全な信頼を持っていました。ヴィジャヤダシャミーの朝、タッティヤの脈は弱まり、息を引き取る寸前でした。
しかし、奇跡が起こりました。タッティヤの死は回避され、代わりにババが最期の時を迎えたのです。1918年10月15日午後2時30分頃、ババは静かに息を引き取りました。ババは自らの命と引き換えに、愛する信者の命を救ったのです。
この出来事は、ババの教えの究極の実践でした。彼は常々、「他者のために生きよ」と説いていました。自らの命を捨てて信者を救うことで、ババはこの教えを最後まで体現したのです。
最後の瞬間
ババの最期の瞬間は、彼の人生そのものを象徴するようでした。彼は誰の助けも借りず、自力で起き上がり、まっすぐに座りました。周りの人々は、危機が去ったのだと思いました。
しかし、ババは自分の時が来たことを知っていました。彼は信者たちに、ワダ(宿舎)に戻って食事をするよう命じました。これは、ババの最後の教えでもありました。執着を手放し、日常の義務を果たすことの重要性を、彼は最後まで示したのです。
信者たちは重い足取りでワダに向かいましたが、彼らの心はババのもとに残されていました。食事が終わる前に、ババが肉体を去ったという知らせが届きました。信者たちは急いでマスジドに戻り、ババがバヤジの膝の上で安らかに横たわっているのを見つけました。
ババは地面に倒れることも、ベッドに横たわることもありませんでした。静かに座ったまま、最後の慈悲の行為を行い、そして肉体を離れたのです。まるで、聖者たちが特定の使命を果たすためにこの世に生まれ、その使命が完了すると静かにこの世を去るように。
ババの最期の姿は、彼が生涯を通じて教えてきたことの集大成でした。執着を離れ、平静を保ち、最後まで他者のために生きること。これらの教えを、ババは自らの死によって完璧に示したのです。
マハーサマーディの意義
ババがマハーサマーディを遂げた日は、多くの意味を持っていました。ヴィジャヤダシャミーは、善が悪に勝利する日として祝われます。ラーマーヤナの物語では、この日にラーマ王子が悪魔王ラーヴァナを倒し、シーターを救出しました。
同時に、この日はイスラム教の聖なる月ラマダンでもあり、ヒンドゥー教の重要な月のサイクルであるエーカーダシーの始まりでもありました。
ババの生涯は、宗教の垣根を越えた普遍的な愛と慈悲の象徴でした。彼の最期の日がこのように多くの宗教的意義を持つ日であったことは、偶然ではないでしょう。ババは、すべての宗教の本質は同じであると教えていました。彼の死の日が、異なる宗教の重要な日と重なったことは、この教えの最後の実証だったのかもしれません。
遺産と継続する影響
ババのマハーサマーディから100年以上が経った今も、シルディは多くの巡礼者が訪れる聖地となっています。かつて小さな村だったシルディは、今や「マハーティールタ」(偉大な巡礼地)として知られるようになりました。
ババの教えは、単純でありながら深遠です。彼は、形式的な礼拝や儀式よりも、純粋な愛と献身を重視しました。ババはよく言っていました。「私に必要なのは、愛と献身だけだ」と。この言葉は、ババの教えの核心を表しています。
ババは、「神は我々の罪のために我々に反対しているのではない。神は我々とともにあり、我々の罪に反対しているのだ」という言葉を体現していました。この教えは、罪を憎んでも罪人を憎まないという、深い慈悲の心を表しています。
彼の慈悲は、人間だけでなく、動物にも及びました。ババの器から猫や犬が自由に食べることができたというエピソードは有名です。彼は、空腹の犬に食べ物を与えることが、自分に食べ物を捧げるのと同じだと教えました。この教えは、生命の平等性と、すべての存在に対する慈悲の重要性を示しています。
ババの教えの特徴の一つは、日常生活の中での実践を重視したことです。彼は信者たちに、家庭や仕事の責任を放棄して寺院に行ったり、長時間の礼拝を行ったりする必要はないと教えました。代わりに、日々の生活の中でババを心に留め、それが最高の礼拝であると説きました。
この教えは、多くの人々にとって大きな慰めとなりました。信仰生活と日常生活を切り離す必要がないことを知り、多くの人々がより深い精神性を日々の中で見出すことができるようになったのです。
ババの普遍的なメッセージ
ババの教えの力は、その普遍性にあります。彼は特定の宗教や教義を押し付けることはありませんでした。代わりに、すべての宗教の核心にある真理を強調しました。愛、慈悲、奉仕、そして自己の浄化。これらの価値観は、すべての宗教に共通するものです。
ババは、自らの生き方をもってこれらの価値観を体現しました。彼は、ヒンドゥー教徒からはヒンドゥーの聖者として、イスラム教徒からはイスラムの聖者として崇拝されました。しかし、ババ自身は自分をどちらかの宗教に属するとは決して言いませんでした。
この姿勢は、当時のインド社会に大きな影響を与えました。宗教間の対立が深刻化する中で、ババの存在は異なる信仰を持つ人々を結びつける橋渡しとなりました。彼のマスジド(モスク)は、すべての人々に開かれた場所となり、ヒンドゥー教の神々の像が安置される一方で、イスラム教の伝統も尊重されました。
ババの死後の影響
ババのマハーサマーディ後、彼の教えはさらに広く伝播していきました。サイ・サッチャリトラ(ババの伝記)の出版により、ババの生涯と教えが体系的にまとめられ、多くの人々がその深遠な智慧に触れることができるようになりました。
今日、サイババの信者は、インド国内だけでなく、アメリカ、イギリス、オーストラリア、カナダ、南アフリカなど、世界中に広がっています。彼らは、ババの教えに従い、日常生活の中で愛と慈悲を実践しています。
ババの教えの力は、その実践的な性質にあります。単なる哲学的な概念ではなく、日々の生活の中で実践できる具体的な指針を提供しているのです。例えば、「明日は無い」という言葉は、現在の瞬間を大切にし、今できる善行を延期しないという教えを含んでいます。
また、「すべては神の意志だ」という教えは、人生の浮き沈みを受け入れ、困難な状況でも平静を保つ力を与えてくれます。これらの教えは、現代社会のストレスや不安に直面する多くの人々にとって、大きな慰めと導きとなっています。
ババの継続的な存在
ババのマハーサマーディ後も、多くの信者たちは彼の存在を身近に感じ続けています。ババは生前、「私の骨と関係(墓)を崇拝する者は、必ず恵みを受けるだろう」と言っていました。この言葉通り、シルディを訪れる巡礼者たちは、ババの墓(サマーディ)の前で深い平安と恵みを体験しています。
しかし、ババの存在はシルディだけに限られるものではありません。多くの信者たちは、日常生活の中でババの導きを感じています。突然の危機から救われたり、難問の解決策が思いがけず現れたりする体験を、ババの恵みとして受け止めているのです。
こうした体験は、ババの別の有名な言葉を思い起こさせます。「私の体が滅んでも、私の骨が語りかけるだろう。私は肉体から解放されても、体のない形で信者たちのために来るだろう」。この約束は、多くの信者たちにとって生きた現実となっています。
結び:永遠の教え
シルディ・サイババのマハーサマーディは、一人の偉大な聖者の肉体的な死を意味すると同時に、彼の精神的遺産の永遠の生命を象徴しています。ババの最後の言葉、最後の行動、そして彼の死の瞬間まで、すべてが深い教訓を含んでいました。
ババは、自らの生涯を通じて、そして最期の瞬間まで、愛、慈悲、献身の重要性を教え続けました。彼の物語は、宗教や文化の違いを超えて、人々の心に触れ続けています。
現代社会が直面する多くの課題—物質主義、環境破壊、社会的分断など—に対して、ババの教えは今なお重要な示唆を与えています。すべての存在の一体性を認識し、無私の奉仕を実践するというババの教えは、これらの問題に対する根本的な解決策を提示しているのです。
シルディ・サイババのマハーサマーディは、終わりではなく、新たな始まりでした。彼の肉体は去っても、彼の精神は今もなお、世界中の信者たちの心の中で生き続けています。そして、その教えは時代を超えて、人々に希望と導きを与え続けているのです。
ババの最後の言葉とされる「アッラー・マーリク」(神が主人である)は、彼の生涯と教えの本質を簡潔に表現しています。私たちの人生は、より大きな力によって導かれているという認識。そして、その力に全幅の信頼を置くこと。この単純でありながら深遠な真理が、ババの遺産の核心です。
シルディ・サイババのマハーサマーディから100年以上が経った今も、彼の教えは新鮮さを失っていません。むしろ、複雑化する現代社会の中で、その重要性はますます高まっているように思われます。愛と慈悲、信頼と奉仕という普遍的な価値観を、日々の生活の中で実践すること。これこそが、ババが私たちに残した最大の遺産なのです。
参考文献:
[1] Sri Sai Satcharitra Chapter 42. Retrieved from https://www.saidhamsola.org/satcharitra_chapter42.php
[2] Why Shirdi Sai Baba Took Mahasamadhi On Vijaya-Dashami. Retrieved from https://www.scribd.com/document/39462095/Why-Shirdi-Sai-Baba-Took-Mahasamadhi-on-Vijaya-Dashami
今年に入ってから、シルディのサイババについて、しばしば言及されていますね。(理由について、特にこの記事については心あたりがありますが、ここでは不問にします)
文中に「家庭や仕事の責任を放棄して〜」とありますが、例えば、Das Ganuが警察の職(巡査長)の職を辞めるようにサイババから言われしばらく抵抗していたことはよく知られています。(カマト&ケール「シルディのサイババ」p.442〜) また、Khaparde(Amaravatiの有名な弁護士、デリーの州議会メンバー) が夫妻で数ヶ月シルディに滞在したエピソードも”Shri Sai Satcharita” p.144にあるなど、現代のように交通機関やインターネットの便がない時代に、シルディに行きダルシャンを受けることは、日常の仕事を横にすることでもあったはずです。そもそもインドは聖者の講演を聞くために授業が休講になったりするような国ですので、現代の特に日本のような場の常識とは異なると思います。以上、記事に違和感を覚えたことのひとつについて、コメントいたしました。
コメントありがとうございます。貴重なご指摘をいただき、感謝申し上げます。
確かに、ご指摘の通り、シルディ・サイババの時代と現代では社会的背景が大きく異なります。Das GanuやKhapardeの例を挙げていただいたように、当時の信者たちがシルディを訪れるためには、現代とは比較にならないほどの時間と労力を要したことでしょう。
記事の表現が現代的な視点に偏りすぎていた可能性があります。サイババの教えの本質は、日常生活と精神性の調和にあったと考えられますが、その実践の形は時代や文化によって様々であり得ることを、より明確に示すべきでした。
インドの宗教的・文化的背景についてのご指摘も非常に重要です。聖者の教えを聞くために日常の活動を中断することが珍しくないというインドの文化的文脈は、サイババの教えとその受容を理解する上で欠かせない視点です。
このようなコメントは、記事の内容をより正確で包括的なものにするために大変有益です。今後、歴史的・文化的文脈をより慎重に考慮し、多様な解釈の可能性を示すよう心がけたいと思います。
サイババの教えについて、他にも重要だと思われる側面や解釈がございましたら、ぜひお聞かせください。読者の皆様からの知見は、より深い理解につながる貴重な機会となります。