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雑記帳

サラスヴァティー女神とカーリダーサ

サンスクリット文学の至宝として称えられるカーリダーサ。
インドの情景を見事に描き出すその神々しい筆致は、今なお多くの人々の心を魅了します。
このカーリダーサには、学問と芸術の女神サラスヴァティーにまつわる、ある有名な神話が伝わります。
その神話は、人間の傲慢さと神聖なる謙虚さの対比を通じて、私たちに真の叡智を照らし出します。

カーリダーサは、もともと無学で特筆すべき才能を持たない愚鈍な若者であったと伝えられます。
しかし、欺かれて結婚した博学な王女である妻に嘲笑され、カーリダーサは屈辱に打ちひしがれました。
これをきっかけに変容を遂げたカーリダーサは、後に偉大な詩人として大成したと伝えられます。

このカーリダーサを真に目覚めさせたのは、サラスヴァティー女神であると伝えられます。
これを伝える神話は、詩人となったカーリダーサが旅の途中、井戸で水を汲む一人の女性に出会うところから始まります。
喉の渇きを癒そうと、カーリダーサがその女性に飲み水を求めた時のことでした。

その女性は、飲み水を与える前にカーリダーサに身元を尋ねます。
カーリダーサは手にした地位を誇り、高慢な態度で「旅人だ。」と答えました。
すると女性は、「真の旅人は、太陽と月だけです。どちらも常に巡り続けているからです。」と返します。

カーリダーサが「では客人だ。」と答えると「この世界には、若さと富という客人しかいません。どちらも一時的で、留まることがないからです。」と返します。
困惑したカーリダーサは、次に「寛容な人間だ。」と答えます。
女性は、「大地と木々こそが寛容な存在です。どんなに踏みつけても私たちを養い続けるからです。」と返します。
次の「頑固者だ。」という答えには、「頑固者とは髪と爪のことをいいます。切っても切っても絶えず伸びるからです。」と返しました。

ついにカーリダーサが自分を「愚か者だ。」と言った時、女性は「真の愚かさは、無能な支配者とその追従者たちに宿ります。」と返しました。
この瞬間、その地位に固執していたカーリダーサは目の前の女性が学問の女神であるサラスヴァティーであることを悟ります。

この神話は、いかに高い学識や地位を誇っていても、謙虚さと自己認識を欠いては、真の叡智には至れないということを説いています。
真摯に自己を見つめ、謙虚に学びを重ねる姿勢から、本物の成長が生まれるということを、カーリダーサの姿が示しています。

無能とされたカーリダーサが偉大な詩人となるこの歩みは、知識の扉がすべての人々に開かれていることも示しています。
そして真の知識とは、単なる情報の蓄積ではなく、究極の目的に向かう道を照らし出す内なる目覚めであるということを教えてくれています。
この神話を通じて、私たちも日々の中に謙虚な学びと気づきを育んでいくことで、真の成長を遂げることができるはずです。

(文章:ひるま)

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