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インド占星術

スーリヤ・シッダーンタ:古代インド天文学と「神々の宇宙」をめぐる秘伝の書

 私たちが普段イメージする“天文学”は、望遠鏡などの観測機器を用いて星や惑星の物理的位置や運動を求める学問です。しかし、古代インドで生まれた天文学書『スーリヤ・シッダーンタ(Surya Siddhanta)』は、いわゆる「物質的な天体の正確な配置」を追うだけではありません。物質的な世界に先立つ、神秘的・霊的な宇宙観を持つという点で非常にユニークです。本稿では、この『スーリヤ・シッダーンタ』のエッセンスを、分かりやすく紹介していきます。


1. 概要:古代インドの天文学理論

1-1. 古代インドの「シッダーンタ」とは

 インドには古来より天文学を扱う「シッダーンタ(Siddhānta)」と呼ばれる理論体系がいくつも存在し、『スーリヤ・シッダーンタ』はその中でも特に高い評価を受けてきたテキストです。古代の学者ヴァラーハ・ミヒラ(Varāha Mihira)が著した『パンチャ・シッダーンティカー(Pañcasiddhāntikā)』という書物によると、当時存在した5つの主要なシッダーンタの中でも、『スーリヤ・シッダーンタ』はとりわけ完成度が高く、もっとも正確性が高いとされていました。

 ところが『スーリヤ・シッダーンタ』自体の成立年代や正確な著者ははっきりしていません。伝承上は「太陽神スーリヤが、アスラ(Asura)の一人であるマヤに教えた」などと語られ、想像を絶する太古(数百万年以上前)に遡るとも言われます。しかし近代以降の学者たちは、おおむね西暦4~5世紀頃に今の形が定まったという見解を持つことが多いようです。

1-2. テキストの現存状況と口伝

 興味深いのは、『スーリヤ・シッダーンタ』の注釈書や具体的な計算方法が完全な形で出版・公開されることが、古くからあまりなかった点です。というのも、インドの伝統的な天文学者たちは、この書の計算式や応用法を「秘密」にしてきたからです。伝統的な師匠から弟子へと口頭で伝えられ、印刷物としては断片的な記述や、大まかな説しか世に出ない。そうした経緯から、現代になっても「本当にどのように計算していたのか」をはっきり把握している人はごくわずかだと言われます。

 さらに、『スーリヤ・シッダーンタ』を詳しく注釈したというアーリヤバタ(Aryabhata)の注釈書がかつて存在したとされますが、それも現在は失われてしまいました。その結果、今日流通している注釈書の多くは「実際の観測や占星術に用いるための正確な計算法」を十分に示さないまま、表面的な解説だけをしている状況にあります。


2. 神々の宇宙と物質の宇宙:二重の構造

2-1. 「神々の惑星」と「物質的惑星」の違い

 『スーリヤ・シッダーンタ』をめぐる一つの重要な特徴は、「記述されている天体は実際の“物質的”な惑星とは異なる」という解釈が広く存在することです。西洋近代的な観点では、太陽と地球の距離がおよそ1億5千万kmであることはよく知られていますが、この書では約550万kmとされる記述もあり、明らかに現代の天文学とはかけ離れています。

 しかし、伝統的なインド天文学・占星術の担い手は「『スーリヤ・シッダーンタ』に書かれた太陽や惑星は神々の身体であり、いわば霊的な存在を表している。物質宇宙に存在する太陽系の惑星とは次元が異なるもの」と説明してきました。占星術で重要なのは、その神々がもたらす運命への影響と位置関係であって、“望遠鏡で見える天体の厳密な配置”とは一致しなくてもよい、というわけです。

2-2. 「もうひとつの宇宙」ゆえの独自の計算式

 こうした「神の宇宙」と「物質の宇宙」の乖離は、現代の科学者から見ると「大きなずれ」でしかないかもしれません。しかし、インド伝統の占星術師はこのギャップをあまり問題視してこなかったと言われています。それよりも重要だったのは、ホロスコープの作成や吉凶判断において『スーリヤ・シッダーンタ』の計算式による未来予測がどれほど当たるか、という実用面でした。

 実際に、インド各地の暦(パンチャーンガ)作成においても、近代以前は多くの場合、古来からの表や口伝的な計算法を使っていました。その背景には「スーリヤ・シッダーンタの計算結果は占星術上の実践において非常に正確である」という伝承的な信頼があったからだとされます。著者不詳の“マカランダ表”や、後世のプラーナ文献などに散見する値にも、『スーリヤ・シッダーンタ』に基づく計算式の影響が指摘されています。


3. アーリヤバタの謎とビージャ・サムスカーラ(補正)

3-1. アーリヤバタは複数いた?

 インドの天文学史には、アーリヤバタという名の天文学者が少なくとも2人登場します。5世紀末~6世紀にかけて活躍したとされるアーリヤバタI(『アーリヤバティーヤ』の著者)と、10世紀頃や12世紀頃に活躍したアーリヤバタIIです。

 一方で、古代には「『スーリヤ・シッダーンタ』を注釈し、実際の計算法を完備した偉大なアーリヤバタがいた」との伝承があるのですが、その人物が上記のどちらとも一致しない可能性が指摘されてきました。アラビア語文献などを参照したアル・ビールーニーも「有名なアーリヤバタ(=アーリヤバタI)とは別人がいる」と述べているというのです。

3-2. 秘伝の計算法とビージャ・サムスカーラ

 『スーリヤ・シッダーンタ』に則り天体の位置を算出する際は、単にテキスト上の定数を用いるだけでなく、「ビージャ・サムスカーラ(種子修正)」と呼ばれる補正値を加味しなければならないとされています。たとえば外惑星(火星・木星・土星)の平均位置を求める式には、所定の補正値を加えなければ正しい結果が得られない。

 ヴァラーハ・ミヒラなどの古代学者が記す数値をそのまま引用しても、実は別途補正が必要であることを理解していなければ、大きな誤差が出てしまうというのです。失われたアーリヤバタの注釈書は、こうした補正のノウハウを体系化していたらしく、後の時代の暦作成者や天文学者はその書を拠りどころにしていたと考えられています。


4. 日心説でも地動説でもない「メール山中心説」?

4-1. メール山(メル/メール)とは

 インド神話には「宇宙の中心にメール山(Meru)という巨大な山があり、すべてはそこを基点にして回っている」という伝承があります。『スーリヤ・シッダーンタ』の世界観でも、地球の中心ではなく「メール山を頂点とする中心」が設定されていると言われます。

 このメール山がどこに位置するかには諸説ありますが、一部の研究者はアフリカの赤道上にあるケニア山(Mount Kenya)との関係を指摘します。書の中の「メール山は地球の赤道にあり、そこからわずかに上空に神々の世界の中心がある」という記述を、地理的なケニア山と重ねる見解もあるのです。

4-2. 太陽との距離が違う理由

 『スーリヤ・シッダーンタ』によれば、太陽までの距離はわずか数百万km程度とされ、現代天文学が示す1億5千万kmとは比較になりません。これは前述のように、あくまでも「神々の世界」における中心からの距離であり、単純に物質的な太陽の位置とは対応しないとされます。
 さらに、太陽や惑星が円や楕円ではなく、「複数の周転円」や「赤道面からのズレ」を組み合わせて表示されるモデル(いわゆるエカントやエピサイクル)も、インドとヨーロッパ(プトレマイオスの『アルマゲスト』など)とで似通った表現があるため、「ギリシャからの影響説」もかつては盛んに唱えられました。しかし本文献の詳細な分析によると、計算式や中心の設定などはむしろ独自性が強く、単なる外来の翻案とは言い難い部分が多いようです。


5. 占星術との関わり:神話と数理の統合

5-1. なぜ物質的な精度と占星術的な精度が違うのか

 古代の占星術においては、「天体の正確な物理位置」よりも「吉凶を左右する象意の周期」が重視されることが多く、星座に対する惑星の位置関係さえ正しければ、日常の占断には問題がなかったと考えられます。インド占星術では、ホロスコープ作成や月の位相(ティティ)などのサイクルが中心で、現代のように“太陽系の三次元空間での軌道シミュレーション”をやる必要性は薄かったのです。

 そのうえ『スーリヤ・シッダーンタ』が語る天体の位置は「神々の運行」を示すため、占星術的にはむしろ“霊的な星の位置”を読み解き、儀礼や祭祀を行ううえで重宝されました。「神々の惑星」がもたらす運勢的な影響にこそ重点があるので、「望遠鏡で見たときの数度のズレ」は、さほど重大視されなかったのです。

5-2. 現代的評価と再興の動き

 近代に入り、西洋の科学・天文学がインドにも広まると、『スーリヤ・シッダーンタ』は「古い誤りだらけの書物」とみなされることが増えました。しかし近年になって、伝統的な占星術界では「このテキストには深遠な数理や宇宙観が隠されており、なお強力な予言能力がある」と再評価する動きが一部で起こっています。

 コンピュータが普及した現代では、『スーリヤ・シッダーンタ』に基づくソフトウェアを作り、占星術の未来予測を行うプロジェクトも存在するそうです。そこでは「物質宇宙とは別の運行をする惑星の位置を計算し、それを実際の占星術判断に応用する」という、かつての口伝的な手法をデジタルで再現する試みが行われています。


6. 日付・時代推定の論争

6-1. 太古の年代と実測とのギャップ

 『スーリヤ・シッダーンタ』には、マハーユガ(mahayuga)と呼ばれる432万年の巨大な時間周期を基礎に、さらにそれを幾重にも掛け合わせる壮大な時間観が語られます。これを地球規模の年代記述と対応させようとした研究者も多く、ヴェーダーンガ・ジョーティシャ(Vedāṅga Jyotiṣa)の時代を紀元前1400年頃としたり、あるいは西暦400年前後を『スーリヤ・シッダーンタ』の編纂期と想定したり、といった説がいくつも唱えられてきました。

 しかし学者によっては、惑星ごとの位置精度を比較した結果、どの時代においても実際の観測値と数度から十数度の差が生じ、厳密な物質天文学としての一致は見られないという指摘もあります。これに対し伝統派は「だからこそ、これは物質的な天文学ではなく、神々の天文書なのだ」と解釈します。

6-2. トレピデーション(歳差の往復)と大周期

 西洋天文学では、地軸の歳差運動は一方向に回転すると理解されています。しかし古代インドやギリシャ世界には、春分点(歳差)が一定の範囲を前後に往復する「トレピデーション」という考えが一時期存在しました。ヨーロッパ側では15世紀頃に正確な観測が行われ、往復運動ではなく連続的な歳差であることが確立されましたが、インド占星術ではなおトレピデーションを受け入れている流派があります。これは『スーリヤ・シッダーンタ』の「神々の世界における歳差」であり、物質的な歳差とはそもそも前提が異なるのだ、と説明されています。


7. まとめ:現代に生きる「スーリヤ・シッダーンタ」の意義

 『スーリヤ・シッダーンタ』は、今日の科学的な天文学の基準から見ると数値の正確性が疑問視される面も多く、失われた注釈や口伝の存在もあって謎が多い文献です。しかし、それは単に「物質宇宙を説明するための本」ではなく、宇宙の霊的・神秘的な秩序と人間の運命とを結びつける一種の「聖典」でもあります。

 インドの占星術界では、天体の実際の位置とは異なるにもかかわらず、「スーリヤ・シッダーンタに基づいて導き出される惑星位置が、なぜか未来予測において的中率を示す」という伝承が繰り返し語られてきました。こうした伝統的な価値は、近代天文学の誕生後に一度は衰退したものの、今なお一部の研究者や占星術師によって守られ、さらにデジタル技術を介して復権を試みる動きも見られます。

 科学と宗教・霊性が分離しがちな現代において、こうした「神秘的世界観を数学的・幾何学的に体系化する試み」は、ある意味で非常に先鋭的です。『スーリヤ・シッダーンタ』を深く読み解くことは、古代インド人の思考がいかに包括的で、宇宙・神・人間を一体として捉えていたかを知るうえで貴重な手がかりとなるでしょう。


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