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シャーンティ・マントラ

シャーンティ・マントラ――すべての存在に平安をもたらす祈り

はじめに:シャーンティ・マントラとは何か

瞑想やヨーガのクラスなどで、インストラクターが「オーム……」と唱え始める光景は、多くの方が一度は目にしたことがあるかもしれません。その中でも「シャーンティ・マントラ」と呼ばれる祈りの言葉は、クラスの冒頭や終了時に唱えられることで、空間全体を静謐(せいひつ)なエネルギーで満たし、自分自身や周囲の人々、ひいてはすべての存在へ向けた平和を願うものとして大切に扱われています。

サンスクリット語で「平安」「平和」を意味する「शान्ति(シャーンティ)」は、単なる物理的な平穏というより、心と精神の深いレベルでの安寧を指します。このシャーンティ・マントラは、ヴェーダやウパニシャッドなどの聖典に由来するものであり、インドの伝統的な宗教文化の中で、時を超えて多くの人々に唱えられてきました。

今回取り上げるマントラは、以下のように二部構成で唱えられることが多いものです。

ॐ सर्वेषां स्वस्तिर्भवतु।
सर्वेषां शान्तिर्भवतु।
सर्वेषां पूर्णं भवतु।
सर्वेषां मङ्गलं भवतु॥

सर्वे भवन्तु सुखिनः।
सर्वे सन्तु निरामयाः।
सर्वे भद्राणि पश्यन्तु।
मा कश्चित् दुःखभाग्भवेत्॥

パッと目にすると、文字通り「平和」を謳(うた)い上げる言葉の連なりのようにも見えますが、その意味や狙いは多岐にわたります。本コラムでは、このマントラの一つひとつのフレーズと、それらがもたらす精神的な意味について丁寧に紐解いていきましょう。

前半部の意味と霊的背景:すべての存在に安寧を

1. ॐ सर्वेषां स्वस्तिर्भवतु।

  • 発音の目安: 「オーム・サルヴェーシャーン・スヴァスティル・バヴァトゥ」
  • 直訳: 「すべての者にとってスヴァスティ(吉祥)がありますように」

「スヴァスティ」とは、幸運や吉祥、良きものの訪れを意味します。「スヴァスティカ」という言葉を聞いたことがある方もいらっしゃるかもしれませんが、本来サンスクリットにおいては「幸運の印」や「幸福」を表す神聖なシンボルを指します。したがって、ここでは「世界中のすべての存在にとって、吉祥なる状態がもたらされますように」との願いが込められているわけです。

2. सर्वेषां शान्तिर्भवतु।

  • 発音の目安: 「サルヴェーシャーン・シャーンティル・バヴァトゥ」
  • 直訳: 「すべての者に平安がありますように」

ここで言う「平安」は、単に争いがない状態だけを指すのではなく、人々の心の中に「静けさ」や「調和」が宿ることを願っています。インド哲学においては、私たちの内面にある雑念や感情の波立ちこそが“苦”を引き起こすと考えられています。そこで、この言葉には、すべての存在がその深い心の静寂に至り、調和を回復できるようにとの願いが含まれているのです。

3. सर्वेषां पूर्णं भवतु।

  • 発音の目安: 「サルヴェーシャーン・プールナン・バヴァトゥ」
  • 直訳: 「すべての者に充足がありますように」

「プールナ(पूर्ण)」は「完全」や「充実」、「満ち満ちている状態」を表します。ここでは「自分に欠けているものなど何もない」という内的な充足感を指すことが多いでしょう。インド思想では、本来的な自己はすでに完全であり、欲望や執着を手放すことでその完全性に気づくことができると説かれます。この一文は、そんな充足感をすべての存在が得られるようにとの願いを表しています。

4. सर्वेषां मङ्गलं भवतु॥

  • 発音の目安: 「サルヴェーシャーン・マンガラン・バヴァトゥ」
  • 直訳: 「すべての者に吉兆がありますように」

「マンガラ(मङ्गल)」は「吉祥」や「めでたさ」を意味する言葉です。前半部の1行目にあった「スヴァスティ」と近い意味合いを持ちますが、より広い範囲での良運や神聖なめぐり合わせを祈願する言葉として使われます。すべての存在が幸運に恵まれ、霊的・精神的にも豊かな人生を送れますようにという意味が込められているのです。

こうして見てみると、前半部の四つのフレーズには、全方位的に私たち人類やあらゆる生きとし生けるものの「吉祥」「平安」「充足」「吉兆」を祈る内容が並んでいるのがわかります。これは決して特定の個人や集団だけを対象としたものではなく、「すべて」を対象に含んでいるという点が大きな特徴です。インドの伝統的なマントラが「汎宇宙的な視野」を持っているとされるのは、このように全体に対して唱えられているからでもあるのです。

後半部の意味と霊的背景:苦しみのない世界を

1. सर्वे भवन्तु सुखिनः।

  • 発音の目安: 「サルヴェー・バヴァントゥ・スキニハ」
  • 直訳: 「すべての者が幸福でありますように」

「スキナ(सुखिन)」は「幸福な状態にある人々」という意味で、苦しみとは対極にあるポジティブな状態を表します。ここでは、個人的な幸福だけでなく、世界の誰もが幸福を得られますようにという普遍的な願いが示されています。

2. सर्वे सन्तु निरामयाः।

  • 発音の目安: 「サルヴェー・サントゥ・ニラーマヤーハ」
  • 直訳: 「すべての者が病なくありますように」

「ニラーマヤ(निरामय)」は「病のない、健康な状態」のことを意味します。現代で言うところの肉体的な健康はもちろん、精神の健康や霊的な健全さも含めた、より包括的な安寧を意味しています。ヨーガ哲学では「身体・呼吸・心・知性・魂」という多層の存在を一体として捉えますが、そのすべてが調和し、健康であることが望ましいとされるのです。

3. सर्वे भद्राणि पश्यन्तु।

  • 発音の目安: 「サルヴェー・バドラーニ・パッシャントゥ」
  • 直訳: 「すべての者が善きものを目にすることができますように」

「バドラ(भद्र)」は「善き」「吉祥な」「立派な」「幸運な」といったニュアンスを持ちます。この一節は、いわゆる五感を通して知覚されるすべてが、自分にとってポジティブなものであるようにとの願いだけでなく、ネガティブな物事の中にも善き側面を見出せますようにという意味合いも含まれます。私たちが生きる現代社会では、瞬時に情報が駆け巡り、良くも悪くも意識が外界に振り回されやすい時代です。だからこそ、自分自身の感覚を整え、世界から届くすべてを「正しく見る・受け取る」という心の訓練が重要といえるでしょう。

4. मा कश्चित् दुःखभाग्भवेत्॥

  • 発音の目安: 「マー・カシュチット・ドゥッカバーグ・バヴェート」
  • 直訳: 「誰ひとりとして苦しみを受けることがありませんように」

最後の一文は、非常に明快かつ力強い願いです。「苦しみ」という言葉はサンスクリットで「दुःख(ドゥッカ)」と呼ばれます。仏教でも「ドゥッカ」は「苦」という重要な概念として用いられてきました。ここでは「すべての存在が苦しみから解放されるように」と祈り、すべてに慈悲の眼差しを向けています。

全体を通して見えてくるもの:万人共通の慈悲と願い

こうして一行ずつ意味を追ってみると、シャーンティ・マントラには「世界のすべての存在が吉祥で、健康で、完全な充足を得て、苦しみのない幸福な状態にありますように」という、きわめて普遍的かつ包括的な祈りが込められていることがわかります。個人の都合や利益を優先するのではなく、一切の存在へ向けられた利他の精神が鮮やかに表現されています。

インド哲学、とりわけヴェーダーンタや仏教などには「一者は全、全は一者」というコスモロジーが共有されており、自他の区別を超えた全体観が重視されます。シャーンティ・マントラにおいても、私が幸福であればよい、あなたが平和であればよい、という部分的な願いではなく、「すべての存在への幸福」を願うところに大きな特徴があります。

また、唱えるにあたっては、ただ言葉を口にするだけではなく、自らの心の底から「平安が全体に行きわたりますように」という感情をこめることが大切とされます。これは、私たち自身が「他者や世界を思いやる心」を養う、極めて実践的な瞑想行為でもあるのです。

マントラを日常生活に取り入れるヒント

1. 朝の静かな時間に唱える

瞑想やヨーガの実践に限らず、朝の目覚めたタイミングでシャーンティ・マントラを唱えることで、一日の始まりに「他者や世界への慈悲と感謝の心」を育むことができます。時間がないときは、短く心の中で唱えるだけでも構いません。自分の内側にある思いやりの種を育てる感覚で行うとよいでしょう。

2. 夜の就寝前に唱える

夜になると、私たちは一日の疲れやストレス、情報過多による混乱を抱えがちです。そこで就寝前に、このマントラを唱えることで心を落ち着け、嫌な出来事や不安を一時的に手放すきっかけをつくれます。「まっさらな気持ちで明日を迎えられますように」という意図を込めることで、深い休息へと入りやすくなるでしょう。

3. 周囲の人々への祈りとして唱える

家族や友人、職場の同僚が体調を崩しているときや、心配事を抱えているときなどに、心の中でこのマントラを思い浮かべ、彼らに向けて祈りをささげるのも一つの方法です。「一人ひとりの苦しみが軽減され、健康や幸福が訪れますように」という思いを言葉に託すことで、自分自身の心が温かく広がっていくのを感じるかもしれません。

4. 場所を清める、空間を整えるために唱える

ヨーガや瞑想のクラスで冒頭や終わりに唱えられるように、部屋の浄化や雰囲気を整えたいときにもシャーンティ・マントラは活躍します。自宅で瞑想をするとき、あるいはヨーガマットを敷いて軽くストレッチを始める前などに、小さな声で唱えてみると、空間のエネルギーが落ち着いていく感覚を味わえるかもしれません。

霊的な観点:マントラの響きと祈りの力

サンスクリット語のマントラには、その発音そのものが霊的な振動を持つと信じられてきました。たとえば「ॐ(オーム)」という音は、宇宙を構成する根源的な振動を象徴するとされ、詠唱によって私たちの心身を微細なレベルで調整する働きがあるとも言われます。

シャーンティ・マントラの各フレーズに散りばめられているサンスクリット語は、その一音一音が持つ音韻的な力と、言葉が表す哲学的・霊的意義が融合したものです。これは現代科学では完全に説明しきれない部分ですが、ヨーガやアーユルヴェーダに携わる人々は何千年にもわたって、この音の力を大切に伝承してきました。

さらに、「自分自身のためだけではなく、他者の幸福や世界の平和を願う」というマインドセットも重要です。インド哲学が説く「カルマ(行為)」「バクティ(献身)」「ギャーナ(知識)」といった道のいずれを歩む人であっても、最終的には「自他を区別しない愛と智慧」に目覚めていくことが理想とされます。シャーンティ・マントラの唱和は、そうした愛と智慧を日常に呼び覚ますきっかけとなるのです。

まとめ:祈りが生む心の変容

シャーンティ・マントラは、伝統的なインドの宗教儀礼やヨーガの場で唱えられるだけでなく、誰もが日常的に取り入れることができる「普遍的な祈りの言葉」です。そこには、自分の個人的な課題や苦しみを乗り越えるだけでなく、世界全体を見渡すような広い視野が備わっています。私たちが日頃忘れがちな「他者への思いやり」や「包括的な幸福」を強く意識させてくれる――そこがこのマントラの大きな特質です。

実際に唱えてみると、最初はそのサンスクリット語の響きに戸惑うかもしれません。しかしながら、ゆったりと呼吸を合わせながら発音しているうちに、自然と心が落ち着き、暖かい感覚が広がってくるのを感じる方も多いでしょう。それは、マントラがもともと持っている音韻の力もさることながら、「他者の幸せと平和を願う」という利他的なエネルギーが、自分の内側を変容させるからとも考えられます。

私たちの内側に生まれた小さな平和の種は、周囲の人々への態度や言葉遣い、日々のふるまいを通してゆっくりと外界にも伝わっていくことでしょう。結果的に、それは大きな広がりを生み出す可能性があります。世界規模の問題や争いを、個人が一足飛びに解決することは難しいかもしれません。しかし、一人ひとりがこのマントラの精神を心に刻み、身近な人々との関係に生かしていくことはできます。その積み重ねが、いつか大きな変容へとつながるかもしれません。

シャーンティ・マントラは、インドの伝統を超えて私たち全員に共鳴する“祈りの詩”といえるでしょう。もし瞑想の際に、あるいは普段の生活の中で、この言葉を唱える機会があれば、ぜひ「すべての存在に平和と幸福を」という思いを込めてみてください。それこそが、このマントラが千年の時を超えて受け継がれてきた真の理由であり、現代に生きる私たちが一人でも多く受け取りたい智慧なのです。

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