日本において先祖供養が行われるお彼岸の中日は、秋分の日(昼と夜の長さがほぼ同じになる日)として知られています。悟り(仏)の世界を彼岸、煩悩に満ちた世界を此岸と呼ぶ仏教では、彼岸は西に、此岸は東にあるとされてきました。太陽が真東から昇り真西に沈むこの秋分(また春分)は、彼岸と此岸がもっとも通じやすくなるとされ、この時に先祖を供養する行いがされるようになったと言われます。
インドではこの先祖供養の時にあたるのが、2015年は本日9月28日の満月(または27日)から次の新月までの約2週間、ピトリ・パクシャと呼ばれる期間です。この間は、先祖が地上にもっとも近づくと言われ、熱心な先祖供養の行いが執り行われます。それにはこんな言い伝えがあります。
マハーバーラタに登場する不死身の英雄カルナ王は、多くの人々に金や銀を与えてきましたが、天界にいった時、食事と水を与えられず空腹に苦しみました。それは、カルナ王が人々に金と銀しか与えず、食事と水を施さなかったことに理由がありました。神々はカルナ王に、地上に戻り人々に食事と水を施す機会を与えます。再び地上に戻り、人々へ食事と水を施したカルナ王は、その後、天界で幸せに暮らしたと言われています。
カルナ王が地上に戻ったのが、このピトリ・パクシャの約2週間であるとされ、人々は先祖だけでなく、貧しい人々への食事の施しを熱心に行います。インドでは、私たちは先祖と血縁関係で結ばれているだけでなく、先祖の行いや思いの影響を非常に強く受けていると信じられています。先祖を飢えさせないよう、先祖だけでなく、貧しい人々にも食事や水を恵むことで、先祖の魂は満たされ、私たちもまた祝福されると伝えられてきました。何より、そうして行われる善行は私たち自身の行いを清めるものでもあり、これから先をより良い方向へ導くものに他ありません。
さまざまな聖典の記述に従って複雑な儀式が執り行われるインドの先祖供養では、シュラーッダと呼ばれる儀式が重要視されます。「信頼」や「信念」を意味するシュラーッダは、信愛から生じる不変的な気づきに他なく、家族という身近な存在を敬う気持ちが、私たちをより良い道へと導きます。起こる物事にはすべて大切な意味があり、それらが私たちのこれからを最善に導いていることに気づき、こうして与えられた今という機会を大切に生きていきたいと感じています。
(文章:ひるま)
参照:"Significance of Pitru Paksha", http://www.speakingtree.in/blog/significance-of-pitru-paksha
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