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雑記帳

年老いた象の物語

古来より、仏陀の叡智は私たちの心の奥深くに光を灯し、人生の歩むべき道を照らしてきました。
その教えは、混迷する現代においてもなお、私たちが真に歩むべき方向を示し続けています。
今回は、パーヴェッヤカという象にまつわる物語を通じ、日々の中で直面する試練から自らを救い出す方法を見つめ直したいと思います。

仏陀が生を受けた釈迦族は、かつてコーサラ国の支配下にあったと伝えられます。
このコーサラ国の象軍に、比類なき強さを誇るパーヴェッヤカという象がいました。
パーヴェッヤカはどの象よりも逞しく、戦場では無敵の存在でした。
しかし、年老いてきたある日、池に入ったパーヴェッヤカは泥沼に足を取られ、地に上がることができなくなります。

この知らせを聞いたコーサラ国の王は、象使いを派遣してパーヴェッヤカの救出を試みました。
象使いは池に到着すると、機転を利かせ、楽師たちに軍楽を演奏させます。
その音色はかつて戦場を駆け抜けた日々を蘇らせ、パーヴェッヤカの内に眠っていた力を目覚めさせました。
パーヴェッヤカは奮い立ち、自らの力で身を引き上げると、泥沼から脱出したといわれます。

この出来事を耳にした仏陀は、「あの象が泥沼から自らを引き上げたように、人もまた道徳的な汚れという泥沼から自らを引き上げなければならない」と説いたと伝えられます。
この教えは私たちの人生の歩みにも深く通じています。

私たちは日々の生活の中で、執着、憎悪、迷妄といった煩悩の泥沼に足を取られ、抜け出せなくなることがあります。
しかし、パーヴェッヤカが軍楽を聞いて奮い立ったように、私たちの内にも自らを奮い立たせ、前へ進む力が備わっています。
仏陀の教えから得られる知恵や勇気は、パーヴェッヤカを奮い立たせた軍楽のように、私たちの目覚めを促してくれるものです。

仏陀はその教えとして、常に気づきをもって精進し、心を守ることの大切さを説きました。
日々の行動や思考に注意深く意識を向け、心を細やかに見守ることで、私たちは煩悩の泥沼に足を取られることなく、正しい道を歩むことが可能になります。

何より、「自らを引き上げなければならない」という仏陀の言葉は、他者の助けを待つのではなく、自らの努力によって煩悩から解き放たれることの尊さを示しています。
それは単なる比喩ではなく、日常の実践の中でこそ意味を持つ教えです。

日々の生活の中で気づきを育み、自らの心を守る修行を続けることで、私たちは煩悩という泥沼から解放され、真の平安に至ることができるはずです。
パーヴェッヤカの物語は、どんなに年老いても、どんなに困難な状況にあっても、私たちの内には自らを救う力があることを、時を超えて示し続けています。

(文章:ひるま)

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