インド科学音楽、および、それを基にして発展したインド古典音楽のリズム「Tala」は、幾つかの「小節」が足し算的に加算された「付加リズム」構造を持っています。例えば、「4+4+4+4の16拍子」や「3+3+3+3の12拍子」は、四つの小節の全てが同じ4拍を持っている均一な構造ですが、「3+2+2の7拍子」は、二小節目と三小節目は同じですが、一小節目は異なります。また、「2+3+2+3の10拍子」は、二分すると、前後は同じ構造を持っています。
では、この構造は、具体的にどのように耳に聞こえてくるのでしょうか?
インド映画主題歌で、軽音楽の名歌手Pankaj Malikが歌った(古いですが)有名な7拍子の曲があります。(You Tubeにも上がっています) 歌詞も形式も、中世の献身歌「Bhajan(バジャン)」の様式で、「貴方のお寺の灯火に導かれて,,,,,,,,」のようなことを歌っています。
冒頭の歌詞は、
Tere Mandir Ka Hoon Deepak Jal Raha ですが、「3+2+2の7拍子」に合わせると、以下のようになります。
Teーre/Ma n/di r/Kaー Hoon/De e/pa k/Ja l Ra/haー/ーー
もちろん、この同じ歌詞を10拍子、16拍子で歌うことも可能です。私は、このターラや7拍子の説明の際、Beatlesの「Let it be」を、インド太鼓を叩きながら7拍子で歌ったりします。私に染み付いたインド音楽の感覚では、あの曲の歌詞は、7拍子の方がしっくり来るのです。このように、歌詞とターラには、「こうでなくてはならない」という原則はありませんが、「似合う」という感覚は、インド音楽やターラを良く理解すれば、なんとなく存在するものです。
では、実際このリズムをどのように感じて歌うのか? これこそが、インド音楽独特な感覚であり、リズムを「ターラ」と言うことの原点です。
西洋音楽やポップスの場合、ほとんどが四拍子ですから、四拍か二拍に手拍子を入れたり、足踏みをして「ノル」ことが出来ますが、インドのターラの場合、均一でない小節をどう感じ表現するのか? それがターラの字義である「手拍子」のシステムです。手拍子は、各小節の頭の拍で、打たれ(もしくは手のひらを返す)ます。
「4+4+4+4の16拍子」と「2+3+2+3の10拍子」は、手拍子で「打つ、打つ、返す、打つ」と打たれます。
この「手のひらを返す」という動作は、殺生ですから不謹慎な喩えですが、蚊を叩いた後、「仕留めたか?」を手のひらを広げて見るような動作です。
私は、このシステムを中学二年生の時に当時日本で唯一のインド音楽の本で読み、今では笑い話のとんでもない誤解をしていました。
インドに長く駐在した、音楽愛好家のキリスト教宣教師が書いたものを日本人の音楽家が翻訳したものでした。私はその翻訳家の先生には大変お世話になったのですが、先生もこの訳では苦労されたのでしょう。「手を振る」と原典にあれば、そう訳すしかないのです。なので、中学生だった私は手製シタールを弾きながら、親友に手製タブラ(太鼓)を叩いてもらって、二人で、その拍で「手を振って」練習したのでした。
16拍子ですと、9拍目に来ると、二人で演奏を中断して手を振る。「ほんとうか?」と言いながら。
ほどなく、どのレコードを聴いても、音に途切れが無いことに気づき、演奏中に頻繁に「手を振る」ことはやめる訳ですが、本に書かれたその言葉の意味はしばらく分かりませんでした。
実際は、動作としての「Tal」は、北インドではターラを学ぶ時にのみなされ、演奏中には行いません。南インドでも演奏者は行いませんが、聴衆の多くが正しくターラを叩いたり、専門の手拍子役が舞台に上がっていたりします。この南北の異なりは、即興演奏の重要度と楽曲の複雑さのせいですが、いずれお話することとなると思います。
(文章:若林 忠宏)
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若林忠宏氏によるオリジナル・ヨーガミュージック製作(デモ音源申込み)
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