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インド音楽

27、Krishnaと音楽

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ヒンドゥー教の「三大神」と言えば、Brahman、Shiva、Vishnuですが、Brahmanは、ヒンドゥー教成立以前のBrahman教の名残も感じられ、言わば象徴的な感じがします。対してShivaとVishnuは、二大派閥を形成し、しばしば互いに争ったりしたほどの確執があり。古典音楽の歴史にも、この派閥勢力の浮き沈み、交代劇に大きく影響された様子は多く見られます。かと思うと、私の師匠や、知り合ったインド人の多くがニュートラルな感覚で、「どちらも信仰しているが、強いて言えばこちら」のような人が多いような印象を受けます。それと同時に、そんな感覚の庶民にとっては、「創造と破壊の神Shiva」よりは、「その間の維持のVishnu」の方が、とっつき易く、ありがたい、という感覚もあるように感じました。

実際、科学音楽から発展した古典音楽の「Raga(ラーガ/旋法)」でも、Vishnu関連の名を持つRagaが、Shiva関連を圧倒しています。
とりわけVishnuの化身のひとつである、ご存知「Krishna(クリシュナ)」は、様々な「Bhajan」「Kirtan」などのテーマに多く取り上げられています。

KrishnaをテーマにしたBhajanの面白い性質が、例外的にBeatlesのジョージ・ハリソンが後援したインド人教祖がアメリカで興した新興宗教の讃歌を除き、ほぼ全てにおいて、「Krishna」の名が歌に出て来ないということです。
これは、Bhajan創世記における迫害や不理解への対処のみならず、日本の歌舞伎役者も昔は本名(芸名)で呼ばずあだ名(愛称)で呼ぶのがむしろ礼儀であったのと同じようなものが伺えます。事実インド古典音楽では、あだ名的なタイトルが同じ様に礼儀として本名に優先されました。

かつて世界各地で、聖なるものや高貴なもの、偉大なものと、虐げられた卑しいもの、禁忌なものには、同じように「あだ名、蔑称、愛称、タイトル、称号、隠語、」が着けられる不思議な共通性がありました。
その共通の感覚を強いて説くならば、「非日常であり非凡である」とか、「共同体において異端である」という感覚の為せる技であろうと考えられます。
そのような、「善し悪し」や「尊蔑、上下」が不明瞭に、しばしばまるで同義同質であるかのように、普通に行われることが多いのもインドの大きな特徴ではないか、と痛感することが多くあります。

BhajanやKirtanなどの歌詞がある音楽では、知る人ぞ知る「Krishnaの別名やあだ名、愛称」によって、Krishnaに捧げる歌であることが分かりますが、歌詞の無い古典器楽や、歌詞があってもほんの数行の古典声楽では、「あだ名、愛称」以上の理解と知識がないとKrishnaがテーマであることは分からないかもしれません。
そんな少しマニアックなキイワードが「河渡り、悪戯、揺れる、ブランコ、彩り、森」などです。
例えば、「Raga(ラーガ/旋法)」のひとつ「Hindol(ヒンドール)」の字義は、「揺らす」ですが、Krishna信仰の音楽家にとっては、Krshnaが幼少期のみならず、乳搾りの娘Gopiたちと戯れる少年期、Radhaとラヴストーリーを繰り広げる青年期に至るまでこよなく愛したブランコ遊びをイメージします。なので、旋律が揺れる様子も、イメージが異なる音楽家とは多分に変わってくるはずです。
他にも、古典声楽の主題の一節「さあ!起きなさい、何時迄寝ているんですか!」などは、知らない人、無関心な人には、「つまらない歌詞だ」と思われるかもしれませんが、Krishna信仰の声楽家にとっては、Krishnaの養母Yashodaの台詞として理解されるだろう、ということです。

(文章:若林 忠宏

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