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インド音楽

29、神々のRaga

santtukaram

ヒンドゥー教の神々は、いずれも卓越した能力と叡智を持つ(当たり前のことですが)と共に、何処か人間的な愉快な一面や可愛らしい一面を持っていると思うことがしばしばあります。この点を世界に求めてみますと、不思議なことにいずれもアニミズム(原始宗教)に行き着きます。

そうした世界に普遍的に見られる神々の二面性。即ち、恐るべき能力と、可愛らしさ愛しさという両極端の共存は、よろずにおいて「二元的」「両極端の共存」の性質が強いインドにおいて、より顕著であることは言うまでもないことでしょう。

ある種の価値観の解釈で言えば、世界各地で、アニミズムが宗教に組み込まれたり発展昇華される中で、矛盾する両極端が次第に整理されて来た傾向があるとして(あくまでも仮定ですが)、インドではそれが行われなかった傾向が見られるということが出来るのではないでしょうか。
また、別な次元では、善悪、勝ち負け、白黒着けられない世界こそが、宇宙の摂理に通じるものであり、神々も人間や動物も、常に両脚端のバランスの中で生きているということが原点とも言えます。これは、アーユルヴェーダ、中医・漢方弁証論治などが説く、「健康と病気」の分野にも見ることが出来ます。

その結果。とするのも、私の強引な私見のようでもありますが、ヒンドゥーの神々にちなむ「Raga(ラーガ/旋法)」の多くには、「厳しさ(鋭さ)と優しさ(温かさ)」という両極端が混在しているものが多い印象を持ちます。
それは、逆の性格を強く感じさせるRagaの存在によって認識されました。例えば、「Raga:Yaman」の極意は、徹底した「構造美」にあると考えます。四度五度で繰り広げられるシンメトリックな構造が重要な個性だからです。対象的にシンメトリックな構造が全く無い「Raga:Kafi」は、「長調的と短調的の対比」によって表現される二面性を持っています。

これらから自然に考えられることは、前者は、人間の情感から離れた建造物のような構造美であり、後者は逆に、人間の「本音と立て前」のようなものと考えることが出来ます。前者は、一説にはインド宮廷音楽の創世記にアラブ音楽の中心地のひとつであった「Yemen」から伝わったとも、イメージしたとも言われ、後者は、「春のRaga」として有名ですが、インドでは「春」は「正月」であり、賑わいとその中でひた隠された不安と悲しみを表現するという解釈があります。Kafiの字義は「満たされる」なので、矛盾するようですが。

Kafiの具体例では、花柳界の歌姫が歌う時には、「恋愛の二面性」すなわち、浮き浮きとした希望に満ちた情感と、破局や嫉妬に苛まれる苦しみの両極端を表現し、同じ「両極端、二面性」でも、上記の神々の「二元性」とは次元が異なるのです。Kafiのそれは「本音と立て前」のようなものですが、神々のそれは「本音が二元的」なのですから。

また、神々に因んだRagaの多くが「五音音階」しばしば「六音音階」であるという共通性があります。以前「七音音階」を「Sampurna(完全な)」と説明しましたが、対比して「不完全な」音階を用いるところが、言わば「超人的」と言えるのかもしれません。
前回述べました「Raga:Durga」も、「ドレファソラド」の「五音音階」ですが、「レからファ」「ラからド」の幅のある音程を見事に取るためには、かなりの修行が求められます。
逆に、人間的な情感の揺れに呼応するRagaでは、「ラからド」の間に、「シ♮とシ♭」のふたつの「シ」を持たせ使い分けたりしますが、このことから考えても、「五音音階」および「六音音階」は、少なくともインド音楽においては超人的な性質があるのでしょう。

(文章:若林 忠宏

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