ヒンドゥーの神々に因んだ「Raga(ラーガ/旋法)」が、人間が及ばない神秘の力を持つと同時に、温かい可愛らしい優しい側面も併せ持ったのと比較すると、神々に因んだリスム(サイクル)/拍節法「Tala(ターラ)」は、ある意味徹底して「非人間的」と感じさせるものが多くを占めていると思います。
つまり、人間の日常に自然に湧いて来るリズム感とはかなり隔たりがある、ということです。
このことからも、インド音楽の二大要素である「Raga」と「Tala」は、まるで織物の縦糸と横糸のように、結果として交わり織りなすにもかかわらず、性質も有様も、全く別次元のものであるということが再認識出来ます。
つまり、人間の情感に直接的に訴える力を持っている「旋律」の分野では、「高揚させる」「鎮静させる」「その双方の要素を併せ持つ」など、「二元性」「両極端の共存」がテーマになり得るのに対し、「リズム(律動)」の分野では、「常道・常同的」と「変則的」という相反する要素は、共存し難いのだろうということです。
具体的には、「4+4+4+4」や「3+3」など同じ数が続くリズムパターンを「常道・常同的」の極みとして、「2+3+2+3」「3+4+3+4」なども、西洋音楽しか演奏しない人や聴かない人は戸惑うかも知れませんが、慣れれば「規則的」であり、「安定的」とさえ感じられるものです。
ところが、これらの「シンメトリック構造」の「Tala」と比べると、「3+4」「4+4+1.5+1.5」などは、かなり不規則であると言うことが出来ます。
しかし、以前述べましたように、「3+4」は、「3+4+3+4」を半分に割ってループしたものと考えれば恐るに足らないと言うことが出来ますし、別な視点では、北インドのみならず好まれている、インドに近い中央アジアの民俗舞踊を見ますと、しばしば飛び上がる様な仕草があり、「非常同的」ではありますが、人間の動作としては不自然ではないと言えます。
ところが、神々に因む「Tala」は、神々に因まない「Tala」の常規を遥かに逸しているのです。それらは、大きく分類してふたつの傾向が見られます。
ひとつは、全体を二分することが出来る、ある意味シンメトリックなTalaですが、Shiva関連Tala例1の「2+2+2+2+2+2+2+2」やDurga関連Talaの「1+1+1+1+1+1+1+1+1+1」、およびSaraswati関連Talaの「2+2+2+2+2+2+2+2」のように、少ない拍数の小節が異常に羅列しているものです。
これでは「起承転結」は愚か「寄せて返す波のような」という往復感も感じられず、まるで「1拍子」や「2拍子」が、感覚的には計り知れないところで途切れ繰り返されている感じです。
もうひとつの傾向は、Shiva関連Tala例2の「1+1+1+1+1+1+2+2」や、Krishna関連Tala例1「2+2+2+3+3+4」、およびKrishna関連Tala例2の「1+2+2+2+1+2+2」のような、二分も出来なければ、その構造の意味、理由さえも分からない奇妙な構造です。
今回例をあげた「神々に因むTala」は、いずれも今日殆ど演奏されない古いTalaですが、同時代の「神々に因んでいないTala」は、上記の二系統のような奇異な構造は持っておらず、全体が二分出来たり、往復感や循環性が豊かであったり、慣れれば今何拍目であるかが分かり易いものばかりです。
従って、神々に因んだからこそ、上記のような奇異な構造であったと考えることが出来るのですが、「何故?」の答えまでには至っていないのが残念なところです。やはり「超人的」「神秘的」としか言いようがないのでしょうか。
(文章:若林 忠宏)
‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥
若林忠宏氏によるオリジナル・ヨーガミュージック製作(デモ音源申込み)
‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥
コメント