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インド音楽

43、中世の聖者:Swani Haridas

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16世紀の楽聖:Swani Haridas(スワミ・ハリダース/1478?/1512?~1573?/1575?)は、13世紀のGopal Nayak以後、300年振りに現れたインド音楽史に輝く伝説的かつ神秘的な偉人と考えられています。

彼の存在からは、古典音楽がイスラム宮廷古典音楽(芸術鑑賞音楽)の立場をとってからもなお、ヒンドゥー科学音楽を継承していた音楽家が存在したこと、そのような音楽家の存在が、ヒンドゥー藩王国宮廷楽師のみならず、イスラム宮廷楽師にも多大な影響を与えていたことが分かります。

また、Gopal Nayakと「歌合戦」を展開したデリー・イスラム宮廷の楽壇トップにあったAmir Khusrawが、正派イスラム教徒である立場とは別に、Chishti教団のスーフィー神秘主義者で、教団の重要な導師であるニザムウッディン‥アウリアを師と仰いでいたのと同様に、16世紀のデリー・イスラム宮廷の楽壇トップにあったMiyan Tan Senが師と仰いだのが、このSwami Haridasなのです。

Swami Haridasは、腰巻き一枚の姿で森の中で伴奏弦楽器「Tampura(タンプーラ)」を奏でる姿で描かれます。しばしば二人の男が訊ねて来る図も描かれますが、それがSwami Haridasの弟子でもある楽聖Tan Senとムガール王朝君主Akbarです。

Sawami Haridasについては、神話的な言い伝えが多いのに対して、実際の経歴はほとんど知られていません。何時どんな師匠から古典音楽とVishnu派のタントラの教義を学んだのかも良く分からないのですが、父とも師とも言われる人物の教えに従って、krishnaの森でもあるVrindavan(ヴリンダーヴァン)の森に籠って修行を続けたことは事実のようです。

20世紀の末代まで、その子孫が宮廷楽壇の最高位に君臨し続けられたほどの実力者Tan Senが師と仰ぐほどの音楽家ですから、ラージプート諸国か、グワリオールなどのヒンドゥー藩王国の楽士か楽師を勤めた可能性もあろうかと思いますが、言わば出家状態で森に籠った様子は、中国三国時代(3世紀頃)の「竹林七賢人」の様子に似ています。七賢人の多くも音楽・楽器をたしなみ、一時登官しつつも森で隠匿生活を送ったのですが、七賢人は酒を飲み、肉を喰らい、当時隆盛し始めた儒教に対しての抵抗心旺盛だったのに対し、Swami Haridasの行為は、社会や俗世に対するアンチテーゼでは全く無かったに違いありません。

何度も申し上げていますが、インド思想の根底にある「二元論的観念」では、「聖/清」も「俗」も、同等の価値として存在するのです。「俗」を極めるのは簡単なことですし、何時でもできるでしょうが、それと釣り合うだけ「聖/清」を極めるのは容易なことではないわけです。故に、「俗世を捨てて」などという感覚ではなく、場合によっては、自らの「俗」を温存し、それに釣り合うだけの「聖/清」を求める為だけでも「森に籠って修行する」ことは必要不可欠の行為かもしれません。そこに、インド科学音楽を探究する、などという目的が加われば、その意識の純粋さは如何程のものか推測に難くないと思われます。

このことに関しても、インドならではの不思議な感覚の逸話があります。

Swami Haridasは、一応普通に妻を得たらしいのですが、全くと言ってよいほど夫婦らしい有様を持たず、挙げ句に「森に籠る」と言い出した。その際、彼は妻に「お前が共に来たいと言うなら、拒否はしない」と一言言ったそうです。すると妻は、可燃性の塗料で仕上げた腕輪に火を付け炎の中に消えて行ったと言います。最後の言葉は、そうすることで、夫と常に共に居られることを喜ぶ言葉であったとされます。しかし、妻の実家では、その後数百年もの間、その素材の腕輪を身につけてはならない掟があったそうです。

(文章:若林 忠宏

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