インドには、グル(師)とシシャ(弟子)の関係にまつわるさまざまな神話が伝わります。中でも、古代の叙事詩であるマハーバーラタに記されたエーカラヴィヤとドローナーチャーリヤの関係は、霊性を育む教えにおいて、さまざまに伝えられる神話の一つです。
森に住むエーカラヴィヤは、偉大な軍師であるドローナーチャーリヤのもとで弓矢を学びたいと申し出るも、ドローナーチャーリヤはその申し出を拒みます。エーカラヴィヤが弓矢を持つ階級でなかったこと、そしてドローナーチャーリヤには武士階級にあるアルジュナという弟子がいたからでした。
それでも弓矢を学ぶことを願ったエーカラヴィヤは、ドローナーチャーリヤの人形を作り師として崇め、弓矢の修練を真摯に続けます。修練の結果、エーカラヴィヤは優れた弓矢の名手となり、それを知ったドローナーチャーリヤは、ダクシナー(謝礼)を求めました。師のためならなんでも差し出すとエーカラヴィヤが述べると、その親指を差し出すようドローナーチャーリヤは求め、エーカラヴィヤは親指を差し出します。それ以来、弓を射ることはできなるも、エーカラヴィヤは幸せでした。
さまざまに伝えられるこのエーカラヴィヤとドローナーチャーリヤの関係は、まず何よりも、エーカラヴィヤの師を慕う姿が、弟子としての理想の在り方を伝えています。エーカラヴィヤが優れた弓矢の名手となったのは、弓矢を射る修練よりも、師を崇める定まった心があったからでした。
そんなエーカラヴィヤの親指を、ドローナーチャーリヤはダクシナとして差し出すよう求めます。一説には、他を守るために戦う武士階級ではなかったエーカラヴィヤが、このまま弓矢を射り続けることでいずれ他を傷つけ、悪いカルマに苛まれる可能性があったからだといわれます。
また、エーカラヴィヤにはただ偉大になりたいという欲望があり、その欲望をドローナーチャーリヤが切り落としたのだともいわれます。しかし、弓矢を射ることができなくなっても、エーカラヴィヤは理想的な弟子の在り方として今でも讃えられ、その偉大さは変わらずにあります。
姿が見えなくても、自分自身を成長させる存在を崇め、常にそこに心を定め歩むことで、究極の幸せが授けられることが、エーカラヴィヤの姿を見て分かります。グル・プールニマーが近づく今、改めて自分自身を育む存在に感謝をする時を過ごしたいと感じています。
(文章:ひるま)
参照:https://en.wikipedia.org/wiki/Ekalavya
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