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インド音楽

47、新音楽の誕生

old sitar on red background - ancient indian instrument

インド古典音楽は、18世紀をピークに常に発展し続けて来たと言えます。しかし、その姿は、今日の人間の感覚とは幾分肌たりがあるように思われます。

今日の人間の感覚では、進化発展の必要条件は「時代を先取りすること」であり「来るべき新しい価値観に対する敏感なアンテナと、斬新なセンスを持つこと」かも知れません。しかし、東西文化史の数千年を見ますと、今日風の感覚は、大きな流れの中の一過性のアンチテーゼのある種の形態に過ぎないことが分かります。

文化史の大きな流れには、確固たるメインカルチャーの存在があり、それに対峙するサブカルチャーもそれなりの頑強さを持ち、単なるアンチテーゼのレベルではなく存在し対峙していたのです。言い換えれば、鏡の前にメインカルチャーが立ってこそ、鏡にサブカルチャーが映る訳ですから、誰も立たなければ何も映らない。弱り切った姿で立てば、弱り切った鏡像しか映らないということです。

インド古典音楽におけるメインカルチャーは、言う迄もなく古代科学音楽に源流を見る厳格な声楽様式でした。それ自体は、サブカルチャーの存在も触媒の存在も求めず進化していました。何故ならば、その時代の原動力は、飽くなき探究心であったからです。そしてそれは、進化発展の限りを尽くし、難解で重厚で複雑な構造のPrabandhaに至りました。その言わば簡略系のDhrupadでさえも、イスラム宮廷古典音楽の王座の地位を400年以上もの間守り続けて来ました。つまりDhrupad自体は、16世紀から殆ど発展進化していなかったのですが、この不動の姿がメインカルチャーとして存在したからこそ、新しい音楽様式が活発に生まれることになった訳です。

DhrupadiyaであるSadarangがその原型を創作した新様式「Khayal(カヤール)」が流行したころ、「Khayalの器楽版」とでも言うべき「Gat」という器楽様式が生まれます。Khyalの宮廷楽壇への登場によって、花柳界の伴奏楽器Sarangi、太鼓Tabla、まだ簡素な伴奏弦楽器だったSitarが宮廷楽壇の末席の地位を得たことが大きな要因と考えられます。つまり、「Gat」の母体もまた、不動のサブカルチャーであった「花柳界音楽文化」であったのです。

次の段階において、KhayalもGatも単なる「触媒/ハイブリッド」から、メインカルチャーの末席であっても確かな地位を確立します。その為には、花柳界音楽とのある種の決別、および、理論的、構造的な発展昇華が不可欠でした。

Khayalの原型は、花柳界風の言わば「小唄」でしたが、それを重厚かつ情緒豊かで、しかも理論的に高度なものに発展させる必要がありました。

そこで、Dhrupadiyaの子孫のKhyala声楽家は、改めてDhrupad技法を取り入れ、全体と重々しくゆったりとしたテンポで歌うスタイルを開発しました。言わば「長唄」のような意味合いで、これを「Bada Khayal(バラ・カヤール/大きなカヤール)」と呼び、それまでの「小唄」を「Chota khayal(チョータ・カヤール/小さなカヤール)」と呼んで区別するようになりました。

Gatの成立にはいささか複雑な事情がありました。まず最初に誕生したのが、アフガン系音楽家による新しい楽器「Sarod」を用いたDhrupad音楽の演奏形態「Rohili-Gat」でした。伴奏にはもっぱらMridang(Pakhawaj)を起用していたことから、Sitarに先んじて古典音楽の楽壇に登ったことと、後のGatよりDhrupadに近い様式を演奏していたことが分かります。近年の余興的セッションやコラボでもない限り、Sitarの伴奏をMridangが務めることはありません。

その後50年から100年近く経ってから、新楽器Sitarを用いたGatが確立します。Seni-Vinkar-GharanaからRahim SenとAmrit Senという親子が親戚の猛反対を押し切ってSitarを専門とし、祖父Masit Khanが開発した新しいスタイル「Masit khani Gat」を完成させたと言われます。ゆっくり(Vilambit)とした壮大なスタイルは、Khayalの「Bada-Khayal」に相当する重厚なもので、これによってSitarとTablaによるGatの地位を高めました。

19世紀に入ると、同じRagaの早い軽快な(Drut-Laya)様式を繋げてメドレーで演奏することが流行りました。後者は、Reza Khani Gat」と呼ばれますが、創始者のように言う人もいる、Ghulam Reza Khanは、生涯花柳界式の叙情歌歌手だったとも言われます。

(文章:若林 忠宏

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