霊性修行を行う人々にとってこの上ない吉兆な時であるマハーシヴァラートリは、冬が終わり、長く暑い夏を迎える前の、束の間の心地の良い季節に祝福されます。木々が芽吹き、美しい花が咲き始めるこの時、シヴァ神は、変化の中にある一瞬の大きな喜びへ私たちを導きます。
穏やかな気候の中でシヴァ神と向き合うこの春の夜は、永遠の至福を感じる瞬間でもあります。食を断ち、自我を捨て、空っぽになった自分自身の内に、ただただ大きな幸せと平安が満ちていることに気づくからかもしれません。
シヴァ神は、不死の霊薬として知られ、永遠の至福をもたらすアムリタが満たされたカマンダルという壺をいつも所持しています。乾いた南瓜でできたこのカマンダルを作る過程には、私たちが永遠の至福を得るための霊的な深い意味が秘められています。
カマンダルを作るためには、まず熟した南瓜を収穫し、その果肉と種を取り除かねばなりません。空っぽになった南瓜の皮は、乾燥すると硬くなり、やがてアムリタを入れる器となり変わります。
果肉を取り除くことは、物質への執着を取り除くことを象徴します。執着をなくすことは、霊性修行の重要な行いの一つとして古代から捉えられてきました。そして種は、神々の存在を遠ざけ、私たちに大きな苦難を経験させる自我を象徴します。これらを取り除き、内なる世界を浄化することで、自分自身をアムリタで満たすことが可能となります。
満月から新月へと変化する境目であるシヴァラートリは、自我が小さくなる時といわれ、霊性修行を行う最も吉兆な夜として崇められてきました。シヴァラートリを通じ破壊神であるシヴァ神と向き合うことで、苦難を生み出す物質への執着や自我が破壊され、永遠の至福に満ちることができるに違いありません。
常にシヴァ神が所持するカマンダルのように、アムリタに満ちた存在であれるよう、シヴァ神を思う心を強く持っていたいと感じています。シヴァ神の大きな祝福がいつの時も皆様のもとにありますよう、心よりお祈りしております。
(文章:ひるま)
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