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インド音楽

81、Ganeshが祖の太鼓:Mridang

この連載のVol.23で、「世界初の太鼓奏者は、ガネーシャ神で、その太鼓はムリダング」と御紹介しました。「ムリダング」は「ムリドゥ(土)+アング(胴)」の文字通り、当初は素焼きで円筒形の胴を作り山羊皮を水牛の皮の締め皮で強く張りました。加えて、次回ご紹介する「古典音楽太鼓:タブラ」同様の鼓面に張られた重り「スャヒ(字義は墨)」がムリダングの大きな特徴です。
「スャヒ」が何時頃発明されたかの確かな情報はありませんが、仏教が伝わったインドシナの古典音楽太鼓にも、模倣してほぼ黒い円を描いただけの太鼓が基本的に存在することから考えて、仏教時代以前には存在していたと思われます。

同様に、確かないきさつが分からないのは、1980年頃からジャズ(ロック)のドラムのヘッドにも黒いシート(パッド)が貼られるようになったことです。もちろん全てをインド太鼓に結びつける必要はありませんが、ヒントにはなったかも知れません。
インドシナの太鼓とジャズドラムの「黒い丸」の効果は、「散乱する余計な倍音を消去し、音に締まりを与える」ということに尽きるようです。

それに対し、「スャヒ」は、遥かに大きな効果が複数あります。
まず、「余韻が十倍近く伸びる」ことです。それによって、やたらに音数を増やすことなく叩くことでも、充分に重厚で荘厳な不雰囲気を醸し出すことが出来ます。瞑想ファンにもお馴染みのチベッタン・ベル(ハンド・シンバルや鉦)や日本のお寺の鐘(鉦)もやはり余韻が命です。
次に「音量が数倍大きくなる」ことです。恐らく太鼓の鼓面本来の重さの十倍以上になることで、単純計算で直径が同じく十倍以上の太鼓の音量が出る理屈です。
そして「豊な倍音が得られる」ということです。この倍音は、ジャズドラムやインドシナ古典太鼓が「割愛を求めた」拡散・散乱する余計な倍音ではなく、澄んだ音楽的な倍音です。

そして、極めつけが「鼓面の一部を触っても全ての音が消去されない」ということです。
「スャヒ」を塗ることで、鼓面の構造は、「本皮の性質」「スャヒの性質」「両者を合わせた性質」の「三枚の鼓面の性質」を併せ持ったことになります。なので、単純な説明で恐縮ですが、指や手のかかとで鼓面に触れても、普通の太鼓ではミュート(消音)されてしまう振動が、完全には消えないのです。三枚の皮の内、一枚がミュートされても他は響くという理屈です。

この仕組によって、上記の「三つの性質」を複雑に組み合わせることが出来るのです。つまり、上記の三つの性質それぞれの上で、「鼓面全体、鼓面中心部、鼓面の縁」を叩くことで単純計算で、「九種類の音」が出る理屈になります。
実際は「音になっていないもの」と「大して変わらないもの」があるのですが、それでも明らかに異なる基本音が「五種」生まれるのです。そこに「両面太鼓」の場合、左右で高低の音程差をつけますので、これもまた単純計算で25種、実際の実用的な音数は、基本で12種生まれたのです。

この感覚は、世界の他の太鼓には見られません。希に「スティックを鼓面に押し付ける」等の奏法が西洋のマーチングドラム、日本の祭り太鼓、キューバの舞曲の太鼓に見られる程度ですが、インド太鼓は「スャヒ」の御陰で12種もの「音色の違い」を叩き分けることが出来るようになったのです。

その結果、インド太鼓は、世界の他の太鼓と全く異なる方向に進みました。それはある意味「喋る太鼓」という方向性です。「喋る太鼓」=「Talking-Drum」はアフリカでも有名ですが、それは、小脇に挟み、脇で締め紐を絞り上げて音程を替え、その変化が「言葉のようだ」ということと、「そもそもアフリカの全ての太鼓は『モールス信号の役割』を果たした=伝達=言語的」であるという二つの意味合いですが、インド太鼓の「喋る」はその次元とは全くことなります。

12音の基本音は、「インド人の耳にそのように聞こえる」という「擬音語」の名前をもっています。
それは、右手高音鼓面で「ター、ティン、トゥン、テ、ティ」の五種で、左手低音鼓面で「ゲ、カ」の二種で、「似た音」を省いて「左右同時」で五種の計12音です。つまり、「た、てぃ、とぅ、て、てぃ」と「だ、でぃ、どぅ、で、でぃ」「か、き」があるのです。
また基本音の12の他に、「ナ、ガ、キ、ク、ラ、リ」などの比較的頻繁に用いられる「前後関係から生まれる派生音や太鼓記憶言葉の言い替え」を加え、日本語に当てはめると「たちつてと、な、らり、かきくけ」がフォローされているのです。すろと「田中君が泣く泣く来た」位の言葉は喋れてしまうのです。

その結果、リズム表現用語で「タンタ、タンタ、タカタ、タカタ」のようなシンプルなリズムも「ダーナ、ディンナ、タキタ、ティナク」「ゲケテ、ナギナ、タキタ、テテテ」など、無限とは言いませんが、限りがないと思わせるほど「異なるもの」に聴かせることが出来るのです。

ということは、そもそも音楽は、基本「リズムと音程」の「二元論」でしかないのですが、「同じリズムが音程を替えずに様々に変化発展する」ということであり、これは音楽の常識を覆すものということが出来るのです。

素焼き胴の、元祖「ムリダング」は、その後、壊れにくい「木製胴」になりましたが、素焼き胴も、キールターンなどの伴奏用やマニプール州の古典舞踊の太鼓として今日迄生き続けています。

木製胴は樹の幹をくり抜くもので、北インドでは薄めの比較的軽い(それでも10kg弱はありますが)ものですが,南インドでは厚めにくり抜くため、ずっしりと重く、恐らく30kgはありそうです。胡座の片足首に右側を載せ叩き易くするのですが、慣れないと足首が保ちません。この南北の「ムリダング」の重さの違い、皮の厚み(やはり南が厚く、その分余韻が短い)の違いは、南北の太鼓奏法とその役割の違いが現れています。
ちなみに南では言語習慣によって「ムリダンガム」と呼ばれ、北ではイスラム宮廷時代にペルシア語で「聖なる頂」の名を得て「パカワーズ(ジ)」とも呼ばれます。

(文章:若林 忠宏

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