前回の記事では、सह नावावामवतु(saha nāvavatu)で始まるマントラの文法や逐語訳を紹介しました。
それに関連して、ヴェーダーンタ学派の不二一元論(アドヴァイタ)を唱えたことで有名な、8世紀のシャンカラ・アーチャーリヤ(アーチャーリヤとは先生の意味。アーディ・シャンカラ、初代シャンカラとも)が記した注釈に触れたいと思います。
注釈、というのは、聖典の内容を詳しく解説すること。ヴェーダ聖典も時代を経るにつれ、使われている単語や文体の意味が分かりにくくなっていたようで、「これはこういう意味ですよ」と、後代の教師が単語ひとつひとつを解説している注釈書が残っているのです。
シャンカラ先生の時代でさえ、ウパニシャッドが編纂された時代とおよそ1000年も隔たりがあるため、伝統的にどのように解釈されてきたのか、という定義と同時に、その注釈を記した教師の考えや当時の価値観が入っている可能性もないわけではないことは、少し注意してください。
シャンカラ先生がsaha nāvavatu のマントラについて解説している部分で、一箇所、いま知られている単語の区切り方(tejasvi nāv_adhītam_astu)とは違うところがあって、そこではtejasvināv_adhītam_astu と読まれていました。
しかし、अथवा athavā 「あるいは」の語の後に、今知られている読み方を挙げています。重大な意味の変化をもたらすような違いではありませんが、率直に二通りの読み方を挙げているところに、私はシャンカラ先生の誠実さを感じました。
聖典なのにいくつもの読み取り方がある、というのはいかにもサンスクリット語らしいところでもあり、サンスクリット文を読む難しさでもあります。
【原文】
कठोपनिषत् kaṭhopaniṣat カタ・ウパニシャッド2.3.19
सह नावावामवतु पालयतु विद्यास्वरुपप्रकाशनेन । कः स एव परमेश्वर उपनिषत्प्रकाशितः । किं च सह नौ भुनक्तु तत्फलप्रकाशनेन नौ पालयतु। सहैवावां विद्याकृतं वीर्यं सामर्थ्यं करवावहै निष्पादयावहै। किं च तेजस्विनौ तेजस्विनोरावयोर्यदधीतं तत्स्वधीतमस्तु। अथवा तेजस्वि नावावाभ्यां यदधीतं तदतीव तेजस्वि वीर्यवदस्तु इत्यर्थः। विद्विषावहै शिष्याचार्यावन्योन्यं प्रमादकृतान्यायाध्ययनाध्यापनदोषनिमित्तं द्वेषं मा करवावहै इत्यर्थः।शान्तिः शान्तिः शान्तिरिति त्रिर्वचनं सर्वदोषोपशमनार्थमित्योमिति॥
【原文(ローマナイズ)】
*アンダーバーは独立する単語同士の区切りを指し、ハイフンは複合語内での区切りを指しています。
kaṭhopaniṣat カタ・ウパニシャッド2.3.19
saha nāv_āvām_avatu pālayatu vidyā-svarupa-prakāśanena |
kaḥ sa eva parameśvara(ḥ) upaniṣatprakāśitaḥ |
kiṁ ca saha nau bhunaktu tat_phalaprakāśanena nau pālayatu |
saha_eva_āvāṁ vidyākṛtaṁ vīryaṁ sāmarthyaṁ karavāvahai niṣpādayāvahai |
kiṁ ca tejasvinau tejasvinor_āvayor_yad_adhītaṁ tat_sv-adhītam_astu |
athavā tejasvi nāv_āvābhyāṁ yad_adhītaṁ tad_atīva tejasvi vīryavad_astu ity_arthaḥ |
vidviṣāvahai śiṣya-ācāryāv_anyonyaṁ pramāda-kṛta-anyāya-adhyayana-adhyāpana-
doṣa-nimittaṁ dveṣaṁ mā karavāvahai ity_arthaḥ |
śāntiḥ śāntiḥ śāntiriti trir_vacanaṁ sarva-doṣa-upaśamana-artham_ity_om_iti ||
【逐語訳】
*注釈文は箇条書きのような独特の文体なので日本語として意味が通じるように訳すのが難しいため、単語ごとに続けて訳を挿入していますが、日本語の部分だけを繋げて読むこともできるように書いてあります。イタリック体字の部分はマントラの本文です。本文の文法解説は前回の記事をご覧ください。
saha nau我々二人とともに(とはつまり)āvām〔代名詞、一人称対格両数〕私たち二人を(の意味)。avatu守れ(とはつまり)pālayatu〔√pal, 命令法能動態、三人称単数〕守りたまえ(の意味)。vidyā_svarupa_prakāśanena〔複合語、男性名詞具格単数〕学問の本質を明らかにするものによりて。
kaḥ〔疑問詞、男性形主格単数〕sa(ḥ)〔代名詞、男性形主格単数〕 eva(小辞)誰であるかといえば実にparameśvara(ḥ)〔男性名詞主格単数〕最高神、upaniṣat-prakāśitaḥ〔男性名詞主格単数〕ウパニシャッドに明示されたものである。kiṁ〔疑問詞、中性形主格単数〕 ca(=kim caで) さらに、saha nau bhunaktu我々二人とともに満足せよ(とはつまり)、我々二人に満足する(ということ)。tat-phala-prakāśanena〔複合語、男性名詞具格単数〕その成果を明らかにするものによって、nau〔代名詞、一人称対格両数〕私たち二人をpālayatu〔√pal, 命令法能動態、三人称単数〕 守りたまえ(の意味である)。
saha~とともに(とは)eva〔小辞〕まさにāvāṁ〔代名詞、一人称対格両数〕私たち二人を(の意味で)、vidyā-kṛtaṁ〔複合語、中性形対格単数〕学問を行なうvīryaṁ 努力 (とは)sāmarthyaṁ〔中性名詞主格単数〕最善を karavāvahai〔√kṛ, 命令法反射態、一人称両数〕行ないます、(つまり) niṣpādayāvahai〔nis√pad, 命令法反射態、一人称両数〕実行します(の意味である)。
kiṁ(疑問詞、中性形主格単数) ca(=kim caで)さらに、tejasvinau輝かしいふたつのもの (とはつまり)tejasvinoḥ〔形容詞、中性形属格両数〕輝かしいāvayoḥ〔代名詞、一人称属格両数〕私たち二人のyad〔関係代名詞、中性形主格単数〕adhītaṁ学んだことが (つまり)tat〔指示代名詞、中性形主格単数〕su-adhītam〔中性形主格単数〕優れた学びでastuありますように(という意味)。
athavā〔接続詞〕あるいは、 tejasvi nau輝かしいものが我々に(とはつまり)āvābhyāṁ〔代名詞、一人称為格両数〕私たち二人に yad〔関係代名詞、中性形主格単数〕adhītaṁ学んだことが tad〔指示代名詞、中性形主格単数〕atīva〔副詞〕非常にtejasvi〔形容詞、中性形主格単数〕輝かしいもの(つまり)vīryavad〔形容詞、中性形単数主格〕効果的なものでastu あれiti〔引用〕arthaḥ〔男性名詞主格単数〕という意味である。
vidviṣāvahai我ら二人が仲違いする(とはつまり)śiṣya-ācāryāv〔複合語、男性名詞主格両数〕学生と教師(の二人)が anyonyaṁ〔中性形単数主格〕お互いに pramāda-kṛta-不注意な行いやanyāya-adhyayana-間違った勉強やadhyāpana-doṣa-暴力的指導がnimittaṁ〔複合語、男性形対格単数〕原因の dveṣaṁ〔男性名詞対格単数〕ケンカを mā karavāvahai〔√kṛ, 命令法反射態、一人称両数〕決して行ないませんiti〔引用〕arthaḥ〔男性名詞主格単数〕という意味である。
śāntiḥ śāntiḥ śāntir_itiシャーンティ、シャーンティ、シャーンティというtrir〔数詞、主格複数〕三つのvacanaṁ〔中性名詞主格単数〕 言葉は、sarva-全てのdoṣa-過失のupaśamana-消失のartham〔対格単数=副詞用法〕目的iti〔引用〕ということで_om_iti〔引用〕オーンと同様である。
(文章:pRthivii)
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