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ヒンドゥー教に於ける「シヴァ神」の位置づけとは?
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ヒンドゥー教に「三大神」というのがあることは良く知られています。一般に「ブラフマ神」「シヴァ神」「ヴィシュヌ神」は、それぞれ「ヴェーダの叡智」「創造と破壊を司る」「維持を司る」とされます。
しかし、ヒンドゥー教に関心を抱いた当初の方々にとっては、いずれも分かりにくいものがあるのではないでしょうか。 と言っても、ヒンドゥー教をより深く学び、理解しようとする者にとっても「分かった」と思ったら、また分からなくなりをくり返すことが多く、それは「山を越え、また山を越えて行く」かのようです。この意味では初級者と対して変わらない印象を持ち続けているとも言えます。
そもそも「真実」とか「真理」というものは、それを「分かりたい」「理解したい」「探求したい」という者自体の「成長・発展・変化」に応じて段階的に変わって行くものですから、「分かったと思ったのに、また分からなくなった」とか、「段階毎に異なって見える、思える」ということは、道理であると言える。否、道理を越えた摂理であるのかも知れません。
これを、幼稚で恐縮ですが単純明快に説くならば、「○○は、○○である」は、段階毎に逆転し得るということであり、良く言われる「師匠が黒と言えば、白も黒だ」
のような話しです。しかし、より正しく学んでいる(つまり成長・変化している)弟子にとって、より正しく導いている師であるならば、「段階毎に答えが逆転する」というのは、当然の成り行きなのです。言い換えれば「右足の次には左足が出るだろう」ほど、「当たり前のこと」なのです。更に言い換えれば、何年経っても「白は白」「黒は黒」としか思えない弟子や、そう教える師もまた、何か大きな問題、考え違いをしているのだろう、ということでもあります。
例えば前述の「ブラフマ神」が「ヴェーダの叡智を守り、司り、説いている」のであるならば、「三大神」の中で、最も崇高な存在であるはずですが、実際の信仰に於いては、必ずしもそうではありません。極端な場合、三神で、最高神の奪い合いをしているかのようでもあります。勿論、良く良く考えれば、それは、信者が熱心さのあまりに対立しているのであって、果たして神々が争っているのかどうか? しかし、古今東西で、神話は、実際に神々が争っているとも説きますから、ややっこしいとも言えます。
また「世の中の維持」ひいては「平和・平穏」を司どるヴィシュヌ神は、それ自体も、様々な化身も、言わば「人間の守護神」味方的であります。が、古くはシヴァ顔負けの「破壊神」でもあったという説もあります。実際に、ヴェーダの神の一柱:インドラをやり込める辺りは、決して厭戦的な神とは言えないかも知れません。人間並に、私利私欲・妬み恨み・復讐・騙しの世界で奮戦するラーマ王子もしかり。
そのような「分かりにくさ」「理解の段階に応じて変化するイメージ」がブラフマ神、ヴィシュヌ神に少なくないのに対し、シヴァは、端から分かりにくいという点で、比較的単純明快に結論を説いているとも考えられます。そもそも「創造と破壊」は、破壊が「新たな創造の為」であると説かれても「白は黒である」と言っているようなものです。
しかし、その結果、確固たる統計がある訳ではありませんが、歴史的な結果論から言えは、ヴィシュヌ系の信者の数は、おそらくシヴァ系、ブラフマ神に象徴されるヴェーダ系の神々の信者より、数百年前から圧倒的に多いに違いなく。また、大きく括ってヴェーダ~ウパニシャッド~ウパ・ヴェーダ~プラーナへと変遷するに従って、ヴェーダの神々が廃れ、ヴィシュヌ派が亢進し、しばしばアカラ様にヴィシュヌ系がヴェーダ系を淘汰する神話や解説が説かれています。しかし、「厳格で残酷な一面」を感じさせるシヴァは、意外にその「交代劇」には関わっていないかも知れません。
その理由は、もしかしたら、そもそも「創造と破壊=白と黒」の感覚自体が、「善悪」などの「二元論」を逸脱したものであるから、と考えることは自然です。
いずれにしても、これらもまた、当コラムのVol.114、117「歴史の理解力が心身の健康」で説きました「三次元思考力」の大切さを物語っています。
何故ならば、「歴史的変遷」は、言う迄もなく「縦軸=時間軸」であり、「立場・視座(見え方)の変化=横軸」「価値観の変化=奥行き軸」であり、結果論で、ブラフマ神は、この三次元の世界で、あちこちに振り回され、ヴィシュヌ系は、信者や為政者の恣意も加わって、やはりあちこちを縦横無尽に動き回ったに対して、シヴァは、縦軸と横軸を「ブレずに上下、左右に動き」つつ、「世界の秩序」という奥行きには確固たる存在感を貫いている、とも考えられます。
一方、それを理解せんとする私たちにもまた、この三次元のことが大きく関わって来ます。「縦軸=時間(歴史)軸」を如何により多く、より深く理解し、整理して記憶しているか? 「奥行き軸=物事の本懐・本旨・骨子・根幹」が「ブレないか?」が確立した上で、日々の感情や理解・成長の過程に於いて「異なって見える(のが、正常な道理)」である「横軸」(つまり左右に揺れるのは当然であり、間違いではない)という形が「正常(デフォルト的に)整っていれば」良いのですが、縦も横も奥行きも座標がブレまくっているようでは、「一向に理解出来ない」「難しい」「面倒臭い」「都合の良いことだけで良いや」となってしまう訳です。
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「荒神」ということの意味
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何度か述べていますし、特にRaga:Durgaの項 Vol.111では、やや詳しく述べましたが、元来、世界中で神々というものは、常に「優しさ・包容力・ご加護」という側面と同時に「厳しさ・惨忍さ・人間にとっての脅威的存在」の両極端の二面性を持っていました。ところが、紀元前3千年前頃から紀元前千年ほどの間の、今日の時間距離から見れば、かなり近しい時期に、同時的(シンクロニシティー的)に、人間にとって都合の良い神々に変貌しました。
具体的には、「同じ神のニュアンスが変わった場合」「怖い系の神々の存在感が薄まった場合」「怖い系の神々が、優しい系の神々に淘汰された場合」があり、最も極端な例では「怖い系の神々が悪神とされ、善神に滅ぼされたが、地下(地獄)に潜む」などがあります。これはアジアのみならず、地中海東岸から北欧に至るまで広範囲に広がっています。
このことからも、「神々の存在」と「神話」には、人間の都合の良い私意が多く混入していることが伺われます。
日本の神道でも同じことがありました。しかし、それから数千年経った今日でも、日本の神道のある部分では、(明治に政府がいじりましたので、『基本の部分』ではなくなってしまった感があります)その「神の二面性」を今も残しているところがあります。有名なところでは伊勢神宮の別宮などですが、「優しい系」を奉る神社の他に、「荒神」として、同じ神の「厳しい側面」をも祀っているのです。勿論、その主旨は、「厳しい側面」が発揮されないように、頼み込んでいるのですが、「その性質の存在を忘れていない」、という点では、神々に対する人間の「極めて真摯な畏怖の念」が生き残っている証とも言えます。
そして、この次元に於いてインドのシヴァ神信仰は、極めて古いけれど、人間の都合の良さからは遊離した、神本来の姿が残されている、ということが出来る筈なのです。
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Raga:Shankara
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Raga:Shankaraの構造と性格もまた、シヴァの(両極端な)二面性を、良く表しています。と述べましたが、これも正確には「人間本意」の言い方でもあります。そもそもそれは「両極端な二面性」ではなく、「本質的な一元性(の両端の性質)」と言うべきであるからです。乾電池にプラスとマイナス、棒磁石にS極とN極があるように。ヴェーダの時代から変わらず、人間が愚かしい行為をすれば天罰が下るように。その神本来の姿をより強く持ち続けていたかも知れないシヴァに於いては、「両極端な二面性」と言うこと自体恐れ多いことに違いありません。
シヴァの妃神の相のひとつ、ドゥルガーに因んだRaga:Drugaでも紹介しました、図のRaga:Shankaraの構成音は、三段の上段が、用いる「基本音列(より正しくは用いる音を順に並べたもの)」で、中段が、その「上行音列」で、下段が「下行音列」です。
「下行音列」は、普通高い音から低い音の順に左から書きますが、この図では、構成音の性質を色分けし、縦に揃える必要があったので、読む時には下段のみ、右から左に、とご理解頂けると幸いです。
つまり、「下行音列」では、「S、N、D、P、G、R、S」となり、四度の「Ma」は、終始割愛ですが、上行音列で割愛した「Re」は割愛されずに用いられます。
上行音列では、「Re」を割愛し、第六音と第七音は、いささかややっこしい動きをします。PaからSa へは、「P、D、N、S」とストレートに行かず、「P、N、D、N、S」と行くべきとされるのですが、このジグザグな動きは、「Vakra(ジグザグ/字義は曲がった、歪んだ)」と言うよりは「準Vakra」と言った感じです。
純然たるVakraの場合、ふたつめの図の二段目「Normal-Vakra」に示したように、「飛ばす(割愛する)音」がVakraの場合、例えば上行で、DがVakraの場合、「P、D」と来て、「DaのVakra」にぶち当たるので、そのままでは先に進めず、一歩戻って飛び越すしかないので、「P、D、P、N、S」となります。
ところが。Raga:Shankaraに於ける「準Vakara」の場合、「N、D、N、S」の動きが特徴的であることが重要なので、結果的に「NDNS」の動きの中には、「DNS」が含まれますから「DはVakraではない」ということになります。
図の「Vorja」は、「割愛音(Vorjit-Swar)」ですが、第四音「m(ナチュラルのファ)」は、常に割愛音です。敵音ではないですが、用いません。
ところが、上行音列では、「R」も割愛音:Vorjitになりますが、「D」は、その限りではないのです。
また、下行音列では「SNDPGRS」と弾くこともかのうですが、しばしば「SNP」と「D」を割愛します。これも「必ず」ではありません。
即ち、Raga:Shankaraに於ける各音は、
Sa=基音、終止音、
Re=上行で割愛、下行では割愛せず、経過音として巧みに重用。
Ga=主音、開始音、
ma=常に割愛
Pa=属音、終止音、重用、
Da=しばしば割愛、経過音として巧みに重用。
Ni=副主音、極めて特徴的、
というようなことになっています。勿論流派によって、若干の異なりはあります。私自身が所属している最も古いシタール流派でも、極めて特徴的な動きがあります。
また、図で示しました「Raga:BilawalのPakad(特徴的フレイズ)」との共通点で、Raga:Shankaraが、Bilawal-That(タート/分類引き出し)に属している根拠が分かります。二つ目の図の四行目のそれの冒頭の「GRGP」は、Bilawalならではのもので、「上行では五音音階」のRaga:Shankaraでは、まずあり得ません。「P」に行かず「GRG--GRGRS」というBilawal的な動きは重用されます。「GPNDNS」は、どちらのラーガにとっても重要なPakadです。
六行目のBilawaで「NDP」をShankaraで弾くことは、大間違いではありませんが、女性音「D」を極力割愛し、男性音「NからPへの急降下」によって、Raga:Shankara」の独特な個性が醸し出されます。
Bilawalでは、Dを主音とする流派が多いですが、「GMD----P」と「D」に長く留まりつつも、完全な終止音にならないことが多く。「主音=Pa」の解釈の流派も存在します。
Raga:Shankaraでは、割愛気味の「D」が。「GPDP」や、希に「GDP」のようにして、「PをDから回り込んで取る」ということも効果的に用いられます。これもBIlawal-That所以」ということが出来ます。
シヴァ家のポストカードとヤントラの写真は、当シーターラーマさんで通販されている商品で、ヤントラは「シヴァ・ヤントラ・ペンダント」です。私が、極力「ヤントラ」をご紹介しているのは、ヴェーダの叡智の享受は、脳機能の全てをバランス良く発揮させるべきであるからです。
近年では、「文字を読まない人」「難しい文章が苦手な人」「がんばるが頭に入らない人」「頑張ると気分が悪くなる人」が増えて来ています。それら全て「脳機能障害」が始っている証でもありますが、「タントラ(Vedaの叡智や科学)」を理解する時、「論理的思考力」が豊かになるまでは、「ヤントラを見る、触れる、身につける」や「マントラ(Shiva-Mantraや、ShivaにまつわるRaga)を聴く」ことによって、大きな助けを得ることは実に賢明と言えます。私が、保護猫の看病の間を縫って、仮眠時間を削ってもこのコラム用に図版を作成するのも、この理念に基づくものです。
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何時も、最後までご高読を誠にありがとうございます。
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また、現在実施しております「インド音楽旋法ラーガ・アンケート」は、まだまだご回答が少ないので、
是非、奮ってご参加下さいますよう。宜しくお願いいたします。
1月2月も、インド楽器とVedic-Chant、アーユルヴェーダ音楽療法の「無料体験講座」を行います。詳しくは「若林忠宏・民族音楽教室」のFacebook-Page「Zindagi-e-Mosiqui」か、若林のTime-Lineにメッセージでお尋ね下さい。 九州に音楽仲間さんが居らっしゃる方は是非、ご周知下さると幸いです。
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You-Tubeに関連作品を幾つかアップしております。
是非ご参考にして下さいませ。
「いいね!」「チャンネル登録」などの応援を頂けましたら誠に幸いです。
(文章:若林 忠宏)
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若林忠宏氏によるオリジナル・ヨーガミュージック製作(デモ音源申込み)
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シヴァ神についての考察、とても興味深く 楽しく読ませて頂きました。ありがとうございます。