「音楽療法」が説かれ始めたのが1970年代で、西洋医学界でも代替医療に於いて「音楽療法」の価値と効果を認める論文が出始めたのが2010年代と述べました。
しかし、
「音楽療法」は、紀元前数千年も前から存在するのです。と言うよりも、そもそも「音楽は療法のためだった」のですから、人類が音楽を発見・創作した時点が「音楽療法」の始まりとも言えるのです。
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太古の音楽療法
地域によっても異なり、当然学者によっても異なりますが、世界中で普遍的に「信心~宗教」というものは、「アニミズム~シャーマニズム~宗教」という順に発展、変化して来たことは紛れも無い事実です。
それぞれを簡単に説明します。
「アニミズム(精霊信仰、物皆神が宿る~天体や大気、大地、山や河、そして天候も神)」という意識は、まだ人間が「宇宙の波動」を良く受け止められていた段階の信仰と言えます。
そして、最も重要な点は、この段階では、人間ひとりひとりの内面に信仰があり、それは他者と合致させる必要もなく、つまり教義も神殿も不要の状態でも、皆が一様に万物に神を感じていた、ということです。
それが「シャーマニズム」に取って替わられるようになったのは、或る意味人間の集団が人間に「安全と安心」を与えた段階に到達したからと言えます。
それまでの人間たちは、或る意味「日々簡単に、あっけなく死んでいた」のです。
獣に喰われるやら、毒蛇に咬まれるやら、転んで怪我をして感染して死ぬやら、です。
言い換えれば、常に「死」が身近にあれば、さしてそれを恐れることもなく、ごくごく普通の感覚で、むしろ「死んで当たり前」と思ったかも知れませんし、獣に喰われることも、食物連鎖の中でごく自然なことだったに違いないのです。
ところが人間が集団を形成し、夜獣に教われないように「松明」を炊き、見張り番を起くようになると、圧倒的に「死亡率」が下がります。
すると人間は「死を恐れるようになる」のです。戦いの場合の死は、また別な意味合いを持ちましたので、「恐るべき死」の殆どが「病気」です。
精神病の類いは、域ながらにして人間性を失ってしまった「意識の死」のように考えられていた形跡が世界に散見出来ます。
この段階でこそ、「特殊な人間=シャーマン」が存在し得る訳です。
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「シャーマン」は、一般に「呪術師」的に理解されますが、「医者」であると同時に、「霊媒者」でもあり、同じ力を権力者が悪用すれば「呪術/呪い」という使われ方もします。
この時に「音楽」が生じたのです。
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尤も私は、拙著「スローミュージックで行こう(岩波書店)」で、「太古人間には二種
あり、それは『森の人』と『火の人』であった」と説きました。
「シャーマン」が現れたのは後者の集団であり、前者の人々は、依然「死を当然と考え恐れず」「闇も夜も恐れず」森に住み続けて居たのです。
ごく近年まで世界の幾つかの地域にはそのような「裸族」と呼ばれる人々が住んでいました。
彼らは前述の「シャーマンの音楽」とは全く異なる音楽を奏でていました。
それは「鳥や昆虫の鳴き声の真似」から発したもので、鳥や昆虫同様に、人間同士の「求愛」などで奏でられました。
当然、発展して「心を和ませる(癒すとは基本的に次元が異なります)」「先祖や万物の神に語る」などもあったことでしょう。
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「シャーマンとその音楽」は、後に集団が社会に発展した頃まで続きます。近年でも世界の幾つかの地域には「シャーマンの伝統」が残っていました。
しかし、ある時期を境に、世界中でシンクロニシティー的に、多くの場所で「宗教」が生まれます。するとシャーマンは、弾圧されたり、上手いこと生延びて「新宗教の神官」になりました。
ちなみに「シャーマン」は、基本的にその特殊な能力を「門外不出の秘技」として、世襲のみに継承すると共に、一般人との交わりを厳しく避けました。ここにも「身分階級、差別~苛め」の原点が見られます。
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シャーマンの秘技と伝統、そして音楽が「宗教」に取り入れられる段階で、社会はかなり発展し、殆どの場合、宗教は「社会の維持=権力者による統治」に利用されます。そして、その頃になると人間が「最も恐れる敵」は、最早獣や闇ではなく、「敵対する人間」となっていました。
必然的に「戦い」が頻発し、音楽は「戦士を鼓舞する」という目的で、ドラッグと共に活用されました。
私は、都下吉祥寺で1978年から99年までの20年間、日本で最初の民族音楽と民族料理のライブスポットを運営していましたが、90年代に南太平洋物産の輸入行者と取引をして「生の椰子の実」をインド式にストローを差してお客さんに出していました。
開店当時は、まだ中央線沿線に「ルーを使わないカレーを出す店」が他に二件位しかなかった時代です。
或る時、その南太平洋物産会社から黒檀(正確には南洋の堅木)の見事な彫りのスプーンと、或る樹木の根から得る「Kava」の粉末を勧められました。
「カヴァ」は、後に言うところの「合法ドラッグ」でした。
お客さんに提供することは勿論、自分もクセになったら「歯が溶けるらしい」と聞いていたので、お断りしました。が、スプーンは一瞬「サラダに使ったら面白そう」と思いましたが、本来の用途を聞いて止めました。
それは、戦争で倒した隣の部族の勇者の「脳味噌の刺し身」を食べるための特別なものだったからです。
「勇者であること」と「死の直前に体中を回る或る種のホルモン」を摂り込むことで、食したものも勇者になれると考えられていたのですが、かなり真実だと思います。古代後期からインドの僧侶が菜食になった理由もそこにもあります。
戦争で死を恐れず、日常では耐えられない様な傷の痛みにも負けずに闘い続ける為に、そのような成分を食べ、ドラッグを用い、そして「軍楽」を奏で、舞って船上に駆り出して行ったのです。その意味では「軍楽」も、或る種の「音楽療法」だったと言えます。
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このように「音楽」は、目的によってその質を替えながらも、いずれも「薬」として用いられていたのです。(前述の「森の人の音楽」は別として)
しかし、その時代、一般庶民の回りには、日常音楽は殆ど存在しません。
勿論、「鼻歌」を歌うことはあったかも知れませんし、「労働歌」もあったかも知れませんが、禁じた社会もあれば、音楽に対して「畏怖の念」を抱いた地域や民族もあれば、「卑しい」と考えた場合もあり、いずれにしても近現代のような「楽しみ目的」「誰もが事由に」ではなかったことは世界中で普遍的なようです。
逆に言えば、そのような時代だからこそ「音楽が薬になり得る」ということでもあり、現代では、「音楽を薬にする為には、かなりの理論と被施術者の受け入れ態勢が求められる」ということでもあります。
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何時も最後迄ご高読をありがとうございます。
福岡市南区の自宅別棟楽器倉庫の教室では、インド楽器とVedic-Chant、アーユルヴェーダ音楽療法の「無料体験講座」を行っています。詳しくは「若林忠宏・民族音楽教室」のFacebook-Page「Zindagi-e-Mosiqui」か、若林のTime-Lineにメッセージでお尋ね下さい。 九州に音楽仲間さんが居らっしゃる方は是非、ご周知下さると幸いです。
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(文章:若林 忠宏)
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