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Mantra・Yantra・Tantra
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このシーターラーマのファンの方々には、今更言う迄もありませんが、ヴェーダとその関連の叡智には「Mantra」「Yantra」「Tantra」といった似た様な言葉があります。
大雑把に言えば「Mantra=耳で聴く叡智」「Yantra=目で見る叡智」「Tantra=秘技・科学」というような感じですが、勿論深く突き詰めれば極めて奥が深いことも言う迄もありません。
Vol.145で用いた図を今回も引用しますが、
「音楽・芸術」などは、「直感領域」で受け止め、そのまま、「個々の人間の精神世界(分野)」の「運気の流れ」を円滑・潤沢にするとともに、その流れに乗って「心と体」を巡って行きます。
勿論「論理的思考」を介しませんが、
これ迄に述べて来ましたように「気分感情領域」「論理思考領域」「心の領域」が
明確に分別された「本来の健康体」でなければ、
「直感領域」もまた、極めて病弱であることが少なくないので、
「正しく運気を促し、曲がれて行く」ことが望めないことも言う迄もありません。
それ以上に、そもそも「病んだ直感」に正しい審美眼がある筈もなく、
胃潰瘍のなり掛けに逆に刺激物を欲しがる(痒い時に掻きむしりたくなると同源同義)
という最悪の行為をしてしまうことと同じように、
「安直で短絡的で幼稚な大衆迎合芸能」を
「感動した」などと感じてしまうことは良く見受けられます。
他方、「文字、文章、言葉」は、
「言霊」として、上記の「直感領域」でも受け止めますが、
「体の臓器」に喩えるならば「胃腸」に相当する
「個々の人間の精神分野」の組織で受け止められ
「読解力の胃の力で細かく砕かれ」「整理・分析の小腸で選別されながら吸収し、
論理分析の肝臓で消化され」る方向に進みます。
つまり「精神分野の胃腸と肝臓、そして腎臓」は、
紛れも無く「論理思考領域」に存在するのです。
このことは、「Mantra」の字義にも明確に現れています。
異説もありますが、一説には「Man=考える+Tra道具」とも言われ、
単純に「聴けば御利益がある」というものでもないのです。
これが、現代人には中々説明しづらいテーマですが、
前述の「直感領域」で受け止めるべきものであっても
「論理思考のフィルター」が健康な人とそうでない人とでは、
大きく異なる事実と同様に、
「言霊」として受け止めても、
フィルターが不偏的で正常に働かない限りには、
「運気」の流れに潤沢に乗ることは出来ない訳です。
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マントラの不思議
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また、マントラの基本である「OM(真言)」は、一文字でも示されます。
同様に七つのチャクラのシンボル(アイコン)も、
ヤントラとの或る種の境界領域にある「目で見る文字・象徴」でもあります。
そして、マントラで最も重要なことは、その音(発音)と意味が一体化した力が、著間領域のみならず論理思考のフィルターを通って「消化吸収」されることにあります。
ただ、このような話しを懐疑的に聞く友人などは「そりゃあインド人にはインド語だから意味があるのだろうが、日本人や欧米人には異言語なのだから意味も効果も無い筈だ」と言います。ところが、不思議なことに、マントラは異言語の人間にも同様の意味と効果があるようなのです。
科学的にこじつけようとするならば、それは「独特な周波数」かも知れませんし、
そもそも「特別な力を持つ言語」は、異民族にも同様の力を持ち得るのかも知れませんし、言語の源流から考えると、少なくともヨーロッパ人と日本人には効果があるかも知れないのです。
この最後の仮説(と言う程のものではありませんが)は、不思議なことに中国人、アラブ人には「通じないかも知れない」という理屈にも通じます。
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そもそも「日本人と言葉」は、明治維新以降信じ込まされて来た「音/発音」では理解し切れないものがあります。
日本語は、「ん」以外の子音は、全て母音を伴う、と教え込まれますが、
学生時代の親友は山形弁が抜けない人でしたが、彼に教わった郡部の発音には目の鱗が落ちました。
「これを食べなさい」を「こえずくえず」と言うのですが、「こえ」と「これ」は、東京もんには殆ど同じに聞こえるのですが「こ」の子音は全く異なるものなのです。
つまり「母音の無い発音」であり、「子音もカ行だけではない」ということです。おそらく「こ+え」という子音と「こ+れ」という子音なのです。
強いて言えば
「こえずくえず」は「Qoe(という子音で母音無し)+Zu Kue(という子音で母音無し)+Zu」
だろうということです。
また、意外に言われていないことですが、
関西人の「カ行」は、「K」より「Q」の発音に近い筈です。
その根拠は、「Milk-Tea」の発音で分かります。
関東人は「Miluk-Tii」と発音しますが、関西人は、「Miluqu-Tii」と発音しています。
福岡に移転して、直ぐに気付いたのが、「ね」と「に」の間の発音でした。
おそらく九州人の殆どが気付いていないと思いますが、
「暑いですねー」が「暑いです(ね+に)ー」になる地方の人が居るようなのです。
(まだ何処の地方か判定出来ていませんが)
このように、
そもそも日本語も52音ではない上に、「母音を伴わない(まるでインド・ヨーロッパ語属のように)発音」もかなりあるのだとしたら、
「本来の聴覚と感受性」に於いては、サンスクリット語も決して異なるものではなかった可能性が考えられるのです。
ただ、繰り返し言いますが「論理思考のフィルターが無い」「気分感情領域と思考領域と心の領域に境目・分別がない、「機能が破壊されている」などの場合で、
上記の「ミルクティー」の違いに「気付かなかった」「同じだろ!?」とか、
「どうでも良い」「心地良く癒されればそれで良い」というような人には、
マントラもまた、耳障りの良いイージー・リスニングに過ぎないのかも知れません。
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何時も最後迄ご高読をありがとうございます。
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(文章:若林 忠宏)
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