Vol.124,シーター&ラーマを歌った名曲:Ragpati Ragav (2)

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Raghpati-Bhajanが生まれた土壌
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Raghupati Rāghav Rājā-Rām, Patit Pāvan Sītā-Rām

Sītā-Rām, Jai Sītā-Rām, Bhaj Pyāre tu Sītā-Rām

Ishwar Allah tero naam Sab ko Sanmati de Bhagavān

前回に引き続いた「世界で一番知られたインドの歌:Raghpati Raghav Raja-Ram」のご紹介の今回は、その文化的背景について述べたいと思います。

まず、シーター・ラーマさんのファンの方には、ご存知の方も多いと思いますが、この歌のスタイル「讃歌:Bhajan」の原点は、6世紀に南インドに興った、シヴァ派とヴィシュヌ派のヒンドゥーの庶民運動(勿論その中心には僧侶が居ましたが、従来の権威的寺院のそれとは異なり、民衆の間に入って『ひとりひとりの信仰』をテーマに説いた人々と考えられます。)だと言われます。これらは、「Bhakti(献身運動)」というよりは、前矩型かも知れません。

7~10世紀には、「掛け合い形式の讃歌:Kirtan」の全土的な流行を育みます。そしてBhajanは、15世紀に大流行します。

10世紀以降は、イスラム勢力の侵入による戦禍の日々の中、相変わらずの権威主義的な寺院に反発して、新たな庶民信仰運動:Bhaktiが興ります。

11世紀の聖人:Rama-Nuja(1017?~1137?)は南インドから東インドを行脚し地道な啓蒙を行いました。12世紀の北部では北東部ベンガル地方を中心とした詩人:Jaya–Deva(1170~1245)が現れましたが、生前の知名度は低かったとも言われます。

「Radha-Krishna物語」とも言える代表作『Gita–Govinda』は、没後数百年に渡って多くの文人・思想家に強い影響を与えると同時に、それ迄は、深く重い哲学的・禅問答的な教えの師のような存在であったKrishnaが、一気に庶民にとって極めて親しみ深い神となったのです。

Jaya-Devaと同様なことが南インドでも興りました。その思想を汲む後世の一門の活躍と知名度と比較すれば、やはり孤高な存在であった哲学者:Madhva-Acharya(1238~1317)は、敬虔なヴィシュヌ派の宗教家でもありながら、ヴェーダに叡智を求め、Vedantaの先駆け的な存在でもありました。

15世紀の南インドでは、今日もタミールの古典舞踊「バラタナティヤム」の演目に書かせない、叙情詩「Padam」によって庶民の意識を変革し高揚させたAnna-Machariya(1408~1503)が現れます。「Padam」はタミールの言語習慣で「m」で締めますが、北インド古典声楽の古曲「Dhrupad」の前駆「Dhruva-Pada」に通じる「Pada」であることは言う迄もありません。彼の作品は、エロティックとさえも言える官能的な神との一体感を説いて庶民を驚かせましたが、勿論前述のベンガルのJaya-Devaに通じるものがあります。

15世紀末から16世紀に掛けての南インドでは、上記の哲学・思想家:Madhvaが建てたアシュラムの門下から放浪吟遊詩人として諸国を行脚する「Haridas」と呼ばれたヴィシュヌ派のBhakti詩人たちの或る種の「説教節」が台頭しました。十数人の著名な放浪僧が居ますが、中でもPurandra-Dasa(1489~1564)、Vadirajatirtha(1480~1600)、Kaanaka-Dasa(1508~1606)は大変有名です。

Purandra-Dasaは、近現代の南インド古典音楽にもその強い影響を残す、ヴィシュヌ讃歌「Devar-Nama」を数多く創作しました。
彼らHaridasたちは、紐で肩から吊るした木彫りの小型ヴィ―ナである「Tamburi」を右手で掻き鳴らし、左手でKaltalという木枠に小さな(西洋タンバリンに付いている程度の)シンバルを組み込んだ二個セットの打楽器を打ち鳴らして吟じました。この習慣は、全インドに伝わり、中西部では大型の「Tandoora」をビート感を付けて掻き鳴らし、北部では瓢箪胴の「Ektar、Dotar、Ram-Saghar」などとKaltalの組み合わせでBhajanを歌いました。

Haridasと同様の「放浪大道説教節」は北部では「Sant」と呼ばれ、その中には、後の北部のBhajanの先駆となるとともに、ヒンドゥーとイスラームの習合の要素では、北西部のシク教教祖ナーナク、北東部の音楽宗教「Baul」の祖であるLalon–Shah-Fakirにも影響を与えた(前者については多くの研究者の定説になっています)Kabirが現れます。彼はガンジスの聖地ヴァラナシで活動しました。

一方、Jaya-Devaの流れとも言える15世紀のベンガル詩人:Chaitanya-Mahaprabhu(1486~1533)は、掛け合い大合唱でクリシュナ讃歌を唱え踊り、或る種のトランス体験を通してBhaktiを啓蒙する「San-Kirtan」を創始しました。これが後の「Kirtan」であることも言う迄もありません。

そして、6世紀の南インドに興ったBhaktiの原点、庶民的なヒンドゥー献身運動「Alwar(ヴィシュヌ派)」「Nayanar(シヴァ派)」の啓蒙運動からは、実に九百年経って、前述のChaitanyaやKabirの歌を基に、しかし当時の西アジア経由の叙情詩の二行連句形式にも則って歌われたBhajanが大流行する訳です。

その中に『Raghpati』の冒頭の歌詞の作者Tulsi-Das(1511-1623)が居ます。同じ16世紀の彼よりやや前の時代には、元王妃であるMira-Bai、百年前の日本の琵琶法師を彷彿とさせる盲目の詩人Sur-Dasなどが現れ、クリシュナ讃歌:BhajanやDholaの数多くの作品を残します。

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BhajanとKirtanの違い
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BhajanとKirtanの違いを簡単に言うならば、当コラムVol.88でもお話したように、Bhajanは、独唱者が神棚に背を向けて聴衆に対して説教節的に歌い、聴衆は、独唱者と神棚を共に見つめながら「その場に居る(参加する)ことが業」というものですが、Kirtanは、主唱者の他に掛け合い合唱隊があり、聴衆は合唱隊と共に歌うことが許されている、というか奨励されているのです。

これを如実に表した好例があります。古典声楽Khayalの最も重い流派Gwalior派の「宮廷音楽終演後の最初の世代」の名手であるD.V.Paluskar(1921~)が歌った「Raghpati」です。著作権関連が分からないので、ここにURLを貼ることは出来ませんが、You Tubeにあるようです。

彼の父「宮廷楽師最後の世代」であったV.D.Paluskarも同派と戦後(共和国以降)のインド古典声楽を代表する名歌手です。たいがい上記のように名前を略すので、逆にややこしいですが、父がVishnu-Digambarで、息子がDattatray-Vishnuです。

D.V.Paluskarの「Raghpati」に「流石!」と感心させられたのは、例の「IshwarもAllahも」の歌詞は勿論、その他の歌詞も含め、展開部は一切歌わずに、Tulsi-Das作の確証がある主題の二行だけを歌って当時のSP盤を満たしていたことです。

録音には、女性の合唱隊も加えているので、結果として「Tulsi-Bhajanの名曲」は、完全に「Kirtan」となっています。

Bhajanの最初の二行の主題は、D.V.Paluskarが歌ったように、主唱者は、様々な旋律に即興的に置き換えて歌い(Neraval)、合唱隊は、常に同じ旋律で応えます。

Bhajanで合唱掛け合いをすることは、完全に御法度ではないのでしょうが、所謂Bhjanと銘打った場合には見たことがありません。しかしMira-Baiの伝記の中では、夫王がイスラム軍との闘いで殉職した後、城内の庭に修行僧たちを招き入れ、日々クリシュナ讃歌を歌って過ごしたことで、夫一族から「お家の恥」と毒を盛られた話しが有名です。
ということは、数人で合唱もあったのだろう、となります。

イスラム文化圏にも共通しますが、当時の二行連句の歌は、音楽としてだけでなく、即興詩としても会が催され、車座になっては順に即興を披露するというものがありました。詩の会の場合はテーマを決め、讃歌の場合は、同じ「ラーガ(旋法)」同じ「ターラ(拍子)」を続けながら回して行きます。従って、「庭に呼び込まれた修行僧たち」は、Kirtanの合唱団ではなく、交互に主唱する仲間だったのでしょう。 しかし、展開部から主題に戻ったとき、囃しと共に合唱もしたかも知れません。旋律楽器が無ければ、掛け合い(合唱)が、主唱者にとって唯一の「喉休め」のタイミングでもあります。

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Vol.123,シーター&ラーマを歌った名曲:Ragpati Ragav (1)

sitarama6

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世界で一番知られているインドの歌
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Raghupati Rāghav Rājā-Rām, Patit Pāvan Sītā-Rām

Sītā-Rām, Jai Sītā-Rām, Bhaj Pyāre tu Sītā-Rām

Ishwar Allah tero naam Sab ko Sanmati de Bhagavān

この連載コラムで、長年お世話になっている、シーターラーマさんのファンの方々。インド文化、スピリチュアルに関心の高い方々には、今更語る迄も無いかも知れませんが、インド現地でも知らない人は居ないだろうという有名なBhajan(献身歌)の名曲です。

既に述べましたように、インドの歌には「タイトル」が無く、「歌い出し」がタイトルになります。なので、この曲の場合、似た言葉の別曲が無い様子なので、「Raghupati Rāghav Rājārām」で通じ、言わばこれがタイトルということになります。

この曲が何故に有名なのか? それはインド・ヒンドゥー教徒にとって、ミーラー・バーイ、スール・ダースと並んで「三大バジャン詩人」に挙げられる、トゥルスィー・ダースの曲(詩)であるからです。(※)カビールは1世紀前の人物です。

そして、彼のマハトマ・ガンディーが、アシュラム建設の苦難の日々に口ずさんでいたことで、その後もガンディー・アシュラムで歌われ続けた「ガンディーの愛唱歌」として一層有名になった訳です。

故に、外国人も多く訪れる様々な宗派のアシュラムでも歌われて、欧米人にも良く知られました。

そして、極めつけが、アメリカの反戦歌手(ヴェトナム戦争当時)の最古参:ピート・シーガーが、世界の幾つかの国々の歌を紹介した中に含まれており、彼自身も様々なコンサートや集会で歌ったことで一層有名になり、1960年代、日本の「歌声喫茶」でも「他にインドのことは殆ど知らない」という人々にさえも良く知られた歌だったのです。

この歌の説明の前に、二点。この「世界に伝えるその国の代表曲」というテーマと、ピート・シーガーについて少しお話させて下さい。

(※)「アメリカのフォークシンガーなんてインドに関係ないじゃないか!」とおっしゃるかも知れませんが、深いところで関係大ありです。

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その国で一番有名な曲は?
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まず、その国の人が外国に行って、その国の「一番有名な歌」を紹介する時、おそらく世界で一番困るのが、日本人とインド人ではないでしょうか?

実際私も、インドで「聴かせて!」と言われて、数十年ぶりに「さくら・さくら」を歌ったり、シタールで弾いてみせねばなりませんでした。名曲だと思いますが、数十年ぶりであることに戸惑いと後ろめたさがあります。日々の愛唱歌ではないからです。さりとて、「さくら」程の長きに渡って知られた曲も少ないでしょう。かつて、アジア民族音楽で、日本の唱歌百曲近くを録音したことがありますが(結局未だお蔵入り)名曲は多かれど、日常的でないことが残念でなりませんでした。

逆に、「さくら」は、インドのラーガに類似するものがあるので、「さくら」を主題にしてインド音楽として、聞いて貰うことが多くありました。同じく「炭坑節」は、Vol.110でご紹介した「Raga:Druga」にかなり合致します。

恐らく、インド人はもっと困ることでしょう。何しろ多民族国家ですから、ベンガル人ならばノーベル文学賞をアジアで最初に受賞したタゴールの歌や、盟友でムスリムのナズルールの歌を聴かせたいと思うことでしょうが、亜大陸の対照的に西の外れにあるパンジャブの人々は、田園民謡マイヤーの名曲を歌い、中北部の人ならホリー祭りの歌やカジャリー民謡を歌ってくれるかも知れません。が、そもそもそれらの曲を、同じインド人が、他の民族・地方だと、対して喜ばないし「へー!」という顔をして聴いているのですから、日本の場合、「河内音頭」を歌われても、地元じゃない人にはピンと来ないし「日本の代表曲」と言われても困ると同じことです。

勿論西洋でも同じ状況の国はあります。スペインやポルトガルなどもまた、一曲で全国民を納得させる曲は無いでしょう。ファドの名曲(そもそも素人が歌えない)は、内陸の人には違和感があり、フラメンコは、南部以外ではアウト。カザルスのチェロで有名な「鳥の歌」は、何時でも独立したいと思っているような異文化の地方の民謡。
その点で、英仏米は、けっこう有名曲があります。ドイツもしかり。ギリシアは、私がNHK名曲アルバムで弦楽器ブズーキを弾いた「日曜は駄目よ」は、世界中で知られており、ギリシア人も納得します。フランスなどは、国歌自体が格好良いですしポップです。国歌と言えば、インド国歌は、インド音楽でもないし、洋楽としても分かりにくい。
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ピート・シーガーとRaghpati
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ピート・シーガーは、多くの理解では、共産党員だったことと反戦主義者だったことで、アメリカの「赤狩り」の犠牲にもなった、そのイメージが強いですが、私は彼は社会主義者ではないと思っています。実際、入党していた時期もあるようですが、恐らくかなり幻滅して異なる意識を持っていたと思います。
ご存知の方も多いと思いますが、ヒッピー(フラワー)ムーブメントの時代、詩人ギンズバーグと並んで若者に大きな影響を与えた人で、音楽では、アロー・ガスリー、ジョーン・バエズやボブディランなどの後輩にも多くの影響を与えています。

私にとっては、今以て「アメリカのポップス界で、最も(世界の)音楽を勉強し、最もアメリカの音楽・歌を勉強した、最もWASP的なミュージシャンであり、その意味では「ヒッピーのお頭」でも「単なる反戦歌手」でも、ましてや「社会主義者」でも全くない、民俗音楽学者としては、かなりの凄い人物です。

彼が開発した「フォークソング用のロングネック・バンジョ-」のギブソン社製を苦労して手に入れて、インドの師匠や森繁久彌さんから頂いた楽器達と並ぶ家宝のひとつにしていましたが、前二者は手放せないので、泣く泣く一昨年手放して保護猫の治療費に充てました。
実際彼自身も弾きにくかったようで、結局「カポタスト」を使っている写真が少なくありません。彼は南アやカリブの音楽も紹介し、カリブの「スティール・パン(スティール・ドラム)の作り方の本なども出していましたが、アジアからは恐らくこの「Raghpati」が唯一かも知れません。

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名曲Raghpatiとマハトマ・ガンディーについて
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このBhajanが、Tulsi-Dasの詩だと述べましたが、厳密には、一行目「Raghupati Rāghav Rājā-Rām, Patit Pāvan Sītā-Rām」の「主題」と、二行目「Sītā-Rām, Jai Sītā-Rām, Bhaj Pyāre tu Sītā-Rām」の「副主題(展開部)」だけと言われます。

Bhajanは、同時代のアラブ歌曲「Ghazal」同様に、「最も重要な主旨」を「主題」にして、真っ先に歌い。その後に「展開部(サビ)」で補足説明を行うという様式です。宗教を越えて同じ様式であるのは、西域の放浪大道芸人が持ち込んだスタイルだからと考えられます。

私はかなり以前からこれを「ペッパー警部型」と呼び、歌の冒頭が情景を歌い、サビで最も伝えたい情感を歌う形式を「北の宿から型」と呼んで説明していました。が、近年、分かり易いと思ったその二曲を「知らない」という生徒さんが増えて困惑しています。では何が好例か?というと、前述した「国を代表する歌」以上に、近年では五歳も歳が違えば「知っている曲」がかなりズレるので、困ったものです。

従って、ふたつめの「副主題」である
「Ishwar Allah tero naam Sab ko Sanmati de Bhagavān」
は、ガンディーが口ずさんだか、没後アシュラムで追加されたかで、Tuls-Dasの詩ではないのです。

展開方式は、
「主題」X2 または「主唱者~コーラスの掛け合い」(これをまた繰り返すことも)
「副主題1」X2 または「主唱者~コーラスの掛け合い」
「主題」X1 (主唱者の独唱のみで)
「間奏(楽器演奏)Lagi」

「副主題2」X2または「主唱者~コーラスの掛け合い」(これを更に繰り返す)
「主題」X2 または「主唱者~コーラスの掛け合い」
「間奏(楽器演奏)Lagi」…………..。

となります。
お分かりのように、「副主題1」は、その後の「副主題」とは、微妙に地位が異なり、「展開=状況(心情)説明」の中でも最も主題にそった重要なもので、曲の最後にも出て来ることが多くあります。それに対し、「副主題2~4」は、一度しか歌われません。その替わり掛け合いを二回繰り返すことは多く行われます。

また、「副主題1」迄を何度も繰り返して歌うスタイルも多くあります。ピート・シーガーはそれでした。

それにしても、有名な「副主題2」の「イーシュヴラもアッラーも貴方(ラーマ)なのですね」という歌詞には驚かされます。
多くの文献が、「ガンディー作」としています。

しかし、仮にガンディー作だったとしても、その真意は、ヴィシュヌ派ヒンドゥー教徒にさえも理解されていないことでしょう。

得英国留学の後、南アで弁護士をしてから帰国したガンディーは、西洋式合理主義・現実主義を学び、インドの旧習に見られる途方も無い感覚の世界。とりわけ「カルマ感覚」が優先し、それを言い訳(?)に現状追認主義が横行する様子には、最も憤りを感じていた筈です。

確かにキリスト教に強く影響を受けた時代もあるようですが、それらを含めて単純・安直・短絡的に、ガンディーをキリスト教徒的であるとか、非ヒンドゥー教徒的であるとかの評価は正しくないと思います。

くだんの歌詞もまた、彼が言わんとしているのは、宗派や宗教の異なりによる「枝葉同士の争い」を愚かで無念である、最も重要な主旨で、あらゆる宗派を学んで同じことを主張した、彼のVivekanandaと実に深く共通します。

また、ガンディーを無神論者と評するのも、幼稚で短絡的です。確かに、渡英前にヒンドゥー社会に幻滅した部分もあり。南アでは、キリスト教社会に嫌悪を抱き、帰国した後はまたヒンドゥー社会の、為政者たちに対してのみならず、現状に甘んじ、目先や自分の枝葉に執着・依存するばかりで立ち上がらない、貧しい農民にも憤りを感じていたかも知れません。
しかし、そんな彼だからこそ、実は極めて信仰心は強かったに違いないのです。ただ、いささか不器用で、独りよがりなところもありますから、恐らく当時の彼の苦難の戦いの中では、ラーマーヤナのラーマ王子の心情に強く共感を抱いたのでしょう。

また、くだんの歌詞の本意は、ヴィシュヌであろうと、シヴァであろうと、アッラーでさえも、「同じ神の別名」であるとか、場合によってはそれらの神々の奥に、「唯一神」が存在する、などの「拝一神教」的な感覚は強く持っていたことは、様々な言葉から伺えます(本旨をちゃんと説いては居ない点が禍根となっているのですが)
同様に彼の言葉の多くには、むしろバガワト・ギータのクリシュナの言葉に影響を受けたり引用していると思わされるものが少なくありません。

とりわけ、クリシュナの発想の転換力に、深い論理性を見たのでしょう。ヴェーダの叡智のひとつでもある「Viruddha(逆説)」の極みです。私の座右の銘であるガンディーの名言「貴方がその闘いを続けなければならないのは……….」も正にそれです。

その意味では、ガンディーは、かなりNyaya学派に共感していたか、近い体験哲学を持っていたかも知れません。Nyaya学派もまた「無神論」と誤解される場合も少なくなく、実際担い手の中で、それを主張した人さえ少なくありませんが、何か違うと思わざるを得ません。

しかし、生前でさえ物議を醸し、没後はガンディー派の人間の中でさえ少なくなかった不理解者たちが、自らの目先の枝葉の利(自己肯定や自己実現)の為に、この歌を利用しました。当然シヴァ派は憤慨しますし、イスラム教徒は激怒を通り越したでしょう。逆に、ヴィシュヌ派やハリ・バンシャ派が喜ぶ、という感覚も、むしろガンディーからは遠いものです。ガンディー同様に、命掛けで「Satya」を探求し実行したヴィヴェカナンダもまた、生前・没後、同様の扱いを受けています。

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(文章:若林 忠宏

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122,VedaからRagaへの道のり(2)ShurtiとGrama

このテーマの前回Vol.120で「Veda詠唱が単音から次第に七音に至って楽音が確立した(音楽Veda起原論)は、どう考えても無理がある」と説きました。そもそも最古のVeda経典とされる「Rig-Veda」に「女性用の弦楽器」が二三記されているらしく、弦楽器を弾いたならば、オクターヴや倍音の概念は得ていた筈です。
従って、私がずっと説いています「Shastriya-Sangit(科学音楽)」が既に存在し、その他にも、「民謡(Dehati-Sangit/Lok-Git)」もあったことでしょうし、花柳界音楽もあれば、寺院、宮廷宴楽もあったことは疑いのないことなのです。

また、そもそも「音楽Veda起原論」は、Sama-Vedaの確立より遥かに後世になって、何らかの恣意によってねつ造された(でっちあげられた)感の強いもので、その中のひとつに「音楽史に何人か登場するBharathaのひとり」が著わした文献に、やたらと細かく、Veda音楽の理論性の高さを誇示しているものがあり、その所為で、信憑性が高まりインド内外の専門家・研究者が鵜呑みにしている感もあります。

勿論、時代は、イスラム教徒の侵入や占領、戦いがくり返された頃、巷では「古典音楽(Gandharva-Sangit)」の理論継承や立場さえも揺るがすほどに、庶民的なヒンドゥー・ムーブメントと献身歌が隆盛していましたから、VedaとVeda音楽を改めてより正確に記しておく意味は相当に高かったと考えられます。
しかし、祭儀の手法や、Sama-Gan自体の所作や理論は良いのですが、その原典を「Shastriya-Sangit」に求めたことは書かれていないことが唯一の問題であるとともに大問題である、ということなのです。

(※)「Shastriya-Sangit」の語彙は何度か現れているようですが、抽象的で、まるで形容詞のように用いるばかりで、自らの音楽もそれに属しているかのような表現もあったりで、「Shastriya-Sangit」の存在を明確にはしていません。

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オクターブの分割論
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世界各地の太古(BC1500年以上前)、何らかの笛や太鼓の類いで音楽が演奏されていたことが、遺跡発掘物などから分かる時代のことです。洋の東西で、いずれも素焼の笛や、石笛、オカリナの類いが発掘されていますが、厳密には「オクターブの分割=音律論」に気付く為には、やはり弦楽器の存在が大きく、言ってしまえば、それが基本と考えられます。

古代中国では、弦楽器ではなく管楽器を用い、基本の管の長さを三分し、取ったり足したりしてドレミの十二音を得たという「三分損益法」が有名ですが、これもやはり私は眉唾ものに感じます。もし、既に弦楽器が存在していれば、管をいじくるより遥かに簡単に(ピタゴラスがやって見せたように)説明出来ますし、たったの一本の弦でも出来るからです。

尤も、弦の場合、その張力で音が変わってしまいますが、管だと「実音が常に現存する」というメリットは考えられます。その上に「弦楽器の世話になりたくない」という事情があれば、「管を切ったり足したり」という面倒なことをせねばならなかった、ということは考えられます。

いずれにしても、おそらく古代インドの場合は、弦を用いて検証したのでしょう。オクターブを22に分割したのです。

しかしこれには、それからかなり後にピタゴラスが「絶対無理!」と匙を投げたように、大きな問題があるのです。例えば、或る長さの弦の「開放弦(弦全体)の音」を「ド」とした場合、半分の長さで「オクターブ」が得られ、「3:1」の部分では、五度の倍音が得られます。その倍音からまた倍音を取って行くと、例えば「ソからは、レ」「レからはラ」と次々にドレミの七音が埋まって行くのですが、そうやって得た「高いド」と、最初に「半分の長さで得たド」がズレるのです。
そこで、ピタゴラスは、「やむなく按分」し、それが所謂「平均率」の原点ですが、インドの場合「22分割」、ペルシアの場合「24分割」で、その誤差を縮めました。トルコで「63分割」になったのは相当後の話しです。

厳密には、西洋の場合、ドレミの各音から始る音階群に、後に和声が加わったので、「平均率」は不可欠だったのですが、単旋律音楽のインドや西アジアの場合は、微分音がむしろ「味」となった訳です。従って、「旋律的な音律の価値観」に応じて「22分割」「24分割」が求められた、という考え方も出来ます。

そして、インドでは次に「Grama音階」というものが現れます。「22の微分音(Shruti)から七楽音を得る分割方法」です。

これが、後のインド音楽では考えられない全く逆の、むしろ西洋(要するに古代では古代ギリシアですが)やペルシア、アラブに近い感覚だったのです。

インド音楽では、ドレミに相当する「サレガマパダニ」の基音「サ(Sadaj)」には、絶対音が無く、楽器の大きさや人間の声の音域で変わります。例えば、有名な弦楽器:シタールのSaは、C#~Dですが、サロードはB♭かやや低めです。男性はGとかAですが、女性ではEという人も少なくありません。
そして、同じ楽器や同じ声楽家は、ほぼ生涯、「同じ実音のSa」で数百の旋法ラーガを演じるのです。イギリス植民地時代にインド音楽をほぼ初めて西洋に伝えた宣教師の著書に「基音(Key)が生涯同じだなんて、信じ難い!」と書いています。

一方の西洋では、古代ギリシアで、例えばドから「ハ長調」が得られたとして、同じ音をレを基音にすると「二短調」が得られ、ミを基音にした「ミファソラシドレミ」は、「移動ド」で考えると「ドレ♭ミ♭ファソラ♭シ♭ド(インドで最も有名なラーガ:Bhairaviの音階と同じ)」となるものが得られます。こうしてドレミの各音から七種の音階を得、後に各半音から計十二の音階を得たのです。

ヘレニズムの御陰で古代ギリシアとは文化的に親密な兄弟関係にあったペルシアも、基本は同じ考え方でしたが、後にササン朝末期に、とある音楽家が王に「音階理論」を編纂して献上した際に、天文学(占星術)に因んで再編してしまった結果、昔の様相は分からなくなってしまいました。ただ、今日でさえ、その旋法(Maqam)の名には、「Yegah(第一)Dugah(第二)、Segah(第二)、Chahrgah(第二)、Panjigah(第二)、など、規則性の名残も見られます。

そして、古代インドの場合「Sa-Grama」「Ga-Grama」「Ma-Grama」が記述に残っていますが、後に、ほとんど「Sa-Grama」だけになってしまいました。文献記述には残っていないようですが、当初は、サレガ….の七種あったかも知れません。
しかも、この「Sa-Grama」「Ga-Grama」「Ma-Grama」の三種は、何故か「同じ基本音階の開始音(基音)を順に変えたのではなく、「同じくSaから始る異なる分割」なのです。つまり、これも当初は、「同じ基本音階の各音」からであったものを、今日のように「Saを共通の基音とする」に改めた結果だけが文献に残っていると考えるのが自然です。

これらは全て、Vol.109で、「中世歌曲Dhrupad」の話しで述べました「拡散(発展・多様化)と(収斂・収束・選択)は交互にくり返される」という原理に矛盾しません。

文化を「生命体が生きる上で求めた精神的行為の一種」とするならば、この「生命体の大原則」に照らして、「誠に健康な自然な姿」ということが出来ます。

ところが、実際の音楽史や音楽理論では、「両極端を過激に行ったり来たりする」「自然な姿」を記録せず、中途半端に一方の片鱗だけが残ったりする結果、意味不明なことが多くなるというのも、洋の東西で人間がしでかす、奇妙な「落ち」と言えます。

従って、自然に考えれば、
1、22のShrutiから順列組み合わせで50種前後の七音音階:Gramaを考案
2、60種が数十の実用・慣用Gramaに収束した。
3、更に収束し、数十が4種に激減した。

という時代もきっとあっただろう、ということです。
ちなみに、このような「推論」は、Veda科学(Tantra)では、極めて重要な思考「Anumāna」とされています。

上記の具体例を表したのが、「12音から七音音階を得る」を色分けした今回の図です。
「SaとPaは不変音」なので、単純に順列組早稲計算では出ませんが、結果32種考えられます。これを22Shrutiで行えば、単純に倍にはなりませんが、50種前後にはなるだろう、ということです。
実際に13世紀、イスラム勢力に全インドが支配されていた、言わば「中世」と呼べる時代に書かれた文献でも、「Grama旋法」は、基本30種+副旋法8種が語られています。残念ながら、名前ばかりで、音構成は分かりません。しかも、その文献では、「Grama旋法」の他に、異なる性質の4種の旋法群が存在し、総数は264だったと記されています。明らかな「発展・拡大」のピーク状態を示しています。

ところが、文献で確認出来る「発展」もありました。
それは、「ほぼ3種になったGramaの各音から新たな旋法:Murchchanaを考案した」というものです。
これもまたややっこしいのですが、その時代になると、「12Shruti」から「12楽音」を考案し、それから「七音音階」を作るようになっているのです。勿論、後世逆算して当てはめのかも知れません。

つまり、前述の「考え得る変遷史」と繋ぐと、

4、4種のGramaがほぼ1種「Sa–Grama」に激減・収束したが、
その頃に、22Shrutiは、Sa-Gramaに準じた12音に整理された。

ということなのです。
そして、
5、その「12律」から、再び、各半音から考案した、(論理的には)再び32種の
「Jati旋法」が構築されたのです。

そうすると、「祭礼音楽」などで、歌曲・楽曲とともに、生き残った「Grama旋法」も在ったであろうところに、新たな概念「Jati旋法型(後世の音階型とは別物)」が考案され、それから更に「Jati旋法」が考案されて加わり、更に「副旋法:Alankar」まで加わるのです。

しかも、ややっこしいのは、「Jati旋法」も当初は、「Grama」を元に創案されたようなのですが、次第に「複数のGramaの複合」なども現れ、末期では図にあるように、開始音・基音のSadajは、1Shurti毎にズレで始りながら、その後の音程(音間隔)が一律ではないのが主要Jatiに存在するのです。

図で示した文献に残っている「Jati旋法」は、おそらく百種を越える「机上の理論の旋法」の中で生き残ったものに過ぎず、その結果が、法則が無いかのように思わせているのだろうと考えられますが、少なくとも「Grama概念」が次第に無視されていったことは明らかです。

従ってその頃には、「Grama旋法」は殆ど消失していたでしょうが、それでも混乱はあったでしょう。歌曲・楽曲の旋法名を「Grama旋法」から「Jati旋法」に置き換えたり、改名したりもしたのでしょう。

加えて、ヒンドゥー王朝があちこちで分裂すれば、宮廷や寺院によって古典音楽の流派が異なり、同じ時代に統一した理論を共有することは、まず不可能になった筈です。従って、宮廷や寺院の中には、一貫して「Grama旋法」を中世まで起用していたところもあった筈です。

ブラフマン教が仏教、ジャイナ教などの隆盛によって衰退し、漁父の利的にヒンドゥー教が台頭した頃、「Shastriya-Sangit」は、一部の密教などと共に地下に逃れ、巷の宮廷や寺院では、最早「旋法概念」は、カオス状態になってしまいました。

巷の宮廷や寺院では、当時現行だった歌曲・楽曲ばかりを継承するのが、やっととなり、それぞれの曲に定められていた「旋法」が僅かに継承されたに過ぎなくなったのです。

つまり、
6、Grama旋法にJati旋法が加わり、混乱したが、結局、曲の継承で精一杯となり、曲と共に残された旋法があったが、全体像としての「旋法体系」は、一旦滅んだと言える。訳です。

従って、一時期264数えられたGrama系旋法は、「同じ論理上に構築されたもの」ではない可能性がありますし、具体的には、Jati旋法と全く同じ音階もあったことでしょう。しかし、異なるジャンルで用いられれば「別旋法」とされた可能性も或る訳です。

更に、この混乱の時代(紀元前から紀元後の百年~二百年位でしょうか)に、Jati旋法とは別(であろうとされる)に、図の上に示した「Muruchchana旋法」という概念も構築されているのです。ややっこしいことに、「Muruchchana旋法」は、Jati旋法の手法(22音から12半音を得た後に七音音階を得る)に逆行して「Gramaから七音音階を得る」という手法です。

「逆行」としましたが、「先行」かも知れません。何しろ、語っている文献の「成立年代」が不詳で、「BC2世紀からAD2世紀」のように、恐ろしい幅があることと、別説を説いた文献が、イスラム宮廷音楽が確立した13世紀に、過去数百年のことを語っていたりするから正確な順序は不明なのです。

そもそも前述しましたように、ヒンドゥー王朝宮廷音楽毎、寺院毎でも異なった理論を持っていたかも知れませんし、それぞれの中で、「Shastriya-Sangitの残党」と、「Gandharva-Sangit」、そして、この「Pre-Raga音楽の時代」の末期には、「Gandharva-Sangit」さえも古臭いとして、より一層Perfoming-Artsに偏った音楽として、次第に全体像が形作られた「Desi-Sangit」もまた、異なる音楽理論を用いていたかも知れないのです。
そして、同じ頃に、南インド古典音楽もまた、幾つかの楽派に別れながら、それぞれ独自の理論体系を育んでいました。そして、この時代の後半に重なりながら、西アジア古典音楽の要素も含んだ北インド・イスラム王朝宮廷音楽も台頭して来ますので、今日の常識からは考えられないほど、インド古典音楽は多様かつ渾沌としていたのです。

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121,ラクシュミ女神のラーガ (1) Raga:Shri

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たくましい女神:ラクシュミ
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インドの飲食店や様々な雑貨屋から煙草屋に至る迄、およそ商店には必ずと言って良いほどそのポスターが飾られている「商売繁盛の女神」でもあるラクシュミ女神。

日本では「弁才天」が「弁財天」となってしまったので、かぶってしまった感があります。また、ラクシュミの日本での姿「吉祥天」は、四天王の一柱「毘沙門天」の妃とされます。しかし、「毘沙門天=クベーラ」は、ヴェーダ・ブラフマン教の中でも比較的後期の経典とされるアタルヴァ・ヴェーダで言及されているとしても、ブラフマン教の神であることには違いはありません。

シヴァと友好関係を結びカイラースにてヤクシャ(夜叉)、ガンダルヴァ(乾闥婆)、ラークシャサ(羅刹天)などの「下級神」と共に暮らすとされます。
仏教でもそれらは下級神ですし、そもそも四天王もしかり。本来は滅ぼされるところ、仏の慈悲を乞い、仏典の守護を誓って武神として存続したとされます。

これらのことから、吉祥天(ラクシュミ)も、かなり古いヴェーダの女神であったであろうことは容易に推測出来ます。サラスワティーも同様ですが、女神は比較的厚遇されているのか、ヴィシュヌの妃という高い地位を得て存続し、むしろ数多の神々の中でも最も庶民に愛される存在になっています。 ちなみに吉祥天の母は、「鬼子母神」とされ、「鬼子母神」は、Yakshini、すなわち「夜叉」の女性形ですから、やはり本来は下級神です。

ラクシュミの別名も多数ある中で、インド古典音楽のラーガ(旋法)の名前に起用されている「Shri」は、ラクシュミの多様な側面を総括したような、女神としてはかなり重たく深い存在感があると思われます。そして、ラーガ:シュリーもまた同様で、かなり修行を積まないと表現し切れない重く重要なラーガのひとつです。

一方意外で面白いと思ってしまったのが、何処の地方の呼び名なのか、「Chanchal」という別名です。「チャンチャル」は、「すばしっこい」「あちこち飛び回る」などのイメージがある言葉で、これをインド古典音楽の太鼓:タブラの腕前に用いる時には、とても良い「褒め言葉」になり、本名かどうか?Chanchal Khanという演奏者もいました。

ところが、チャンチャルには、別な悪い意味もあり、女性に用いる時は公然とは決して言えない陰口・悪口で、はっきり言って「尻軽女」でしかないのです。
まさか、ヴェーダ・ブラフマン時代から、苦労して今日の高い地位に登り詰めたラクシュミのたくましさを褒めつつ、前述しましたような時代時代のトップクラスの神の妃となった遍歴から来ているとしたら凄い話しです。何方かご存知でしたら教えて下さい。

しかし、そのようなことも含めて、パールヴァティー・ドゥルガーなどの圧倒的な神力を誇る女神と比較して、魔神・鬼神を滅ぼすような力は発揮せずとも、ラクシュミも、かなりたくましい女神ではないでしょうか。

別な視点から言いますと、「幸運や金運をもたらす」ということを、ご利益宗教的感覚ではなく、もっと深い意味合いで分かろうとした時、そこには、「運気の乱れ・滞りを正す力」があることに辿り着きます。つまり、「ナーダの流れを潤沢にする」「ナーディーの詰りをクリーンにする」ことも含め、「運気」のみならず、「経絡」そして「思考」に於いても、「体・気・思考」の三位に対してバランス良く「滞りを解除し、乱れを取り除く」ということに他ならないのです。

実際、アーユル・ヴェーダ音楽療法でも「Raga:Shri」の重要な効能にそれが挙げられています。

逆に言えば、自身の「体・気・思考」特に、「思考」についてが無頓着であったり削除されがちですが、自身で出来る努力を惜しみ、ご利益を乞うようでは、果たして如何なものか?と思わざるを得ません。

尤も、このテーマ「自力本願と他力本願(※)」は、インドでも昔から議論されているところです。いずれ近々、しっかりお話し出来たらと思います。(※)本来の仏教用語の意味であり、慣用句の意味ではありません。

「滞り」の最も質の悪い「原因」が、「執着」と「依存」です。だからと言って、近年流行の「断捨離」や「Detox」をすれば良いということではなく、「心と思考」に潜み、こびりついている「執着と依存」をクリーンにせねば何の意味も持たない、ということです。

ところが哀しいことに、むしろ心と思考にその問題を抱えている人に限って、より一層「人間関係」や「身の回り(目の前の物)」を「すっきりさせないと過負荷を強く感じる」ものですから、結果として、内面的な問題をむしろ温存する為かのように、外因を解決させようとしてしまいがちです。勿論、無意識に。

しかしこれは、極めて危険な発想であり行為であることは紛れもないことです。

勿論、様々な物事が「カオス状態」になっていることを由と言っているのではありません。大切なことは「整理整頓」であり、良いものをより深く吸収し、より正しく消化することと、害のあるものを、より初期にその侵入を防ぐこと。そのために、デフォルトの機能を正常に戻すことが大切であり、それが「生命力」であり「体力」であるという考え方です。

その基本をないがしろにして、局所対処的に、表面や気になることだけを解決しても、一時凌ぎとしては有効でも、長く続ければ弊害の方が大きい、ということなのです。

つまり、ラーガ:シュリーの名演奏に運良く巡り合わせたとしても。自らで「滞りと乱れの原因」を温存しているようでは、その「清らかで果てしなく解き放たれた自由な流れ」を感じ取ることは出来ないだろうとも言えます。
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Raga:Shriの素晴らしい構造
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Raga:Shriは、数在るラーガ(一説には34,776種とも)の中でも、格別な地位を持って居る、現存するラーガでは最も古い部類に属するものです。しばしばShri-Ragaとも呼ばれ、その場合は、Raga:Shri-Ragaとは言いませんが、そのようなラーガは、唯一かも知れません。

Raga:Shriがラクシュミに因んだものであることは間違いないのですが、中世前期にヒンドゥー教徒音楽家の間で流行した「Raga-Ragini」という分類法では、なんとShri-Ragaは、「夫ラーガ」なのです。

同分類法では、ラーガ観念が確立する以前からの古いShrti旋法、Grama旋法、Murchchana旋法などの生き残りのラーガを「六大Raga」とした結果、古いShri-Ragaは、それに含まれてしまったのです。

「夫ラーガ」は、それぞれ「六つの妻:Ragini」を持ち、36種が整理されました。その後も増え続け、「息子」のみならず、「息子の嫁」まで至ったのですが、「古い主要ラーガ=六大夫ラーガ」以外は、何故に「Ragini」なのか、息子なのか?嫁なのか?の音楽的・構造的な概念は確立していません。従って、Shri-Ragaが「男性旋法である」という根拠は、論理的にも理論的にも存在しないのです。

図に示しましたように、Raga:Shriは、レとラがフラットし、ファがシャープの「Purvi」という代表音列の引き出しに整理され、主音はフラットの「レ」、副主音は「ソ」です。
上行音列は、ミとシを割愛した五音音階で「ドレファソシ」となり、下行音列は、七音使いますが、かなり複雑に「ジグザグ(Vakra)」進行することが定められています。

例えば、オクターヴ上の「ド(Sa)」は、上行音列で辿り着いたと思ったその音が「Vakra」なので「ドシラソ~」と降りては来れないのです。なので、一歩引いて「上のレ」に行き、「ド」を飛び越えて「レシラ~」とせねばなりません。

下行音列に於ける「ソ」は、このラーガ独特の「半Vakra」のようなもので、その解釈・説明はいささか難解です。

純然たる「Vakra」ですと、「その音にぶち当たったら、一歩引いて(助走を付けるようにして)その音を飛び越して行く」のですが、

このラーガでは、一旦「シラソファ」と普通にソを経由してしまいます。ところが、まるで思い出したように、「ソラ」と戻り二度目には「ソ」を飛び越えて「ラファミレ」と進むのです。

「半Vakra」と述べましたのは、この「半Vakraの壁」が、通常の「Vakraの壁」のように、「助走を付ければ飛び越えられる高さだか、普通に歩くならば、頑強な上にまたぐのは無理」とは異なり、まるで、「ゴムロープ製」かのように、「シラソファ」とファ迄は行けてしまうのです。が、そこでゴムロープの力で「ミ迄は行けない」のです。なので、戻って、ちゃんと「飛び越えて」「ミレド」に行くしかない、というものです。

私たち演奏者は、「シラソー」と弾いた段階で、「しりとり」的に、次のフレイズ「ファソラファミレー」が反射的に出てしまうと言いますか、「そう弾きたくなる」という感じです。

その他にも、「Pakad(特徴的なフレイズ)」では、「ドレファソ」の他に、「シレファソ」と、「ミ」の他に「ド」も飛び越え(割愛)たりします。
また、高音域の「レドレー」のような、「Vakraのド」を越えて「シ」には進んでいないのですが、「Vakraのド」を強調するようなフレイズが幾つかあります。

また、上記の「半Vakra」の超法規的フレイズですが、「ソからの下降」の前に「ソファソラ」のフレイズを弾くと、「半Vakra」も解除され、「ソファミレ」と進むことが可能なのです。また「ファラファミレ」のように、まるで「ソ」を嫌ったかのようなフレイズも頻出します。

「ド」と「ソ」の割愛をよりキツくすると。基音伴奏楽器や、シタールなどに付属の伴奏弦の音が聴こえていても、一瞬「シが基音」のように聴こえる効果が得られます。
すると、「レ・フラット、ファ・シャープ」のおどろおどろしい雰囲気が消え、「短二度、短六度、短七度」の所謂「短調」に聴こえたりするのです。が、そこに「意図的に隠し(Tiro-Bhav)ていた基音(ドやソ)」が突如現れると、「錯覚から現実に戻された」大きなインパクトが与えられるのです。

このように、「Raga:Shri」は、流石の神のラーガ、ラクシュミのラーガだけあって、「単純でシンプルな面」と「複雑で頑固な面」、「畏怖の念を抱かせる面」と「平穏で安心で優しい面」を併せ持ち、それが神出鬼没的に現れるということで、聴くにしても奥が深く、弾くにしても難解で重たい、というラーガ(旋法)であることが分かると思います。

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120,VedaからRagaへの道のり(1)Sama-Veda

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Vedaの進化
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前回、Vol.119でも少し述べたように、ヴェーダ詠唱は、それぞれ数百年掛けて変遷したのかも知れない、極めて儀礼的な発展を遂げていました。
それは「単音での詠唱」から「二音での詠唱」そして「三音での詠唱」です。

しかし、前回述べたように、僧侶が寺院で経典や讃歌の詠唱を、定められた方式で厳しく地道に実践している間に、街では物売りが歌のように声を上げ、花柳界では艶歌が歌われていたに違いないのです。(その根拠のひとつに、最古のヴェーダであるRig–Vedaに、「女性専用の弦楽器」が幾つか記されていることがあります)

 実際、「音楽の起原はヴェーダである」と説き始めたのは、意外に後世ですから、紀元前のヴェーダ祭官たちは、「一音から二音、そして三音……….やがて七音になり、サレガマ……………….(ドレミファソラシ)が生まれた」とは、誰も考えてはいなかった筈です。

逆に言えば、ヴェーダ詠唱の「音数の限定」には、深い意味と価値があったに違いなく、そもそも経文・経典の詠唱には、音階や旋法に進化する理由も必要性もなく、そもそもそれを「進化」とも考えていなかった筈なのです。ところが後世、何の張り合いか? 威信の誇示か? 「全ての音楽の起原はヴェーダ詠唱である」とせねばならなかったらしいのです。

しかしそれは、むしろ弊害の方が大きかったのです。まず、それによってヴェーダの格や威信が高まったか?というと決してそうではなく、前述のような無意味な張り合いの結果、むしろ威信を傷つけたかも知れないのです。また、日々(年々?)隆盛し巨大化して行った「Gandharva音楽」に対する牽制の意味と目的があったにせよ、同じヴェーダの叡智に基づく、「科学音楽/Shastriya-Sangit」の立場をも危うくするような行為であったとも言えます。

 少なくとも、前回述べましたように「Gandharva音楽は、ヴェーダ詠唱から生まれたヴェーダ音楽を基礎にしている」と言い出した段階で、意図や恣意があろうとなかろうと、それは「Shastriya-Sangit」を黙殺したことに他ならないのです。勿論、「Shastriya-Sangit」の担い手たちにとっては、そんなことは「どうでも良いこと」だったかも知れません。

しかし、事実その数百年、数千年後、「Shastriya-Sangit」の継承が急激に先細ってしまった頃、最早インド音楽・古典音楽を志す者たちにとって、「Shastriya-Sangit」の存在は殆ど形骸化してしまったのですから、「Shastriya-Sangit」の担い手たちも、数百数千年後のことを見据えて、何らかの対抗手段(要するに反論や宣伝ですが)を取っておくべきだったとも言えるのです。

具体的には、常に複数居た「Bharatha」の中で、少なくとも半数は、「Shastriya-Sangit」の純性(Sattva)を堅持しつつ、「Gandharva音楽」を正しい「芸術音楽」に導くことを使命とする「Shastriya-Sangit」側の人間が居てもおかしくなかった筈です。さすれば、一部の「Sama-Veda–Gan」系の司祭の企てを阻止したり、修正したりも出来たのではないでしょうか。

つまり、すでに「Shastriya-Sangit」は、ヴェーダ詠唱が、まだ「一音だ二音だ」と言っている頃から、「オクターブを22の微分音(Shurti)に分割する」という「音律概念」を構築していた筈なので、「ヴェーダ詠唱から七音音階が生まれる」という話しは、或る意味滑稽とさえ言えます。(勿論、この物語は、ヴェーダ詠唱者から出たものではないですし、後世のねつ造ですが、今日未だにこれを説く研究者や音楽家も居ます)

そもそもヴェーダ詠唱/讃歌(Rig-Veda)が、三音に至った段階で、ヴェーダ祭官の側では、その三音の関係性を論理的には説明出来なかったことは、前述の「Shuruti」の記述が、VedangaでもBrahmanaでも決定的に欠如、または不足していることで明らかです。
 勿論、後世には記述がありますが、Rig-Vedaが三音に至り、Sama-Vedaに至っては七音唱法も確立していた後のことです。

 つまり、「Rig-Vedaが三音唱法に至った後の解釈」と、「それからSama-Vedaの歌唱法及び七音唱法」を導くには、「Shastriya-Sangit」の理論の助けを得なければならなかったのです。
 
ところが事実、各種のヴェーダ文献に当時の「Shastriya-Sangit」から学んだ理論を記述したものが皆無に近いのです。同時に、何故か「Shastriya-Sangit」側も文献を残さなかったのです。Upa(副)Vedaのひとつに上げられている「Gandharva-Veda」がそれだと言い張る人も居ますが、とんでもなく。おそらく、紀元後、AD5世紀以前ではないだろう「Gandharva-Veda」は、前述しました「Gandharva-Sangit」自体の有り様といきさつから考えても、かなりの「眉唾もの」と考えて掛かった方が良さそうな代物です。

 勿論、古今東西、そのような「眉唾、嘘だらけ、偽書」の類いに、意外にも「隠せなかった真実」「話しの辻褄合わせでつい本当のことを書いてしまった」を読み取ると、「声も筆も持たない本物や真実」を充分に代弁していたりしますから、むしろ私は「眉唾もの」は、極めて重要な文献と考えています。

 実際のところ、Rig-Vedaの三音も、例えば「シドレ」だとして(ドレミだと説く専門家が未だに居ますが)、慣習・慣例的に「シ♭ドレ♭」で歌いますが、それが「オクターブの22の分割の何なのだ?」は、気にしても居ないかも知れませんし、考える必要もないかも知れないのです。
 その延長線上にあるSama-Vedaもしかりで、言わば「三音が七音に進化」したならば、問題の深刻さも「二倍以上」と言えますが、ヴェーダ詠唱者側からは、何ら問題意識が生じていないのです。

 実際彼らヴェーダ詠唱者にとっては、「どちらを優先、何を優先」という観念はきっと無いのでしょうが、「韻律、語彙の発音、発声法、韻の長短、間の取り方」の方がかなり難解で厳格ですから、それで精一杯となってしまっているのかも知れません。実際、体のあちこちを叩いたり触ったり、指を独特で厳格な決まりに従って用いて憶えるので必死だった? とも思えます。
 勿論、後者は、「ムードラ/アーサナ」の意味合いもありますが。

 言い換えれば、ヴェーダ詠唱者側は、楽理とその論理・概念に関しては「Shastriya-Sangit」にひたすら頼るばかりだった、ということなのでしょう。

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音楽様式の地位の時代変遷の普遍性
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今回の図は、世界的にもかなり画期的なものと自負致します。
奇しくも古代~中世のほぼ同じ時期に、中国宮廷雅楽の内容の変遷と、インド寺院及び宮廷音楽の内容の変遷が、似たような歴史的推移、政治や国際状況の推移の影響を受けながら、同じような、と言うより「普遍的な」二つの摂理のようなものを示しているのです。
 
そのひとつは、何度か述べています「発展・拡大・拡散・多様化」と「整理・収束・収斂・統合化」の、生命体の体の中で行われている「相対する両極が交互に繰り返される法則(恒常性の基本でもある)」と全く矛盾しない作用が、文化・芸術面の大きな流れにも見られることです。

そして、もうひとつが今回のテーマに於いて非常に重要なものです。

まず、図の全てに渡って、「縦軸」は、上が「より高尚・高貴・重要・上格で論理的・理論的・厳格な音楽形態」であり、下に行くに従って「より低俗・大衆的・軽薄・下級で非論理的で理論体系が希薄な音楽形態」です。

ところが、中国でもインドでも、「前時代の下級音楽が、次の時代に格上げされている」ことが明らかなのです。

また、図では、例えば中国の「祭禮楽」は、左から右に一貫して「同じような規模」に見えますが、実際は、例えば秦代に数十曲あったものが、随・唐代では二三曲、のように明らかに大衰退しています。しかし、「先祖廟礼拝音楽」などのような、無くす訳には行かない音楽として、常に最高位に置かれていますが、言わば「儀式化(形骸化)」した音楽なのです。

勿論、インドの場合「Sama-Gan(Sama-Veda詠唱)」が「形骸化」ということはありませんが、担い手の数は、時代毎に激減していることは明らかでしょう。

図で読み取る重要なことは、花柳界音楽や外来音楽は、常に新しいものが生まれていたこと。それを宮廷や寺院の宴楽が遅れて吸収したこと。それに押し上げられるかのように、かつての宴楽は、当然「古臭く」なりますから、一部を残して格上に組み込み、他は遺棄されたのです。

言い換えれば、常に下級音楽は、「多様で豊富」であるのに対し、まるでピラミッド型のように、上級音楽は、曲数も演奏機会も少ないのです。まるで、「年功序列」の「会社組織」のようでもあり、「宮廷・寺院内」が「管理職」で、「城外」が、平社員や派遣のような感じでもあります。

ちなみに、この「置き換え/比喩」によって「普遍的な性格(或る意味Prakriti)」を見出すことも、ヴェーダの叡智ではきわめて重要な「Samanyato-Drishta (普遍性の導き)」であり、これを経ない「枝葉体験・実感至上主義」的な価値観は、決して正しい「Pramana(認識)」を経た、正しい「Vidhya(知識)」とは認められていません。

加えて、図から分かる、或る意味驚愕の事実は、「下級音楽が時代毎に格上げされる」ということは、とりもなおさず「上級音楽の質の低下」に他ならないのです。

これが、シンクロニシティー的にインドと中国で起っていたのです。
西アジアは、基本的に「歌舞音曲好ましからず」の不文律によって、宗教と音楽が完全に切り離されたイスラム教以降、若干の構造の平坦化、簡素化が見られ、時代もかなりずれますが、スーフィー神秘主義音楽との関わりなども含めた全体像を俯瞰しますと、「同じ構造」は、やはり紛れも無く普遍的に見られます。

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(文章:若林 忠宏

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若林忠宏氏によるオリジナル・ヨーガミュージック製作(デモ音源申込み)
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119,科学音楽創成期の危機(Gandharva音楽の台頭)

私がシーターラーマさんからの多大なご支援を得て、この連載コラムを書かせて頂いております、最大の目的は、ネットや書籍では説かれていない、インド音楽のより深い情報をお伝えすることにあります。

そして、願わくば、「インド科学音楽:Shastriya-Sangit」の存在を知って頂くことと、「医食同源」の言葉の元に、私たちの体の心配や、食べ物・飲み物の心配は多くの方が勉強されているのに、「何故『言葉・文字・文章・音・音楽』には、とても無頓着なのだろうか?」の強い疑問と懸念、そして、危惧を抱くが故の、或る種の警告的な性質も、より多くの方々にご理解頂けたら誠に幸いであると存じます。

とは言っても、前回のコラムでも、それ以前にも説きましたが、「人間が神々のことを深く学ぼうとせず、都合の良いように解釈する傾向は、実は、紀元前から始っている」という事実もあります。

とうとう流石に、私たちの宿主である地球も大きな悲鳴を上げるような事態に陥りましたが、言い換えれば、数千年も前から「その徴候(人間の愚かな悪癖)」がありながら、「良くも数千年も保ったものだ」という、哀しい感心も否めません。

人間の歴史の中で、今日の私たちには想像も付かないほどの苦境や、苦難、不条理に苦しんだ人々は数多く居る筈です。しかし、そのような中に於いても、その大きな変換の時代に立ち会った宿命を真摯に享受し立ち向かった人々が居てくれて、今日の私たちがあるのです。

その意味では、おそらく「宿主」であると共に、世界の多くの宗教や、それ以前のアニミズムが強く説いた「母」であり「神」でさえある「地球」が悲鳴を上げていると共に、「人類の叡智と悟性」が、最早瀕死の状態に至ったこの時代に「立ち会った」私たちもまた、その宿命を光栄と受け止め向い合うか、それとも、自らの不遇や不満足に被害者意識を募らせて、利己に走り、「人生をやり切り、逃げ切る」ような生き方で終わるか? が問われているのではないでしょうか。

しかしその選択は、社会的には確かに「当人の自由」かも知れませんし、逆に、「望み」でもないことを、義務や責任でさせても意味も効果も得られないかも知れません。

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古代インド科学音楽が背負った宿命 (1)
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古代インド科学音楽が誕生したのは、おそらく紀元前3千年ほど前のこと。しかし、その当時の記述はもっぱらヴェーダに限られていますので、音楽が語られるようになったのは、紀元前千年前後の、ご存知「Sama-Veda」の頃からとなります。

つまり、「Vedaが先か?Shastriya-Sangitが先か?」は、確定のしようがないのです。しかし、いずれにしても当初、「Veda(Sama–Vedaなど)」と「Shastriya-Sangit」は、ほぼ同源同義であり、同じ祭官や僧侶が取り組んでいたものと考えられます。

ところが、そもそも音楽は、Veda祭官のある一派が「音楽はVedaから生じた」と主張する以前に、巷では「鼻歌」を歩きながら歌っていた庶民も居れば、五音以上音の出る笛も在ったに違いないのです。つまり、「Veda詠唱」が、数百年毎に「一音から二音、二音から三音、それら三つの音が四度転調して」とやっている最中にも、「庶民音楽」は、存在していたし、祭官御自身も、寺では一二音で経を読みつつ、非番の日には、ついつい鼻歌を歌っていたかも知れないのです。

またそれどころか、既に当時のブラフマン教寺院や王宮には、「宴楽」も存在したし、花柳界もあれば、そこでの艶歌も存在していた筈なのです。

そんな中で、既に存在している音楽に「科学(Tantra)(及び音楽療法の効能)」を見た人々が居て、「科学音楽/Shastriya-Sangit」が形作られて行くと共に、祭官の別な派は、前述した「物語」を構築する必要があったのです。尤も、それが「物語」となったのは、それから数千年後のことの可能性もあります。紀元前11世紀頃は、純然たる「Veda詠唱法の推移」を説いた(記録した)だけだったのかも知れません。

しかし、いずれにしてもその後の千年二千年の間に、ブラフマン教の混乱期、仏教やジャイナ教、その他の宗教や思想・哲学の台頭と、様々な戦乱の時期を経て、その著述期間は、未だ今日も不詳ながら、紀元前6世紀から起原6世紀の間の千年の中の数百年」と言われる、残念ながら「現存する(Sama-Veda以外の)音楽の記述がある最古の文献」が、現れます。

当然のことながら、その著者「Bharatha」は、一人の人物ではなく、そもそもその著書「Natya-Shastra」は、このコラムの連載冒頭に述べましたが、「ブラフマン~ヒンドゥー教布教のための音楽劇」の興隆に伴った、その劇の指導書や記録の意味合いのものなのです。

「Bharatha」は、「音楽舞踊演出家」の官職であり、同様に「Narada」は「音楽監督」、「Tandu」は「舞踊演出家」の官職名でもありました。勿論、12世紀の「Narada-Shiksha」:の著者Narada-Muniは、個人と思われます。しかし、「Natya-Shastra」で著わされるNaradaは、それこそ数百年の間の数十人かも知れません。神話の中のNarada-Muniは、そのような音楽賢人の数人の総称的・象徴的存在とも考えられます。
しかし、今日現在でさえ、このことを理解している現地インドの研究者・演奏家は、ほんの一握りであり、多くは、バラタでさえも個人と考え、そう語っています。

その複数のバラタ(舞踊劇監督・演出家)の誰かが、ある程度時代の的を絞って、紀元前2世紀~西暦2世紀の間に、「ブラフマン~ヒンドゥー布教舞踊劇」に於ける音楽を、「Gandharva音楽」と称し、「Veda音楽」との曖昧な線引きを行ったのです。

Gandharvaの存在は、神話では「天上の楽師」とされ、仏教でも「乾闥婆」の表記で語られています。勿論、阿修羅などと同様に、ブラフマン教の中で既に淘汰され「悪神」や「下級神」とされた神々を仏教が、「帰依と仏法の守護の誓約」で職(立場)を与えた「淘汰された神々」及び、「その従者」です。

しかし、実のところ成立時代が不詳な「Taittiriya-Aranyaka(ヴェーダの奥義(森林書)のひとつ)」に著わされるGandharvaは、既に実在する「宴楽楽師」や「花柳界楽士」であった可能性があります。

つまり、紀元前10世紀前後のブラフマン教布教のための音楽舞踊劇と、紀元前4世紀から紀元後の4世紀迄の千年のヒンドゥー教布教のための音楽舞踊劇の音楽・舞踊・演劇の担い手たちは、そもそも寺院の巫女(Deva-Dasi)や花柳界楽士、より上級で宮廷宴楽楽師であり、そのまま、しばしば(~頻繁に)寺院主宰の「布教ステージ」に駆り出されたと考えられるのです。

勿論、そのまま「布教プログラム専属音楽家」になった者も居たでしょうが、要は、その音楽家が、花柳界・寺院供養楽・宮廷宴楽の音楽家であり、Shastriya-Sangitの専門僧侶とは、全く一線を画した、ということです。

そして、彼らに対し、誰が何の目的でか(論理的に考えれば、答えは二三に絞られますが)神話の「天上の楽師たち」の名:Gandharvaを与え、それを契機に「Gandharva-Sangit」が、後づけで確立したことになったのです。

問題は、彼らを指導した前述のBharatha、Narada、Tanduたちは、何処に所属するどのような芸術家であったのか?ということです。演劇の場合は、寺院の僧侶、すなわち、Veda祭官などの中から、布教活動に熱心で、啓蒙活動に対しての興味関心や知識がある者であったでしょうし、舞踊に関しても従来からの巫女供養舞を取り仕切っていた僧侶だったのでしょう。後には、役者や舞踊手のキャリアからも選ばれたかも知れません。

しかし、こと音楽に関しては、Sama-GanからダイレクトにGandharva–Sangitには、到底至りませんから、何らかの助けをShastriya-Sangitの専門家に求めねばならなかった筈です。
その結果Gandharva–Sangitは、古典音楽としての理論のほとんどをShastriya-Sangitに取材することとなり、それを盾に、Bharathaたちは、『Natiya-Shastra』にて、(おそらくその後期に)「Gandharva–Sangitは、要するにMarga-Sangitなのである」という暴言を吐くに至ったということなのでしょう。

ここでの「Marga-Sangit」は、字義では「道の在る音楽」であり、要するに「正統的」という意味合いです。従って、その実態は、時代と、価値観によって変化してしまいました。
結果論で言えば、紀元前後のこの時代では、「極めてヴェーダ寄りの古典音楽」の意味合いで語られています。

しかし、この用語によって、「Veda音楽」と「科学音楽」がごっちゃにされ、しかも「パフォーマンス音楽(Gandharva-Sangit)」と「同じである」とされてしまった訳です。

これが、既に紀元前後に生じていた「科学音楽の一大危機」であり、この禍根は今日迄残り、様々な問題や矛盾、ひいては、科学音楽のみならず、芸術音楽の衰退や大衆化(安直・短絡・低俗化)の元凶にまで至っているのです。

何故ならば、そもそも「Veda音楽」は、極めて孤高な祈祷楽であり、大衆迎合性は全く不要です。「科学音楽」もまたしかりですが、その科学性には、しばしば宗教の存在さえも邪魔になり、ましてや為政者の恣意が加えられた宗教的方針などの干渉は害でしかありません。科学音楽の探求に於いては、宗教とは分離されてしかるべきなのです。

他方「パフォーマンス音楽(Gandharva-Sangit)」は、それ自体「芸術性と大衆性」の狭間でもがき苦しむものであり、これは古今東西「音楽が普遍的に持つ大きな課題」でもあります。しかし、そもそも「科学音楽」からすれば、そのような「狭間」自体が「不要で無駄であるどころか弊害でしかない」訳ですから、両者の間には、相容れない、同居などあり得ない、性質の異なりがある訳です。

ところで、意外と言いますか、興味深いと言いますか、紀元前6世紀頃に、各種ヴェーダ経典及び、その実践書(Vedanga))祭儀書(Brahmana)に継ぐ、Tantricな要素が濃厚な「森林書(Aranyaka)」は、文字通り「人里離れた森林で」考えられ、祈祷されるものですが、紀元前5~6世紀の時代のことです。TVもネットも無ければ、都会に人も少なく、車も電車も走っていないのに何故その必要があるの? と改めて考えると、改めて驚かされます。

都会であっても、寺院はたっぷりの敷地に豊かな樹々が茂り、動物たちが飛び交っていたことでしょう。 それでも尚、人間社会から遊離せねば得られない境地を求めたという程です。
「科学音楽」もまた、或る面同様だった筈です。

ところが「パフォーマンス音楽(Gandharva-Sangit)」は、本懐が「布教(ブラフマン教、ヒンドゥー教の理解)」であったとしても、或る意味、神棚に背を向けて、聴衆の方を向き、聴衆を「惹き付けてなんぼ」の領域で腕を振るい知恵を絞る方向性にあった訳です。恣意や作為や勘違いがあろうとなかろうと、基本的な性質が異なる訳です。そられが同居してしまえば、どのようなことになるか?  それに加えて、何時の時代にも、ブラフマンの叡智を学び、教える立場の者の中でさえ、「枝葉感覚・思考」で物事を判断する者も居たことでしょうし、Perfoming-Artに使命感を抱いていた者も居たに違いありません。

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118、シヴァ神のラーガ(2) Raga:Shankara

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ヒンドゥー教に於ける「シヴァ神」の位置づけとは?
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ヒンドゥー教に「三大神」というのがあることは良く知られています。一般に「ブラフマ神」「シヴァ神」「ヴィシュヌ神」は、それぞれ「ヴェーダの叡智」「創造と破壊を司る」「維持を司る」とされます。

しかし、ヒンドゥー教に関心を抱いた当初の方々にとっては、いずれも分かりにくいものがあるのではないでしょうか。 と言っても、ヒンドゥー教をより深く学び、理解しようとする者にとっても「分かった」と思ったら、また分からなくなりをくり返すことが多く、それは「山を越え、また山を越えて行く」かのようです。この意味では初級者と対して変わらない印象を持ち続けているとも言えます。

そもそも「真実」とか「真理」というものは、それを「分かりたい」「理解したい」「探求したい」という者自体の「成長・発展・変化」に応じて段階的に変わって行くものですから、「分かったと思ったのに、また分からなくなった」とか、「段階毎に異なって見える、思える」ということは、道理であると言える。否、道理を越えた摂理であるのかも知れません。

これを、幼稚で恐縮ですが単純明快に説くならば、「○○は、○○である」は、段階毎に逆転し得るということであり、良く言われる「師匠が黒と言えば、白も黒だ」
のような話しです。しかし、より正しく学んでいる(つまり成長・変化している)弟子にとって、より正しく導いている師であるならば、「段階毎に答えが逆転する」というのは、当然の成り行きなのです。言い換えれば「右足の次には左足が出るだろう」ほど、「当たり前のこと」なのです。更に言い換えれば、何年経っても「白は白」「黒は黒」としか思えない弟子や、そう教える師もまた、何か大きな問題、考え違いをしているのだろう、ということでもあります。

例えば前述の「ブラフマ神」が「ヴェーダの叡智を守り、司り、説いている」のであるならば、「三大神」の中で、最も崇高な存在であるはずですが、実際の信仰に於いては、必ずしもそうではありません。極端な場合、三神で、最高神の奪い合いをしているかのようでもあります。勿論、良く良く考えれば、それは、信者が熱心さのあまりに対立しているのであって、果たして神々が争っているのかどうか? しかし、古今東西で、神話は、実際に神々が争っているとも説きますから、ややっこしいとも言えます。

また「世の中の維持」ひいては「平和・平穏」を司どるヴィシュヌ神は、それ自体も、様々な化身も、言わば「人間の守護神」味方的であります。が、古くはシヴァ顔負けの「破壊神」でもあったという説もあります。実際に、ヴェーダの神の一柱:インドラをやり込める辺りは、決して厭戦的な神とは言えないかも知れません。人間並に、私利私欲・妬み恨み・復讐・騙しの世界で奮戦するラーマ王子もしかり。
そのような「分かりにくさ」「理解の段階に応じて変化するイメージ」がブラフマ神、ヴィシュヌ神に少なくないのに対し、シヴァは、端から分かりにくいという点で、比較的単純明快に結論を説いているとも考えられます。そもそも「創造と破壊」は、破壊が「新たな創造の為」であると説かれても「白は黒である」と言っているようなものです。

しかし、その結果、確固たる統計がある訳ではありませんが、歴史的な結果論から言えは、ヴィシュヌ系の信者の数は、おそらくシヴァ系、ブラフマ神に象徴されるヴェーダ系の神々の信者より、数百年前から圧倒的に多いに違いなく。また、大きく括ってヴェーダ~ウパニシャッド~ウパ・ヴェーダ~プラーナへと変遷するに従って、ヴェーダの神々が廃れ、ヴィシュヌ派が亢進し、しばしばアカラ様にヴィシュヌ系がヴェーダ系を淘汰する神話や解説が説かれています。しかし、「厳格で残酷な一面」を感じさせるシヴァは、意外にその「交代劇」には関わっていないかも知れません。

その理由は、もしかしたら、そもそも「創造と破壊=白と黒」の感覚自体が、「善悪」などの「二元論」を逸脱したものであるから、と考えることは自然です。

いずれにしても、これらもまた、当コラムのVol.114、117「歴史の理解力が心身の健康」で説きました「三次元思考力」の大切さを物語っています。
何故ならば、「歴史的変遷」は、言う迄もなく「縦軸=時間軸」であり、「立場・視座(見え方)の変化=横軸」「価値観の変化=奥行き軸」であり、結果論で、ブラフマ神は、この三次元の世界で、あちこちに振り回され、ヴィシュヌ系は、信者や為政者の恣意も加わって、やはりあちこちを縦横無尽に動き回ったに対して、シヴァは、縦軸と横軸を「ブレずに上下、左右に動き」つつ、「世界の秩序」という奥行きには確固たる存在感を貫いている、とも考えられます。

一方、それを理解せんとする私たちにもまた、この三次元のことが大きく関わって来ます。「縦軸=時間(歴史)軸」を如何により多く、より深く理解し、整理して記憶しているか? 「奥行き軸=物事の本懐・本旨・骨子・根幹」が「ブレないか?」が確立した上で、日々の感情や理解・成長の過程に於いて「異なって見える(のが、正常な道理)」である「横軸」(つまり左右に揺れるのは当然であり、間違いではない)という形が「正常(デフォルト的に)整っていれば」良いのですが、縦も横も奥行きも座標がブレまくっているようでは、「一向に理解出来ない」「難しい」「面倒臭い」「都合の良いことだけで良いや」となってしまう訳です。

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「荒神」ということの意味
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何度か述べていますし、特にRaga:Durgaの項 Vol.111では、やや詳しく述べましたが、元来、世界中で神々というものは、常に「優しさ・包容力・ご加護」という側面と同時に「厳しさ・惨忍さ・人間にとっての脅威的存在」の両極端の二面性を持っていました。ところが、紀元前3千年前頃から紀元前千年ほどの間の、今日の時間距離から見れば、かなり近しい時期に、同時的(シンクロニシティー的)に、人間にとって都合の良い神々に変貌しました。

具体的には、「同じ神のニュアンスが変わった場合」「怖い系の神々の存在感が薄まった場合」「怖い系の神々が、優しい系の神々に淘汰された場合」があり、最も極端な例では「怖い系の神々が悪神とされ、善神に滅ぼされたが、地下(地獄)に潜む」などがあります。これはアジアのみならず、地中海東岸から北欧に至るまで広範囲に広がっています。
このことからも、「神々の存在」と「神話」には、人間の都合の良い私意が多く混入していることが伺われます。

日本の神道でも同じことがありました。しかし、それから数千年経った今日でも、日本の神道のある部分では、(明治に政府がいじりましたので、『基本の部分』ではなくなってしまった感があります)その「神の二面性」を今も残しているところがあります。有名なところでは伊勢神宮の別宮などですが、「優しい系」を奉る神社の他に、「荒神」として、同じ神の「厳しい側面」をも祀っているのです。勿論、その主旨は、「厳しい側面」が発揮されないように、頼み込んでいるのですが、「その性質の存在を忘れていない」、という点では、神々に対する人間の「極めて真摯な畏怖の念」が生き残っている証とも言えます。

そして、この次元に於いてインドのシヴァ神信仰は、極めて古いけれど、人間の都合の良さからは遊離した、神本来の姿が残されている、ということが出来る筈なのです。

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Raga:Shankara
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Raga:Shankaraの構造と性格もまた、シヴァの(両極端な)二面性を、良く表しています。と述べましたが、これも正確には「人間本意」の言い方でもあります。そもそもそれは「両極端な二面性」ではなく、「本質的な一元性(の両端の性質)」と言うべきであるからです。乾電池にプラスとマイナス、棒磁石にS極とN極があるように。ヴェーダの時代から変わらず、人間が愚かしい行為をすれば天罰が下るように。その神本来の姿をより強く持ち続けていたかも知れないシヴァに於いては、「両極端な二面性」と言うこと自体恐れ多いことに違いありません。

シヴァの妃神の相のひとつ、ドゥルガーに因んだRaga:Drugaでも紹介しました、図のRaga:Shankaraの構成音は、三段の上段が、用いる「基本音列(より正しくは用いる音を順に並べたもの)」で、中段が、その「上行音列」で、下段が「下行音列」です。
「下行音列」は、普通高い音から低い音の順に左から書きますが、この図では、構成音の性質を色分けし、縦に揃える必要があったので、読む時には下段のみ、右から左に、とご理解頂けると幸いです。

つまり、「下行音列」では、「S、N、D、P、G、R、S」となり、四度の「Ma」は、終始割愛ですが、上行音列で割愛した「Re」は割愛されずに用いられます。

上行音列では、「Re」を割愛し、第六音と第七音は、いささかややっこしい動きをします。PaからSa へは、「P、D、N、S」とストレートに行かず、「P、N、D、N、S」と行くべきとされるのですが、このジグザグな動きは、「Vakra(ジグザグ/字義は曲がった、歪んだ)」と言うよりは「準Vakra」と言った感じです。

純然たるVakraの場合、ふたつめの図の二段目「Normal-Vakra」に示したように、「飛ばす(割愛する)音」がVakraの場合、例えば上行で、DがVakraの場合、「P、D」と来て、「DaのVakra」にぶち当たるので、そのままでは先に進めず、一歩戻って飛び越すしかないので、「P、D、P、N、S」となります。

ところが。Raga:Shankaraに於ける「準Vakara」の場合、「N、D、N、S」の動きが特徴的であることが重要なので、結果的に「NDNS」の動きの中には、「DNS」が含まれますから「DはVakraではない」ということになります。

図の「Vorja」は、「割愛音(Vorjit-Swar)」ですが、第四音「m(ナチュラルのファ)」は、常に割愛音です。敵音ではないですが、用いません。
ところが、上行音列では、「R」も割愛音:Vorjitになりますが、「D」は、その限りではないのです。

また、下行音列では「SNDPGRS」と弾くこともかのうですが、しばしば「SNP」と「D」を割愛します。これも「必ず」ではありません。

即ち、Raga:Shankaraに於ける各音は、
Sa=基音、終止音、
Re=上行で割愛、下行では割愛せず、経過音として巧みに重用。
Ga=主音、開始音、
ma=常に割愛
Pa=属音、終止音、重用、
Da=しばしば割愛、経過音として巧みに重用。
Ni=副主音、極めて特徴的、

というようなことになっています。勿論流派によって、若干の異なりはあります。私自身が所属している最も古いシタール流派でも、極めて特徴的な動きがあります。

また、図で示しました「Raga:BilawalのPakad(特徴的フレイズ)」との共通点で、Raga:Shankaraが、Bilawal-That(タート/分類引き出し)に属している根拠が分かります。二つ目の図の四行目のそれの冒頭の「GRGP」は、Bilawalならではのもので、「上行では五音音階」のRaga:Shankaraでは、まずあり得ません。「P」に行かず「GRG–GRGRS」というBilawal的な動きは重用されます。「GPNDNS」は、どちらのラーガにとっても重要なPakadです。

六行目のBilawaで「NDP」をShankaraで弾くことは、大間違いではありませんが、女性音「D」を極力割愛し、男性音「NからPへの急降下」によって、Raga:Shankara」の独特な個性が醸し出されます。

Bilawalでは、Dを主音とする流派が多いですが、「GMD—-P」と「D」に長く留まりつつも、完全な終止音にならないことが多く。「主音=Pa」の解釈の流派も存在します。
Raga:Shankaraでは、割愛気味の「D」が。「GPDP」や、希に「GDP」のようにして、「PをDから回り込んで取る」ということも効果的に用いられます。これもBIlawal-That所以」ということが出来ます。

シヴァ家のポストカードとヤントラの写真は、当シーターラーマさんで通販されている商品で、ヤントラは「シヴァ・ヤントラ・ペンダント」です。私が、極力「ヤントラ」をご紹介しているのは、ヴェーダの叡智の享受は、脳機能の全てをバランス良く発揮させるべきであるからです。

近年では、「文字を読まない人」「難しい文章が苦手な人」「がんばるが頭に入らない人」「頑張ると気分が悪くなる人」が増えて来ています。それら全て「脳機能障害」が始っている証でもありますが、「タントラ(Vedaの叡智や科学)」を理解する時、「論理的思考力」が豊かになるまでは、「ヤントラを見る、触れる、身につける」や「マントラ(Shiva-Mantraや、ShivaにまつわるRaga)を聴く」ことによって、大きな助けを得ることは実に賢明と言えます。私が、保護猫の看病の間を縫って、仮眠時間を削ってもこのコラム用に図版を作成するのも、この理念に基づくものです。

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(文章:若林 忠宏

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117、歴史の理解力を高めることは、心身の健康に最適・最短の手法 (その3)

歴史理解力が即効的である理由

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論理の三次元に欠落している縦軸
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今回の図は、以前に用いた「論理の樹木(ひいては思考回路の理想図・基本形でもある)図に、論理の三大要素「Tri-Nyayshastra」の中の「三つの次元(視野):Tri-Paimana」を表した図です。

「枝葉執着の人々」は、図の横軸に於ける利己的感覚「Ahamkara」と、「実体験:Pratyaksha-Pranama」以外のことの理解が極めて乏しく、それを「認めてもらいたい:承認・肯定願望」が強いがために「共感空間」をSNSに強く求めたり、共感出来る友人たちを懸命に守ろうとします。また「常識・観念・道徳」などに依存する人も少なくなく、「利己的感覚」とセットになっていることも多くあります。

希に、「奥行軸:客観性・洞察力」の二次元目の感覚を持って居る人も居ます。しかし、正確には、縦軸の概念が無い限りには、横軸と奥行の直角性を実感出来る術はないのです。しかも、そもそも「枝葉は揺れてしかるべき(でなくては芸術は成り立たない)」のですから、横軸との角度は、揺れ動いてしかるべきですから、「客観的だ」と過信していても、限りなく角度が小さい「V字」のようなものであるかも知れません。

また、「みんな」という観念や、「グローバリズム」という観念を誤解したまま、過信し依存している人々は、前述の「常識・観念依存」も手伝って、それの正しさを決して自壊しません。しかし、以前にもこのコラムで「枝葉を束ねただけ(自らの根っ子も幹も希薄脆弱な者同士の連帯)」では「薪木に過ぎない(大地とは遊離している=枯れている=死んでいる)」とも言えるのです。
そもそも横軸と奥行は、ぐるりと360度回転してしまえば、いずれも「枝葉領域:Prattiyam-Loka」の平面に過ぎないとも言え、その円盤上に固着していると言えるのです。

しかるに、正しい論理性以前に、正しい客観性を持つ為には、三次元の各直角性も元より、「縦軸:時間・時系列・順番・歴史系思考性:Itihas-Dhayana」が不可欠なのです。そして、三次元の何処にでも自在に意識を転換させることが出来て、初めて「論理を学び思考することが可能になり、やっと「思考力(Vijnanamaya-Kosha)の正常化」の第一歩が踏み出せるのです。

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時間・歴史感覚:Itihas-Prtibhaの大きな欠落
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しかし、現代人の多くに見られる「枝葉依存人間・枝葉感覚人間」の場合、この「時間・時系列・歴史把握力」を取り戻すことは極めて困難な作業となります。

「この問題が全ての元凶である」と判断された私のセラピー・カウンセリング受講者さんの多くに「この三日間の自分の行動を時刻時間を明記した時系列の記録を書いてみて」と、試してみると、まず殆どが出来ないのです。20代から30代の若さにも関わらず、仕事以外の行動の中の細かな行動の記憶が定かでないのです。
勿論これは、かなり重度の方の話しですが、その中でも更に重症だった三名のひとりは、受講が途切れた後に統合失調症を発症しました。また一人は、鬱病になりました。「元々そうした性質だったのだろう」と楽観視したい人も少なくないかも知れませんが、そうではありません。

まず、「生まれも育ちも考え方も価値観も異なる」数名に共通して、「時系列記録」の宿題を出すと、十数時間睡眠を取っていても「振り返り作業を始めて十数分で強烈な睡魔に襲われる」ことで、「書かねば・書きたいと思う!」と口ではおっしゃっても「寝てしまって書けなかった」となるのです。これは、「アパシー/鬱」の基本機序と同じ構造です。
つまり、脳の使っていない部分を使おうとすると、その死に掛けていた機能を補っていた部分が、猛烈に拒否反応を起こすのです。いささか辛辣な喩えで恐縮ですが、母子家庭で、父親替わりの気概で頑張っていた長男か長女が、母親の再婚と共にそのステイタスを失ってグレてしまった。ような感じです。

つまり、そもそも「脳機能がアンバランス」であったことが原因なので、それを是正しないことには何も始らないのです。ところが巷のセラピスト・カウンセラーさんの殆どが、例えば「時系列列記録を書かせる」などということは決してしませんし、「出来ない事・嫌だと言っていることを無理にさせては駄目だ」と「甘やかし」の方向性にしかないのです。

スパルタが良いとは決して言いませんが「出来ない=脳機能アンバランス」という構造を度外視して、先に進める筈が在りません。なので、「慰められた」「分かって貰えた」で、満足し、元気になって、「もう大丈夫だ」と通わなくなる。そして半年一年で状態が再悪化して、また通おうにも「あの先生じゃ駄目なのだろう」と他者の所為にして他を当たる。

上記の重度の三名は、私の講座を受講する迄に、二三年で、同時期に二三、十ヶ所近くをはしごしていました。その感覚の根底には、「本当に解決したい」という想いがあるに違いないのです。それこそ「魂や心のSOS」です。なので、セラピスト・カウンセラーは、当人の表層的気分・感情の奥で泣いている心や魂を見取るべきなのですが、何故かそれをしないのです。

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歴史がつまらない場合の元凶
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学校教科としての「歴史が好きだ」という人の中と「苦手」という人に共通しているのが、年代の記憶です。前者は、呆れるほど良く憶えていますが、後者は全く憶えられない。また、歴史的人物の名前もしかり。つまり「枝葉次元」の歴史教育で、憶えることを強要される「小枝や葉の名前や生じた年」で「学ぼう」というエネルギーの殆どを使い果たしてしまう。それどころか、もっと大切な筈の、「樹木の構造」というものが、全く教えられない。

例えば、インド中世史の場合、丁度私が作成した樹木図のように、太い枝は、「南インド・ドラヴィダ民族の系譜」「中西部ヒンドゥー諸王朝の系譜」「北インド・イスラム宮廷の系譜」となり、その先の中枝~小枝と別れて、それぞれのヒストリーがある。
しかし、その全体像=樹をイメージさせずに、あちこち話しが飛んでマラータ同盟がどうの、アウラングゼーブがどうのという話しを憶えさせる。

逆に、学校教育とは別に、マニアックに「歴史が好きだ」という人の場合でも、基本的に枝葉にこだわり、その幹と樹木全体のイメージが欠落している場合があります。

そもそも論理性の上では「実在しなかったもの」。つまり、中世の太枝から枝分かれした後に「途絶えた系譜」が、もし存続していたならば?というようなイメージや推察力は、全く問われず「無い歴史を語っても意味が無い」と言わんばかりの人が多い。

つまりは、「好きだ・得意だ」という人もまた「合理主義・結果論主義」の「枝葉系」な場合が殆どです。それではせっかくの「歴史」もまた、本当の意味では「縦軸」ではなく、「三次元思考性・思考力」が鍛えられているとは到底言えません。

そのような人々に特徴的に共通するのが「文章や意見の論旨=論幹を理解しない」という奇妙な現象です。結局は「枝葉の記述」に対してあれこれ知識をひけらかすばかり。
もし「枝葉の記述」に対して意見を述べるならば、「幹=論幹=論旨(テーマ・主旨)」を「肯定した」か「仮に肯定した」上であるべきなところ。そこは終始曖昧なままで。枝葉(良くいわれる重箱の隅と同義)をやり玉に上げるばかりです。

学術論文の形式が、冒頭に「論旨」を明記し、本文がたいがい三段論法になっているのも、同じ研究者で、枝葉~幹の立ち位置が異なることで生じる混乱と無益な議論を避ける為でしょう。極端な話し、「論旨」を読んで「ああ、この論文は駄目だ」と分からないようでは、本文の部分を批判する資格は無いのです。音楽もしかりで、冒頭の数十秒で聞く価値が分からないようではプロとしてはアウトです。
ギャラが貰える仕事ならば、「論旨→駄目」の「根拠」を本文の部分を取沙汰して反論することもあるかも知れませんが。

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歴史を自らで面白く理解する訓練
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このように、「歴史がつまらなかった理由」は、「A:教える人間が枝葉系」「B:学ぼうとする者自身も枝葉系」「C:逆に得意だ!と自負する人間も枝葉系」だからに尽きます。

しかし、「AとC」は、今更意識改革をしないでしょうけれど、B=苦手と思っていた人には可能性があるのです。そして、その力を鍛えることは、明らかに脳機能にとって必要必須のテーマなのです。

おそらくこのテーマは、ここ一二年で急速に研究が進んでいる「認知症改善・予防策」のひとつに、数年もすれば挙げられることでしょう。 それどころか、数十年もすれば「認知症の原因」とさえ説かれる日が来るかも知れません。

「歴史を面白く出来るか否か?」は、「自分自身で脳機能のバランスを改善出来るか?」いうことであり、その第一歩は、「三次元的思考」の訓練にあります。
つまり、例えば図のように、幹から三本の太枝が別れた場合、その一本を選択して探求する場合でも、他の二本の存在を常に頭の片隅に入れておく訓練です。

これは、日常の家事でも訓練出来ます。

例えば「鍋を火に掛けたまま、生ゴミを出しに行った」という場合。通常ならば、鍋は焦げ付かない。しかし、ゴミ収集場で、ご近所に捕まって長話につき合わされたら、焦げ付きます。

「枝葉系」の人の改善策は「次回からは生ゴミ出しであろうが、火を止めてからにしよう」という解決策です。勿論実際は、これが正解でしょうが、脳機能訓練としてはアウトです。ご近所の話しを聞きながらも、鍋のことを考える訓練が必要なのです。そして、「あと数分でマズいことになる」という時に、ご近所に「すみません!」と言える訓練です。

ところが、枝葉依存度が進んで 、受講を中断した後に統合失調症を発症した人の場合「自意識過剰」も重度に至っていましたから「ご近所に言い出せない」という別の問題も積み重なってしまう。勿論、そこで「ご近所の話しが頭に入らない」というのもアウトです。言い換えれば、このような日常の出来事によって、御自身の「脳機能バランスの偏り」と「枝葉度」を自己診断出来るとも言えます。

このテーマをクリアーし、明らかに変化が自覚出来るようになれば、次は、歴史に登場する人間の性質と性格を読み解き、結果論的な言動の事実を照らし合わせる訓練です。この段階に至れば、かなり歴史が面白くなって来ると同時に、脳機能バランスも改善され、体調のみならず、人間関係さえも改善されている自覚が得られる筈です。

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(文章:若林 忠宏

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116、サラスワティー女神のラーガ(1)Raga:Saraswati

サラスワティー女神も、Vol.113で因むラーガをご紹介したクリシュナ神と同様に、その、母性的とも言える優しさと、「学問の神」の理知的さで、とても親しまれている神です。

しかし、本来は、ヴェーダどころか、北インドに移住しヴェーダを説いたアーリア人がペルシアに居た頃からの神で、後世(かなり後)に、その宗教を大変革させたゾロアスター教でも同系女神が生き残っています。

また、インド・スピリチュアル・グッズのお店、このSita-RamaさんのBlogでも、何度か詳しく紹介されている同系だが別派の女神「Matangi」などは、むしろ逆のイメージがあります。と言いますより、むしろそちらの方が、本来、より古いサラスワティー女神のイメージであると考えられます。

同じこと。即ち、本来「愛と恐怖/優しさと惨忍さ/包容力とヒステリー」といった、全く相反するイメージが共存した結果、そこには「畏怖の念」しか感じ得ないような有り様が「神々」であったのが、紀元前2~3千年頃、世界各地でほぼ同時に変革され、以後は「人間本意(人間に都合の良い)の優しい神々」に偏る傾向があります。

言い換えれば、そのイメージに反した神。神話的に言うと、「人間に迎合するなどあり得ん!」と叛旗を翻した「古いタイプの神々」は、「悪神」として、むしろ攻撃され、蹂躙され、従属隷属させられた、という歴史もまた、世界の異なる宗教に同時に存在します。

また、インドの場合は、悪神とはされずとも、古い神が、新しい神の配下に置かれたり、力の差が顕著に説かれたりした結果、極めて陰が薄くなった例は沢山あります。
そのような中に於いて、サラスワティー女神は、「優しくなっただけ」で、存在し続けており、ヴェーダ期からの長く根強い信仰のあつさを物語っていると言えます。

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サラスワティーのラーガ(旋法)
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サラスワティーに因んだラーガ(旋法)で、最も有名な、その名も「Raga:Saraswati」は、偶然かも知れませんが、「本来の姿」を彷彿とさせる、形而下的・感覚的な言い方をすれば、「厳しい・おどろおどろしい・迫力がある」イメージを起こさせるラーガと言えます。

Raga:Saraswatiが属する「音階群」は、Khamaj-Thatとされていますが、ファが「ファ#」であることの容認は、同That(タート)ではかなりキビシイ感じもします。つまりそもそも「分類不能(に近い/PP-Raga)」ということなのですが。

好意的且つより高次の解釈をすれば、Khamaj-Thatのラーガ(かなり多い)の殆どに於いて、基音Saに対してテンション性が低い「フラットのシ」を特徴としつつも、テンションがある「ナチュラルのシ」もある意味多用(二つのシの使い分け)します。その「四度五度展開」と考えれば、属音「Pa(ソ)」に対し、「シのナチュラル同様の性質を持つのがファ#」と言えなくもありません。

しかし、Khamaj-Thatが、上行と下行で、このテンションを切り替えるのに対し、Raga:Saraswatiでは終始一貫して「ファ#」ですから、違和感も否めません。

逆に、Khamaj-Thatの根拠が、「シのフラット」であろうと思われますが、「テンションがキツいファ#」を使っておきながら、「シは終始フラット」というのも矛盾です。
勿論、「シのフラット」の、「如何にもKhamaj-Thatらしいフレイズ」も多々見られますが。

しかし、この連載の初期にもお話ししましたが、そもそも「神々のラーガ」は、その他のラーガと比べて、むしろ「アンバランス・不条理」なものが多いのです。
七音音階は、「Sampurna(満たされた/完全な)」と呼ばれますが、神々のラーガの多くは五音音階、言わば不完全なのです。

このRaga:Saraswatiは、上行音列で五音、下行音列で六音です。「Ga(ミ)」は始終割愛です。上行音列の「ド、レ、ファ、ソ、ラ、ド」は、Vol.10でご紹介した「Raga:Druga」と同じですが、ファが#で、全く赴きが異なります。

Raga:Saraswatiの上行音列は「SRMPDS(ドレファ#ソラド)」で、下行音列は「SnDPMRS(ドシ♭ラソファ#レド)」で、主音は「Pa(ソ)」、副主音は「Re(レ)」ですが、「レから始るフレイズが多い」「シラソ」のフレイズが多い、の他、取り立てて強調されている感じでもありません。

と言うのも、「同じ音階だが異なるラーガ」に於いては、前回Vol.113で、クリシュナ神に因むラーガと類似(いささ紛らわしい)ラーガの比較で説いたように、「音の動きの違い=主音の違い」は大きな要素となりますが、このRaga:Saraswatiのように「前半(下のテトラコルド)は「テンション系(ファ#だから)」と「後半(上のテトラコルド)は、非テンション系(シ♭だから)」という、或る意味「ミスマッチ」な異例さ、奇抜さがあるので、「音階だけでラーガが同定されてしまいそう」とも言えます。実際、そのような「初心者レベル」でRaga:Saraswatiを平・Rと演奏しているプロも少なく在りません。言い換えれば「類似のラーガがほぼ無い」ことに助けられているに過ぎません。

が、もし上に挑むならば、第二ステージでは、「テンションと非テンションのバランスの妙」、その上のステージでは、「Khamaj–Thatたる所以」を表現(Avir-Bhav)」してしかるべきでしょうが、残念ながら他者の演奏ではまだ、それを聴いたことがありません。

むしろ、インド音楽ファンなら殆どの人が知っているだろう有名なプロが、スケール的に弾く。つまり、上記の「初歩的な際立つ個性」ばかりを強調していますので、いささか論外な感じです。と言いますか、「流石、売れただけあって、大衆迎合性に長けている」と感心します。

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印日・弁天比較
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今回の図は、言う迄もなく、上段三柱が、インドのサラスワティー女神(系)で、下段三柱が日本に伝わった「弁財(才)天系」の女神たちです。

上段左は、南インド型のヴィーナ。通称「Saraswati-Vina」もしくは「Karnatik-VIna」を持ち、中央は、南インドでは用いない北インドの「Sitar」、右は、北インドのヴィーナ(古楽器)である、通称「Vin」または「Rudra-Vina」を持つ「Matangi女神」です。

南インド型のヴィーナを「より古い」と勘違いをしている人も少なく在りませんが、そもそも「木を刳り貫いたスプーン型(の胴と棹の様子)」は、西域からイスラム教徒が南インドに伝えたもので、今日ではもっぱら伴奏楽器となっている「(南の)Tambura」の形状に倣って「Vin」を改造したものです。よって、中央の、シタールを持たせていることに対し「イスラム宮廷の楽器だと違和感がある」というのも共感しますが、音楽史の理屈では、どっこいどっこいとも言えます。

その点で、南のヴィ―ナやシタールで描かれるマタンギ女神もあるようですが、「二つの干瓢共鳴胴を、その豊かな二つの乳房に充てて響かせた」という神話の故事通りの、上段右図の形状の「Vin」が南北ともに相応しいとも言えます。勿論、胸にあてがう大きさの楽器は、仏跡の石彫に残るだけで、音楽史の中では古くから、絵と同じかより大きな楽器になっています。

下の日本の江戸時代の図版には、実は「弁天様」はいらっしゃりません。下段の左は「妙音天」。中央が「光明王菩薩」で右が「金曜星の象徴図」です。

中国唐代に西域楽器を元にしてこの姿になった、良く知られた形の「琵琶」を持つことから、インドの女神とは風情が大分異なりますが、仏跡の石彫を見れば、変化したのはむしろインドの方とも言えます。つまり、日本図の方が、より古いSaraswatiの風情かも知れないということです。

「妙音天」は、その文字でも分かるように、「弁天様」の幾つかの要素の中の「音楽」が特化したもので、現在執筆中の本でより詳しく説きましたが、戦前から今日に至る、日本の学会の定説に叛旗を翻し、戦前に淘汰された「九州伝来説」を書いていますが。伝来修行僧(琵琶法師)の多くが、この妙音天・妙音菩薩の経文を吟じていました。遡れば、初期ヴェーダ時代、否、ペルシア時代に繋がる「(元祖・原点)Saraswati派」が野に下り、放浪大道芸人としてたくましく生き続けていた姿なのです。

中央の「光明王菩薩」または「光明大菩薩」は、音楽以外の要素を総合した本来のSaraswatiで、むしろ「弁財(才)天」が俗称であることが思い知らされます。

ところが謎は、右の「金曜星の象徴(具現)図」です。「七曜」を同様に具現したもののひとつですが、「金曜=金星」の守護神は、近代インド占星術では「Rama」な筈です。
前述しましたように、ヴェーダの教えの多くが仏教によって、むしろ守られ継承されている(が、残念ながら重要なものの多くが形骸化している)のですから、「Vishnu系のRamaか?Saraswati系か?」は、マタンギ女神の解釈とも合わせて、かなり重要でデリケートなテーマとも言えます。そもそも「近代インド占星術」では、Saraswatiは、殆ど皆無と言ってよいほどオミットされています。

しかし、古代ペルシア、(勿論ゾロアスター教以前)の宗教と占星術は、古代ローマに於いてさえも流行した程の力を持っていました。が、それ故に反対勢力の叛意が高まり、殆ど壊滅させられてしまうのですが。その一旦を垣間見るミトラ教などとの関連も含め、Saraswatiの存在の奥深さを感じてやみません。

ちなみに、下段中央の光明王菩薩は、上段右のMatangiや、ここにはありませんが、多くのSaraswati図同様に「蓮花(Pundarika)」に乗っています。
ところが、上段左のSaraswatiと、下段左の妙音天は、「大樹の切り株」に腰掛けています。

何れも絵画ながらに、細かい重要な点は、しっかり守っているのです。その点、上段中央のシタールを弾かせている図は、後ろの孔雀の羽が、Vishnu系の「多頭蛇(Naga)」の真似のようであり、腰掛けている岩も、何だか適当な感じがします。Matangiが座す蓮花が浮かぶ河は、言う迄もなく、伝説のSaraswati河であり、遠望の山はヒマラヤであり須弥山であり、やはり細かく描かれていることに感心させられます。

ヤントラ(ペンダント)の写真は、ここSita-Ramaさんのネット・ショップで販売しているものです。もしかしたらインド最古の信仰のひとつかも知れないサラスワティー。その波乱万丈の数千年の中で、平安~明治時代、今日に至る日本人さえも支えて来た頼もしい神。びっくりするほどお手軽なお値段ですから、勉学や音楽修行の励ましに良いのではないでしょうか。前回ご紹介したDurga女神や、Shiva神のヤントラとは異なり、蓮華の象徴が落ち着いたバランスを感じさせます。

https://sitarama.jp/?pid=111968228

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(文章:若林 忠宏

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115、16世紀の楽聖Tan Senの流派(2)

彼の有名なタージマハルを作らせたムガール帝第六代皇帝:Shah-Jahan(在位:1628~1658)自身も、先代に劣らぬ熾烈な王権・親族争いの末に皇位を継承しましたが、その四人の息子達も同じことを繰り返すという哀しい歴史となりました。シャー・ジャハーンもまた、先代同様晩年は幽閉され、帝位を奪われました。

第七代皇帝:Aurangzeb(1658~1707)は、暴君のイメージがありますが、正しくは、王族の存続どころか、国家の基盤さえ危うくしたシャー・ジャハーンの方が遥かに暴君で、アウラングゼーブは、先代のツケを払う為に、懸命に正しい道を突き進んだとも言えます。

このテーマの前回:Vol.112の図版を見て頂くと分かるように、13世紀、大臣でありながら楽聖であったHazarat Amir Khusraw(1253~1325)が使えたAllauddin Khirj(在位:1296~1316)の時点で、ほぼ全インドを支配しておきながら、Akbar(在位:1556~1605)の時代では、南インドにイスラム王朝が乱立していました。

それをアウラングゼーブは、先代が滅茶苦茶にした財政と政治構造を改革し、再び全インドを掌握するに至ったのです。言い換えれば、極めて敬虔なムスリムであり、覇権主義・権威主義や汚職・腐敗を嫌い、或る意味彼の抱く理想国家を構築せんとした超真面目な皇帝であったということかも知れません。

しかしそのリストラクション政策と皇帝がイスラム教正派:スンニーの信徒であったことから、Seni派のみならず、宮廷楽師は生活の危機を体験するのです。勿論その他にも、全インド平定の際に犠牲になったヒンドゥー教徒や寺院も数知れないことでしょう。

イスラム教には基本的に「歌舞音曲好ましからず」の不文律があります。対してアウラングゼーブに破れた兄ダーラシコーは、ウパニシャッドをペルシア語に翻訳させたと言いますから、彼が皇帝に君臨していたら、インド古典音楽もまた大きく変わっていたかも知れません。

それでもターン・センの孫:Lal Khanの四人の息子は、アウラングゼーブの宮廷で歌い、褒美を授かったとされます。

しかし。この時代と、アウラングゼーブ没後の再三の王権争いで、ムガール帝国自体が大きく揺れたこともあって、1724年宰相アーサフ・シャーがデカン高原ハイデラバードで独立しニザム王朝を興し、北部では大守サーダット・カーンがファイザバードで独立の後に1727年アワド王朝を興し、ベンガル王朝は1740年再び独立し、パンジャブ地方の古都ラホールはシク教国に併合され、1739年以降サファヴィー朝ペルシアのナーディル・シャー軍が度々進攻し、ムガール王朝の領土はデリー周辺直径500Kmの小国(独立王朝では最小の)になってしまいました。

その結果、16世紀後半から18世紀前半に掛けて、Seni派の楽師の多くが、新天地を求めて東方のランプール、ローヒルカンド、ラクナウ、ヴァラナシ、ダルバンガ、南方のインドール、グワリオール、西方のアルワール、ジャイプールに移転します。実際ビハール州のダルバンガ、トリプラのアガルターラを例外的な最東として、他はいずれも、デリーから今日飛行機で一時間程度の言わば近郊ですが、とりわけ東方に移転した音楽家の中に、所謂「中興の祖」のような名人が現れたため。総称して「Purabiya(東方組)」というステイタスを確立しました。

その後、18世紀後半から19世紀に掛けても、ムガール王朝は縮小の一途を辿り、逆に上記の藩王国はイギリスの分割統治の巧妙な策の上での繁栄を欲しいがままに発展していました。

既に移住したPurabiyaが築いた宮廷音楽に於けるSeni派の基盤を頼りに、その後のSeni派の音楽家も、移住したり、デリーとの間を行き来したり、藩王国を渡り歩いたりして、Seni派の門下を広げて行きます。

デリー残ったVinkar派のLal Khanの孫Nirmar Shahとその息子のNiyamat Khan(Sadarang)(1670~1748)は、Seni派の音楽性を保つ以上の功績と名声を博した言われます。

Sadarangは、十四代皇帝:Md.Shah Rangila(在位:1719~1748)の宮廷楽師長としての名声を誇っていましたが、王の粋狂に腹を立てて辞表を叩き付け、東方のJaunpur宮廷に転職し、その後新たな歌謡様式を創案し返り咲いた逸話を、この連載で以前、Vol.46でお話ししました。これが新声楽様式Khayalの原型と言われます。

デリー東方のラーンプールの太守(Nawab)は、代々古典音楽の頼もしいパトロンを越えた音楽マニアで、自身も音楽史残る名演奏家であった人物も少なく在りません。

Sadarangの孫:Umrao Khan(?~1840)が移住した頃のラーンプール太守:Ahmad Ali Khan(在位:1794~1840)は、かなりの音楽マニアで、強力な古典音楽のパトロンでした。Umrao Khanが没した年に太守となった後継:Sayyd Md. Khan(在位:1840~1855)もまた古典音楽の重要な支援者でした。しかし彼ら以上に特筆すべきは、後に太守となった孫のSayyd Kalbe Ali Khan Bahadur(在位;1864~1870)とその弟(太守にはならず)Haidar Ali Khanであると言えます。Kalbe Ali Khanは、Umrao Khanの息子で、Rampur宮廷楽師長を継いだ:Amir Khan(?~1870)の強力な支援者であると共に、彼自身も、Rababとその発展楽器Sur-Singharの名手として知られます。

またこの頃、Lucknowに移住したRababiyaでは、諸説ありますが、一般にBilas Khanから七代目に当たると言われると共に、「中興の祖」でもあった「三兄弟」が特筆されています。その、Pyar Khan(1780頃?)、Zafar Khan(同?)、Basat Khan(1787~1889)は、いずれもDhurupadとRababの巨匠でした。

私の師匠の流派では、曾祖父:Ud.Niyamet Khan(1816~1911)と祖父:Ud.Shafayet Khan(1838~1915)が、Basat Khanの弟子となり、祖父:Ud.Keramatullah Khan(1848~1933)が、Pyar Khanの弟子となり、流派はSeni派の一員となりました。

上記の新楽器Sur-Singharは、三兄弟の長兄:Pyar Khanの創作と言われますが、既にアフガニスタン弦楽器:ルバーブを改造しサロードを用いていた師匠の祖父・曾祖父たちが、その師:Pyar KhanのSur-Singhar創作に多大な影響を与えたことは間違い在りません。

前述のUmrao Khanは、ラーンプールを拠点として、ラクナウやヴァラナシの宮廷からも呼ばれて赴き、音楽指導を積極的に行いました。息子Amir Khanもまた、太守Sayyd Md. Khanの宮廷楽師であると共に、次次代の太守:Kalbe Ali Khanの師を勤めた他、シャージャハンプール派Sarodの中期の名人Fida Hussain Khanを弟子としました。

このAmir Khanの息子のWazir Khan(1851~1926)は、Seni・Vinkar派末期最大の音楽家です。なにしろ前述のシタール奏者Pt.Ravi Shankar氏、Pt.Nikhir Banerji、シャンカル氏の義弟のサロード(シャロッド)奏者Ud.Al Akbar Khan他、百人を越える名人の師匠であったUd.Allauddin Khan。サロード・トラッド派のUd.Amjad Ali Khanの父:Ud.Hafiz Ali Khan。パキスタンを代表するシタール奏者のUd.Md.Sharif Khan Punchwala(Nisba地名)の父:Abdu-l Rahim Khan、他、多くの声楽家も含む相当数の名人の師となった人です。

このWazir Khanの孫が、両Seni派最後の宮廷楽師:Ud.Muhammmad Dabir Khan(1905~1972)で、息子Md.Shabbir Khanも音楽家ですが、音源・映像を拝聴したことはありません。

私の師匠の祖父・曾祖父たちは、ラクナウと隣接するシャージャハーンプールの太守の宮廷楽師を勤めましたが、アワド王朝の最後の皇帝ワジッド・アリ・シャーは、インド音楽史に残る音楽マニアで、自らもランプールの太守の弟、前述のHaydar Ali並ぶ音楽家でもありました。その在位末期には、イギリスの分割統治の罠にはまり、ラクナウを開け渡してベンガル・コルカタに移住。その際に、私の師匠の大叔父:Asadullah Khan(1858~1912/19?)などが太守に同行し、ベンガル地方にSeni派を伝えました。

ラクナウとベンガルの中間点、ビハール州のダルバンガ宮廷には、かなり早い時期の「Purabiya」が移住し、とりわけターン・センの娘と婿の孫のBhupat Khan(Maharang)が宮廷楽士長を勤めたことで、東部で最初に高度な古典音楽を記しました。

前述の膨大な弟子を育てたWazir Khanの母方の叔父で、Vinkarの血筋ながらラクナウ三兄弟のBasat Khan(Rababiya派)の弟子となったKasim Ali Khanは、トリプラ州のAgartalの宮廷楽師になり、ベンガル地方でのSeni派の浸透に勤めた音楽史に残る名手です。師のBasat Khanもまた、晩年はベンガル地方に移住し後のVishnupur派の成長や、コルカタに於ける古典音楽の隆盛に寄与します。

それぞれの音楽家の「拡散」の意図の基本が「より質の高い聴衆(王侯貴族や同業者)の宮廷で充分な収入が得られること」であることは言う迄もありません。
ライバルの存在は、それが音楽的な場合は、むしろ好ましいものですが、嫉妬・怨恨・政治的対立の場合、それが嫌で再移住した音楽家も少なくありません。

ただ、近々にこのコラムでより詳しく説明しますが、単に「Seni派を広めた」とは言っても、「弟子のランク」によって、教えることがかなり変わりますので、今日喜ばれる「敷居を下げてオープンに芸風を共有させること」などは、到底美学に反する「迎合」であり「堕落」と考える時代の人々です。

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何時も、最後までご高読を誠にありがとうございます。

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Vedic Chant入門講座(基本理解編)

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(文章:若林 忠宏

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