68、視覚・神経・感覚・知性のRaga

159

視覚に関わるRaga、及び神経系統や感覚、知覚、五感、さらにはそれらの力の余裕や、バランスの良さによって得られる知性や精神力の向上、成熟に関わるRagaは、精神系やリラクゼーション、及び情感、愛情などに関わるRagaほど多くはありません。

アーユルヴェーダでも、西洋ハーブでも、中医・漢方生薬でも、やはり「視覚・視神経」に関わるものは、消化器や循環器に関わるものと比べて、それほど多くないと思います。

そもそも経口で服用して、「目に効く」というのも不思議な感じがします。西洋化学製剤による局所対処療法の感覚に慣れ親しんだ私たちにとって、「目の異常は、目薬」的なものが染み付いているからでしょう。

経口服用であるにもかかわらず、目の異変に効果・効能があるということは、成分が消化吸収されて血液と共に運ばれる中で、視神経や目の辺りで、独特な効能を示すということなのでしょう。それと同時に、目に異変をもたらす根本的低層的な元凶の抑制や緩和も行っているに違いありません。まさにこれこそ「非局所的・非対処療法的」と言うべきものでしょう。

実際、ブルーベリー系の果実に多く含まれるアントシアニンなどは、西洋科学のエビデンスも得られている様です。しかし、やはりそれ以外の間接的に効果する多くの成分による未解明の要素もまだまだ多いのではないでしょうか。

などなどと、理解したとしても、流石に「音が効く」となると、少し隔たりを感じるに違い在りません。

そもそも、私たちの祖先が、生薬やハーブを発見したきっかけの多くは、野生の生き物たちが、その天性の叡智によって体の異変を治すための植物を知っていたからだと言われます。

健胃・整腸効果が説かれる「熊笹」などは、その典型ですが、「熊は冬眠前に栄養補給で多く摂る説」から、「冬眠後の消化器の復旧の為に摂る説」もあれば、「そもそも葉の縁の変色を言った”隈笹”であり、熊とは無関係説」さえあり、やはりエビデンスが無いことで、批判的な医療関係者さんが多い「生薬」の代表でしょう。しかし、熊が「隈笹」に限らず、冬眠開けに笹を食べる習慣を見た昔の人の伝承は各地にあり、同じ様な話は、インド、シルクロード、アメリカや南米の先住民族に多くあり、西洋ハーブの中でもかなりの割合が、先住民の伝承によるもので、その発端は野生動物の習慣から学んだとされます。

同じ様に、西洋科学論理性のエビデンスを充分に得られていないかも知れない、針・灸・指圧などは、私たちが実感してその効果をしることが出来ます。我が家の保護猫たちも、その状態によっては、指圧やマッサージの方が、顎や頬をさすられるより嬉しそうな時が多くあります。

しかし、それでもやはり「音が効く」ということに関して、野生動物から学んだとは到底言えない訳ですから、心と体の中でも、最も実感が得にくく、その仕組みが理解しずらい「視神経」に対しての「音楽療法」は、最も把握しづらいのも事実かも知れません。逆に言えば、「最もプラセボに影響されにくい」とも言えましょうが。

しかし、「視神経・視覚・眼」は、非常にデリケートなバランスで保たれていることは、誰もが実感していることでしょう。例えば「目の疲れから肩が凝る」を筆頭に、充血したり、眼圧が違和感を超えたり、めまいや焦点が惚けたりの経験は少なくないはずです。が、多くの場合、程なく解決してしまったりするものですから、酷使していてもあまり気を使わないことも多いのではないでしょうか。

また、別な観点で述べますと、実際の目の酷使や疲労に加えて、気分的・心因的な要素も大きいということも考慮すべきでしょう。

かつての私は、目のことに関して、今の数百倍神経質に考えていました。少しの異変でも大きな病院に行って数時間掛けて検査をして「異常が発見出来ない」と言われたこともありました。少しでも度が合わなくなれば作り替える上に、金属アレルギーもあって、直接触れない部分でも痒くなったりで、日に何個かを掛け替えているほどでした。

ところが保護猫の世話の費用で一杯一杯になって以後は、ピントが合わずとも気にしていられなくなり、古いPCが不調な時に成れないWindowsを見て、最初は「駄目だ!絶えられない」と思ったドギツイ光線にも、いつの間にか慣れてしまっています。そんなことよりも病気の猫の容態の方が重要に思ったからでした。

と、楽観的に考えていて、取り返しのつかない重大な異変の場合もあるでしょうけれど。おそらく、視神経や目の違和感や異常の大半は、心因性なのではないか、とも学んだ訳です。

つまり、アーユルヴェーダやヨガの科学が説いているように、視神経は、その近隣の第6のChakra:Ajna/Agnyaと関わり、そnChakraは、そもそもは、外からも中からも視覚的には見えない「第三の目」なのですから、「見えにくい」とか「焦点が合わない」という自覚症状が訴える次元を超越している訳です。

また、それゆえに「視神経意外も含む、神経系」や「五感、知覚」にも大きく関わるとともに、「直感、第六感、勘」や「叡智、知恵、知性」とも大いに関わってくる訳です。

私ごとが続いて恐縮ですが、猫本意の価値観になって以後すっかり忘れてしまった「ものの見え方による苛々」を、今にして思うに、現実的なこと、物理的なことに対する、不満を抱き易く、過敏で神経質な精神性であったと痛感する訳です。

このようなことも含めて考えるに、Raga療法であっても、単なる精神安定の域を超えた何らかの効能があるものであれば、その効果もあり得るだろうと言えるのではないでしょうか。

そもそも「第三の目」の存在こそは、現代人の私たちが忘れている「非現実的、非現象的、非物理的、非物質的」なものを見る力の象徴である訳ですから、それを思い出させ、その眠れる力を呼び起こす作用があることも、その作用が効果することも、大いにあり得ることではないでしょうか。

(文章:若林 忠宏

‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥
若林忠宏氏によるオリジナル・ヨーガミュージック製作(デモ音源申込み)
‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥

67、呼吸器・意識のRaga:

Meditation power

呼吸器の働きを助けるRagaは、意思、知識から創造性、判断力にまで至る精神力をも高めると言われます。それは言うまでもなく、第5のChakra:Vishuddhaの働きと符合するものです。

厳密には、この呼吸器には「肺」がもちろん含まれるという説と、別系統であるという説があるようです。確かに中医・漢方弁証論治でも「肺」は「大腸」などと関わり、下焦(横隔膜より下)の健康・変調と関わりがあるとしています。もちろん「肺」は酸素を摂り込む重要な臓器ですが、それ以前に、「気管・気管支」「喉」そして「鼻腔・口腔」の健康が大前提であることも言うまでもないことです。

もっとも、この「口腔、鼻腔、気管」は、腸内環境とも密接に繋がっていて、「粘膜・粘液」そして「細菌叢」の共通性も最近ではだいぶ語られるようになってきました。

しかし、他の多くの臓器が「自覚できる意思」によってその動きを制御出来ないのに対し、「口腔から食道」及び「鼻腔から肺」は、言う迄もなく「租借・嚥下」「呼吸」という意思で動きを早めたり、止めたりすることが出来るという点において、実に特殊な「臓器・機構」ということが出来ます。

もちろん、喜怒哀楽の外的要因によって、呼吸も早まったり、過呼吸症状なども現れますが、それも言わば「心因性」なのですから、「呼吸器と精神」は、かように密接な関係であるということは疑いのないことです。

トルコ系遊牧民族は、古代インドに迫るアニミズム文化の水準が高かったと思われます。しかし、古代インドでは、それをVedaやTantraの科学にまで高める土壌がありましたが、シルクロードにはそれは見当たりません。そんなトルコ系遊牧民族が音楽を盛り上げるために言う掛け声に、「長生きしろ!」があります。もちろん「いいぞ!もっとやれ!」の意味です。が、言葉としての「長生き」は、とりもなおさず「長い息」なので、掛け声を受けた歌い手は、驚異的なノンブレスで超絶的なコブシを着けて歌い上げます。同じ、文化を継承していて、もしかしたら血もかなり引いているかも知れない日本の「ことば」においては「長い生き」と「長い息」そして「長い行き」は、おなじ「ことば」と考えることも出来ます。

このように古来から東洋医学や民間医療の感覚では、「呼吸器の健康」は、「精神(心)の健康」と切っても切れない関係にあると、説いている訳です。

第5ChakraとそのRagaが司るとされる「意志、知識、創造性、判断力」のそれぞれの関係にも深い理解が求められます。ここで言う「意思」とは、外的要因に反応しているだけのものではなく「志」に近いものであるはずです。したがって「知識」も、「情報を豊富に集める」ということではなく、「整理整頓」と「理解」そして何よりも「解釈」が大切な訳です。いわゆる「見識」というものです。

それゆえに「独創的な創造力」が生まれ出ることが出来、挫折や失敗を含むその積み重ねによる「自信=誇り(プライド、自尊ではなく)」の裏付けによって、ブレない「意思、志」が「判断力」の正体となる訳です。

その一方で、呼吸器を活性化させたり、丈夫にしたり、正常な働きに戻す効果があるとされるRaga、及び、知識や創造性、独創性、を高める効果があるとされるRagaなどには、「第5Chakra:Vishuddha」と直接的には関わりがないものもあります。

逆に、「第5Chakra:Vishuddha」と直接的に関わるRagaの中には、呼吸器や聡明さに関わらず、頭痛や麻痺の緩和に効果があるとされるRagaも少なくありません。

また、本来はもっぱら他の効果・効能のRagaであったり、他のChakraと関係が深いRagaであるにもかかわらず、或るMudraを伴うことで、むしろ強力な「呼吸器疾患改善」の力を見せるRagaもあります。

おそらく、これらの矛盾や限定から外れる働きも、やはり「呼吸」が意思によって、速めたり、遅めたり、止めたりが出来るということや、怒鳴ったり大声を出して自らで痛めたり、ぶつくさ言ってはっきり言わない、とか、悪口を言うなどなどの意思・意識の変容に大きく振り回されることから生じる「多様性」ではないかと考えられます。

つまり、「Raga-Chikitsa(ラーガ治療」の立場からすると、「呼吸器の健康維持」は、それ自体(鼻腔、口腔、気管、気管支、肺」への働きかけ、と効果の他に、「精神面の是正から呼吸器官へ働きかける」ものもあれば、もっぱら「精神面の是正」という目的に限定して、二次的に呼吸器を改善する、などのタイミング、時差、段階が異なる効果や能力があるのだろう、ということです。

しかし、これらのRagaは、単に「リラクゼーション/精神安定」のRagaとは、働きが異なります。

例えば、強烈に「被害者意識」が強い人が興奮していて、リラクゼーションの効果があるRagaによって落ち着いたとしても、その精神性や意識は変わりません。逆に、「甘やかされる」「肯定される」ことによって、その精神性は、頑強になることもあるかも知れないのです。が、むしろ「精神性」の方面に強いRagaによっては、その意識を根底から改める効果や、それに気づく効果を与えるかも知れないということです。

しかし、「人間の意識」これさえかわればかなりの大きな変化が期待できるのですが、数多の臓器や機能、システムの中で、最もやっかりで手こずるのがこれですから、Raga治療にしても、YogaにしてもAyuruvedaにしても、その効果を発揮するには、この「壁」をどう乗り越えるか?が問題なのかも知れません。

(文章:若林 忠宏

‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥
若林忠宏氏によるオリジナル・ヨーガミュージック製作(デモ音源申込み)
‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥

66、循環器・愛情のRaga

old sitar on red background - ancient indian instrument

循環器と愛情、情感の「恒常性」に働きかけるRagaは、そのほぼ半数が「第4のChakra:Anahata」と深い関わりを持っています。そのほかにも、流石に「情感」がテーマですから、Anahata-Chakraに限らず、「情感に働きかけるRaga」は豊富にあります。

しかし、「循環器に関わるRaga」ともなると、これも流石に何でもかんでもというわけにはいきませんし、血圧に直接的に影響を与えるRagaなどは、安直に奏でたり聴いたりは怖いと考えるのが妥当にも思います。

ただ、何回か申し上げましたように、音楽は、複数の生薬の混合方剤のようなものですし、化学製剤のような「ある特定の成分を抽出したもの」ではないので、「効き目は穏やか」である代わりに、一気に血圧に影響を与えることはないはずです。

しかし、私自身の経験談で恐縮ですが、インド音楽を聴き始めた中学二年生の頃、新しく手に入れた貴重なレコードに針を落とし、程なく心臓がドキドキし、苦しくなったことがあります。心拍数が上がり、過呼吸気味になったのでしょう。思春期ということもありましょう。その後、怖くてその曲は聴かなかったのですが、十年程して聴いてみれば、何のこともない、何の変調も来しませんでした。

その頃やっとRagaの理論が頭に入って理解出来たことによれば、そのRagaが元々持っている性質に加え、その演奏者が非常に巧みに「ド」を迂回して「じらして」演奏していたのでした。しかも竹の横笛ですから、弦楽器よりも強烈に胸に響いたのでしょう。

なので、「危なくない」とは実体験からしてもお約束は出来ないわけです。

ただ、どんな薬でもそうですが、変調を感じたら早めにストップすれば良いはずです。当時の私は「恐いもの見たさ」感覚で、むしろのめり込んで聴いてしまったのでしょう。ある種の「プラセボ」「自己暗示」も加わったかも知れません。

実際のAnahata-Chakraに関わるRagaは、このChakraと関わる音が「Madhyam(マディヤム/ファ)」であることから、極めて柔らかな印象を与えるRagaが多いのです。また、血圧降下作用が説かれている他のRagaも、ほとんどが同様に柔らかく、穏やかな印象を与えるものです。

逆に、低血圧に効果があるとされるRagaも少ないですが存在します。不思議なことに、この低血圧向けのRagaは、あるMudraを行って聴くと、逆に降圧効果に転じます。もちろん、これも「健康で正常な状態」に正すと言う意味ですから、低血圧の人が間違って行って、更に酷くなるということは、(絶対無い、とは言わずとも) 通常ないと思われます。

しかし、いずれにしても「血圧」を心配すること自体で血圧が変化してしまうという本末転倒な問題もあります。

また、血圧を外因で調整するばかりでは、「対処療法」と変わりません。もちろん、Raga音楽療法の場合は、交感神経の高ぶりを抑えるという全身的なものではありますが、やはり、Anahata-Chakraを活性化させるとともに、「血管を丈夫に」「血管の汚れをDeTox」「心臓を丈夫に」「血流を改善」「血液をサラサラに」などの努力も怠らないことも大切なのは言うまでもありません。

7音のうち、Anahata-Chakraと関わる音「Madhyam/ファ」にもやはり「高いファ」と「低いファ」があります。ひとつ上の「Pancham/ソ」には#♭を付けてはならないので、ソ♭があり得ず、ファが#となりますので、Madhyamの場合、♮と#の二種ということになります。

そして、これは「陰陽説」に順等に、低い方「ファ♮」が、左と中央のAnahata-Chakraに関わり、高い方「ファ#」が、右のAnahata-Chakraに関わります。

なので、単純に考えると、「ファ#」のRagaは、交感神経を高め、低血圧に良い、「ファ♮」のRagaは、交感神経の高ぶりを抑え高血圧に良い、と思いたいところですが、実際のRagaはもっと複雑です。

「ファ#」を用いるRagaで高血圧や頭痛にさえ効くと言われるRagaもあれば、「ファ♮」なのに、低血圧に効くと言われるRagaもあります。

やはり、5音〜7音全体と、Ragaが定める音の動きによって、その効果が決まってくるという、深い世界なのです。

(文章:若林 忠宏

‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥
若林忠宏氏によるオリジナル・ヨーガミュージック製作(デモ音源申込み)
‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥

65、消化器・安心・理性のRaga:

Female relaxing at sunrise, performing tadasana - mountain pose by the sea at sunrise

消化器・安心・理性に関わる諸問題を、根本的なところで解決する効果があるとされるRagaは、「第3のChakra:Manipura/Nabi」に関わるRagaです。

昔から、胃腸が弱い人は、「根気が無い、我慢、辛抱が苦手」と言われていました。それは、下痢や軟便気味の場合にも、便秘の場合にも共通して言われます。もちろん感染症のDeToxとしての下痢は異なりますが、下痢・軟便性も便秘性も実は同じ元凶の異なる方向の表出であるという考え方もあります。

そもそも、生き物の「健康・正常な状態」を保つため、生き物が自らの体の中に備えている「恒常性」では、言わば「出るものは叩き、引き込む、沈むものは引っぱり上げる作用」ですが、逆に言えば、そうやってバランスを取ったものでも、またバランスが狂うということは、「心や体、臓器、細胞、様々な脈絡、気、ナーディ」は、常にどちらかに偏りたがる傾向があるということです。

このことをして、アーユルヴェーダでは「体質」という概念を重視しているのです。つまり、左右に傾きの無い道路であるにもかかわらず、ハンドルから手を話すと左右のどちらかに偏ってしまう車のようなものです。アーユルヴェーダが説く「体質」には、左右の他に、「スピードが勝手に上がる、下がる」なども加わるわけです。

このように、自然の摂理はある意味で、非常に単純明快な基本構造を持っています。そうは言っても、「便秘解消の為に辛抱強くなろう」という単純なものでもないのがミソです。

つまり、何らかの「心因性の作用」が、慢性化して、「体質」を作り出している部分も大きいと思われ、その場合、その「心因性の要素」を取り除き「体質」を見出すべき場合と、そうしたくても出来ない場合も考えられます。

(文章:若林 忠宏

‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥
若林忠宏氏によるオリジナル・ヨーガミュージック製作(デモ音源申込み)
‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥

64、生殖器・情緒のRaga:

In Meditation mit Chakren ber dem Wasser

生殖器・情緒に関わるRagaは、生殖器にあるとされる「第2のChakra:Svadhisthana」に関わるRagaと、幾つかの特別な精力に関わるRagaです。

Svadhisthana-Chakraは、生殖器、膀胱に関わり、情緒、欲、性を司るとされます。

やはりこれも「恒常性の二元性、相反する作用のバランス」で考える必要があり、基本は「健康で正常なニュートラルな状態に戻し保つ」である訳ですから、「精力の衰え」には、促進・向上ですが、逆に「過多・旺盛」の場合は、鎮静させるわけです。

また、様々欲が情緒不安定を招いている際にもこのChakraの問題を考えるべきであると説いています。

しかし、現代人の多くは、「欲の認識」に関してかなり鈍っていると思われます。何故ならば、数十年前に真っ当とされた人生観や生活観と比べれば、「欲深い」とか「欲求不満」というものに対する羞恥心がかなり衰えていると思われるからです。また、商売のみならず、社会も、「消費者の欲求を満たすこと」ばかりに邁進して来ました。当然のごとく、それが当たり前となれば、人間誰しも「欲を表現しても恥ずかしくないのだ」「遠慮なく欲を満たすことをしても良いのだ」と思ってしまう訳です。

不思議なもので、一昔前までのことかも知れませんが、子供たちは、皆「辛抱、我慢、道理」というものを教え込まれしつけられたものです。

例えば「ご飯要らない!おやつが良い!」「今ねむくない遊んでいたい」といっても「駄目!」といわれたはずです。それによって、栄養を偏りなく摂取し、睡眠の規則性で自律神経も保たれていた訳です。

ところが、大人になると、その摂理に反するばかり。そして、最近では、自分がそうしてきているからと、「子供に厳しく言えない」という親が増え、極端(でもないのか?)な例では「駄目!と言うのは可愛そう」「好きにさせて上げたい」とおっしゃる親も少なくないようです。

法の規制さえなければ、「欲しがっているんだから」と、麻薬・覚せい剤さえ自由に与えそうな話です。酒や煙草などは、「見つからなければ良い」という親御さんさえ何人か見たことがあります。

これらを「極端な例だ」「特殊な人間だ」と考えたいのも人間のありがちな心理ですが、実のところ、「苦いものより甘いもの」「難しいことより簡単なこと」を選択する風潮やクセには、かなり染まっているのではないでしょうか?

だとすれば、「難易の選択肢」があったとしたら、「恒常性の二元性、バランス」の摂理から言えば、二回に一回は「苦いもの、難しいこと」を選択しないと「心の健康」は保てない理屈になるわけです。

が、それを実践している人に出会うことはあまりありません。

むしろ「何言ってんだ! 日常有害物質や嫌な人間、嫌な仕事のストレスにさらされているんだ」とおっしゃり、「だから、せめて自分の自由選択では甘い、優しい、易しいを選択しても問題ないどころかそれでバランスが取れるのだ!」とおっしゃったり、「これ以上、さらに苦い、難しいを選択したらストレス過剰でバランスどころじゃない」とおっしゃいます。

一見理に叶っているように聞こえる理屈ですが、どうでしょうか。

「恒常性のための相反する作用」は、私たちの心と体の中に存在するものです。その健康維持のためには、自主的に、自ら喜んでバランス良く摂取せねばなりません。 それに対して、おっしゃる「外部からのストレスや有害物質」は、言わば「邪気、外邪」な訳ですから、それまでも「甘んじて受け止めよ」とまでは申しませんが、「邪気、外邪」から心、体を守るためにも、日常、酸いも甘いも、喜んでバランス良く摂取しなくてはならないはずです。

このような話をご理解頂けるのであるならば、Svadhisthana-Chakraが司る「上長と欲」というものは、まず、「健康でバランス良い心と体」の「情緒」であり「欲」であるということに立ち返る努力をせねばならないことがお分かり頂けると思います。

どんな生き物でも、自然の摂理の範囲の中で、「睡眠欲、食欲、排泄欲、性欲」が存在する訳ですが、それに「不安、被害者意識、比較意識、自意識」や、それが元凶の「ストレス」が「情緒不安定」「欲求不満」が加算されてしまっていたならば、正常な機能に繋がらないのです。

(文章:若林 忠宏

‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥
若林忠宏氏によるオリジナル・ヨーガミュージック製作(デモ音源申込み)
‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥

63、腎臓・腸・肝臓のRaga:

illustration of human chakra, OM symbol,amulet from Nepal

腎臓、腸、肝臓を健康に導いたり、活性化させると考えられているRagaは、腎臓、腸に関わり、生命力、生気、情熱を司るとされる「第1のChakra:Muladhara」と、その関連音「Sadaj(サラジュ/ド)」および、胃、肝臓、胆嚢、脾臓、膵臓に関わり、情緒の安定を司るとされる「第3のChakra:Manipura/Nabi」と、その関連音「Gandhara(ガンダーラ/ミ)」の二つのChakra。二つの象徴的な音と関係しています。

「肝腎要」の言葉があるように、肝臓と腎臓は、深く関わって働いています。一方が疲弊していても、一方がまだ元気な場合もありますが、いずれどちらも疲弊してしまうほどデリケートな関係でもあります。

ところが、アーユルヴェーダでも、中医・漢方弁証論治でも、解剖学としての臓器とはちょっと異なるニュアンスの「腎の臓の系統」と「肝の臓の系統」は、別な役割を担っているとも説きます。

このことは、科学音楽の音の役割、立場、系統からも証明されます。

第三音「Gandhara」は、基音である第一音「Sadaj」の自然倍音のひとつであり、更に言えば、第五音「Pancham」、更に高域では第七音「Nishad」もやはり物理的に自然に得られる倍音です。

したがって、第1Chakra:Muladharaは、第3Chakra:manipura/Nabi、第5Chakra:Vishuddhaと深く関わるわけです。もちろん別な意味で、腎臓及び肝臓の解毒、腸、肝臓の栄養素の摂り込みには、良質な血液と血流が不可欠ですから、第4Chakra:Anahataも大きなサポーターでもあります。

同じ様に、Ragaにおいて、第一音:Sadaj、第三音:Gandhara、第五音:Panchamが優勢な場合、むしろ控えめな存在の第四音:Madhyamの扱いには神経を注がねばなりません。 また、そのようなRagaの中には、♮と#のふたつのMadhyamを持つものも少なくありません。

(文章:若林 忠宏

‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥
若林忠宏氏によるオリジナル・ヨーガミュージック製作(デモ音源申込み)
‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥

62、リラクゼーションのRaga

Fotolia_17196736_Subscription_Monthly_M

リラクゼーションのRagaは、アーユルヴェーダ音楽療法における様々なRagaの中で最も多く挙げられていることは、前回の「植物の根の音楽による生育の違いの実験」の話でも明らかです。しかし、実感で「心地よい」「癒される」と思えば、すべて「リラクゼーションを促進させた」と解釈するのは短絡的です。

頭頂部にあると言われる「第7のChakra:Sahasrara」は、7音の第七番目「Nishad(ニシャダ/シ)」の音と関わりがあるとされます。しかし、Ragaの実践の中でも、この「シ」と「ミ」及び「ファ」の使い分けは膨大なパターンがあり、Sahasrara-Chakraに関わるRagaの中にも様々なパターンがあります。

なので、「どれを聴いても確かに心地よい」では「プラセボ頼り」ということになってしまいかねないのです。

そもそも「リラクゼーション」とはどのような状態であるのか? 本人が心地よい」とか「眠くなった」という実感は、この場合、「当たらずとも遠からず」で、けっこう「近い」かも知れません。

まず、「自律神経」の領域で考えるならば、言う迄もなく「副交感神経」が優位になっている状態です。血管は弛緩し、血圧、脈拍数、呼吸数、体温は下がる傾向。その結果として、全身の緊張がほぐれ、脳波にも変化が現れるでしょう。

これは数在るRaga音楽療法の実践の中でも、最も理解し易く、効果も分かり易いものに違い在りません。

しかし、「恒常性」というテーマを考えた時、「弛緩させ過ぎた場合」反動が来るはずですし、そもそも副交感神経が優勢でありすぎる場合、(普通ここでは「亢進」とは言わないようですが) 過剰効果や逆効果は無いのか?も考え合わせるべきです。具体的には、アルコールや薬剤の副作用で、弛緩している場合に、過剰になる場合があります。

また、生き物の「恒常性」の仕組は、驚異的であり、まだほとんど解明されていないと言われますが、「二元性/相反するものが用意されている」ことは間違いないはずです。実際、免疫系にも二大分類があり、例えば、「アレルギー」と「自己免疫疾患」では、免疫系の系統も異なれば、アレルゲンを攻撃する武器も異なります。そして、これがやっかいなのですが、交感神経か?副交感神経か?どちらで活性化しどちらで沈静化するかも変わります。

なので、単に「リラックスは良いことだ」としても、交感神経の活性化によって保たれていた恒常性にとっては、良いことばかりではない可能性もある訳です。

具体的に、とても豊富なリラクゼーションのRagaについて見てみますと、中心的な音「主音:Vadi(ヴァーディ−)」が「シ♮」であるRaga、「シ♭」であるRaga、Vadiは、「シ」以外だけれど、「副主音:Sam-Vadi(サム・ヴァーディ−)」が「シ♮」であるRaga、「シ♭」であるRaga(後者は現実的に殆ど存在しませんが)、VadiもSam-Vadiも「シ」以外であるが、「シ」の存在に意味が深いRaga、意図的に「シ」を割愛したことで、逆に「シ」の存在が枯渇的に求められるRaga、そして、ふたつの「シ♮」と「シ♭」を持ち使い分けるRagaなどがあります。

それらの効果の結果、リラクゼーションのRagaと一言で言っても「A:どの様な状態の人でも弛緩させるRaga」「B:高ぶりがある場合、ニュートラルに下げるRaga」「C:高ぶりがあれば下げ、消沈していれば上げるRaga」があります。

AのRagaは、低血圧の人や鬱の人には適さないかも知れません。逆に「ならCが一番良いじゃないか!」と思いきや、Bが適している時には効き目が弱いかも知れません。

また、「リラクゼーション」を求めたとして、その後にどのような行動行為に移りたいのか? 「落ち着いて→ぐっすり睡眠を取りたい」のか、「落ち着いて→論理的に思考したい」のか、「単に興奮を納めたい」のか、によってもRagaは選択される必要があります。

また、究極のRagaを正しく演奏した場合、「落ち着いて→論理的に思考し→やる気が湧いて、知恵も出て」と、むしろ元気になる場合もあります。しかし、そもそも「論理的思考」の訓練をしていない人で、むしろ逆に、「くよくよ同じことや心配や被害者意識を考えすぎる人」には、その同じRagaが逆効果を与え「イライラする→落ち着かない」場合も在る訳です。

だからこそ、アーユルヴェーダは、「体質」にこだわる訳です。

しかし、先天的な「性質」と後天的な「性格」と、本来一過性であるだろうけれど、こだわってしまっている「執着や観念」というものをまとっている場合の「心の体質」を説くアーユルヴェーダは、殆ど廃れてしまったか、迫害によって壊滅してしまったか、近現代人がその価値に気づかなかったのか? 充分に説かれているとは思えないのが現状ではないでしょうか。

(文章:若林 忠宏

‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥
若林忠宏氏によるオリジナル・ヨーガミュージック製作(デモ音源申込み)
‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥

61、RagaとMudra、Pranayama、Asana、

yellow flowers floating in a tibetan bowl

ChakraとそれにちなむRagaには、それぞれの専門的な臓器との関わり、および人間の心や精神との関わりの他に、Chakra同士の連携、そして心と体全体の中での役割があります。

その全体像を総合的に理解・把握しないと、結局は、局所対症療法の感覚から卒業出来ません。

もっとも、アーユルヴェーダでも中医・漢方弁証論治でも、急を要する「表層的な症状」を優先して対応対処することはあります。しかし、同時に根本的な原因への対応対処と、全身的な問題への対応対処をしてゆかなくてはなりません。でないと、いずれ次から次に問題が移行してしまい、極端な話、大道芸の「皿回し」のような忙しさに追い込まれることもありえます。

また、根本原因の見誤りなどによっては、逆効果もあれば、まだ正常だった部分のバランスを崩してしまうこともあり、かえって大事になることもありえます。

喩えば、家の中に「雨漏り」があったとします。真下にバケツを置くくらいならまだしも、天井の隙間や穴を塞いでしまったら、行き場の無くなった水は、新たなはけ口を求めるに決まっています。それが柱を湿らせシロアリを招いたり、電気系統に損傷を与えたりで、大事になることもあり得るのと同じです。

具体的には、「口内炎」などの場合、抗生剤とステロイド剤を患部に塗布して解決しても、その原因が腸内環境なのか? それとも腎臓なのか? または肝臓なのか? そして、その原因も一つとは限らず、腸と肝臓と腎臓は、互いに連係プレーをしていますから、一つをフォローすれば、他も助けを求めてくるかも知れません。

また、そもそも腸、肝臓、腎臓の問題は、血流から来ているかも知れませんし、何らかの原因による、自律神経、ホルモン、血液のpHの問題かも知れません。

また、音やマッサージ、指圧、鍼灸、そして生薬などの中には、生き物が自然に持つ機能を「助けるもの」もあれば「刺激、叱咤激励するもの」もあれば「休ませる」ものもあります。既にオーバーヒート寸前に働いているものに、叱咤激励をしてしまったら、どうなるでしょうか?

また、例えば、腎臓の働きや、肝臓の働きを助ける生薬の中には、胃腸に負担が掛かるものがありますし、自然な血流を促した結果の利尿作用ではない生薬には心臓に負担をかけるものもあります。

アーユルヴェーダや中医・漢方の生薬及び西洋ハーブでは、「複合方剤」があります。これらには、「相乗効果で働きを高めるため」もあれば、「時差で効果に持続性を持たせるもの」もあれば、「副作用を緩和させるため」のものもあります。

例えば、前述の「腎臓を助ける生薬」が「胃腸に負担をかける」という場合、「胃腸を守る生薬」を添加させたりする訳です。

このように、インド科学音楽のRagaを用いて、Chakraの活性を図る音楽療法では、複数のChakra同士の関係や、心と体全体への効果・影響を考え、更に、Ragaの持つ複数の要素とその力を考慮しなくてはならないのです。

ところが、幸いなことに西洋局所対処療法の化学製剤とは異なり、Ragaは、自然生薬を組み合わせた、Blend/Compoundな方剤のようなものなので、西洋式化学製剤のような劇的だけれど、極端な効果効能ではないのです。

西洋化学製剤の多くも、元々は植物や昆虫などが自然に持つ成分を化学的に抽出したものなのでしょう。しかし、自然の成分は、西洋的・合理主義的な論理性のエビデンスは得られてはいませんが、数種類から数十種類の成分が、未解明の働きをすることによって、細胞や臓器に対し、比較的安全に作用していることも事実なのです。

化学製剤の「抗生剤」は、腸内環境のいわゆる善玉菌も殺してしまいます。故に「抗生剤に耐性を持つ乳酸菌」さえも開発されています。ところが、未だに不思議でなりませんが、自然生薬は善玉菌を殺さないのです。もちろんGalicのように、多量に摂ると善玉菌も殺してしまう生薬もありますが、ほとんどは「体、細胞、有益細菌、微生物」には無害なようなのです。

さらに、Ragaの場合、或る独特な音の動きが、Chakraに働きかけるのですが、前後に様々な音の動きがあり、有効成分だけを抽出して聴かせるということはありません。 もちろん演奏者によっては、音楽療法が分かっている人と、分かっていない人、Ragaの神髄(Prakriti)が分かっている人と荘でない人、自己の感性の表現・顕示に執着する人と、Raga本意の人では、同じRagaも全く異なって伝わります。なので、未来に、音楽の有効成分が解明されたとしても、電子楽器による自動演奏で効果を得るということはおそらく無いと思われます。

しかし、Ragaの音楽療法の効果は、Asana、Mudra、Parayanamaと共に行うと、「効き過ぎて」もしくは「逆効果」の非常に強い危険性も知られています。

逆に言うと、幾つかのRagaは、特定のAsanaやMudraによって聴くことで、より効果が得られるという処方が存在します。

また、その人の状態によって、或るMudraで効かない場合、別のMudraの処方も用意されています。

さらに、ほとんどのRagaでは、Prayanamaとの併用は処方されません。が、或る特定のRagaを、特定の目的で処方する場合には、PrayanamaよMudraとの併用が処方されています。

(文章:若林 忠宏

‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥
若林忠宏氏によるオリジナル・ヨーガミュージック製作(デモ音源申込み)
‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥

60、Chakraと神経と科学音楽

illustration of human chakra, lotus flower

前九回で、七つのChakraとその大まかな解釈、そして、それぞれにちなむRagaについての概論をお話しました。

それぞれのChakraには、第一に「特筆すべき役割」があり、第二に、「複数のChakraの関係性」があり、当然、それを繋ぐ「Nadi(ナーディ)」の理解・認識も欠かせないわけです。そして、第三に「体全体の状態」であるとか、「全身的恒常性のバランス」であるとか、「自然治癒力」「免疫力」という全身に渡る分野も合わせて考えなくてはなりません。

そして、その全身的な状態を把握することには、「プラーナ、気、脈、血流、神経、ホルモン、リンパ腺」などの多様で膨大な脈絡の存在も学ばねばなりません。

しかし、それらは大きく分けて、やはり「二元性」「相反するものの共存」があり、それは「恒常性」に欠かせない、「相反する作用」によって、二つに大別されるはずです。

それらは、「自律神経」の二大分類「交感神経系」と「副交感神経系」の存在として、西洋医学の専門家にもある程度理解されています。しかし、私の不勉強のせい(や誤解や決めつけ?)かも知れませんが、局所対処療法を主として治療なさるお医者さんの多くに、「自律神経」との関係をあまり重視していないのではないか?と思うことが少なく在りません。そして、原因が不明になると、一昔前迄は「自律神経失調症」で片付けてしまい、最近は、それに代わって「ストレスの所為」で片付けているように思えてならないのですが、間違っていますでしょうか?

実は、これらは全て、正解を言っているとも言えます。「原因不明」というのは、中医・漢方弁証論治で言うところの「裏証」であり、一般に「慢性疾患」と言われますが、急性の局所に現れる症状より深く、原因がひとつに限定出来ないものを意味しています。つまり、「原因不明」は、「原因を特定出来ない」という意味としては「正解」なのです。何故ならば、「原因多数」だからなのです。

しかも、それは刻々と変化するのです。これがある意味「当たり前」のことなのですが、「全身医療(Holistic)」から見れば、「止まっている的しか射れない西洋局所対処療法」では、「原因不明」となってしまうわけです。

「お医者さんがそんなことじゃ困る」と言えば、「自律神経失調症」と言われ、最近では「ストレスの所為」となるような流れです。

「自律神経」も、何らかの「外的要因」に反応して「主副の二系統」のバランスが変化する訳ですが、結果論で、「芳しくない」と「失調症」と診断されるようです。 しかし、そこには、「自律神経が懸命に働いている過渡期の状態」もあれば、何らかの理由で「自律神経の働きが過度になっている場合」もあれば、同様に「自律神経の働きが衰えている場合」もあるはずです。

また、「懸命に働いている場合」でも、「直接的に原因に対して対処している場合」もあれば、「間接的、総合的」に働いている場合もあるかも知れません。

例えば、下痢だけが生じている場合、排出やDetoxの必要性があると共に、自律神経は、腸の働きや、各種関所の通過を促しますが、その状態では、胃の上部の関所「噴門」は開きません。必要なものは摂り込み、不要なものを早く排出しようとしている訳です。

ところが、下痢ではないけれど、嘔吐が頻発する場合は、その逆が考えられ、下痢と嘔吐が同時多発する場合は、「両方の意味の複合」と、「全体の疲弊」という別次元の問題も絡んできます。

不謹慎な喩えで恐縮ですが、拳銃の暴発事故が起きたとして、犯人は「引き金を引いた者」なのか? 「そこに拳銃を置いた者」なのか? 「そもそも拳銃を作ったものなのか?」というテーマです。

しかし、これを「より源流がより悪い」という単純な理解をして良いでしょうか? 確かに、大本を解決することは、「全身療法」が「局所療法」に対峙している基本であります。しかし、流しの蛇口の漏水の度に、道路の地下を走る本管を止めるのは愚かではないでしょうか? また、古今東西で、「川上、風上が悪者、川下、風下が被害者」というレベルでの争いは絶えませんでした。

つまり、原因追及は、一見して「根源的意味(価値)がある」ように見えて、落とし穴も多いのです。

言い換えれば、ある種の「犯人探し」のようなものであり、森中を探しまわり、森の奥底で見つけ出したとしても、それもひとつの「樹」に過ぎず「樹を見て森を観ない」ことと大して変わらないのではないでしょうか。

「犯人探し」のようなことであるならば、その犯人を作り出した構造(森全体問題)を探求しなくては、同じことが繰り返されますから、一見してそう思えたとしても、実は「根治療法」でも「全身療法」でもないと言える訳です。

このようなことを考慮しながらでないと、Ragaの音楽療法は、正しく作用しません。しかし、世に広まる漢方薬の多くがそうであるように、「分かり易さ」を求め、結局は、「頭が痛いのを治したいだけだ」と、東洋医学をも「局所対処療法」的な感覚、観念で理解しがちなように思えます。

(文章:若林 忠宏

‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥
若林忠宏氏によるオリジナル・ヨーガミュージック製作(デモ音源申込み)
‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥

59、Chakraと中医・漢方弁証論治そして科学音楽

Meditation time

アーユルヴェーダとヨガの基本とも言える「Chakra(チャクラ)」の概念と、中医・漢方(中国医学及び日本の漢方医学)における「弁証論治」との間には、多くの共通点と、いくつかの相違点があることは、しばしば語られています。

共通点の中で最も重要と思われることは、「Holistic(全身医療)」であることでしょう。Holisticである以上、局所・対処療法とは、根本的に考え方が異なる訳です。例えば、「口内炎」に関して、西洋化学対処療法は、「ステロイド剤(消炎)と抗生剤(殺菌)」で対処します。「結膜炎」もしかり。いずれも「患部」に直接的に処方します。それに対して、アーユルヴェーダや中医・漢方弁証論治では、何らかの問題が内面的に生じて「熱(体温、発熱とは別次元)」が上昇して口内や結膜に現れるという解釈をします。そして、その根本的な問題の解決を重要と考えるわけです。

もちろん、西洋医学のお医者さんでも、近年驚く程意識を変えられた方は少なくないはずですし、口内炎に対するVitamin療法は、昔から市販薬にあります。

しかし、発熱や下痢に対して「何処かに犯人が居るはずだ」と、抗生剤とステロイド剤という感覚の時代は大分長かったですし、今でもそれが基本というお医者さんも少なくないようです。そして、実際、「効いた!」と思わせる一時的な現象も現れますから、それで良いと思う人も少なくないはず。もちろん私もずっとそうでした。そして、また悪くなればお医者に行けば良いと思って疑わなかったのです。

しかしHolisticから見れば、「また悪くなる」のは当然。「根本原因」をほとんど考えていないからです。

一方、アーユルヴェーダと中医・漢方弁証論治との間で、若干とらえ方が異なるように思えるのが、アーユルヴェーダが、「体質」の個体差によって、治療法(対処法と根治法)を考えるのに対し、中医・漢方弁証論治では、あまり「個体差」を考えないようにも(一見)思えるところでしょう。しかし、中医・漢方弁証論治の「証」を、アーユルヴェーダの「体質=状態」と同じ感覚でとらえれば、さほど異なってはいないとも考えられます。

逆に「健康な状態」というものを、「正常な状態」とし、それはある程度普遍的だろうと考えれば、アーユルヴェーダの言う「体質/個体差」は、普遍的な状態から、幾分何かに偏った状態であるという理解も出来るかも知れません。勿論、生まれながらの動かしがたい体質も確かにありますが。

しかし、ここに重要な問題があるように思います。そもそも「健康な状態」というものが、実はあまりはっきりとは概念化されていないということです。仮に古代に概念化されていたとしても、その時代には想像も出来ない程自然が崩壊し、有害物質に浸されている現代人の場合の「健康な状態」というものを理解するには、古代の叡智をある程度翻訳して理解する必要もあるのではないでしょうか?

保護猫活動をしているので、現代人の有様が「野良猫」と重なってしまいます。(猫がお好きじゃない方には恐縮ですが) 猫が山猫から人間に寄り添う為に猫になってからも数千年は、自由に野外を闊歩し、長閑に暮らしていました。勿論天敵は居たに違いありませんが、自然に囲まれ、本能と叡智が知る有害無害の識別で、健康に天寿を全うしてたのです。同じ様に人間も昔からの知恵で、「加熱してから食べる」とか「灰汁を抜いてから」とか「食べ合わせ」などを配慮しながら生きて来ました。

それが現代になると、猫たちの死因の上位は、昔には無かったような(もしくは極めて少なかった)幾つかの不治の病と交通事故と、虐待(毒餌を含む)。生ゴミ漁りではどんな有害物質があるか分からない。人間には問題なくても猫の体を蝕むものは沢山あります。人間だって、昔はそんなもの食べなかった。猫も葱類や百合科など以外は、人間から貰って食べても平気だった。

昔には無かった不自然な食べ物や環境の中で健康を維持しなくてはならず、飼い猫が病気になれば、昔にはなかった薬や治療法を施される。

この何千年掛けて狂わせて来たものを、突然「猫は自然の中で自由が一番だ!」と家の外に放り出すことが猫の健康に果たして良いことなのか?

同じように、人間も、壮大な過ちの歴史を、順繰りに紐解くように改善して行く必要もあるのではないか? という考え方なのです。

本来生き物には「バランス調整=恒常性」が備わっていますから、「自然治癒」が可能なわけです。「なら医者は要らない」という話になってしまいますが、人間は、何千年何百年の間に、自らを虐め抜く様々な愚行を重ねて来たのでしょう。その結果、何が「健康な状態」か分からないほど、「健康な状態」が害されているのかも知れません。なので、神から授かった「恒常性の力」も、ニュートラルを維持するというよりも、日々過激に変遷する偏りに対処するので精一杯になっているのかも知れません。

もうひとつの重要な課題が、何度も述べて来ました、「意識で実感出来ること(実感)」と「意識で実感出来ないこと(非実感)」の二つの「道」が存在するということです。そして、この二つは、かなり深く関わっているのでしょう。その結果「心因性の疾患」もあれば、「プラセボ効果」のようなことも起きてくるわけです。

しかし、本当に心と体に良いこと、悪いことを理解するためには、意識で実感出来ることばかりで判断してはならないのでは?という考え方です。

例えば、今ここに、古代アーユルヴェーダの音楽療法師が、タイムトラベルして来たとして、私たちが「楽しい、心地よい、癒される」と喜んで聴いている音楽の何かをして「とんでもない!心と体に悪いから直ぐにやめろ!」とおっしゃるかも知れません。

人間に限らず生き物には、まだまだ解明されていない秘められた力があるはずです。そして、おそらく「毒に慣れる」という能力も想到なものに違いありません。古代の人が聴いたら絶えられない音や音楽でも、慣れてしまえば平気ということです。

賛否両論あるかも知れませんが、コロンブスたちがカリブ海に乗り込んだ後、西洋人には平気になっていた細菌やウィルスで、先住民族が壊滅状態になったという話もあります。 何百年もすれば、花粉も全く平気という新人類ばかりになるかも知れません。実際その考え方の治療法も始まっています。

いずれにしても、世の中の流れは「局所・対処療法」から「Holistic/全身医療」に向かっているに違いありません。そして、それは必然的に「予防医療」な訳です。

しかし、現代人が持つ「毒に対する順応性」の要素や、その結果鈍ってしまった(処方に反応する)感受性のことも、これからはもっと考えてゆかねばならない時代になるのではないでしょうか。勿論、心や体のより深い領域の基本は変わらないはずです。故に、あくまでも表層的、対処療法的な領域においてのことかも知れませんが。

(文章:若林 忠宏

‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥
若林忠宏氏によるオリジナル・ヨーガミュージック製作(デモ音源申込み)
‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥…‥