88、ヒンドゥー献身歌 Bhajanの現代と未来

写真は、インドの首都デリーの「ビルラ寺院」に於けるヒンドゥー讃歌「Bhajan」の演奏風景です。「ビルラ」は、「タタ、リライアンス」と並ぶ「インド三巨大財閥」のひとつで、タタ財閥は、7世紀にアラブ・イスラームがペルシアを併合した際、西インドに逃れて来たゾロアスター教徒(パルスィー)が起源ですが、ビルラは、中世にインドのほぼ全域がイスラム帝国に支配された際も、ヒンドゥー藩王国として存在し続けた西インド(今日のラージャスターン地方)の、文武両道に長けたマールワール族の財団です。

マハトマ・ガンディーを支援したことでも知られますが、私にとって馴染み深いのは、このヒンドゥー寺院の他に、インドで最も世話になり、最も不安を味合わされた国産車「アンバサダー」の製造メーカー「ヒンドスタン・モータース」の創始者であることです。

写真のこの時私は,今でも我ながら吹き出してしまう失態を演じました。

まず、写真からだけでも様々なことが確認出来ます。
第一に、主唱者は、近代的な鍵盤楽器「ハルモニヤム」を弾き語りしています。しかし、この習慣は、かれこれ80年90年経ていますから、最早「モダン」とは言えないかも知れません。
第二に、主唱者は、聴衆の方に向かって歌っています。実は、主唱者の背後に「神棚」があるのですが、主唱者は「神棚」に背を向けている訳です。
第三に、手前左に座っているのが、伴奏太鼓タブラの演奏者ですが、彼は主唱者より「一段低い位置」を強いられただけでなく、主唱者に対しても、「神棚」に対しても聴衆に対しても真横を向いて座って演奏しています。これはインド以外の国の人間にとっては極めて奇異な様子に違いありません。

太鼓奏者が、このような身分階級のしきたりを厳しく受けるのは、「獣皮に触る」からですが、私のタブラの師匠の中には、バラモンなのにタブラ奏者という人も居ます。勿論それは例外中の例外ですが、完全に許されないことでもないのです。しかし、普通は、長い歴史の習慣上、写真のような形を取るのが一般的なのです。

「後になっては笑える」私の恥ずかしい失態とは、
一曲聴き終わったところで、「いいぞ!」の掛け声と共に、拍手をしてしまったことです。
聴衆は、全員私を驚いた表情で見て、そして、「くすくす」と笑っていました。
「ああ、日本人か!」「知らないんだから仕方が無いね」だったのでしょう。

その直後、誰に教わるともなく、私は事態を理解しました。
「Bhajan」は、神々への讃歌の一形態ですから、「神々に向かって歌う」のであり、「聴衆」は、実は「聴衆」ということでもなく、主唱者の歌を聴くといく形で「業」を行っている「祈祷者」なのです。

そして、もし「拍手をする者が居るとしたら」「それは神々に他ならない」ということなのです。

これは世界各国の「国家斉唱」と似ています。全員がしっかり声を出して歌わずとも、その場で、直立し、真摯に経験な心持ちでたたずむだけで、充分参加していることになります。
なので、「Bhajan」の演奏も、アメリカのゴスペルのように一緒に歌わずとも、「祈祷に参加している」ということになるのです。

尤も、インドの地方の祭り歌では、ゴスペル同様にリーダーと村人の「Call & Responce」の掛け合いが繰り広げられる場合もあります。また、「Bhajan」同様の「神々への讃歌」の一形態である「Kirtan」は、主唱者の他に、伴唱者が数名ステージに上がって掛け合いや合唱をします。が、やはり聴衆は歌いません。

これは、日本の仏教儀礼と似ています。供養等で僧侶に来て貰ってお経を唱えて貰う時、いい加減なお坊さんよりも親族身内の素人(しかsぢ熱心な信者)の方が「読経」が上手くても、そこでしゃしゃり出ることはないでしょう。

なので「Bhajan」では、聴衆は歌わないし、掛け声も掛けないし、拍手もしないのです。

では主唱者は、何故「神棚」に背を向けるのか? 「神々」に対して歌うのならば、聴衆に背を向けて「神棚」に向かって鵜経つべきでしょう。

これがインド文化の面白いところで、「相反する異なる理由(道理)」が存在すると、矛盾おかまい無しに習合させてしまうのです。
主唱者が「神棚」偽を向けて聴衆に向かって歌うのは、「Bhajan」の別な性格「口説/説教節」の所為です。

つまり、「Bhajan」は、まだ入信していない庶民や、入信したての信者。長年の信者でも日々の社会的なしがらみに心を疲れさせ、初心に返りたいなどの時にうってつけの、「分かり易く信仰のあるべき姿や、神々の恩恵について説く」歌なのです。

なので、恐らく「Bhajan」の前には、「神棚」に向かっての「祈祷歌」や「讃歌」も歌われたのでしょう。その後、場を清め、神々の許しを得て、聴衆(祈祷参加者)の方を向いて「Bhajan」や「Kirtan」が歌われる訳です。

広義の意味では「Bhajanの一種」とも言えなくもないユニークなジャンルが、ベンガル地方独特の「音楽宗教」とも言える「Baul」の歌と演奏です。

「Baul」のルーツは、西インド~パキスタンの中世イスラム系神秘主義の一派で、系列の派では、「Qawwali」などの「大合唱団」が知られるように、数或る神秘主義(Sufiと総称される)の中でも音曲をむしろ重用する宗派です。
それが、ベンガル地方に伝わった際に、「Kirtan」や「Bhjan」などの影響も受けて、むしろ「歌と演奏」が「主たる業」となったのです。

教義は極めてユニークで、「一神教で、偶像崇拝は認めないが、輪廻転生を信じる」もので、「財産の所有」を厳しく禁じ、所謂「社会的行為」を否定します。しかし、野に下って庶民にまみれることを重要と考えますから「在野の出家者」のような不思議な存在です。

更に、「財産所有の禁止」の他に、それと同源同系の「契約の禁止」がありますから、「結婚」を認めません。しかし「神が男女を作りたもうたならば、男女で暮らし、子を儲けるべきである」となって、家族は存在します。しかし、基本的に「家を持つ」ことは「契約」が絡みますし「財産」ですから、ホームレスであるべきとなります。

そして、最も重要な「業」であると共に、最も「不可解な」点が、その歌こそは「Baulの教えを広める為の宣教歌」なのですが、殆どの場合、その歌詞は普通に聞こえてしまい、その真の意味は庶民には理解されていないのです。

私が20歳代から歌って来た曲は、古典音楽のラーガ(旋法)を用いていたので、「良い教材だ」という意味でレパートリーに加えたものでしたが、後に「Baulの教祖Lalon Shah Faqir」の作品でした。そう教われば、確かに3~4番目の歌詞に「Faqir Lalon」と歌い込まれています。この雅号を歌詞に埋め込むのも、「Bhajan」と同じ「しきたり」ですが、非宗教的なアラブ式叙情詩「Ghazal」も同じなので、時代の慣習と思われます。

ところが、最初のベンガル人出稼ぎ労働者の「歌詞の師匠」に歌詞を聞き取ってもらい、私の発音をチェックして貰ってライブで五六年歌った頃、ライブにベンガル人留学生が来て「凄い曲を知っているんだね!驚いた!」「しかし、勿論歌の意味は知っているんだろう?」と語って来ましたので、最初の師匠に教わった通りに言えば、大層呆れられてしまいました。

私は、単語の訳のままだと思っていたのです。要約すると、「鳥籠の中の小鳥はどのように出入りするのだろう?と思っていたら或る日小鳥は逃げてしまい二度と返って来なかった、と修行僧ラロンは何ながら歌うのであった」
確かに意味が分かる様で分からないとは思っていました。

留学生は、呆れながらも「駕篭=人間の体」「小鳥=魂/命」「逃げた=魂が肉体を離れた」であり、「鳥籠やその中の巣作りに励むj人間は多いが、誰しもいずれは死んでしまうのだ」「重要なのは、魂の品格ではなかろうか」というテーマだというのです。しかし初めの師匠はそんなコメントはくれませんでした。即ち、「布教活動の歌」で在ると言っても、効いている人の殆どがその「裏の意味/真の意味」を理解していない可能性が高いのです。

別な歌では「何処に行ったのチャイタニア!私は貴方無しでは生きていられない」というありきたりの恋歌としか聴かれないだろうというものもあります。「Chaitaniya」は、ベンガルでは珍しい名前ではありませんが、中世に「Kirtan」を創始した聖者の名でもあり、「純粋意識」のことでもあります。そこで分かるように、「「Baul」は、「Sufi」と「Hindu」の共通項の上に成り立っているとも言えますし、「Sufiの教えをHInduで翻訳した」とも言えます。

しかし、やはり庶民の殆どはその「真意」を理解していないのです。「不思議」と言えば「不思議」、「奥義」と言えば「奥義」ですが、少なくとも「合理的、結果論、現実論」とは全く逆の価値観です。

「Bhajan」は、「Baul」ほどではありませんが、神々の名をそのまま歌わない「諱」が特徴ですから、それに関しては事前に知識が不可欠です。また、その「諱」に使われる「別名」にはエピソードが必ずついていますから、それも知らないと全体的には通じていないということになります。

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(文章:若林 忠宏

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87、インド科学音楽の将来: 樹を見て森を観ない「変質しつつある東洋医学」(1)

「着かず離れず」によって生きている
「太陽」が「恒星」と呼ばれる所以は、圧倒的な質量によって、惑星を引付けており、その結果、「惑星」からみれば「動いていない」ように見える。少なくとも、「惑星」のように「恒星」の回りを「着かず離れず」周回しているようには見えないからに他なりません。つまり「太陽系」という次元・領域に於いては、「太陽」の存在は絶対的に格が違うのです。

その「太陽の子たち」とも言える「惑星」は、「離れたいけれど離れられない」「寄り添いたいけれど寄りそえない」という「拮抗する力」によって「生き永らえている」と言っても間違いない筈です。何故ならば、太陽への求心力よりも遠心力が増せば、「惑星」は軌道を逸脱し飛び出してしまい、止めども無く宇宙を彷徨うことになるからです。「全ての生命体」は離脱の数秒後には全死滅してしまうでしょう。逆に「遠心力が求心力に負けて太陽に引付けられる」とやはり数分後(?)には、惑星上の全ての存在が焼けてしまい、やがて太陽に激突して吸収され・トしまうでしょう。

即ち、「地球」を含む全ての「惑星」は、「求心力と遠心力=収束(収斂)と拡散(離散)」の力の「拮抗(対峙)のバランス」の上に成立っているのです。あらゆる生命体の体の中身が「相反し対峙する要素の拮抗のバランスによって保たれている」という「最大原則」もまた、そもそもこの「地球という惑星の存在維持の摂理」と無関係ではない筈です。

同様に、私達人間が「集団(群れ)」に依存して生きながらも、「独立心やエゴ」というものを自覚し、許されなければ生きて行けないという「矛盾」もまた、「相反する二元の原理」の賜物とこじつけることも可能かも知れません。少なくともその姿を単純(素直)に見れば、「太陽と地球の関係」と同じです。「親や兄弟、家族と自己・自我」の関係もまた同様と言えるでしょう。

従って、現代人の多く(半数?)が、「自由気まま」「束縛からの自由、閉塞感からの解放」ばかりを願うという傾向は「遠心力(発散・離散)」の方向に偏っており、「恒常性バランス」の面では「病的」であるということが出来るのです。

逆に、残りの半数(?)は「正しいのか?」と言うと、その殆どには、様々な依存が見られます。「親の子依存(過保護・過干渉)、子の親依存や共依存」「ペット依存」「仕事(ワーカー)、薬物、アルコール、ギャンブル、SEX、物欲、支配欲、権利欲、名誉、自尊心、アイデンティティー、宗教、思想、観念、常識」などの他、重度軽度を問わず様々な「依存」は、ある意味「無意識に求心力を求めた結果」とも言え、「そうやって自分を留め置きてやっと、自分の存在を確かめ安心する」という、或る種の「本能的な欲求」とも言える訳です。

しかし、ここには私達の「心と体を蝕む、幾つかの大きな問題」が横たわっています。上記の話しを単純に鵜呑みにすれば「なるほど本能か!ならば私のこのもどかしい想いも自然体ということだな」と安心してしまうかも知れませんが、そこには幾つかの落とし穴や考え落ちが存在します。

「精神的には、既に宇宙の彼方で死滅している」もしくは、逆に「何かにしがみついて辛うじて生きている」のどちらにしても「不自然で病的な、しかし圧倒的多数の現代人」の「姿」であるとして、それを作り出した「要因」の最たるもののひとつは、「宇宙→地球→個々(自己)→数十兆の細胞や細菌」という「連鎖的、リンク的な共通構造の概念」が生み出す筈の「より正しい連帯・共存観」というものが「頭(知識や理解)では分かっては居ても、実感(や感情や心)では分かっていない」ということに尽きます。

「樹を見て森を観ず」は「良くない」と言うけれど
古代インドの叡智が仏教として東斬し、中国で漢字を得て日本に伝わったもののひとつ「森羅万象」という言葉は、奇しくも「森」という言葉を用いており、それは「実際の森のようでもある」と共に「そもそも『森』とは、様々な種類が共存する世界を意味する言葉なのだ」とも言えますので、「宇宙の森、地球の森、生命体の体という森」という理解が出来る筈です。

また、この「森」は、「一本の樹木の枝葉」に見ることも出来、その方が、古代インド「Vedaの科学」の「二元が一元に至る」ことに近い比喩とも言えます。何故ならば「樹木」の多く(殆ど?全て?)は、「二手の枝葉」に別れて成長すると共に、拡散・拡大して行きますが、大元の「幹」は「一元的」です。

19世紀の末のインドの聖人ラーマ・クリシュナ氏の高弟のひとり、ヴィヴェカナンダ氏が、師の教えを充実させた「ヴェーダの普遍的な論理性への回帰(再評価)」は、その後インドの或る種の「右翼的・保守・保護主義者」「ヒンドゥー至上主義者」たちによって、かなり歪められた「一元論」として、「思考停止した神秘性」と「逃避願望によって裏付けられた解脱と梵我一如思想」に変形されてしまった感が拭えませんが、ヴィヴェカナンダ氏の思想の根幹にあったものは「論理は宗教とは対立しない。むしろ宗教を正しく理解するために不可欠である」というものでした。

ヴィヴェカナンダ氏は、当時乱立した様々なヒンドゥー思想や,復興ヴェーダ学派、ヨガ学派の対立と争いを終わらせるべく、その全てを深く学び理解し尊重しつつ、「インド・ヒンドゥー・ヴェーダ文化とそのそ伝統と叡智」を総体化させることに努めました。

それは正に「ヴェーダ」という一本の「幹」から別れ出た「様々な枝葉」の全てを愛でる意識であり、「薪のように、単純に枝葉を束ねる」といった「全体主義やグローバリズム」とは全く次元が異なります。そして、そこには「相反するものの対峙によって全ての生命が維持される」という「恒常性の基本」に則った「自然の摂理」を重んじる「二元論」が確かに存在した上での「大元はひとつの幹」としての「一元論」を説いたものでした。

つまり「誰よりも幹こそは、枝葉の存在を認め愛で」「誰よりも枝葉こそは、その一本の幹を認め愛でる」という有り様です。彼のこの真意が正確に伝わり広まっておれば、長年の「二元論と一元論の対立」は言う迄もなく、「様々な学派の対立」も、ヒンドゥーの領域を越えた「民族、宗教対立」もまた、安直で短絡的な方向には進まなかった筈です。しかし実際のインドでは、アメリカの「トランプ政権」の十年も前に、ヒンドゥー至上主義・右翼・保護主義が台頭しています。

「言葉の上」だけの「森羅万象」
「宗教・思想・哲学」のみならず、「政治・社会」から「庶民生活」に至る、これらの全ての問題の元凶はいずれも、現代人の「森(一本の樹)」を「頭(知識)で分かっていても、感情・心では実感していない」ことに尽きます。

私事で恐縮ですが、例えば先日のことです。十数年前にお教えした生徒さんと久しぶりにメッセージのやりとりをしたのですが、近況報告と共に最近取り組んでおられるとても良いお仕事の話しを伺い、この十年の成長振りをお褒めしたのです。ところが、ひとつ大きな問題が変化していないことを見逃すことが出来ませんでした。それは「個人・個々の感性・価値観の違い」についてでした。

まず、極めて多くの人(受講生のみならず友人知人も含め)が、私という一人の人間が言うことは「一人の者の意見=個人の意見」としか考えない傾向が強いということです。そのような傾向の中で「森羅万象」を説いても、「樹を見てばかりで森を観ないのでは、分からない」と説いても「個人の意見」で終わりにされてしまうのです。

そして、もうひとつの問題。これこそは今の世の中、インド、日本を問わず世界的な大小の問題の根源かも知れないと思うのですが。「横の関係性」ばかりを考え(大事に考えたり、気にしたり、気に病んだり)替わりに「縦の関係性」は、ほとんど考えないし、感じることが出来ていないという問題です。

勿論、ここ(インド科学音楽=Vedaの叡智)で言う「縦の関係性」は、近現代社会の「縦の関係」とは全く無関係のものです。

この「縦」とは、「樹木の根っこ→一本の幹→太枝→中枝→枝葉」のことであり、上記しましたように、これは「宇宙→地球→生命体→生命体の体内」とも通じる(転化出来る)ものです。

その十年前の生徒さんは「例えば、私は先生のようには猫を愛せない」と言う例えをおっしゃいましたが、仮に「私は犬派だ!」だとか「人間とペットは違う!」という「個人の異なり」もまた「枝葉の違い」に過ぎないのですが、一段大元に戻って「命という太枝」に立ち返れば、その違いは無い筈なのです。

そもそも、同じ人間がインド音楽、トルコ音楽、アラブ音楽どころか東欧,アフリカ、キューバ、メキシコ音楽も演ること自体「違いが分かっていなくて出来るのか?」と言える筈ではないでしょうか。 敢えて「偉そうで感じ悪い言い方」をするならば、「その意味では非常識な程に非凡で希少な『この私が、まるで個性(個々の違い)を理解しようとしない』と誤解したり思い込むことなどあり得ないのではないか?」と申し上げたいとさえ思った次第です。

尤も、民族音楽ファンやマニアや、第三世界文化に関心の高い人々の多くもまた、私に対するこの誤解を強く抱いているようで、国際交流基金のイベントでアラブ音楽のレクチャー&コンサートをした時、終演後,多くのお客さんがステージに来てくれて嬉しい感想を下さいました。その中で、或る方がとても正直に「一人で数百の楽器や音楽を演るなんて、広く浅くどころか、皆若林流(つまり全てインチキ)なんじゃないか?と思ってましたが違いました。全くのアラブ音楽で感心しました。」と言って下さったのです。

この話しは、自尊心からの自己賛美では毛頭なく、如何に現代の人々が「横の関係性に偏ってこだわり,縦の感覚が分からなくなっているか!」というテーマに他なりません。失礼ながら「ひとつにこだわらないこと」の意味や価値が分かりにくいとお感じになったとしたら、その傾向(危険性)が少なくないかも知れません。

奇しくも、十年ぶりの生徒さんは、アラブ留学体験者さんで、十年前、私のアラブ音楽は「本物だ。アラブの土と風を思い出す」というようなことを言ってくれた人です。つまり「○○の専門」は「枝葉にこだわる」ばかりで、実はその「○○」自体も良く分かっていない場合が少なくない、ということです。

実際、昔の日本の三味線各流派の師匠たちは、見込みのある弟子には、一時期意図的に外に出して、他流(他の枝葉)も学ばせたものです。それも良い考えですが、一人の人間が、「他の枝葉も」とやるのは大変な労力と時間が必要です。私の場合は中学生からでしたから47年掛かっています。しかし,意識を「縦=一本の幹→大地→世界→地球→意識」という風に持って行くことが出来れば、全ての「枝葉」を実体験せずとも「一を聞いて十を知る」的な「共感感覚」というものが育ってくるものです。

図について
私が作図致しました今回の図は、中央の三分割された円が、アーユルヴェーダ・ファンに有名な「Tri-Dosha」という「三っつの体質」で、外側が、「万物の五元素(Bhuta、及び生命体の基本構造:Dhatu)」です。ご覧のように、「Kapha」は、「Prithvi(Bhumi/土、大地)」と「Jala(Apa/水、川・海)」との「1.5要素」、「Pitta」は、「Agni(Terjas/火)」と「Jala」の「1.5要素」で、「Vata」は、「Vayu(風)」と「Akash(空/空間)」の「2要素」を有するなどで対応しています。

即ち、「Tri-Dosha」は、生命体の存在と維持に不可欠な要素なのですが、近年の日本のアーユルヴェーダでは、「Pitta(Vata、Kapha)の亢進が○○の不調の元凶」と、極端な場合「まるで元凶(仇)のような扱い」で説き、「貴方は、そうなり易い体質」と決めつける傾向にあります。が、これは「遠からずとも当たらず」。もしくは或る意味「大きな危険を含む誤解を招く表現・解釈」と言えます。勿論「Dosha」という語の字義の所為もありますが、解釈は異なってしかるべきです。 言い換えれば、これもまた「樹を見て森を観ない傾向」によるところが大であると言わざるを得ません。 (Doshaについて詳しくは、後日この連載で述べます)

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(文章:若林 忠宏

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86、インドの民衆音楽の現代と未来

インドの民衆音楽、民俗音楽、所謂「民謡」の類いは、私達日本人には計り知れないバリエーションがあります。まず、インド紙幣には17もの文字で金額が書かれており、同じ文字を用いても、例えばヒンディー文字圏でも、方言のレベルを越えているのでは?と思わされる程の異なりを感じます。

イギリス人宣教師が書いた、世界で初レベルのインド音楽研究誌には、「驚いたことに、インドでは100マイルも行くと言語も音楽(この場合は民謡に限定されていると思われる)も全く変わってしまうのだ」とあります。日本に置き換えると、東京から静岡に至った段階で、言語も音楽も変わってしまう、ということです。

勿論、「科学音楽」の後継である「古典音楽」は、民族の壁を越えており、その様は、ヨーロッパ中でイタリア人バッハの曲、ポーランド人ショパンの曲が演奏されることと同様です。北インド古典音楽は、ネパール、パキスタン、バングラデシの他、スリランカでも演奏されています。

また、日本でも「民謡」や「郷土料理」は、それこそ100マイル、県単位、地方単位で変わりますから当然かも知れませんが、「言語も民族も変わる」となると流石に実感が湧かないのではないでしょうか。これは多民族国家では、当たり前のことのようです。

1970年代の末、私が初めて在日インド人会のパーティーに呼ばれて演奏した際、驚く程褒めて頂いた後の歓談で、今からすれば恥ずかしい不勉強振りを呈したことがあります。愚かにも「皆さんヒンズー教徒なんですか?」と訊いたのです。
優しいインド人は、「何だい? ヒンズーって?」と言いつつ「もしヒンドゥーのことならば、答えはYESだ」「だが、もしヒンディーのことならば、答えはNOだ」
「この夫婦なんか、かみさんがヒンディーで語りかけると、旦那はウルドゥーで答えているさ」と丁寧に教えてくれました。

ご夫婦の旦那さんは、デリー生まれ育ちなので、ヒンドゥー教徒ですがウルドゥー語に染まっていたのでした。なので、地域民謡があまりなく、慣れ親しんだ非古典音楽は、ヒンドゥー讃歌「Bhajan」の他は、「Qawwali」や「Ghazal」と、何れもイスラム文化圏の音楽でした。

同様なことはパキスタンでも同じでした。在日パキスタン人が300人程集まった「建国記念日」のイベントで演奏を頼まれた際、冒頭の数曲は、最前列から殆どの聴衆が、「やんや」の喝采を送ってくれました。ところが、その後、南東部「Sindh」の民謡を演ったとたん、さっき迄「笑顔と喝采」だった大多数が、「笑顔」だけになって、手拍子も掛け声も無し。ところが、気付けば、最後尾の4~5人程が、席を立って会場の真後ろで無我夢中で踊っているのです。聴衆の2%ほどがSindh族だったことが歴然と分かりました。Balouchの曲は、中程右側のたった二人。そして後半、Punjab曲のメドレーともなると、会場は怒濤のごとく盛り上がりました。

冒頭の曲は、ウルドゥー語でしたが,その数倍の興奮度でした。

日本でも、地方の祭りや民謡となると、ネットの時代であろうとも、古式のままに演奏されます。最も流行に流され易い日本人ですから、「神輿の掛け声」は、一時全国で「せいや!」になったこともありましたが。

ところが、伝統に対して厳しい私の邦楽の師匠のひとりは、「1970年代に日本の民謡は死んだ」とさえおっしゃいます。その根拠が、「尺八の穴の位置が、全国でほぼ統一されてしまったからだ」とのことです。尺八で民謡を伴奏するようになったのは、明治初期に「普化宗」が廃止になり、尺八が民間に自由に用いられるようになってからですが、全国各地で、固有の「音感」に合わせて、穴の位置が異なっていたのです。
ところが1970年代にNHKの民謡番組が大流行し、各地から足代程度でアマチュア名人を呼び寄せていた頃に、番組専属の尺八奏者が、「俺が全部伴奏してやる」と言い出したとかで、局も、「歌い手ひとり呼べば良くなる」と簡単にそれを認めた結果、音程が揃ってしまったということらしいのです。歌い手さんも、アマチュアですから、「何だか音程がやりにくい」と思いつつも、相手はプロ演奏者。文句も言わずに謳っている内に、数百年続いた音程を忘れてしまった、ということなのです。

このレベルで見れば、確かに日本の民謡も大きく変化しているかも知れません。が、津軽三味線のコンテスト優勝者が、ジャズやロックとコラボしようとも、コンテストでは古曲で勝負していますから、優勝後の音楽活動はともあれ、伝統伝承曲の本懐自体には、そうそう「洋楽」が入り込む余地はないのだろうと楽観しています。

勿論、これには西洋音楽の「和声」が東洋音楽には不必要であることも大きなバリアーになっているに違いありません。例えば、国の三分の一から半分は「インド古典音楽圏」と言うことが出来るアフガニスタンでは、1990年代に入ってようやく「ギターにコード進行が登場」しましたが、1980年代にアフガン人の兄貴分から頂いた貴重な国営放送のVTRを観て仰天しましたのは、「ドラム・ベース・ギター」のロックバンド編成なのに、コード進行をしないのです。コード進行の為にこそあるベーズは、ずっと同じ音を刻んでいました。しかも、「リバーブ/ディ・激C・マシーン」といった音をズラして反復させる残響音効果が「よくあれでリズムが取れるものだ」という程、異常なまでに大きく掛けられていて、「これぞモダン・サウンドだ!」とばかりに演奏していました。しかし、ギターが演っていたことは、伝統民族弦楽器のそれに他なりませんでした。同じことは、タイ東北地方「イサーン」の伝統民謡「モーラム(掛け合い演歌)」や「プータイ舞踊」でも観られます、

同じ頃私は、意図的にアフガン伝統音楽や新民謡に「コード付け」を試みたことがありますが、ジャズの代理コードを駆使しても極めて難しいものでした。結果にはかなり満足していますが、決して「新しい音楽」にはなりませんでした。むしろ伝統曲の真髄が引き立ったかも知れません。もしこれが多くの人々に認められるならば、「コード進行(和声学)の無い東洋伝統音楽」の本筋は、コード進行を付けても、洋楽器を加えても「壊れない」ということです。恐らくこれは、日本の伝統邦楽の江戸時代の名曲でも同じであろうと思われます。

そして、とうとうアフガニスタンでも一般的になりつつある「コード進行のあるモダン・ポップス」の場合は、初めから「洋楽」として作られています。

このことを、野菜や鶏卵に喩えるならば、幾らポリ容器に入れようが、容器の中で育てて「真直ぐな胡瓜」を作ろうが、胡瓜、鶏卵自体は昔と変わらないということです。勿論、「化学肥料」や「抗生剤、化学栄養剤」を添加しているかも知れませんが、「生卵」を割ったら、既に醤油味やカレー味が添加されていた、というところには至っていません。。

写真は、比較的近年のインド北部のヒマチャル・プラデーシの祭りの楽団です。二人が叩く、比較的「浅胴」の両面太鼓は、中世初期に西アジアから伝わったものであろうと考えられますが、「S字」に湾曲した大型のトランペット「ナラシンガ」は、数千年前から存在する「蛇」を模した古楽器です。

その他、You-Tubeなどで多くの実例を観ても、伝統民族太鼓の「ヘッド(鼓面)」がプラスティックやファイバーに変わろうとも。演奏法に「ウケが良い」古典太鼓「タブラー」の奏法を取り入れようとも、基本的な大部分は、数千年継承されて来た伝統と替わりが認められませんでした。

「より難しい伝統技法」は大分廃れたかも知れないことを考えると、いささか楽観かも知れませんが、「インド(亜大陸)の民衆音楽」の伝統は、まだまだそう易々とは滅びないような気がします。逆に恐れるのが、昨今世界的に台頭している「民族主義・保護主義・排他主義」の思想やムード、そして政治に、それらが利用されることです。

中国人チェリストのヨーヨー・マ氏が、イスラム教の一派の財閥のスポンサーを得て1990年代末に行った「旧ソ連とイランなどの民族音楽紹介プロジェクト」の音楽監督に音楽之友社の依頼でインタビューをしたことがありますが、監督曰く、「民主化となった今後がむしろソ連時代より伝統に危機的なダメージを与えるだろう」と言っていました。事実、それから十年も経たない内に、例えばアゼルバイジャン伝統民族音楽の場合、「12曲の内、ウケる半数しか演らない」「その一曲の5楽章の内、ウケる部分しか演らない」ということが平然と行われるようにな・閧ワした。

音楽関係者も世界のリスナーも、その「部分」の「伝統技法とその超絶のテクニック蚤毎さ」に充分過ぎる程満足していますから、「間引きされた伝統」についての危惧・懸念・危機感を抱きようがないのです。
そこに、何らかの思想・政治・宗教活動の恣意による利用が加われば、「小手先とムード」ばかりが「伝統的」であっても、その「精神性」は、大巾に退化している筈です。さすれば、その「音」も、初めは感動しても、やがて、その「奥深さや厚み」に欠けることが分かるかも知れません。しかし、現代は、あらゆる事柄に、そのような「深みや精神性」を求めず「分かり易く、現状や自分を肯定してくれるものばかり」を求める方向性に大きく偏っているとも思われますから「分かる人」も激減して行くのかも知れません。

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(文章:若林 忠宏

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若林忠宏氏によるオリジナル・ヨーガミュージック製作(デモ音源申込み)
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85、宇宙→地球→生命体 (森羅万象との繋がり)

そもそも宇宙は「果てしなく無限」でありますから、宇宙には一体どれほどの天体があり、未だ解明されていない物質が、果たしてどのように存在し飛び交っているのでしょうか?  私達が属する「銀河系」だけでも、約二千億もの「恒星」が存在すると言われますから気が遠くなる世界です。

そして、「無数に在るだろう○○系」のひとつに過ぎない「銀河系」の中の、そのまた約二千億のひとつに過ぎない「太陽系」の十数個(今現在も確定していない)の惑星・準惑星のひとつに過ぎない「地球」には、動物だけで約137万種。確認されただけも870万種の生物が共存していると言われます。

一方、私達人間及び様々な生命体の体内には、無数とも思える細胞と、善し悪し日和見、様々な細菌が共棲・共存しています。人間の場合、細胞の数は、37兆と言われ、腸内細菌だけでも40兆とも言われます。

もし私達人間ひとりひとりが、この「宇宙→地球→生命体→細胞や細菌」という感覚を実感出来たならば。もし私達人間ひとりひとりが、自分を「870万種の生物のひとつ」であり、「早いものでは数ヶ月で死んで入れ替わる37兆の細胞や40兆の細菌のひとつ」であることを「擬似的」であっても「共感」することが出来たならば。

「870万種の生物のひとつ」にしては、「随分身勝手で自分本位で我が儘だ」と考えられ、「37兆の細胞のひとつ」にしては、「随分と恵まれており、面白い学びや楽しい文化が溢れていて幸せな人生だ」と考え、「なのに、今迄は『虐められて悲しい』だとか、『虐めて気分爽快』だとか、『誰々が好きだ嫌いだ』『食べ物の好き嫌い』など『どうでも良いこと』で頭や気持ちが一杯になっていたものだ」などなどと思えるのではないでしょうか?

もし私達人間ひとりひとりが、このようなこと(感覚やテーマ)を本気で、真剣に本当に感じて考えられるのであるならば。世の中はあっと言う間に大きく変わる筈です。

果たして、これは「理想論」「机上の理論」「夢想論」でしょうか?

ここで一旦、「先の問い掛けの答え」は置いておき、逆に「もし私達人間ひとりひとりが、この「宇宙規模・地球の生物・生命体の細胞単位の連帯感と共存感」を「抱けない・抱かない・抱きたくない」場合とは? 果たしてどのようなものか?を考えてみる必要があります。

このどちらかの作業。つまり「連帯・共存感を抱く」「抱かない」を真剣にスィミュレートするかしないか? そして、この「連帯・共感力(仮称)」があるか無いか? で、インド科学音楽は勿論、アーユルヴェーダ、ヨガ、瞑想の理解と実践の全てが大きく変わって来ることは紛れもないことなのです。それどころか、一人一人の人間の「人間力・生命力・思考力・発想力」の全てが変化し、当然のごとく、臓器や細胞の活性も大きく変わって来るに違いないのです。

まず、「逆の検証」をしてみて下さい。例えば「銀河系」の中の「一惑星」の生物としての我々人間は、SFの「エイリアン(やインベーダー)」のように、「グロテスクで残酷で身勝手」で、「他の惑星を占領し、そこの生物を殲滅せんとしている」のでしょうか? 幸いにして、その答えは「No!」です。しかし「グロテスク」であるかどうか? は、「地球の生物の審美眼」では計れません。それどころか、同じ地球の生き物でも、海老、蟹や蛸、イカから見れば「人間は、手足が四本でグロテスク」かも知れません。

では、同じ「地球上の生物」としてはどうでしょうか? 都市部の同じエリアのたかだか50年前の航空写真と今日を見比べれば、その「自然の森や野原」の面積はとんでもない程に縮小しています。

しかし、ここに大きな「落とし穴」的な「免罪符」があります。それは「悪気は無い」というやつです。「別に憎くて樹木や草木や川の生き物を殺したり、行き場を奪った訳ではない」「私達人間が生きる上で仕方が無かったのだ」という台詞です。

しかし、その「新旧二枚の航空写真」を私達一人一人の「脳(や腎臓、肝臓)のMRI画像だと,真剣に本気で本当にスィミュレーション出来たならば。足下がぐら付き、冷や汗が出、目眩がするほどに驚愕し,恐れ、絶望的に感じるに違いありません。

そして、「このような状態にした原因(犯人)は何なんなのだ!」というテーマに至ったとして。「犯人は○○という細菌、ウィルス、悪性細胞、悪玉菌、有害物質である」と言う答えが返って来たとして、私達人間のひとりひとりは、一体何をどう感じるでしょうか?

そして、その「○○」が「人間という種族である」と判明した時にもまた。「生きるために仕方がなかった」と思えるのかどうか? そう思えるのであれば「細菌、ウィルス、癌細胞、悪玉菌、有害物質、害虫、害鳥、害獣」にも同じことが思えるのか?

もし「思えた」場合、その人の「人間力・生命力・思考力・発想力」の全ては、「かなりに健全で豊かである」と言うことが出来る筈です。そして、もし「思えない」場合、は、「細菌、ウィルス、癌細胞、悪玉菌、有害物質、害虫、害鳥、害獣」に「より近い」と言わざるを得ない筈です。

しかし、この課題は、そんな単純な話しではありません。

ここには、「ふたつの大きなテーマ」が存在します。ひとつは、この「人間力と連帯・共感力(地球・宇宙を感じる力)が豊かであること」と、「豊かでなく、有害生物にほぼ近いこと」の違いは「人間社会」とその「規範(モラル、マナー、思いやり、慈しみ)」の物差しでは「問われない」ということです。

それどころか、むしろ「自然保護や動物保護・愛護」に真剣な人々を、「偽善者」「理想論者」と揶揄する感覚の人々の方がやや多数であることも恐らく事実です。また、そういった「正しい行為」をしている筈の人々の中にもまた、「正しい行為=自分は正しい人間」という「思考回路」に「依存(執着、ハマっている)」している場合も決して少なくないこともまた事実かも知れません。

そして、もうひとつは、「現代社会の規範や感覚」を必ずしも投影してはいない筈の、古代インドの叡智である「アーユルヴェーダ、ヨガ、瞑想、科学音楽」に対し、深い憧憬の念を抱き,強い関心、探究心を抱くことにもまた。この「連帯・共感力⇔自分本位な有害生物性」のテーマや「力」が殆ど「問われない」ということです。

つまり、「自然保護を真剣に考えようが考えまいが」「動物愛護で行動しようがしまいが」「インド科学音楽を真剣に学ぼうが学ぶまいが」「ヴェーダの叡智を知りたいと思おうが思うまいが」いずれの場合も、「現代社会人の感覚」というスタンスから考え語られているということであり、そこでは「普遍的なより純粋な意識(や価値観)」は「問われない」ということなのです。

この原稿を書いている今日。アメリカの「トランプ大統領」のみならず、「フランス大統領選挙」でさえも、「移民排斥、自国と自国民族第一」という「極端な保守主義」の風潮が吹き荒れています。ただ、間違ってもここで私はそれらを批判する意図も、「間違っている」という意味合いも一切持っていません。

何故ならば。この「宇宙~地球~生命体~細胞」で言う「連帯・共感力」とは、単なる「人間という同種族間のもの」ではないからであり、その基本は「常に置き換えて考えることが出来る連帯・共感力」であるべきだからです。

その意味に於いては「外国人労働者」が「我が国の伝統的な文化・風俗・風習や感性を重んじず(郷に入っても郷に従わない),自分たちの感覚と流儀を押し通そうとし、それどころか我々の職場や環境(住居や公共の場)を奪わんとしている」と考え、更には「外来の細菌、ウィルス、悪玉菌、有害物質」を体内からデトックスすることと同じだ」と考えることを単純に「おかしい」「間違っている」とは、言えない筈だからです。

「では、どっちも正しいのか?」「お前はどっちの味方なのだ?」と言われてしまいますが。「宇宙→地球→生命体→細胞や細菌」を感じられる(感じようとする)「連帯・共感力」に於いては「答えは明確」なのです。

結論を一言で言えば「どっちが正しく、どっちが間違いであろうと、人間というたったひとつのちっぽけな種族の中でのいざこざであり、それは、或るたった一種の
悪玉菌の仲間割れのようなものである」ということであり、事の善悪・正誤は「宿主の健康を脅かすか?否か?」に尽きる訳です。

しかし、それでは「問題の解決は宇宙の彼方」に放り出されたようなものです。

ひとつに「他国の領土に侵入し、そこにあった歴史ある文化・伝統・風俗・感性」を学ばず「ただただお金が欲しい、働きたい」であり、それどころか、自分たちの自国の「文化・風俗・価値観」のテリトリーを確保し、結束し、広げんとするならば、明らかに「或る種の癌細胞」の様であると言わざるを得ません。しかし、問題は「全ての外国人がそうではない」ということです。

「悲しみや辛さ」といった、極めて「主観的」なテーマを他者と比較する程愚かしいことはありませんが、敢えて言うならば、「郷に従わない傍若無人な侵入者的な外国人の存在」を「最も憂い、哀しんでいる」のは、何年も何十年も、何代かに渡って、日本とその一地域に溶け込み、地に足を着けて根を生やさんとして来た「むしろ同国人」たちであることは言える筈です。

過去30年近く、アジア・アフリカ・中南米の在日人協会や大使館数十で、その国の民族音楽を演奏し、その国の人々に大きな讃辞と励ましを頂いて来た私の経験では、1990年代迄は、「郷に従わない○○国人」はほんの一部でした。私のインド人の兄貴分のひとりは、日本語も達者で、「心はインド人だが、胃袋は日本人だ」とさえ言っていました。

事実、近年、そのような「郷に従う」外国人は比率的には劣勢かも知れません。しかし、それらをも含め「出て行け」と言う単純な発想では、「精神性としては同格だ」と言わざるを得ません。

そして、次なる重大なテーマは、「何故彼らは、外国で傍若無人を働くのか?」ということを考え、それに対する最善策を私達一人一人が真剣に取り組むべきであろう、ということです。

確かに、所謂「第三世界」の中の、都会から隔絶された地域では、インフラは元より、病院も学校も乏しく、教科書・ノートも薬も買えないという「確かな貧困」がとてつもなく多く存在します。しかし、その一方で、同じ国の人々が、その国の大都会で、地方の貧しい人々の数十倍も稼いで、数十倍も生活維持費を支払って居ます。要するに「経済のカラクリ(まやかし)」であり、「矛盾」です。

これを作り出し,手本を見せて来たのは、戦後驚異的な「物質的繁栄の復興」を見せた日本を筆頭にした所謂先進国なのですが、私達は彼ら「途上国」と呼ばれる国々の「都会の人間」にも、「地方の人間」に対しても「では、何が正しい道であったのか?」を示すことが出来ていません。それは「自然を守り、物を大切に使って長持ちさせ、伝統・文化・感性を守り、自尊ではない『誇り』を抱き、それを『幸せ』であり『義務・責務』であると感じる」という、本来当たり前の姿(手本)です。

「インド科学音楽に関係ないじゃないか!」とお思いの方も居るのでしょうか? だとしたら、それは全くの誤解・不理解です。実に深く関係しているのです。そもそも言い換えれば、その「関係性を見出せること」と「連帯・共感力」は明らかに比例するのです。

図について、
右下のChakra図に在ります,七つのChakraそのそれぞれを象徴するデザインは、各Chakraのものですが、その中の文字は、「Chakraの象徴韻」ではなく、科学(古典)音楽の「七つの楽音」です。

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(文章:若林 忠宏

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84、声楽家の陰:Sarangi (2)

サーランギーが、独奏するようになったのは、殆ど戦後も1960年代になってからのことと言われます。ただ、戦前に唯一の例外があり、それは、結局は分離独立でパキスタンに移った巨匠:ブンドゥー・カーンでした。彼は、良くも悪くも「狂人的」と言われるような人で、悪意も他意も無いのですが、演奏の度に「ラーガの精霊」が降りて来てしまい、精霊との向い合いに集中してしまえば、主人である「声楽家」を立てる「黒子、職人」であることさえ忘れてしまい、毎度「声楽家」を遥かに凌いで「ラーガ」を表現(正確には降臨的な具現)してしまい、(余程の名人以外)誰にも使ってもらえなくなったのです。
それでもインド知識人、音楽ファンの強い要望があって、ソロの演奏会が持たれるようになった訳です。もちろん、前述のサダーラングとの共演を王に命じられたサーランギー奏者もブンドゥー・カーンと同様の人だったのかも知れません。

「御殿を建てるチャンスを失った」私の師匠も、ブンドゥー・カーンもイスラム教徒ですが、「ラーガの精霊」と出逢ってしまった音楽家は、精霊を傷つけることは出来ないのでしょう。少なくとも精霊のことを半分も理解出来ていない声楽家や器楽奏者、そして聴衆の前で、適当な振る舞いを精霊に要求するという、言わば「見せ物」とようなことは出来なかった。
ラーガの世界(これこそがインド科学音楽ですが)は、ヒンドゥー教徒音楽家だけが理解出来るものでもないのでしょう。

その一方で、サーランギー奏者には、「黒子、職人」としての強い求めもあり、同時にそれは奏者にとっての誇りでもあり、重責でもあったのです。

日本の三味線屋さんの昔の話しで、「演奏が終わり緞帳が居り切った瞬間に破けた場合、とてつもない金額のご祝儀が出た」と言われます。
それは「より強く張れば音は良いが、本番中に破けたらおじゃん」しかし、それを心配して「緩めに張れば」それもまた音が冴えない。そのギリギリを狙うと三味線屋は、「命が削られた思いがする」と言います。それを語った私の三味線屋の師匠は、「名人の皮」を張る時には、「一月前から酒を断ち、身体を整えて臨んだ」と言いました。
つまり、自らを「黒子、職人」と誇りを持つと同時に、お客の「名人」とそうでもない演奏者との分別がかなり厳しいのです。或る意味でこの分別は差別であり階級であり、身分・格なのです。それが「公平だ平等だ」で、ごっちゃになってしまうことで失われる精神性や技もあろうという話しです。

ちなみに、その三味線屋の師匠は、庭先に来る野良猫に餌をやっていました。愛猫家ではなかったのでしょうが、慈しむ心はある。しかしそれも今の感覚からすれば、「そりゃおかしいだろう!偽善か!」と言われそうです。
「猫を慈しむ人間が何故猫皮を張れるんだ!」そう問われ見事に返答出来る人は居ないかも知れません。私の立場で見れば、「だからこそ、やや緩く張る時でさえ、否、むしろ音は立派で且つ破けにくく張る為に、技を磨き、酒断ちこそはせずとも、命を削っている」と確かに見えます。猫の命を貰い音に替える為に、自分の命も削る。

猫の命と計りに掛けて「どうなんだ?」と問われてしまえばそれまでですが、少なくとも、師匠は、一枚一枚丹念に吟味し、喧嘩傷を修復していました。その時にはその猫の生涯を想い浮かべていたような気がします。
その感覚は料理人にも言えるのではないでしょうか? そして私たちも、その料理を食べる度に「(命を)頂きます」「有難い(得難い)」と言って来ました。

これらこそが、日本の伝統やインドの伝統に残る「アニミズム(自然崇拝)」の名残ではないでしょうか。

流石に、「ラーガの精霊」を「見せ物」「なぶりもの」にするような声楽家や聴衆の前では演奏せずとも、ある程度のことであるならば、例え声楽家の技量が足りないとしても、聴衆の理解度が低めであるとしても、そこはサーランギー奏者が「俺がフォローする」という気概があったように思います。

そんなサーランギー奏者の「誇り」と「気概」に対して、それを「粋」と感じた昔のインドの音楽家や聴衆は素敵な言葉(称号)を作りました。
それは「チャヤ・キ・ガーン(Chhaya-ki-Gan)」。文字通り「歌の影」です。歌い手が即興で歌わんとしているフレイズを半拍、一拍遅れて追従し、決してリードすることなく、しかし、見事にフォローし、誰にも気づかれずに実は導いて行くのです。

また、これはブラフマン教初期には太陽と対等の扱いだった「太陰(月)」の世界でもあります。中国の「陰陽五行」の観念より2000年以上古いと思われる「光と影」の世界の観念でもあるのです。歌舞伎・文楽の黒子もまた、「見たまま黒い布を被っている」ではなく、「黒、闇、裏側」といった対局の世界を意味しています。「目に見える=形而下に対する形而上」という意味でもあります。もちろん「物質世界に対する精神世界」でもある訳です。

確かに現代社会でも正すべき差別、不条理はまだまだありますが、それとは別に、全ての「日陰のもの」を「日向」に持ち出すことが果たして「正義、公平、平等」なのか?というテーマもあるのではないでしょうか。

(文章:若林 忠宏

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若林忠宏氏によるオリジナル・ヨーガミュージック製作(デモ音源申込み)
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83、声楽家の陰:Sarangi (1)

北インドの弓奏楽器「サーランギー」が以前この連載に登場したのは、Vol.46の新音楽(声楽様式:カヤール)創造の発端を開いたターンセン一族のドゥルパディヤーのひとり、称号:サダーラングの話に於いてでした。
当時のデリー王:ムハンマド・カーンの粋狂で、「当代随一」と話題になっていたサーランギー奏者とサダーラングのヴィーナとの腕比べを固辞し、宮廷を追放になったことが全ての始まりでした。
この時の出来事の意味とサダーラングの心情は、今の世の中でどのように説明したら伝わるのでしょうか? というのも、洋の東西を問わず、人間社会はこの100年で、様々な階級、身分、差別、不条理を告発し戦って、かなり改善されてきました。しかし、Vo;81で登場した話し「サックス=ラッパ?」に見られるように、社会制度は変化しても庶民の理解はどれほどなのだろう?とか、改善される事柄がある一方で、曖昧になった「分別」もあれば、「格式、品格」という観念が捨てられてしまった部分も多いと思われるからです。

何事も「自由が一番=やりたいようにやれる筈だ」という感覚では、この「楽器紹介編」のシタールでお話した欧米ヒッピーが路上でシタール、タブラを玩具にすることも「何の問題もない」ということになる筈です。
逆に「いや、大問題だ!」としても、その「観念」を十人が十人共有出来るか?というと、それは「観念」のそもそもの限界で、まず無理な話しです。

その一方で、身分や階級的に卑下されて来た人間達の全てが今日のような「ボダーレス」を望んでいたのかどうか?という逆のテーマもあろうかと思います。例えば、歌舞伎や文楽の「黒子」や、日本にはまだまだ少なくない「職人」さんは、果たしてタレントのように「目立ちたい」「名と顔を売ってより多く稼ぎたい」だけが目標でしょうか? もちろん、生活向上は望んでいるでしょうし、家族や子や孫の安泰も大きなテーマでしょうが。

私の師匠は国立音楽院の主任教授の地位にありながら、逆に国家公務員の為に、レコードも海外公演も、徒弟制度以外に生徒を増やすことも禁じられ、州から格安の家賃で得られた家に親戚含めて十数人で暮らしていました。しかも、運悪く隣家が水牛小屋だったので、町中から師匠の家迄の道路は糞で敷き詰められ雨の日は悲惨でした。

そんな師匠がたった一回だけ、私に愚痴をこぼしたのが、「お金があれば屋上に音楽室を作りたい」だけでしたが、結局何も手助け出来ていませんが、私は「あれもこれもどうにかならないものか?」と思うことばかりでした。

そんな師匠が若い頃、一時大金を手にする機会を得ました。ネパール国境に近いと或る町の大富豪の娘の家庭教師の職を得たのでした。ところが、学び始めて二三年で父親の大富豪は「我が娘は天才であろう?」とお客を集めて演奏会を開いてしまったのです。そして、大富豪が演奏後、師匠に向かって感想を訊いた時です。師匠はお客の面前で「はて、私はこのような音楽を聴くのは初めてなので、評価のしようがありません」と言ってしまったのです。

私の感覚で申して恐縮ですが、シタール、サロード、サントゥール、サーランギーなどなどを長年弾いて来て、その難度のみならず、実際の演奏スタイルと奏者のラーガの理解のことを考えると、もしかしたらサーランギーは最も高度なインド楽器かも知れません。
が、その評価は、やっと20年程前に高まりましたが、その頃には演奏者は激減していました。

何度か述べていますが、そもそもサーランギーは、「修行僧の楽器」及び「地方の民謡楽器」もしくは「花柳界の歌姫の伴奏楽器」でした。
今日では大分減りましたが、それでもラージャスターンでは未だに数種の民謡サーランギーが世襲の音楽一族によって守られています。

その最も古いと思われるシンプルな楽器「チカラ」は、三本の主弦に4〜5本の共鳴弦しかありません。ラージャスターン及び近隣地方で発展した楽器は、主弦が三本の羊腸で、共鳴弦が20本近くあります。それらが「花柳界」で徐々に発展し、最終的に「クラッシック・サーランギー(古典音楽用の意味)」と呼ばれる今日の形になり、主弦三本(希に金属基音弦を四本目に張る)の他、クロマティック(全ての半音に調律)共鳴弦が15本前後。基音共鳴弦が楽器上部左右のサワリ駒の上に計10本程度、その他「ラーガに合わせ曲毎に調律する共鳴弦」が15本前後で、合計40本前後もの共鳴弦が付けられました。
しかし、サーランギーがその形と地位に至る迄は数百年の或る意味で虐げられた時代と歴史があるのです。が、果たしてその全てが不条理であったか?というとそうでもないようにも思えます。

(文章:若林 忠宏

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82、花柳界出身の太鼓:Tabla

シタールの伴奏によって、シタールと共に世界を旅したことで世界的に有名になり、その後、シタールが入ると「如何にもインドの世界」になってしまうのに対し、タブラは世界の様々な音楽にも自然に溶け込み、色を変えないことからシタールよりも普遍的且つユニークな楽器(太鼓)としてより好まれた経緯があります。
シタールの項で述べました「ラーガ・ロック」は恐らくほとんど演奏しなかったエリック・クラプトンも、名曲「ライラ」のアルバムでタブラを起用しています。
この「タブラ」は、前回ご紹介した「ムリダングを左右で二分した、高低二個一組の片面太鼓」ということが出来、正式には「タブラ(右高音太鼓)・バヤン(左低音太鼓)」であると知っている人は、タブラをご存知の方の中でも七割位でしょうか? 「バヤンが単に『左』の意味で、タブラは元々アラビヤ語で『太鼓』である」となってくると五割程度かも知れません。
更に、実は「タブラ・バヤン」に至る迄に、過渡期の同様の太鼓が数種あることは「タブラを持って居る」人や「そこそこ演奏するぞ」という人の中でも殆どご存じないかも知れません。

そもそも何故「ムリダングを二分する必要があったのか?」
ひとつには,西域からインドに来た(つまり移動して)イスラム教徒にとって、移動出来る太鼓は、馬の鞍の両側に取り付けた「二個一組」の太鼓であったからに他なりません。
他方「ムリダングを二分しないと、叩けない」ということは、ある程度はあります。手の甲が上を向くか横を向くかでは重力を利用出来る出来ないの大きな違いがあります。ですが、決定的な問題ではない筈です。

実は、より決定的な理由は「音量と余韻」にありました。前回お話しましたように、ムリダングは、世界有数の音量と余韻を誇る太鼓で、正にヒンドゥー寺院の厳かな儀礼音楽や、宮廷音楽の最高峰ドゥルパドには適しているのですが、花柳界の歌姫の叙情詩には全く不向きです。
もちろん「楽器の格」がありましたから、ムリダングを宮廷や寺院から持ち出して花柳界で用いることなど許されませんでしたが。誰もそれを望みもしなかったということです。

なので、当初花柳界では「馬の鞍の両側」に吊るされた太鼓「ナッカーラ(Naqqara)」を指と掌で叩いて歌姫を伴奏していたのです。本来はスティックで叩きますが、しっとりとした叙情詩では音が大き過ぎです。
この太鼓も大小で音の高低を付けましたが、音色変化は4種類程度でしょう。
そもそも花柳界の歌姫は、宮廷楽師に弟子入りしていました。これは日本の芸者さんも同様で、長唄や浄瑠璃の師匠に昼間稽古を付けてもらうのです。
歌姫の家系は、女子に生まれれば、歌姫と舞姫になり、男子に生まれればタブラ奏者とサーランギー奏者になりますから、恐らく男子もラーガ音楽やターラ技法を学びに行っていた筈です。そこで、ムリダングの「スャヒ」を知り、恐る恐る遠慮がち「どうにかナッカーラにも応用出来ないか?」とチャレンジしたのでしょう。

ところが、その当時も今でもムリダングの左側低音太鼓にはスャヒを貼らず、演奏の度に米粉を捏ねて貼ります。演奏中に渇くと剥がれてしまいますから器の水を用意し常に湿らせます。右のスャヒは汗でも痛むので、むしろ頻繁に手を拭きながらです。「音の高低」のみならず「乾きと湿り」も同時に存在するのです。実に「二元論を象徴している楽器」と言えましょう。
なので、初期の花柳界ナッカーラにはスャヒは全くなく、演奏時に左低音太鼓に米粉(ラヴァ)を塗って演奏していた訳です。
このペア太鼓の名はやはり「ナッカーラ」でしかなく、左右は「サギールとカビール(アラビヤ語の小と大)」かヒンディー語(ウルドゥー語)で「ダヤンとバヤン(右と左)」程度だったと思われます。

次に開発された花柳界太鼓が、左低音太鼓のみ木製にして、ムリダングのラヴァの他に「縁皮」をも取り入れて、音の変化を際立てたものです。それは「ダーマ」と呼ばれます。何故そのような太鼓が必要であったのか? それは、ラヴァを塗った左は手のかかとを鼓面に付け、スライド音を出すからです。もちろん、かかとがラヴァに乗り上げてしまうとぬかるみに足を突っ込んだようになってしまいますから「寸止め」ですが。
なので、断面が三角なナッカーラより円筒形の方が安定するからがその理由です。そして、右側は変わらず小さなナッカーラ。しかし、そもそも「ナッカーラ」はアラビヤ語で複数形ですが、その頃にはアラビヤ語会話者は少なくなっていたのでしょう、それでも「ペア太鼓の一方」を旧名で呼ぶことはしなかったようです。なので、「高音(頂き)」の意味(前回のムリダングのイスラム教徒の呼称と同じ)の「アワジ」を用い「アワジ&ダーマ」だったのです。もちろん単に、アラビヤ語の「太鼓」の意味の「タブラ」の語を用い「タブラ&ダーマ」であったかも知れませんが、後述の同名太鼓と同名異形ですから割愛します。
そして、次に「アワジ」もムリダングを真似た木製片面太鼓に替え今度はスャヒを塗って、今日の右側高音太鼓「タブラ」が出来上がります。そのセットが「タブラ&ダーマ」です。

ところが、楽派によっては「ダーマ」を用いず、ナッカーラの左太鼓をずっと用いていた奏者も居ました。彼らはナッカーラのインド名「ドゥッギ」と称します。その彼らも右高音太鼓にスャヒが着いた「タブラ」は大歓迎。そこで「タブラ&ドゥッギ」が誕生します。倒れにくいように「お椀型」に改良されています。
そのドゥッギのラヴァをスヤヒに替えたのが今日の「バヤン」です。なので、今日の「タブラ・バヤン」を未だに「タブラ・ドゥッギ(ドゥッガ)」と呼ぶ人も少なくありません。 当初左低音の「ドゥッギ」にはラヴァが塗られていたのでしょうが、近年ではもっぱらスャヒが貼られています。一方の「ダーマ」は、未だに鼓面には何もなく、演奏時にラヴァを貼るようになっています。
また、1990年代に日本でも人気となったスーフィー・チシュティー教団の献身歌(神秘詩)カッワーリの歌い手:ヌスラット・ファテ・アリ・カーンの楽団では「タブラ・バヤン」「両面民謡太鼓:ドーラク」の他に、「アワジ・ドゥッギ」をしばしば使っていました。この場合のドゥッギは今日のバヤンと同じ「スャヒ付き」で右側「アワジ」はナッカーラのままです。

「タブラ」もまた、流石にシタールの相棒であるだけあって、シタール同様に波瀾万丈の歴史を経て古典音楽太鼓に至ったのです。

(文章:若林 忠宏

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若林忠宏氏によるオリジナル・ヨーガミュージック製作(デモ音源申込み)
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81、Ganeshが祖の太鼓:Mridang

この連載のVol.23で、「世界初の太鼓奏者は、ガネーシャ神で、その太鼓はムリダング」と御紹介しました。「ムリダング」は「ムリドゥ(土)+アング(胴)」の文字通り、当初は素焼きで円筒形の胴を作り山羊皮を水牛の皮の締め皮で強く張りました。加えて、次回ご紹介する「古典音楽太鼓:タブラ」同様の鼓面に張られた重り「スャヒ(字義は墨)」がムリダングの大きな特徴です。
「スャヒ」が何時頃発明されたかの確かな情報はありませんが、仏教が伝わったインドシナの古典音楽太鼓にも、模倣してほぼ黒い円を描いただけの太鼓が基本的に存在することから考えて、仏教時代以前には存在していたと思われます。

同様に、確かないきさつが分からないのは、1980年頃からジャズ(ロック)のドラムのヘッドにも黒いシート(パッド)が貼られるようになったことです。もちろん全てをインド太鼓に結びつける必要はありませんが、ヒントにはなったかも知れません。
インドシナの太鼓とジャズドラムの「黒い丸」の効果は、「散乱する余計な倍音を消去し、音に締まりを与える」ということに尽きるようです。

それに対し、「スャヒ」は、遥かに大きな効果が複数あります。
まず、「余韻が十倍近く伸びる」ことです。それによって、やたらに音数を増やすことなく叩くことでも、充分に重厚で荘厳な不雰囲気を醸し出すことが出来ます。瞑想ファンにもお馴染みのチベッタン・ベル(ハンド・シンバルや鉦)や日本のお寺の鐘(鉦)もやはり余韻が命です。
次に「音量が数倍大きくなる」ことです。恐らく太鼓の鼓面本来の重さの十倍以上になることで、単純計算で直径が同じく十倍以上の太鼓の音量が出る理屈です。
そして「豊な倍音が得られる」ということです。この倍音は、ジャズドラムやインドシナ古典太鼓が「割愛を求めた」拡散・散乱する余計な倍音ではなく、澄んだ音楽的な倍音です。

そして、極めつけが「鼓面の一部を触っても全ての音が消去されない」ということです。
「スャヒ」を塗ることで、鼓面の構造は、「本皮の性質」「スャヒの性質」「両者を合わせた性質」の「三枚の鼓面の性質」を併せ持ったことになります。なので、単純な説明で恐縮ですが、指や手のかかとで鼓面に触れても、普通の太鼓ではミュート(消音)されてしまう振動が、完全には消えないのです。三枚の皮の内、一枚がミュートされても他は響くという理屈です。

この仕組によって、上記の「三つの性質」を複雑に組み合わせることが出来るのです。つまり、上記の三つの性質それぞれの上で、「鼓面全体、鼓面中心部、鼓面の縁」を叩くことで単純計算で、「九種類の音」が出る理屈になります。
実際は「音になっていないもの」と「大して変わらないもの」があるのですが、それでも明らかに異なる基本音が「五種」生まれるのです。そこに「両面太鼓」の場合、左右で高低の音程差をつけますので、これもまた単純計算で25種、実際の実用的な音数は、基本で12種生まれたのです。

この感覚は、世界の他の太鼓には見られません。希に「スティックを鼓面に押し付ける」等の奏法が西洋のマーチングドラム、日本の祭り太鼓、キューバの舞曲の太鼓に見られる程度ですが、インド太鼓は「スャヒ」の御陰で12種もの「音色の違い」を叩き分けることが出来るようになったのです。

その結果、インド太鼓は、世界の他の太鼓と全く異なる方向に進みました。それはある意味「喋る太鼓」という方向性です。「喋る太鼓」=「Talking-Drum」はアフリカでも有名ですが、それは、小脇に挟み、脇で締め紐を絞り上げて音程を替え、その変化が「言葉のようだ」ということと、「そもそもアフリカの全ての太鼓は『モールス信号の役割』を果たした=伝達=言語的」であるという二つの意味合いですが、インド太鼓の「喋る」はその次元とは全くことなります。

12音の基本音は、「インド人の耳にそのように聞こえる」という「擬音語」の名前をもっています。
それは、右手高音鼓面で「ター、ティン、トゥン、テ、ティ」の五種で、左手低音鼓面で「ゲ、カ」の二種で、「似た音」を省いて「左右同時」で五種の計12音です。つまり、「た、てぃ、とぅ、て、てぃ」と「だ、でぃ、どぅ、で、でぃ」「か、き」があるのです。
また基本音の12の他に、「ナ、ガ、キ、ク、ラ、リ」などの比較的頻繁に用いられる「前後関係から生まれる派生音や太鼓記憶言葉の言い替え」を加え、日本語に当てはめると「たちつてと、な、らり、かきくけ」がフォローされているのです。すろと「田中君が泣く泣く来た」位の言葉は喋れてしまうのです。

その結果、リズム表現用語で「タンタ、タンタ、タカタ、タカタ」のようなシンプルなリズムも「ダーナ、ディンナ、タキタ、ティナク」「ゲケテ、ナギナ、タキタ、テテテ」など、無限とは言いませんが、限りがないと思わせるほど「異なるもの」に聴かせることが出来るのです。

ということは、そもそも音楽は、基本「リズムと音程」の「二元論」でしかないのですが、「同じリズムが音程を替えずに様々に変化発展する」ということであり、これは音楽の常識を覆すものということが出来るのです。

素焼き胴の、元祖「ムリダング」は、その後、壊れにくい「木製胴」になりましたが、素焼き胴も、キールターンなどの伴奏用やマニプール州の古典舞踊の太鼓として今日迄生き続けています。

木製胴は樹の幹をくり抜くもので、北インドでは薄めの比較的軽い(それでも10kg弱はありますが)ものですが,南インドでは厚めにくり抜くため、ずっしりと重く、恐らく30kgはありそうです。胡座の片足首に右側を載せ叩き易くするのですが、慣れないと足首が保ちません。この南北の「ムリダング」の重さの違い、皮の厚み(やはり南が厚く、その分余韻が短い)の違いは、南北の太鼓奏法とその役割の違いが現れています。
ちなみに南では言語習慣によって「ムリダンガム」と呼ばれ、北ではイスラム宮廷時代にペルシア語で「聖なる頂」の名を得て「パカワーズ(ジ)」とも呼ばれます。

(文章:若林 忠宏

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若林忠宏氏によるオリジナル・ヨーガミュージック製作(デモ音源申込み)
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80、世界に知られた:Sitar (3)

前回前々回からご紹介している、インド楽器で最も有名であろうシタールですが、そのスタイルは、北インドで用いられるようになった10世紀から18世紀迄の時代と、18世紀に古典音楽でも用いられるようになってから20世紀冒頭迄の時代、そして戦後の大きな三つの時代に、同じ楽器とは思えない程に変貌を遂げて来ました。
一方、シタールより100程前に古典音楽のステイタスを得たサロードは、前述しましたように、ラヴィ・シャンカル氏の師匠が「大型、多弦」にした他は、奏者の好みで「やや小振りでスリム」「やや大型で太い」などの違いがある程度で、創作された18世紀前半から二種類のままで古いスタイルも辛うじて生き残っています。
それら新楽器に対し、古楽器ルードラ・ヴィーナは、近年「大型でゴテゴテ装飾の楽器」が作られましたが、構造的には恐らく10世紀以前、最も古い説では紀元前1500年頃から殆ど変わりません。その代わり、シタールのプロ演奏家が、例えば新宿区程の大きさと人口のインドの都市に100人は下らないだろうところに、ヴィーナの第一線のプロは、全インドで10人居ないかも知れません。更に16世紀から20世紀迄意外に400年も宮廷古典音楽の双璧のひとつだった「ターンセン・ラバーブ」の場合は、今日後述する例外を除いて、専門職は恐らく皆無です。18世紀後半から100年ほどラバービヤが兼業した「スル・シュリンガール」も同様で、「スル・バハール」も正しい演奏スタイルで言うならば同様です。シタールのように弾く人はまだまだ居ますが。
ラバーブに関する例外はパンジャブ州のシク教徒の音楽に於いて、この20年で急速な復古主義・汎パンジャブ主義の古典音楽最高運動が盛んになり、共鳴弦付きの楽器まで考案され、教祖や聖人的な歴史上の指導者の音楽を再現していると主張しています。

これに対してシタールは、波瀾万丈の歴史を物語る程多様であり、その出番もヒッピーの路上演奏は論外としても、海外の様々な音楽のみならず、インド現地でも映画音楽にも頻繁に用いられます。私もかつては「紀文のはんぺんCM」から「シャンプーCM」まで来る仕事は拒まずやっていました。

言わば、ギターというのがそもそもはスペインのと或る地域の民俗楽器だったのが、極めて普遍的な世界の楽器になったことに近いレベルであるとも言えます。
これを自動車に喩えれば、ヴィーナは、王族の御車、ラバーブは、王室警護の装甲車のようなもので、町中で毎日頻繁には見られない車。スル・バハールが四輪駆動で、サロードがスポーツカー、特殊なスル・スィンガール(シュリンガール)」は貴族のスポーツカーで、庶民が持つものでもなく、スーパーやホームセンターの買い物には使いません。それに対し、シタールは、お買い物に便利な軽自動車から、スポーツカータイプ、四輪駆動まで様々。つまり「シタール」は、「自動車」という程大きな「観念」でしかないのです。

もちろん、インドの外から眺めたり、海外で見れば明らかに個性的で存在感豊かな民族楽器ではあるのですが、インドの中に持って行き、音楽史を俯瞰するとそういうことなのです。
それもそもそも「シタール=Sitar」が単に「三弦」という意味合いであったからに他成りません。

以前にお話しましたように、古代には「ヴィーナ」がその感覚で、十数種もありました。「ルードラ・ヴィーナ」は、その中で生き残った存在ですから、歴史を逆戻りすることはなかった訳です。ターンセン・ラバーブもスル・バハール、スル・シュリンガール、サロードも、「構造と奏法」に意匠性が強いので、その名称は固有名詞的でもありブランド的でもあるのです。

それに対し、10世紀から18世紀迄の長きに渡って、シタールは実に様々なものがありました。
ラージプートや西インドの細密画を丹念に年代別に検証してみると、「フレットのない伴走専用のシタール」「フレットが少し在り,主に伴奏だが旋律もしばしば弾いたシタール」「フレットが充分にあるので旋律楽器だが、単に伴奏楽器として構え描かれているものが多いシタール」の最低三種はありました。つまりこの一番目などは、伴奏専用弦楽器「タンブーラ」と大して変わらないのです。

それもその筈、西アジア・中央アジアの「タンブール」がインドにもたらされたものが全ての始まりで、タンブールは、「単弦か複弦の三弦構造の楽器(多いものでは5〜6本張る)」だったのです。従って10世紀の時点の正しい呼称は、全て「タンブール」だったのが、特に「単弦三本」と「複弦が一ヶ所の四本の三弦」を「シタール」としていたのでしょう。恐らく、演奏者と演奏の場所で「格付け」が為されていたのだろうと考えられます。

似た話しが10年以上前のTVCMに見られました。息子さんの音楽に対してあまり理解がなかった父親が音楽留学先へ「ラッパの調子はどうだ?」とメールを送る。息子さんが何となく嬉しいと思いながらも「ラッパじゃねぇえよ」とつぶやくというものです。(実際はサックス)
もちろん「ラッパ」は卑下の意味だけではありませんし、軍隊ラッパなどは他の名称もありません。ですが、通称、俗称には幾分かの卑下も認められ、少なくともその世界の中でのことを理解しているとは言えないものが少なくありません。

つまり、シタールのインドでのスタートは、「粗末な」そして若干「卑しい」楽器からだったのです。そして数百年の間、修行僧、花柳界、やや上格の宮廷宴楽で、歌手が片手間に用いることが主だったのです。
それが18世紀半ばに、やたら派手な超絶技巧の間奏がむしろ評判の歌い手レザ・カーンなどが現れて都市の知識階級の間で大流行し、器楽楽器としての可能性に着目する音楽家が増えたことが古典楽器への昇格のきっかけなのです。

今やほとんど貴重になりましたが、カシミールには、18世紀以前のシタールに「サワリ駒」を付けた過渡期の楽器が生き残っています。同様に、戦火で風前の灯火でしょうし、平和な時期(1978年以前)でも最早貴重になっていましたが、アフガニスタンにも「シタール」があり、その手前パキスタン北部山岳地帯にもありました。何れも共鳴弦がなく、リズム弦は持っていましたが、駒はサワリではありません。アフガニスタンでは共鳴弦があれば、それは「タンブール」か「ヘラート(西部)のドタールもしくはパンジタール」です。
インドにも旋律楽器「タンブール」が伝わった筈ですが、その一種のシンプルな「シタール」ばかりが好まれたと考えられます。ただ、分類上ではタンブールの仲間であることは誰しも分かっていたようで、後の伴奏専用には「ターンブーラー/ターンプーラー」の名が付けられました。末尾の「Ra」は長母音ですから、タンブールの名が転じたものか、何らかの理由で区別したのかも知れません。

(文章:若林 忠宏

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若林忠宏氏によるオリジナル・ヨーガミュージック製作(デモ音源申込み)
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79、世界に知られた:Sitar (2)

1960年代後半、インド現地の音楽家は、大挙して訪れるヒッピーに辟易としていたと述べましたが、その反面、それが無かったらインド古典音楽と楽器の需要は、風前の灯状態にまで衰退していたことも事実です。
ラヴィ・シャンカル氏とジョージ・ハリソンによって、インド古典音楽が世界的に高く評価されたことは、音楽家たちにとっても多くのインド人にとっても大きなステイタスとなりました。それによって町の音楽教室に通うインド人も増え、宮廷音楽終焉以降下り坂のみであった古典音楽も、芸術音楽として生気を取り戻したことは紛れもない事実と評価出来ます。

また逆な話しで、もし1960年代末当時、シタールが戦前の形状のままだったら? もしくはシタールがインドで演奏され始めた16世紀の頃の華奢で小さな楽器だったり、シタールが19世紀に古典音楽の地位を得ず、代わりにヴィーナ(ルードラ・ヴィーナ)や南インドのヴィーナ、及びサロードしか海外に紹介しようがなかったならば。果たしインド音楽は世界的に有名になったであろうか? ひいては、インド知識人層がステイタスを感じ、自国文化の再評価を行い、共和国という新しい時代にも伝統を継承する意識があそこ迄育ったであろうか?と考えると、シタールの人気はそのタイミングもその魅力も含め絶好で、だからこそインド古典音楽の取り返しのつかない衰退を大きく救ったと言えるのかも知れません。

1940年代、当時の第一線にあったモダン派の気鋭ラヴィ・シャンカル氏と、シタール最古の二つの流派の後継者で在った保守派の貴重な後継者イリヤス・カーン氏は、異なる主旨で同じようなやや大振りのシタールを当時最高技術を誇ったカルカッタの職人に特注していました。同世代には他にヴィラヤト・カーン氏、ムスタク・アリ・カーン氏が居ましたが、いずれも当時のシンプルなシタールで前者は軽妙な演奏、後者は極めて古典的な演奏で評価されていました。
ラヴィ・シャンカル氏と、イリヤス・カーン氏の大型シタールは、当時のシタールと「スル・バハール」の中間ややシタールよりの楽器で、特徴は低音弦にあります。
それまでのシタールの主弦七本(共鳴弦以外の意味)は、「旋律主弦(1)、低音伴奏弦(2)、中音伴奏弦(2)、高音リズム弦(2)の構成です。二本の低音伴奏弦は、サロード同様アフガン系音楽家がアフガン弦楽器の手法を取り入れたもので「ジョラ(対)」と呼ばれる「複弦」構造でした。
ドレミで言うと(厳密にはこの半音以上上ですが)1弦(低域のファ)、2/3弦(低域のド)、4/5弦(1/2/3弦の上のソ)とリズム弦、が19世紀半ばからの調弦です。

戦後二本の低音伴奏弦(複弦)の内一本を更に低い音に替える演奏者も現れ始めていましたが、ラヴィ・シャンカル氏と、イリヤス・カーン氏は、中音伴奏弦の一本も低音弦に替え、ドゥルパド系器楽の独奏に力を入れるものでした。

戦後の調弦は、1弦(低域のファ)、2弦(低域のド)、3弦(2弦の下の低域のソ)と、4/5弦は同じでリズム弦というもので、ラヴィ・シャンカル氏と、イリヤス・カーン氏の場合は、戦後の調弦の4弦に、3弦の更に下(最低音のド)の重低音を設け、中域伴奏弦は5弦のみとリズム弦というものでした。ちなみに前述のヴィラヤト・カーン氏などは、ジョラの一本を張らず(糸巻は空のまま差してあるだけ)、4/5弦の一方をしばしばミなどにする独自な調弦でした。

イリヤス・カーン氏の場合は、あまりに太さの異なることが原因の低音三本のフレット音痴を解決するため、棹の上の「上駒」をも「サワリ式」に替え、ピッチの改善とサワリ音の一石二鳥を果たすというアイディアでしたが、他流派には広まらず、と言うか彼のドゥルパド奏法は難解なので次第に廃れてしまったので、意外に知られていないかも知れません。
同じ時期、インド有数のデザイナー、ヘーム・ラージという人が、趣味でか?糸巻にも彫刻、表面版の彫刻は超豪華、縁取りも豪華という派手なシタールを考案し、ラヴィ・シャンカル氏と、イリヤス・カーン氏のしタールもほぼそのスタイルです。それが今日高めの値段のシタールの基本となりました。

(文章:若林 忠宏

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若林忠宏氏によるオリジナル・ヨーガミュージック製作(デモ音源申込み)
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