149、アーユルヴェーダ音楽療法入門11(マントラと音楽療法1)

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Mantra・Yantra・Tantra
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このシーターラーマのファンの方々には、今更言う迄もありませんが、ヴェーダとその関連の叡智には「Mantra」「Yantra」「Tantra」といった似た様な言葉があります。
大雑把に言えば「Mantra=耳で聴く叡智」「Yantra=目で見る叡智」「Tantra=秘技・科学」というような感じですが、勿論深く突き詰めれば極めて奥が深いことも言う迄もありません。

Vol.145で用いた図を今回も引用しますが、
「音楽・芸術」などは、「直感領域」で受け止め、そのまま、「個々の人間の精神世界(分野)」の「運気の流れ」を円滑・潤沢にするとともに、その流れに乗って「心と体」を巡って行きます。

勿論「論理的思考」を介しませんが、
これ迄に述べて来ましたように「気分感情領域」「論理思考領域」「心の領域」が
明確に分別された「本来の健康体」でなければ、

「直感領域」もまた、極めて病弱であることが少なくないので、
「正しく運気を促し、曲がれて行く」ことが望めないことも言う迄もありません。

それ以上に、そもそも「病んだ直感」に正しい審美眼がある筈もなく、
胃潰瘍のなり掛けに逆に刺激物を欲しがる(痒い時に掻きむしりたくなると同源同義)
という最悪の行為をしてしまうことと同じように、

「安直で短絡的で幼稚な大衆迎合芸能」を
「感動した」などと感じてしまうことは良く見受けられます。

他方、「文字、文章、言葉」は、
「言霊」として、上記の「直感領域」でも受け止めますが、

「体の臓器」に喩えるならば「胃腸」に相当する
「個々の人間の精神分野」の組織で受け止められ
「読解力の胃の力で細かく砕かれ」「整理・分析の小腸で選別されながら吸収し、
論理分析の肝臓で消化され」る方向に進みます。

つまり「精神分野の胃腸と肝臓、そして腎臓」は、
紛れも無く「論理思考領域」に存在するのです。

このことは、「Mantra」の字義にも明確に現れています。
異説もありますが、一説には「Man=考える+Tra道具」とも言われ、

単純に「聴けば御利益がある」というものでもないのです。

これが、現代人には中々説明しづらいテーマですが、
前述の「直感領域」で受け止めるべきものであっても
「論理思考のフィルター」が健康な人とそうでない人とでは、
大きく異なる事実と同様に、

「言霊」として受け止めても、
フィルターが不偏的で正常に働かない限りには、
「運気」の流れに潤沢に乗ることは出来ない訳です。

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マントラの不思議
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また、マントラの基本である「OM(真言)」は、一文字でも示されます。

同様に七つのチャクラのシンボル(アイコン)も、
ヤントラとの或る種の境界領域にある「目で見る文字・象徴」でもあります。

そして、マントラで最も重要なことは、その音(発音)と意味が一体化した力が、著間領域のみならず論理思考のフィルターを通って「消化吸収」されることにあります。

ただ、このような話しを懐疑的に聞く友人などは「そりゃあインド人にはインド語だから意味があるのだろうが、日本人や欧米人には異言語なのだから意味も効果も無い筈だ」と言います。ところが、不思議なことに、マントラは異言語の人間にも同様の意味と効果があるようなのです。

科学的にこじつけようとするならば、それは「独特な周波数」かも知れませんし、
そもそも「特別な力を持つ言語」は、異民族にも同様の力を持ち得るのかも知れませんし、言語の源流から考えると、少なくともヨーロッパ人と日本人には効果があるかも知れないのです。

この最後の仮説(と言う程のものではありませんが)は、不思議なことに中国人、アラブ人には「通じないかも知れない」という理屈にも通じます。

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そもそも「日本人と言葉」は、明治維新以降信じ込まされて来た「音/発音」では理解し切れないものがあります。

日本語は、「ん」以外の子音は、全て母音を伴う、と教え込まれますが、
学生時代の親友は山形弁が抜けない人でしたが、彼に教わった郡部の発音には目の鱗が落ちました。

「これを食べなさい」を「こえずくえず」と言うのですが、「こえ」と「これ」は、東京もんには殆ど同じに聞こえるのですが「こ」の子音は全く異なるものなのです。
つまり「母音の無い発音」であり、「子音もカ行だけではない」ということです。おそらく「こ+え」という子音と「こ+れ」という子音なのです。
強いて言えば
「こえずくえず」は「Qoe(という子音で母音無し)+Zu Kue(という子音で母音無し)+Zu」
だろうということです。

また、意外に言われていないことですが、
関西人の「カ行」は、「K」より「Q」の発音に近い筈です。

その根拠は、「Milk-Tea」の発音で分かります。
関東人は「Miluk-Tii」と発音しますが、関西人は、「Miluqu-Tii」と発音しています。

福岡に移転して、直ぐに気付いたのが、「ね」と「に」の間の発音でした。
おそらく九州人の殆どが気付いていないと思いますが、
「暑いですねー」が「暑いです(ね+に)ー」になる地方の人が居るようなのです。
(まだ何処の地方か判定出来ていませんが)

このように、
そもそも日本語も52音ではない上に、「母音を伴わない(まるでインド・ヨーロッパ語属のように)発音」もかなりあるのだとしたら、

「本来の聴覚と感受性」に於いては、サンスクリット語も決して異なるものではなかった可能性が考えられるのです。

ただ、繰り返し言いますが「論理思考のフィルターが無い」「気分感情領域と思考領域と心の領域に境目・分別がない、「機能が破壊されている」などの場合で、

上記の「ミルクティー」の違いに「気付かなかった」「同じだろ!?」とか、
「どうでも良い」「心地良く癒されればそれで良い」というような人には、

マントラもまた、耳障りの良いイージー・リスニングに過ぎないのかも知れません。

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148、アーユルヴェーダ音楽療法入門10(瞑想と音楽療法3)

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人間の三つのタイプ
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今回は、前回も図だけご紹介した「人間の三つのタイプ」の解説から始めます。

それぞれに共通する薄い黄色の縦楕円とその中の構造は、私たちの「生命と存在(実在)」を支える「臓器・経絡・細胞・有用細菌たち」を現しています。

それぞれの左肩にある二重円は、「魂と心」であり、それは「思考と気分感情」とは別物です。今迄に紹介した図では、後者は前者の回りを取り囲み、「論理的思考があればこそ、心と魂は外因に反応した気分感情の悪影響を受けずに守られる」と説いて来ました。

本図では、
その「論理的思考の外堀(城壁)」が欠落している左右図に派描きませんでした。

左右のタイプでは、「気分感情」は、「体の実存」と「魂と心」から分離して、それぞれ上方に描きました。

左のタイプは、「論理的思考」が殆ど退化してしまい、全てが「気分・感情」になった人の様相です。

かねてから「独裁国家の元首のようだ」と説いて来たように、明らかに「臓器・経絡・細胞・有用細菌たち」の存在によって、頂点(体の最上部)に君臨し、自覚出来る意識を持って居るに過ぎないにも関らず、

、「自我意識=自分の全て」と勘違いしている「独裁君主」そのものです。

従って、独裁君主が国民を顧みないと同様に、そのような意識(Ahamkara)は、「臓器・経絡・細胞・有用細菌たち」のことを真面目に考えているとは言えません。

幾ら「無農薬、無化学添加物、良質の食物や水」に執着したとしても

「文字、文章、言葉、音楽や芸術」にもそのこだわりを適用していない以上、
中途半端と言わざるを得ません。

中央のタイプは、上記で「魂と心を守る城壁」としました「論理的思考」が、
「体全体・心精神全体をも守っている」ことを示しています。

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実存を否定する危険な「瞑想法」
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より深刻な問題・状態は、右のタイプです。

元々は、左のタイプだった人が、何らかの方法で、或る種の瞑想を続けた結果、「個性」は勿論、「自我」のみならず、「実存」さえも失ってしまった状態です。

これは第七チャクラのひとつの機能に「Spiritual領域」があり、それが「実存」を支配してしまう状態です。その状態の手前の「実存からの逃避の過渡段階」も大いにあり得ます。

これは「アパシー」や「鬱病」が、外界との関わりを遮断するのと同じ「自己防衛」が異常に亢進した状態であるだけでなく、自らの「臓器・経絡・細胞・有用細菌たち」とも乖離してしまうもので、或る意味「意識の死=脳死」と同等の状態です。

かれこれ30年以上前のことですが、私のかなり親しかった友人が、或る種の瞑想を試みて、この段階に至ってしまい、アルコールもドラッグも用いないのに、突然冬の真夜中に井の頭公園(都下吉祥寺の恩賜公園)の池の回りを走り出し、「熱い」と言い出し全裸になり、やがて「寒い」と言って最寄りの民家に押し入って「寒い!」と言って警察を呼ばれた人が居ます。

同じ頃、私も「準臨死体験」を経験しました。Ahamkaraが殆ど消滅する朦朧とした中で、「なんだ、人間って簡単に死ねるんじゃないか」と知ったことだけを記憶しています。

この第七チャクラの或る機能は、言わばミトコンドリアの中のアポトーシスのスウィッチのような自爆・自沈装置なのかも知れません。

何年もの間、正しい指導による正しい修行を段階的に積み重ねて、アシュラムのような場所で、他のヨギの見守りの中でなら、
(もしくはどうなったとしても回りに誰も居ない森林や山頂でなら)まだしも、

社会人として存在する人が、社会の一角でこれを行う意味があるのか?
そもそも目的は何なのか? を厳しく自壊すべきです。

問題は、この特殊な瞑想法には、都合の良い「中途半端な過渡期」がある、ということです。

しかしそれも90年代に様々な事件を起こした新興宗教団体のように、自我意識を破壊されながらも実在が残り、その実在が様々なことに利用されるという哀しいシステムに組み込まれるのが殆どの末路です。(所謂マインド・コントロール)
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そもそも、何故、海外の多くの著名人が「瞑想の効果」を高く評価するのか?

それは、特殊な「瞑想法(とその疑似体験)」を除いて、一般に指導されているものの殆どは、前回(Vol.145)述べたように「まとわりついた外因由来の気分・感情領域のリセットや除去」を目的としているからに他成りません。

図の右側のタイプの人の場合、「危険な瞑想法」だけでなく、それの中途半端ものも、その他の「瞑想法」も「自己逃避願望」が少なからずある場合、それは左のタイプよりも質が悪いと言えます。

その根拠は、左のタイプの場合、
或る意味「苦しみ」と常に向い合わせであり、

もしかしたら、その「苦しみの内容・愚かさ」に気付けば、
「苦しみからの開放」と同時に、「我が身(実存する臓器、細胞たち)」を真の意味で慈しむ人間に改められる可能性があるからです。

しかし、右のタイプの人間の意識は、「逃げる方向性」か「開放されてしまった」かであって、その先に、「自己」を取り戻したり「実存」と向い合うことはおそらくあり得ないからです。

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左のタイプの人の「苦しみ」とは何か?
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それは、Vol.145~146で述べたように「まとわりついた外因由来の気分・感情領域」それ自体に、当人が認識しているか否か?は別として、認識していなくても「苦しい」筈だからです。
それを説明する為に、今回もVol.145の四つの図を用います。

図の左上のタイプの場合、「自らの感情」である筈が、下二種のような「内発的」なものではなく、外因に反応する度に「喜怒哀楽」「一喜一憂」を感じなければ成らず、

突き詰めれば
「何処に私があるのだろうか?」「私とは何なのだろうか?」
と苦しまねばならないからです。

左上の赤い矢印と、下二図の青い矢印は全く逆の性質です。

実際「生き辛い」と漠然とした感情を常に抱いている人の殆どの原因がこの「反応で生きることの苦しみ」です。
私のセラピーの受講者のほとんどもこれが元凶にあります。

その結果、多くの「瞑想法」が、その「外因反応によって作り出されたHeart」を一時期的に忘却させることを目的としているのです。

確かに、「悩み・苦しみの原因」が取り除かれたような気になります。

しかし、「瞑想」のみならず、今日の多くのセラピー、カウンセリングがそうであるように、数ヶ月、半年で、まだ「苦しみ」がぶり返します。
人によっては、同じ方法では中々楽にならない場合も少なくないのです。

これは、「人間の体の炎症反応・アレルギー反応」と全く同じです。
健康体ならば、適切に「中和=無毒化」出来るものが、「外敵」として、執拗に攻撃し、炎症の飛び火、流れ弾が自らの細胞迄攻撃してしまい「自己免疫疾患」や「アレルギー」となってしまうのです。

それを解決する為に「ステロイド」という化学物質を用いて
「抵抗(攻撃)反応の力そのもの」を削ぎます。

一時は劇的に解決しますが、次第に利き目が悪くなるばかりか、
「自然な機能を破壊」し、様々な深刻な基本的な病気(変調)を来たしますし、
「化学物質の弊害」も深刻です。

しかし、現代の精神的疾患の分野では、
この基本的な仕組み(心関係の問題は体関係の構造と大して変わらない)ということを全く無視しているのです。

「瞑想」や「セラピー、カウンセリング」の場合、
化学製剤を用いない点で、ややマシかも知れませんが、
「機能(自然治癒力)」を駄目にするという点では見過ごせません。

私が敬愛する、彼のヴィヴェカナンダ師が、
「論理は神性・霊性の敵ではない。むしろ不可欠な道筋である(要約)」と説いていた理由もここにあります。

このような実状に於いて、唯一の救いかも知れないのが、
正しい理解をしている施術者による「ラーガ療法」です。

インド科学音楽のラーガの中には、正しく演奏すれば、「論理性」即ち図の右上のピンクの部分「Mind」を活性化するものがあるからです。

そして、この問題をきちんと理解している指導者による「瞑想法」も、
「アサギ色の気分感情領域」の内側にある「意識」との向い合いを促します。

しかし、四図の左上や下二図のように、「論理思考領域(Mind)」のみならず「心(Sprit)」の領域さえもが「(外因反応由来の)気分感情」に浸食されてしまっている場合、「内なる自分」を見たところで、「空洞」かも知れないのです。

従って、現代人の理想的な「正常機能の取り戻し方法」は、この三つ「正しいラーガ療法」「正しい瞑想法」「論理思考力復活」をセットで、入れ替わり立ち替わり行うべきであると言えます。

そして、次第に「論理的思考力」が再生されて来た場合、

「マントラ(言霊と意味)」「ヤントラ(視覚と思考)」の助けを借りれば、
急速に「本来の健康な精神」の再構築が期待出来るのです。

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147、アーユルヴェーダ音楽療法入門9(瞑想と音楽療法2)

今回も、前半の話には前回の図が必要です。

様々な目的と方法の「瞑想法」の殆どは、まず第一に左図の外側の浅葱色(アサギ色)の部分「外因に反応している気分感情意識AhamkaraをOffにすること」から始ります。

次の階層「思考領域」は、思考が正しく論理的であれば、「正しい行為(正しい瞑想)」はフリーパスで「心の領域」にむしろ誘うことでしょう。しかし、「思考領域」が「気分感情」に穢されている場合、かなり厄介なことになります。単純に考えても、ここでもまた、強力な瞑想法が必要になってくるからです。

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このことは「詐欺問題」と極めて類似しています。と言いますか、「同源・同義・同質」なのでしょう。

例えば、
(「詐欺」ではありませんが)「催眠術」などは、「子どもや素直な人が掛かり易い」と言います。逆に「掛かりにくい人」は、不思議にも「詐欺の被害に合い易い」と言われます。明らかに図の左側のような状態であることを示しています。

「詐欺被害に合い易い」ということは、詐欺師に言わせると「掛け易い人」で、

そのような人は、「内心に利己が強く、良い人間と思われたい自意識が過剰」なのだそうです。(1980年代私の店の常連さんに「自称詐欺師」という人が居て、いろいろ学びました)

これも左図のタイプに現れる典型的な性格です。

論理思考は、不偏的で不変的で、真の意味で普遍的なものですから、「Ego」を否定せずとも超越した感覚がある筈なのです。これは「理性」も超越しています。

つまり、「論理的思考」は、既に「忘我」の領域なのです。

不思議なことに、私は子どもの頃から「浮かれ易い」「連られ易い」性格で、自分の被害や苦しさ・悲しさでは決して泣きませんでしたが「もらい泣き」はしょっちゅうでした。

(自転車の二人乗りで、後ろに乗ってスポークにサンダルの足を挟んで爪が根元から剥がれた時でも泣かなかったことは何故か憶えています)

なので「詐欺師の格好の標的だろう」と思って訊けば

「君は一番やりにくいタイプだ」と言われました。

福大医学部の精神科医にも
「君は鬱病にはなりたくてもなれない」と言われたのと同じ意味かも知れません。

「詐欺師の格好の餌食」になり得る左図のタイプの人は、
第一に論理的思考力が極めて枯渇していることにあります。

「論理的思考」が堅固であれば「疑う」も「信じる」も、極めて論理的に考えられるので、「舞い上がってしまう」ということはないのです。

逆に、「本当の感動」などでは、素直に心が躍りますし、気分感情も盛り上がります。
「論理的思考」は、まるで生薬のように、「宿主(生命体の体と心)」にプラスのことはフリーパス。危険なことはブロックしてくれて守ってくれるのです。

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ところが、その城壁が崩れてしまっている人は、「感じる」と「思う」「考える」が区別・分別出来ない「総合体」で、懸命に「疑ったり」「こだわったり」「ころっと騙されたり」してしまうのです。

その「判断の根拠(ものさし)」には一貫性が全くないので、恐らく詐欺師にしてみれば「何度でも騙せるし、騙せば騙す程楽になる」のでしょう。

そのようなタイプの人に「嘘が嘘を呼ぶ」ことが多いのも、同源同質です。

内心か無意識にその「危うさ」を感じているのか知っているのか? 

そのようなタイプの人は、「心が休まる」ということは中々難しいのでしょう。勿体ないことです。

なので、危険度が少ない、安心度が高い友人や、仲間を大切にします。

(他者を大切に想うこと自体はとても良いことですが、理由に問題があります)

しかし、それでも心の奥底を見れば、「心底は信用していない」ということも少なくないようです。
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そして、多くの「瞑想法」が、この「本来の思考領域」で、苦難の壁にぶちあたり、

その辺りかその手前で、一過性の「安堵」を与え・味わって終わるこのが多いようです。

本来より正しい瞑想法ならば(危険な特殊な瞑想法を論外として)

「論理思考の領域」をフリーパスで通過して、
その奥にある「子どもの頃から何も変わっていない心」と対話し、
更にその奥の「魂」と出逢うことが出来る筈です。

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「心との対話」の段階では、臓器や細胞の声も聞こえるに違いありません。

そして、「魂との対話」で初めて、「宇宙の波動(Nada)」を聴くのです。

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146、アーユルヴェーダ音楽療法入門8(瞑想と音楽療法1)

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瞑想の意味・目的
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インド・スピリチュアルグッズ専門店の「シーターラーマ」さんのファンの方の中では、「瞑想に興味関心がある」どころか、何年も実践されて来た方が少なくないと思われます。

そのような方々には周知のことですが、「瞑想」と言ってもそのスタイル(方法)には幾つかのものがあります。

総論で分類すれば、現代の「瞑想」の多くは、20世紀後半にインドや欧米のYogiたちが苦心して「如何に現代人の意識を覆っている観念と自我を取り除くか?」と試行錯誤の末に辿り着いた方法論が主であると言うことが出来ます。

一方、中世インドでは、YogiやSwami(出家者/解脱者とする人もいますが)が、出家者ならではの「瞑想法とその究極の領域」も探求しました。

が、それは在家(今世に社会人として生きる私たち)には、果たして「有益」なのでしょうか? 実際「実存・自我の喪失=存在の抹消」の危険さえもあります。詳しくは、次回ご説明します。
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Vol.143でも紹介した、今回の図は、まず、図の右側が、本来人間が持って生まれた「意識と心の構造」です。

勿論科学的な証明派不可能ですが、世界中で古来から同じことが言われています。

アジア諸国では日本語の「気分感情~思考~心~魂」の順に奥深いと考えられ、欧米諸国では英語の「Heart~Mind~Spirit~Soul」の順に奥深いと考えられています。

概念としては確定していないがため。時代や説く者によって解釈は巧妙に替えられてしまいますが。

「魂の叫び」などが最上級の深みであることや、「心に響いた」などが、日常的ではない深い意味合いを持って語られることもまた、世界中に共通しています。
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また、「魂」に関しては、「輪廻転生」を信じないアブラハム系3教と東洋思想・哲学では解釈が全くことなりますが、西洋でもキリスト教の浸透(以外に東欧北欧の一部などは数世紀も遅れていたらしい)以前には輪廻転生を信じる宗教もありました。

「輪廻転生」を信じる場合、或る意味「魂は神からの預りもの」である訳ですから、「精神~心」の領域の外側近くでぶらぶら浮遊している筈もありませんし、頻繁に「魂の叫び」が聴こえる様でも困ります。

そして、現代人の多くが「感じた/思った/考えた」が混乱・混同していることから、気分・感情が内面奥深くにある筈も無ければ、論理的思考が外側の筈もないのです。

このようにして、ひとりひとりの人間の中の精神世界の構造は、自ずと図のような配置になるのです。

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古代インドの叡智:VedaとTantraでは、「配置図:Yantra」こそは明確に示されていない(残っていないだけかも)にしても、その名称「Ahamkara~Vidya~Chaitaniya~Prakriti」とその順番(価値)は明確に説かれていました。尤も、後世様々な宗派が異なる解釈を説いてもいますが。

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現代人の瞑想の問題と限界
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問題は、現代人の多くが何故、「感じた/思った/考えた」を混乱・混同しているのか?
ということです。

それは、外的要因(外因)に反応して生じる「気分・感情」に、「思考領域」が破壊され、「心の領域」迄もが浸食されているからに他なりません。

左図の「浅葱色(あさぎ色/薄い青と薄い緑が混ざったような)」の「気分・感情」に「思考領域」が完全に支配され、「心の領域」迄もが、「青色化」している状態です。

昔から言われる「心が荒む」の状態でもあります。
また近年良く言われるのが「心が折れる・折れそう」は、「心を守る城壁=論理思考」が欠如しているからに他なりません。
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逆に、「心が強い」は、昔の人の場合、論理性を自覚せずとも、確固たる伝統的な観念とリンクした信念や理念がありましたから、「心が強い」は「意志の強さ」であり、「志」を持っていたという意味です。

つまり「心が強い・弱い」は今も昔も語彙の誤用です。

「心は弱くデリケートで当たり前(正しい=健康)」な筈です。

従って「伝統的な観念/理念/信念」を持ちにくい現代人は、「論理思考力」を失えば、当然のように所謂「心が弱い(折れ易い)」のですが、

解決方法は「心が強くなる」ことではないのです。
それこそ「心が荒んでしまう」に違いありません。

不思議なことに、左図のような状態の人の多くに「青系の色が好き」「空を眺めると落ち着く」という傾向が強く現れます。

これは、現代人に限ったことではなく、あくまでも「現代はそのような人が急増している」という意味です。

60年代のフォークソングで、一説には小学校の音楽の教科書にも取り上げられたこともあると言われる「遠い世界に」など、あの当時の歌には「空に憧れる」というテーマが多く歌われました。

社会の行く末が不明瞭な上に、団塊の世代は人が多く就職難。学園紛争で社会を変えるという夢も潰えていた時代で、今日に似ているとも言えます。(今日の就職問題は質が違いますが、先行き不透明は同じでしょう)

しかし、逆に言えば、そもそも「気分・感情」は、外因に反応して当たり前でもあります。

むしろ「枝葉は雨・風・陽射しを受けて自由自在に揺れたなびいてしかるべき」だからです。

その変わり「太枝と幹はブレてはならない」筈ですが、ここが現代人の大きな弱点であり、考え落ちであり、問題点です。当然「大地に根を張る」など望めようもありません。

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145、アーユルヴェーダ音楽療法入門7(意識と音楽療法4)

現代人の深刻な思考性・思考力
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まず始めにひとつめの図、四つの円図で示した「心と体の四種のタイプ」について説明します。

図の右上は、先天的な障害の場合を除いて(※)おそらくほぼ全ての人間が「生まれながらにして持って居る意識~心の構造」です。それに対して左上は、現代人の極めて多くの人々が陥っている状態を示しています。

図の右下は、かつて「高機能自閉症」と呼ばれた分類の代表的なもののひとつ「アスペルガー症候群」の構造です。左下は、同様にかつて「低機能自閉症」と呼ばれた、先天的に知能(思考)障害がある場合の構造です。

まず、この図の根拠を説明します。

左下の「低機能自閉症」の場合、先天的な機能障害で思考力が極めて脆弱です。

左上の「多くの現代人の構造」と似ていますが、左上の場合、「外的要因に反応して気分・感情」が発現するため、一見して「社会との関係性を持っている」即ち「社会性・コミュニケーションは問題ない」とされるのに対し、

左下は、「心と感情の領域と境目が不明瞭」で、その不明瞭な領域から「感情」が発現するため、ほぼ殆ど外因と無関係(勿論、喜怒哀楽の反応はむしろ強くあるでしょうが)であるので「コミュニケーションが取れない、社会性が欠如」とされます。

これに対して「高機能自閉症(アスペルガーなど)」の場合、思考領域は、基本的に「心」に支配されています。ですが、機能が失われていない場合が多いので、療法と指導によって活性化し得ます。

基本では緑色の矢印のように「内発的」に込み上げるものが感情を支配しますから左下図と同様に「コミュニケーションが取れない、社会性が欠如」とされます。

右上の「本来の構造」では、「魂と心」を「論理的思考力」が城壁のように取り囲み守っていますので、純性(Sattva)が保たれます。

思考領域の外側の「気分・感情領域」は、内発の想いも思考の許可を得て発現し得ますし、外因にも自在に反応します。

故に「芸術・文学の創造」も可能ですし、鑑賞による感動も自由自在です。

勿論、人の悪意の行為や、悪意の無い残酷な言葉に傷つくこともあります。が、「論理的思考」によって、「無毒化」されたり「解毒」されます。

そもそも「心と体」は、基本的に同じ様な機能を持って居るのです。

「論理的思考」は、極めてニュートラルで不偏的ですから、正しく「体の恒常性」に一致します。言い換えれば、この「論理的思考」は、感情と心を恒常的にバランスを取っており、それが「守る」の意味合いです。

そして、今日の人間に極めて多い左上図ですが、「論理的思考」が欠落しているという意味では、下段の「精神障害・意識障害・発達障害・人格障害」と殆ど変わらないのです。しかし、前述しましたように、「外因反応」の御陰で「社会性に問題無し」とされるがため「病気ではない」とされているに過ぎません。

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「感じた」「思った」「考えた」の区別をしない人々
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右上図に書かれた英語の名称は、何方も良くご存知と思いますが、日本よりも先に英語圏で既に曖昧になって来ていたことが分かります。
そもそも西洋先進国でさえも、「Soul/Spirit/Mind/Heartの論理的分別(概念)」は存在しないのです。

それでも欧米諸国の昔の人々や日本の昔の人々は「感じた/考えた/思った/想った」を区別して用いていました。しかし、左上図のような現代人の多くが、この区別が出来ません。これこそがこの図の正しさを明確に証明しています。

「感じた/考えた/思った/想ったを区別出来ない」どころか、「感じたを思ったと言いたがる」「思ったを考えたと言いたがる」という無意識の自己美化もこの数十年横行しています。

かと思えば、最近知って愕然としたのですが、まるで「居直った」かのように、全てを「感じた」と(或る意味正直、正しく)表現する人が増えて来たことです。

この左上図のような構造は、様々な問題を内在しています。

赤い矢印の外因の刺戟にくたびれてしまい、「自分の考え」が自覚出来ないことは勿論ですが、「自分の心」さえも分からなくなってしまう。「自分を見失っている」ことに気付いてしまうという問題です。

また、それに疲弊すると、「心と体」は、自然に自己防衛に取り組みます。その結果が「無気力症候群(アパシーなど)」や「鬱病」です。

同様に、左上図の構造の人が、殺人・傷害事件、我が子の虐待、DVなどの事件を起こすことも、構造上極めて自然で容易なことなのです。つまり、「感じた/考えた/思った/想った」を区別出来ない人はほぼ全て、「何時でも犯罪者になり得る」訳です。

それを防いでいるのは「親の教養の御陰の善悪観念」と「刑罰に対する恐怖」でしかないのです。

しかし、この「観念」も極めて危ういものです。
事実「飲酒運転」が減らないのは、外因=雰囲気に呑込まれ「自分に限って事故らないだろう」というような感覚に支配されてしまえば、最早歯止めはありません。

とりわけ「悪気が無かった=悪くない」という観念の人は、自覚しない間に、極めて恐ろしいことをしていることも少なくありません。

便宜上「現代人」としましたが、実際はかなり昔から左上図の人間は多かったのかも知れません。

外からの情報に左右され、反応して「気分・感情」が形成され、またそれに支配される。その結果が戦争中、殆ど全ての人が「鬼畜米英」「欲しがりません勝つ迄は」などのスローガンを心底思い込んで、従わない人が居ればご近所は勿論、親族迄憲兵に密告したり出来たのです。

元々日本人は、欧米人、インド、アフリカ人などと比べると「大勢に流され易い」傾向があったのかも知れません。

その根拠が分かり易く現れているのが「オーケストラ」が有るか否か?です。

欧米には優秀な西洋クラッシック・オーケストラがあることは言う迄もありませんが、同じ欧米系でもラテン諸国(イタリア、スペイン、ポルトガル)は比較的少なく、世界のトップは、ベルリン・フィル、ウイーン・フィルなどです。アフリカやインドでは殆ど聞きませんが、日本は欧米に迫る程です。

それでも1980年代頃までは、欧米では「自分の意見を言えない人間」は軽蔑されていました。

音楽鑑賞や映画鑑賞の後、日本人お得意の「良かった」「感動した」で済ませることは欧米では「意見」とは認められなかったのです。

「何処かどう、何故良かったのか?」とある程度論理的に語れない人間は、「流される・ブレる人間」として信用さえされなかったのです。

ところが、1980年代以降、欧米も急速に日本的に変化しています。日本製製品の普及やアニメの流行でしょうか?

恐らく今や欧米でも「Heart/Mind/Spirit/Soul」の区別が曖昧な人が増えて来ているのでしょう。

しかし、西洋で最も先進的な文明を誇る国々で「Heart/Mind/Spirit/Soul」という語彙がkろうじてであろうとも今日にも存在し、東洋で最も物質文明が先進した日本でも「感情(感じた)/思考(思った~考えた)/心(想った)/魂(得も言われぬ感覚)」という語彙がかつては普通に存在した以上、人間の「心の領域(残念ながら全体を指す語彙は無い)」は、体の構造と同じように多様で複雑であることを知っていた筈です。

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意識や心にも臓器のような領域と役割がある
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今回のもうひとつの図の縦に二種書かれた「人間の臓器などの器官と心の器官」の図について説明します。

図の左側は、医学・解剖学的に周知の「主な臓器や幾つかの経絡」を現したものです。右は、前述したように「心の領域も同様な筈」に基づいた(現代ではまだ誰も説いていない)「気分感情・思考・心・魂の構造と役割」を現したものです。

恐らく現代人の多くが、「不純物毒物が多いのに『甘くて美味しい』とか『皆が食べている評判が良い』『手軽で便利』などと言って偏った食事をしている」が為に、中央辺りに描いた緑色の消化器がかなり疲弊していると考えられます。

同時に、体では「消化吸収代謝と中和無毒化解毒」を司る「肝臓」に相当する思考(脳機能の或る部分)「論理・分析・消化(理解と納得)」の領域と、それを活性化させる「酵素のような応用力(及び推論力、洞察力)」が全く弱体化していることは明らかです。

また腎臓に相当する領域は「不要物のDetox」ではなく、「有益か無益かを正しく選別・判断出来る『真贋見極め』の力と機能」である筈ですが、「耳に優しい=良い話し/耳が痛い=嫌な(悪い)話し」としてしまったり、よろずに「安直で短絡的で表層的なもの=簡潔で分かり易い」「多くの人が『いいね!』をしている=良い話」のような選択眼では、「腎臓に相当する機能」も全く機能していないと考えられます。

そして、近年「西洋化学医療」の従事者されも見直しつつある「腸内環境」は、「第二の脳」とさえいう専門家も現れていますが、実際「健康な腸壁」は、「悪玉菌や毒素、不純物を吸収しない為の幾層ものバリアーがある」のです。

精神面に於けるそれは、正しく「情報を論理的に整理整頓し分析し「論理領域(思考の肝臓のような領域)」に運ぶ重要な機能領域である筈です。しかし、この領域は、真っ先に「偽の良薬(耳に優しく癒される短絡安直なもの)」で痛めつけられている筈です。

最も分かり易い根拠の例として、
「良薬口に苦し」という言葉や「嫌いなもののでも体の為に食べるべき」や「偏食をせずに様々な栄養素を摂るべき」を、「言葉、文字、文章、音楽などの芸術、娯楽」にも偏り無くより正しく行っているでしょうか? を考えてみて下さい。

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144、アーユルヴェーダ音楽療法入門6(意識と音楽療法3)

「断捨離」や「Detox」流行の問題点
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人間でも猫でも、「良質の食物を摂り」「悪玉菌を減らす」ことが出来れば、便の量は激減します。それが健康のバロメーターでもあります。無論、便秘は何度も毒素を再吸収させ腎臓、肝臓に負担を与えますから言う迄もありません。ところが、この十年二十年、「自然派」を自認する人々の間で「断捨離」や「Detox」が異常な流行です。

体にも心にも、より良質の物を摂り入れるようにするだけでなく、それを享受し消化吸収・代謝する自らの体と心の機能を正常化させる努力を怠り、不必要に「排泄物(断捨離やDetoxを含む)」を増やし、それらの行き先を考えない。そんな身勝手な人間が増える一方では、排泄物、ゴミが自然界に溢れ、やがては「より良質のもの」を得ることさえ難しくなることは明らかです。
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生き物には、その生き物に相応しい「テリトリー」があります。

実のところ、安心で快適であれば、猫などは段ボール箱程度の環境で良く、むしろ落ち着ければずっとそこに居たりします。

昆虫飼育に熱中していた時期っもありますが、賢いクワガタは、
10cmX20cm程度の容器で、充分に安心して健康で居られます。

(正確には、その賢さは「心身ともに健全である」ということで、その「健全さ」は、実は優秀ということではなく、生まれ持った「Defaultの状態」が保たれているに過ぎませんが)、

彼らの自然界での住処が如何に「大樹」であろうと、その「うろ」の大きさなどは飼育容器よりも小さいかも知れません。猫もクワガタも、何らかの必要があって移動したり、気分転換をする時に、ケージや容器から出られれば満足なのです。

人間も同様で、恐らく落ち着いた書斎などは、デスク回りに三畳もあれば充分。

逆に、私が1980年に初渡印した時のデリーのインペリアル・ホテルのトイレが三畳以上もあって、逆に落ち着かず生涯最初で(恐らく最後の)便秘気味になったことがあります。

また、福岡では、窓を開けると遮るビルが一棟しかなく、山を遠望出来ますが、吉祥寺時代は、窓を開けるとほんの1m以下の先に隣のアパートの灰色の壁がありました。確かに、その環境ではおかしくなるのも当然です。

しかし、私が生まれ育った1950年代後半(昭和30年代)はまだ、23区の杉並でさえ近所の雑木林にはクワガタが居て、護岸工事をしていない善福寺川には鮒やザリガニがいました。

生家は借地が広かったですが、近所の家は大体50坪前後で、人間の排泄物は「汲み取り屋さん」が回って回収し肥やしにして畑で活用していました。

ビニールやプラスティックの包装物も殆どありませんでしたから、「生ゴミ」は庭に穴を掘って埋めれば土に還りました。

すなわち、四五人家族でしたら、30坪~50坪の家・土地があれば、充分快適な暮らしであるだけでなく、排泄物もゴミも殆ど「土に還せる」筈だったのです。

ところが、高度成長期の錯覚の中、余計な包装物や使い捨ての消費が台頭し「土に還らないゴミ」が大量に出るようになり、トイレは下水道が完備されました。

これらは「時代の変化」ではなく、明らかに何らかのクレイジーなシステムの暴走です。

確かに水洗トイレは大変ありがたく、衛生上も画期的な改善なのでしょう。しかし石油由来のプラスティックやビニールなどは、今頃になって地球環境を深刻に汚染していることが言われ始めています。

「少子化」が問われる以前から、地方の「過疎化」は言われていました。
何らかの狂った価値観によって、地方都市・都会や大都会に集中し、一方に過疎地を作りながら、他方では川を埋め立て山を削ったのです。

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昭和30年代、四、五人家族ならば、50坪の家土地があれば「自然に戻せない排泄物やゴミ」は殆ど生じなかった。

その状態を今の時代に復元することは不可能なのでしょう。

だからと言って、「摂り込むもの・買い込む物を吟味する」「摂り込み消化吸収する力(食物のみならず、情報や文化芸術も含め)を正常に戻す」「排泄物やゴミを減らす」ということを考えず、実行せずに、

目先の自分の都合の良い・居心地の良さばかりに執着していれば、社会や環境はどんどん悪くなる。私たちひとりひとりは、決して被害者ではなく、むしろ加害者の筈です。

勿論、昔の人々も「水に流す」という常套句があるように、「川や海に捨ててしまえば良い」と考えていたと思います。

しかし、近現代は「自然に還元されない素材が多く用いられている」
「その素材を用いたものを消費・使い捨てることが異常に無駄に多い」
「そもそも社会と人間の価値観が消費文化・消費社会で『当たり前』になってしまっている」

「社会全体のことや環境全体、地球全体のことを考えずに『ゴミは決められた日に出せば許される』としか考えない」などという、

昔では考えられないクレイジーなことが「普通」になっています。

この「地球~社会~個々の人間の狂った意識と行為」を「個々の人間の体と心」に置き換えてみて下さい。共通するテーマは「宿主(環境)のことを考えずに効率の悪い代謝(老廃物が多い)のみならず、毒素まで放出しても『断捨離/Detox=普通の行為』として顧みず、自らの居心地さえ良ければ良いという意識」です。
これは、人間の体内では「悪玉菌と癌細胞」がしていることに他なりません。

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143、アーユルヴェーダ音楽療法入門5(意識と音楽療法2)

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社会(人間集団)の問題点は、個々の人間の心と体の状態に符合する
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社会の状態は、不思議なことに、個々の人間の「心と体の状態」を見事に反映しています。それはまた、「転写している」とも言うことが出来ます。

実はこれは、「不思議」でもなんでもなく、それが道理なのです。

アーユルヴェーダでも中医・漢方弁証論治、指圧、鍼灸でも、人間の「心と体全体の様子」は、耳や足の裏(Reflexology)や口腔(ある程度は舌にも)に見事に現れていると説きます。

そのように、あらゆる物事は、一見何の関連もなさそうな何らかの側面や断面に見事に現れていることがあるのです。

ましてや社会は個々の人間の集合体であり、個々の人間は社会の最小単位(部品)です。関連性がない訳がありません。

しかし、殆どの国民は、社会のクレイジーさや本末転倒な状態や出来事を見ても、それが「自分自身の心と体の狂い」に原因があるとは考えません。

むしろ逆で「自分こそは善良な一市民に過ぎない」「むしろ社会の狂いの被害者だ」としか考えません。

それどころか、自分自身(や限られた周囲の人間=家族など)さえが「健康で長生き」であれば良いというような利己主義がまかり通ります。

しかもそれらの殆どが「心と体」ではなく、「体の健康=良質で安全な食物や水」ばかりと言うのですから、そもそもここにも「クレイジー」が存在します。

「集団の構成員」が、「自分さえ良ければ良い」と考えた時、その「集団」は愚か「環境」までが狂うという、子どもでも分かることが分からないのです。

そして、「環境」や「社会」にクレームを着けて「生き辛い、苦しい」と不平不満ばかり。それで「心」が健全である筈もありません。

個々の人間の「心(正確には思考が先ず狂い、感情・感覚に支配され、心は発言力を奪われ萎縮するのですが)」が狂えば、社会も狂い、それによってまた、個々の人間の「精神性」は悪化し、急速に悪循環を作り出します。

東日本大震災直後から数ヶ月は「助け合い」の風潮が広がりましたが、日本全体で見れば、「自己防衛人間の塊(集団)」に変貌するのに半年も掛かりませんでした。

しかし、TVなどのマスコミが被災地の窮状や他地域の人々の支援を伝えない日はありませんでした。つまり、情報では依然「助け合い」を謳っているにも拘らず、個々の人間は一様に(シンクロニシティー)「自分守り」に転じていたのです。

集団の大勢がある方向に収束して猛進するためには、文字や言葉の情報や煽動が無くても、まるでテレパシーが通じたかのように動き出すことがあるのです。

言い換えれば「個々の人間が変われば社会も変わる」ということでもあり、むしろそれしか即効的で効果的な方法はないのかも知れません。

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142、アーユルヴェーダ音楽療法入門4(意識と音楽療法1)

現代の音楽療法に立ちはだかる大きな壁
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現代人に対する「音楽療法」に「効きにくい」という問題が生じた場合、それは「西洋音楽の理論と楽器を用いているから」の原因に加えて、「現代人が音楽に麻痺している」原因が考えられます。

尤も、現行の「音楽療法」のように「癒せば良い」「リラックスさせれば良い」「楽しませれば良い」のレベルならば、「効いたようだ」で充分なのかも知れませんが、本来のアーユルヴェーダ音楽療法では、「循環器では血圧調整(高血圧を下げるだけでなく、低血圧をも正常にする)」「呼吸器では肺炎・インフルエンザ」「消化器では下痢・便秘」「神経系では頭痛・偏頭痛・リウマチ」さえも治療していたのですからそれが「効かない」場合には、もっと高いレベルの検証が必要になります。

勿論、施術者(音楽療法を施す側)の「音楽の深み」、多くの場合「短絡的で表層的」である、と言う問題も極めて多く見られますが。
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しかし、実際のところ、これらの原因に加えて、最も大きな要因なのが、「被施術者(クライアント)の意識・思考性・感性の問題」が挙げられます。
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ピラミッド図は、「理想的な人間(哺乳類はだいたい同じです)の機能の在り方とバランス」を示しています。

ピラミッドの下に行けば行く程、重要であるとともに基本的で、構成する細胞や組織が多数で複雑になっています。最も上の頂点にある「通常意識」は、ただひたすらに「健全であれば良い」という程度の存在です。

ところが、現代人は、この「通常意識」が「健全でない」がために、ピラミッドの全ての要素のバランスを壊してしまうのです。
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理想的な心と体の状態は、ピラミッド型
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このことは、ピラミッドを「国家」に喩えると子どもでも直ぐに理解出来ます。

一番底辺の緑色の部分は、国土の「豊かな自然」であり、それを守りながらも享受する「農業、漁業、林業」などの産業に当てはまります。

二番目の茶色(オレンジ色)の部分は、「自然から得た素材」と、それによる「製造業」です。三番目のピンクの部分は、それを全国にバランス良く網羅させるための最低限の「インフラ設備」と「運送業」「情報関連業」と言えます。

頂点の直ぐ下の水色の部分は、それらを全てバランス良く、効率良く取り仕切る「行政・官僚、警察、消防、社会福祉、医療」などの組織であり、これらがしっかりしていれば、頂点の「為政者」は、実際「お飾り」でも良いのです。
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ところが、今日の日本の場合はどうでしょうか?

「仮に政治や行政が理想的でも、どの道今の人口はこの国土の資源では賄えない筈だ」という意見や統計もありますが、それ以上に農業も漁業も烈しく衰退しています。

尤も、所謂「食糧自給率」では、全ての事実や実力を知ることは出来ません。自然環境によって「理想的な自給率」は国・地域によって異なるからです。

恐らく日本の場合は、理想的な状態でも60%を越えることはないのでしょう。
しかし、今日の30%程度やそれ以下(統計にはカラクリがあるので良く分かりませんが)は明らかに異常であり、個々の人間に置き換えれば、明らかに「病的」です。

また、二番目の「製造業」も、古代~中世のように、「材木や石を積み上げて道や家を建てる」のではなく、山を削りセメントを用い、石油・石炭を掘り起こして燃やすことを始めた段階で、その悲惨な末路は見えていました。

今日に至っては、自然豊かな地域の海底でさえ、微細なプラスティックの欠片で汚染されていると言います。

しかもこの「製造業」は、「次々に売る為に『壊れるように』作ってあり『使い捨て』を促している」のですから、クレイジーの極みです。

これは世界に先立って日本がその風潮を作りました。

例えば、「無骨だが何十年も仕えるテレフンケンのラジカセ」は、「おしゃれなソニー」に負けてしまい、ソニーに倣うことで生き残るしかない価値観を日本人が作ってしまったのです。ほぼあらゆる商品や業種に於いて。

ピンクの「インフラと輸送業」もクレイジーの極みです。

1970年代までは、国鉄は終電以降、長い貨物車を走らせていましたが、激減し、大型トラックに取って替わられました。
ネット通販が主流になってからは、そのクレイジーさは倍増しています。

官僚や行政、命を預かる医療、消防、警察、そして教育に於ける狂った意識の人間が起こす事件や事故も1980年代から増加の一途です。

このピラミッドを組織単位に見た時の組織(企業など)の上層部の腐敗、組織ぐるみの不正も年々増加し、質が悪くなっています。

そもそも「目先の利己」が最も重要な関心事であり、価値であるような人が「公僕」でしかるべき仕事が出来る筈もありませんが、人間は、ピラミッドの上に存在してしまうと、「位が上」と勘違いしてしまう愚かな生き物なのです。

頂点の「政策の最高決定権」が首相だと言うならば、過去数十年、誰に変わっても「悪くなったとしても良くはならない=同じことの繰り返し」である事実からして、良くも悪くも、やはり「お飾り」に過ぎないのかも知れません。
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独裁権力者のようなAhamkaraで良いのか?
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かつてのナチス・ドイツや今日の北朝鮮のような「独裁国家」の場合はどうでしょうか?

1920年代では、まだ世界中で農業、漁業従事者が圧倒的多数で、国内自給率もその後と比べれば遥かに高い水準でした。

しかし、ナチスが台頭して近隣祖国に次々に侵攻する頃には軍事費が膨大になり、働き手も兵隊に取られます。北朝鮮もしかりです。

すると見た目は理想的なピラミッドと同じですが、お金は愚か、食用さえもピラミッドの中下方に行き渡らないのです。

この状態を人間の「心と体のピラミッド」に当てはめると、
「通常意識(Ahamkara)」が、「国民と国土と国力(軍事力などでは全くなく)=体全体」のことを充分に顧みず「砂糖で甘いもの、刺戟の強いもの、ファスト・フード、化学添加物」や、それに相当する「言葉、音楽」を無作為に摂り込んでしまえば、
「心と体」は、「摂り込まれた毒性」に対応するので精一杯となります。

肝臓などは、無毒化と解毒にほとんど力を費やしてしまいますし、腎臓はその後始末に疲弊します。

臓器や細胞には充分な営養が行き届かず、血管壁には汚れが溜まり、血液も濁り、優良細菌が減り悪玉菌が増え、更に毒素を出すという、極めて深刻な悪循環が出来あがります。

そうなってからDetoxに躍起になっても手遅れか、良くて「気休め・自己満足」に過ぎません。「癒し」もしかり、そのような状態では「癒されている場合」ではないのです。

しかし、今日、極めて多くの人々の「通常意識」は、このような独裁国の最高権力者状態なのです。

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141、アーユルヴェーダ音楽療法入門3(音楽療法とは?3)

「音楽療法」が説かれ始めたのが1970年代で、西洋医学界でも代替医療に於いて「音楽療法」の価値と効果を認める論文が出始めたのが2010年代と述べました。
しかし、
「音楽療法」は、紀元前数千年も前から存在するのです。と言うよりも、そもそも「音楽は療法のためだった」のですから、人類が音楽を発見・創作した時点が「音楽療法」の始まりとも言えるのです。
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太古の音楽療法
地域によっても異なり、当然学者によっても異なりますが、世界中で普遍的に「信心~宗教」というものは、「アニミズム~シャーマニズム~宗教」という順に発展、変化して来たことは紛れも無い事実です。

それぞれを簡単に説明します。

「アニミズム(精霊信仰、物皆神が宿る~天体や大気、大地、山や河、そして天候も神)」という意識は、まだ人間が「宇宙の波動」を良く受け止められていた段階の信仰と言えます。

そして、最も重要な点は、この段階では、人間ひとりひとりの内面に信仰があり、それは他者と合致させる必要もなく、つまり教義も神殿も不要の状態でも、皆が一様に万物に神を感じていた、ということです。

それが「シャーマニズム」に取って替わられるようになったのは、或る意味人間の集団が人間に「安全と安心」を与えた段階に到達したからと言えます。

それまでの人間たちは、或る意味「日々簡単に、あっけなく死んでいた」のです。
獣に喰われるやら、毒蛇に咬まれるやら、転んで怪我をして感染して死ぬやら、です。

言い換えれば、常に「死」が身近にあれば、さしてそれを恐れることもなく、ごくごく普通の感覚で、むしろ「死んで当たり前」と思ったかも知れませんし、獣に喰われることも、食物連鎖の中でごく自然なことだったに違いないのです。

ところが人間が集団を形成し、夜獣に教われないように「松明」を炊き、見張り番を起くようになると、圧倒的に「死亡率」が下がります。

すると人間は「死を恐れるようになる」のです。戦いの場合の死は、また別な意味合いを持ちましたので、「恐るべき死」の殆どが「病気」です。

精神病の類いは、域ながらにして人間性を失ってしまった「意識の死」のように考えられていた形跡が世界に散見出来ます。

この段階でこそ、「特殊な人間=シャーマン」が存在し得る訳です。

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「シャーマン」は、一般に「呪術師」的に理解されますが、「医者」であると同時に、「霊媒者」でもあり、同じ力を権力者が悪用すれば「呪術/呪い」という使われ方もします。
この時に「音楽」が生じたのです。
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尤も私は、拙著「スローミュージックで行こう(岩波書店)」で、「太古人間には二種
あり、それは『森の人』と『火の人』であった」と説きました。

「シャーマン」が現れたのは後者の集団であり、前者の人々は、依然「死を当然と考え恐れず」「闇も夜も恐れず」森に住み続けて居たのです。

ごく近年まで世界の幾つかの地域にはそのような「裸族」と呼ばれる人々が住んでいました。

彼らは前述の「シャーマンの音楽」とは全く異なる音楽を奏でていました。

それは「鳥や昆虫の鳴き声の真似」から発したもので、鳥や昆虫同様に、人間同士の「求愛」などで奏でられました。

当然、発展して「心を和ませる(癒すとは基本的に次元が異なります)」「先祖や万物の神に語る」などもあったことでしょう。
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「シャーマンとその音楽」は、後に集団が社会に発展した頃まで続きます。近年でも世界の幾つかの地域には「シャーマンの伝統」が残っていました。

しかし、ある時期を境に、世界中でシンクロニシティー的に、多くの場所で「宗教」が生まれます。するとシャーマンは、弾圧されたり、上手いこと生延びて「新宗教の神官」になりました。

ちなみに「シャーマン」は、基本的にその特殊な能力を「門外不出の秘技」として、世襲のみに継承すると共に、一般人との交わりを厳しく避けました。ここにも「身分階級、差別~苛め」の原点が見られます。
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シャーマンの秘技と伝統、そして音楽が「宗教」に取り入れられる段階で、社会はかなり発展し、殆どの場合、宗教は「社会の維持=権力者による統治」に利用されます。そして、その頃になると人間が「最も恐れる敵」は、最早獣や闇ではなく、「敵対する人間」となっていました。

必然的に「戦い」が頻発し、音楽は「戦士を鼓舞する」という目的で、ドラッグと共に活用されました。

私は、都下吉祥寺で1978年から99年までの20年間、日本で最初の民族音楽と民族料理のライブスポットを運営していましたが、90年代に南太平洋物産の輸入行者と取引をして「生の椰子の実」をインド式にストローを差してお客さんに出していました。

開店当時は、まだ中央線沿線に「ルーを使わないカレーを出す店」が他に二件位しかなかった時代です。

或る時、その南太平洋物産会社から黒檀(正確には南洋の堅木)の見事な彫りのスプーンと、或る樹木の根から得る「Kava」の粉末を勧められました。

「カヴァ」は、後に言うところの「合法ドラッグ」でした。
お客さんに提供することは勿論、自分もクセになったら「歯が溶けるらしい」と聞いていたので、お断りしました。が、スプーンは一瞬「サラダに使ったら面白そう」と思いましたが、本来の用途を聞いて止めました。

それは、戦争で倒した隣の部族の勇者の「脳味噌の刺し身」を食べるための特別なものだったからです。

「勇者であること」と「死の直前に体中を回る或る種のホルモン」を摂り込むことで、食したものも勇者になれると考えられていたのですが、かなり真実だと思います。古代後期からインドの僧侶が菜食になった理由もそこにもあります。

戦争で死を恐れず、日常では耐えられない様な傷の痛みにも負けずに闘い続ける為に、そのような成分を食べ、ドラッグを用い、そして「軍楽」を奏で、舞って船上に駆り出して行ったのです。その意味では「軍楽」も、或る種の「音楽療法」だったと言えます。
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このように「音楽」は、目的によってその質を替えながらも、いずれも「薬」として用いられていたのです。(前述の「森の人の音楽」は別として)

しかし、その時代、一般庶民の回りには、日常音楽は殆ど存在しません。

勿論、「鼻歌」を歌うことはあったかも知れませんし、「労働歌」もあったかも知れませんが、禁じた社会もあれば、音楽に対して「畏怖の念」を抱いた地域や民族もあれば、「卑しい」と考えた場合もあり、いずれにしても近現代のような「楽しみ目的」「誰もが事由に」ではなかったことは世界中で普遍的なようです。

逆に言えば、そのような時代だからこそ「音楽が薬になり得る」ということでもあり、現代では、「音楽を薬にする為には、かなりの理論と被施術者の受け入れ態勢が求められる」ということでもあります。

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何時も最後迄ご高読をありがとうございます。

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You-Tubeに関連作品を幾つかアップしております。
是非ご参考にして下さいませ。

Hindu Chant講座Vol.1

Hindu Chant講座Vol.2

Hindu Chant講座Vol.3

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Vedic Chant入門講座(基本理解編)

Ayurveda音楽療法紹介(基礎理解編)

アーユルヴェーダ音楽療法 (実践編1)

アーユルヴェーダ音楽療法 (実践編2)

アーユルヴェーダ音楽療法 (実践編3)

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(文章:若林 忠宏

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140、アーユルヴェーダ音楽療法入門2(音楽療法とは?2)

音楽療法の問題点
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「音楽療法」は、古くは1970年前後から唱えられ始め、2010年には医学界でも認める人々が現れ始めましたが、今現在も尚、エビデンスが充分に得られていないところに、「真贋入り交じった」状況になっていることもあって、その価値が充分に示されていません。
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そもそも現行の「音楽療法」には、極めて大きな問題点(欠陥と言っても良い)があります。

それは「西洋音楽一辺倒の価値観」と、それによる「西洋音楽を基本に行うことの本末転倒」を第一に挙げることが出来ます。

その一方で、音楽療法士が民族打楽器を用いたり、音叉やSinging Bowlなどを用いることも、「体の医学」に於ける「代替医療」や、不勉強の「中医・漢方生薬の起用」と同様の本質的な問題があります。

そもそも民族音楽を理解出来ていない人が民族楽器を用いることを経口薬に置き換えるならば、中医・漢方生薬を「弁証論治」を理解せずに投与していることと全く同じです。

東洋医学では、「症状が同じ」でも、「証」が異なれば全く逆の処方になりますから、「薬が毒に転じる」こともかなり在り得るのです。

実際、アフリカ太鼓や打楽器によって、クライアント(被施術者/ペイシェント)を過度に興奮させるだけだったり、音叉やSinging Bowl、ハープなどの金属音や長い波長、可聴範囲を越る為に弊害が分かりにくい周波数などによって、脳機能の活性が大きく偏ることも懸念されます。

巷に溢れる「サプリメント」と同様に、そもそも全く考え方が異なる東洋医学・医療の産物を、相変わらずの「局所対処療法」的にしか活用出来ないことも大問題です。

そして、「癒されました」という「クライアントの感想(認識)からだけのモニター」で、「療法」が出来たと考える恐ろしい風潮も蔓延しています。

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このような問題点の中で、最も基本的な元凶は、西洋音楽による療法です。
その理由は、ちゃんと説明すれば小学生でも分かる簡単なことです。

西洋音楽と西洋楽器は、一言で言えば「誰が弾いても同じような美しい音が出ること」が基本にあります。言わば「全体主義(結束主義)音楽」です。

私はこれを「小学校の朝礼や運動会の行進のようだ」と喩えます。

一方の非西洋音楽(アジア、アフリカ、古い北米中南米、太平洋の音楽)の場合、
その素材の自然度と工法によって、「同じ製作者が同時期に作っても音が異なる」のが当たり前で、むしろそれを「良し」としています。

西洋歌唱法のコルラトゥールなどの「喉を不自然に作った無個性の声」は、
「全体主義(結束主義)音楽」の合唱では、極めて重要な不可欠の技法ですが、

非西洋諸国では、「地声が最も美しい」とされ、
「人それぞれで異なる声」は、人それぞれが「神から貰ったもの」という考えです。

私はこの様相を「小学校の昼休みの校庭の様子」と喩えます。

縄飛びをする子たち、鬼ごっこ、缶蹴り、サッカーの練習などなど。
「勝手に自由に」のようで、それぞれのグループの中では「遊びをつまらなくさせないためのルール」が厳しく守られ、異なるグループ間でもルールは厳しく問われます。

この話しが理解出来る人は
「大人と子どものどっちがルールを守りますか?」という問いに、
正しく「子ども!」と答えられる人でしょう。

大人は、内心では「ルールなんて知ったことか!」とか「守らないと批判されるから」と極めて自意識過剰な感覚で捕らえています。
「自分のルール」をやたらに堅持する人も居ますが「社会的ルール・対人ルール」を「自分のルール」に出来ている人は極めて希です。「相手次第」で瞬時に変わる人ばかりです。

一方子どもは、「守らないと遊びがダレる、だらしなくなる、
気持ちが荒れる=遊びがつまらなくなる」から、真面目に守ろうとします。

このことが分からないのに、「民族音楽」や「民族楽器」を「楽しみ・癒しのためだけに」好き勝手に用いる人ももの凄く増えました。現地で学んだとしても
「技」だけでは「仏作って魂入れず」に過ぎません。

そもそも「民族音楽(風)」だったり「民族楽器の起用」であっても、精神性が西洋式であったならば、それは「だらしなく乱れた行進」のようなものかも知れません。
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そもそも「音楽療法」をしようとする人の殆どが「音楽を子どもの頃から習っていた」とか「音楽が好き」という人ばかりです。

私は、三四歳の頃からピアノ教師だった母に強要されましたが、意識では「頑張ろう」としているのですが、腹痛や蕁麻疹などが現れ(心因性ですが)親を諦めさせました。

一族で西洋音楽が出来ない唯一の存在です。
(母が生徒さんに教えるのを『門前の小僧』で聴いて育ちましたが)

「小学校の音楽の時間」は、まず九割廊下に立たされていました。
六年間同じだったあの先生は、後に私が民族音楽の第一人者として紹介されたり、「題名のない音楽会」でオーケストラと共演をした姿を見て下さったならば、さぞや驚いたことでしょう。
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尤も、近年民族音楽を演る人の多くは、西洋音楽の基礎が無い人も多いことでしょう。そのような風潮や、「お気楽・楽しみのためだけ」の風潮を作ったのは、都下吉祥寺で20年日本初の民族音楽ライブスポットをやっていた「お前にも大きな責任・罪がある」と言われれば、反論は出来ません。

「小手先の基本」を終えた段階(入門~初級)で、「そろそろ心や魂の学びだ」という頃に殆どその意味も価値も理解出来ずに止めてしまう人ばかりだったから。
という言い訳もあります。今頃になって、「先に心」「自分との向い合い」を説いていた方が良かったのだろう、と思っても手遅れでしょうが。
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「西洋音楽で療法すること」の大きな音楽理論上の問題のひとつに、「平均率」があります。これはかなり深刻な問題です。

また、そもそも前述のように、西洋音楽は、「社会性の極み」と言っても過言ではありません。しかし、クライアントの多く、例えば幼児の場合、「多動性」「注意欠陥」「アスペルガー」などの自閉系。青少年の場合「無気力」「感情制御の問題」。青年の場合「アパシー」「鬱」、中高年の場合の「認知症」などはいずれも、「社会性の問題」「社会力の低下」と言えます。

先天的な機能障害を除いて、様々な要因から、当人の「心(意識より深いところの)」が、「社会性」を拒否し、抵抗しているのです。

幼少期の私が「意識では母の期待に応えよう」としているのに、「腹痛」や「蕁麻疹」が出るのは、「心の悲鳴」とも言えます。

今日でこそ、それを理解しようという風潮(むしろ過剰になっていますが)も見られますが、当時はすべて「根性問題」とされて来ましたから、母が「親子だから甘えるのだろう」と雇った音大生の家庭教師には、「竹の物差し」でビシビシ手を叩かれました。

普段は上品で優し気なべっぴんさんでしたが、彼女もそうやって学んで来たのです。そんな時代です。

「社会性の極みの音楽」で、「社会性・社会力が弱まったクライアイント」に療法が出来る筈もありません。

逆に言えば、症状によって、そして、療法の進展によって、(もし社会性の取得が目的ならば)西洋楽器の音や西洋音楽を起用することは、むしろ賢明とも言えますが。

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(文章:若林 忠宏

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