ヨーガ・スートラ第4章第24節

Hindu God Yoga Sutra of Patanjali Statue on Exterior of Hindu Temple


तदसङ्ख्येयवासनाभिश्चित्रमपि परार्थं संहत्यकारित्वात्॥२४॥
Tadasaṅkhyeyavāsanābhiścitramapi parārthaṁ saṁhatyakāritvāt||24||
タダサンキャイェーヤヴァーサナービシュチトラマピ パラールタン サンハティヤカーリトヴァート
それは無数の潜在的傾向により多様であるが、他者のために存在する。なぜなら、心は複合体であるから。

簡単な解説:前節において、心は、見るものと見られるものとの両方から染められることによって、すべてを理解すると説かれました。本節では、心は無数の潜在的傾向を保有し、複雑多様であるけれども、それは他者(プルシャ)のために存在していると説かれます。それは、心が複合体であるからで、心はプルシャと結合してはじめて機能するということが説かれます。

ヨーガ・スートラ第4章第23節

Hindu God Yoga Sutra of Patanjali Statue on Exterior of Hindu Temple


द्रष्टृदृश्योपरक्तं चित्तं सर्वार्थम्॥२३॥
Draṣṭṛdṛśyoparaktaṁ cittaṁ sarvārtham||23||
ドラシュトリドリシュヨーパラクタン チッタン サルヴァールタム
見るものと見られるものに染められて、すべてを理解する。

簡単な解説:前節において、純粋精神である意識は変化したりはしないが、覚がそれに近づきその形像が映し出されると、自己認識によって、その本質に気づくのであると説かれました。本節では、心は、見るものと見られるものとの両方から染められることによって、すべてを理解すると説かれます。

ヨーガ・スートラ第4章第22節

Hindu God Yoga Sutra of Patanjali Statue on Exterior of Hindu Temple


चितेरप्रतिसङ्क्रमायास्तदाकारापत्तौ स्वबुद्धिसंवेदनम्॥२२॥
Citerapratisaṅkramāyāstadākārāpattau svabuddhisaṁvedanam||22||
チテーラプラティサンクラマーヤースタダーカーラーパッタウ スヴァブッディサンヴェーダナム
意識は変化しないが、その形像を映し出す時、自己認識によってその本質に気づく。

簡単な解説:前節において、もし心が別の心によって見られるとするならば、覚から覚への際限のない連鎖に陥り、さらには記憶の混乱が生じると説かれました。本節では、純粋精神である意識は変化したりはしないが、覚がそれに近づきその形像が映し出されると、自己認識によって、その本質に気づくのであると説かれます。

ヨーガ・スートラ第4章第21節

Hindu God Yoga Sutra of Patanjali Statue on Exterior of Hindu Temple


चित्तान्तरदृश्ये बुद्धिबुद्धेरतिप्रसङ्गः स्मृतिसङ्करश्च॥२१॥
Cittāntaradṛśye buddhibuddheratiprasaṅgaḥ smṛtisaṅkaraśca||21||
チッターンタラドリシュイェー ブッディブッデーラティプラサンガハ スムリティサンカラシュチャ
心が別の心によって見られるならば、覚から覚への際限のない連鎖となり、さらには、記憶の混乱が生じる。

簡単な解説:前節において、心は見るものと見られるものを同時に認識することはできないと説かれました。本節では、もし心が別の心によって見られるとするならば、覚から覚への際限のない連鎖に陥り、さらには記憶の混乱が生じると説かれます。心を見る不変のプルシャの存在を認めるべきであるということが説かれます。

ヨーガ・スートラ第4章第20節

Hindu God Yoga Sutra of Patanjali Statue on Exterior of Hindu Temple


एकसमये चोभयानवधारणम्॥२०॥
Ekasamaye cobhayānavadhāraṇam||20||
エーカサマイェー チョーバヤーナヴァダーラナム
そして、同時に両者を認識することはできない。

簡単な解説:前節において、心は自分自身を照らし出すことはできないと説かれ、それは、心がプルシャに見られるものであるからだと説かれました。本節では、心は見るものと見られるものを同時に認識することはできないと説かれ、心が自分で自分を知ることはできないということが説かれます。

ヨーガ・スートラ第4章第19節

Hindu God Yoga Sutra of Patanjali Statue on Exterior of Hindu Temple


न तत्स्वाभासं दृश्यत्वात्॥१९॥
Na tatsvābhāsaṁ dṛśyatvāt||19||
ナ タトスヴァーバーサン ドリシュヤトヴァート
それは、自らを照らすものではない。見られるものであるから。

簡単な解説:前節において、心の働きは常に知られていると説かれ、それは、心の主人であるプルシャが決して転変しないからであると説かれました。本節では、心は自分自身を照らし出すことはできないと説かれ、それは、心がプルシャに見られるものであるからだと説かれます。

ヨーガ・スートラ第4章第18節

Hindu God Yoga Sutra of Patanjali Statue on Exterior of Hindu Temple


सदा ज्ञाताश्चित्तवृत्तयस्तत्प्रभोः पुरुषस्यापरिणामित्वात्॥१८॥
Sadā jñātāścittavṛttayastatprabhoḥ puruṣasyāpariṇāmitvāt||18||
サダー ジュニャーターシュチッタヴリッタヤスタトプラボーホ プルシャスヤーパリナーミトヴァート
心の働きは常に知られている。プルシャは転変しないからである。

簡単な解説:前節において、対象物は磁石のように心を引き寄せ自分の色で染めると説かれ、そうして心が関係を持つ対象物は知られ、持たない対象物は知られないと説かれました。本節では、その心の働きは常に知られていると説かれ、それは、心の主人であるプルシャが決して転変しないからであると説かれます。

ヨーガ・スートラ第4章第17節

Hindu God Yoga Sutra of Patanjali Statue on Exterior of Hindu Temple


तदुपरागापेक्षित्वाच्चित्तस्य वस्तु ज्ञाताज्ञातम्॥१७॥
Taduparāgāpekṣitvāccittasya vastu jñātājñātam||17||
タドゥパラーガーペークシトヴァーッチッタスヤ ヴァストゥ ジュニャ-タージュニャータム
心が対象物によって染められるかに応じて、対象物は知られたり、知られないことがある。

簡単な解説:前節において、対象物は一つの心に依存しているのではない、もし一つの心に依存しているのであれば、その心が認知しない場合、その対象物はどうなるのかと説かれました。本節では、対象物は磁石のように心を引き寄せ自分の色で染めると説かれ、そうして心が関係を持つ対象物は知られ、持たない対象物は知られないと説かれます。

ヨーガ・スートラ第4章第16節

Hindu God Yoga Sutra of Patanjali Statue on Exterior of Hindu Temple


न चैकचित्ततन्त्रं वस्तु तदप्रमाणकं तदा किं स्यात्॥१६॥
Na caikacittatantraṁ vastu tadapramāṇakaṁ tadā kiṁ syāt||16||
ナ チャイカチッタタントラン ヴァストゥ タダプラマーナカン タダー キン スヤート
対象物は、一つの心に依存しているのではない、その心が認知しない場合、どうなるのか。

簡単な解説:前節において、顕現する対象物が一つであっても、それについての想念は人の心によって相違するため、対象物と心は異なる道を歩むと説かれました。本節では、対象物は一つの心に依存しているのではない、もし一つの心に依存しているのであれば、その心が認知しない場合、その対象物はどうなるのかと説かれます。

ヨーガ・スートラ第4章第15節

Hindu God Yoga Sutra of Patanjali Statue on Exterior of Hindu Temple


वस्तुसाम्ये चित्तभेदात्तयोर्विभक्तः पन्थाः॥१५॥
Vastusāmye cittabhedāttayorvibhaktaḥ panthāḥ||15||
ヴァストゥサーミイェー チッタベーダーッタヨールヴィバクタハ パンターハ
対象物が同一でも、心は相違するため、それらは別の道を歩む。

簡単な解説:前節において、グナは三つ存在するが、それが三者一体の転変をすることにより、対象物は一つの物事として顕現すると説かれました。本節では、顕現する対象物が一つであっても、それについての想念は人の心によって相違するため、対象物と心は異なる道を歩むと説かれます。