ヨーガ・スートラ第2章第20節

Hindu God Yoga Sutra of Patanjali Statue on Exterior of Hindu Temple


द्रष्टा दृशिमात्रः शुद्धोऽपि प्रत्ययानुपश्यः॥२०॥
Draṣṭā dṛśimātraḥ śuddho’pi pratyayānupaśyaḥ||20||
ドラシュター ドリシマートラハ シュッドーピ プラティヤーヌパシュヤハ
見るものは、見る力そのもので、純粋にも関わらず、心の働きを通して見ている。

簡単な解説:前節において、「見られるもの」の三つのグナについて、特性のあるもの(五大、十根、意)、特性のないもの(五唯、我慢)、痕跡だけのもの(覚)、痕跡のないもの(自性)と、4つの展開の段階があると説かれました。本節では、「見るもの」について、それは純粋な意識であるにも関わらず、心の働きによって、その影響を介して見ていると説かれます。

ヨーガ・スートラ第2章第19節

Hindu God Yoga Sutra of Patanjali Statue on Exterior of Hindu Temple


विशेषाविशेषलिङ्गमात्रालिङ्गानि गुणपर्वाणि॥१९॥
Viśeṣāviśeṣaliṅgamātrāliṅgāni guṇaparvāṇi||19||
ヴィシェーシャーヴィシェーシャリンガマートラーリンガーニ グナパルヴァーニ
特性のあるもの、特性のないもの、痕跡だけのもの、痕跡のないものが、グナの展開の段階である。

簡単な解説:前節において、「見られるもの」とは、三つのグナをあらわす、光輝、行動、停止の性格を持ち、それらから展開した、物質元素(五大)、知覚と運動の器官(十根)からなり、自己の本質の経験と解脱を目的とするものであると説かれました。本節では、「見られるもの」の三つのグナについて、特性のあるもの(五大、十根、意)、特性のないもの(五唯、我慢)、痕跡だけのもの(覚)、痕跡のないもの(自性)と、4つの展開の段階があると説かれます。

ヨーガ・スートラ第2章第18節

Hindu God Yoga Sutra of Patanjali Statue on Exterior of Hindu Temple


प्रकाशक्रियास्थितिशीलं भूतेन्द्रियात्मकं भोगापवर्गार्थं दृश्यम्॥१८॥
Prakāśakriyāsthitiśīlaṁ bhūtendriyātmakaṁ bhogāpavargārthaṁ dṛśyam||18||
プラカーシャクリヤースティティシーラン ブーテーンドリヤートマカン ボーガーパヴァルガールタン ドリシュヤム
光輝、行動、停止の性格を持ち、物質元素と知覚、運動の器官からなり、自己の本質の経験と解脱を目的とするものが、見られるものである。

簡単な解説:絶たれるべき苦しみの原因について、例えば、自分の肉体が自分の本質であるかのように思う、見るものと見られるものの結合であると説かれました。本節では、その見られるものについて、三つのグナをあらわす、光輝、行動、停止の性格を持ち、それらから展開した、物質元素(地、水、火、風、空)と知覚(視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚)、運動の器官(発語・手・足・生殖・排泄)からなり、自己の本質の経験と解脱を目的とするものであると説かれます。

ヨーガ・スートラ第2章第17節

Hindu God Yoga Sutra of Patanjali Statue on Exterior of Hindu Temple


द्रष्टृदृश्ययोः संयोगो हेयहेतुः॥१७॥
Draṣṭṛdṛśyayoḥ saṁyogo heyahetuḥ||17||
ドラシュトリドリシュヤヨーホ サンヨーゴー ヘーヤヘートゥフ
見るものと見られるものとの結合が、絶たれるべき苦の原因である。

簡単な解説:前節において、絶たれるべき苦しみとは、未来の苦しみのみであると説かれました。本節では、絶たれるべき苦しみの原因について、例えば、自分の肉体が自分の本質であるかのように思う、見るものと見られるものの結合であると説かれます。

ヨーガ・スートラ第2章第16節

Hindu God Yoga Sutra of Patanjali Statue on Exterior of Hindu Temple


हेयं दुःखमनागतम्॥१६॥
Heyaṁ duḥkhamanāgatam||16||
ヘーヤン ドゥフカマナーガタム
絶つべきは、未来の苦しみである。

簡単な解説:前節において、物事の変化、現実の悩み、潜在意識に残った印象、それに、三つのグナの働きが加わり、最後にすべては苦をもたらすことから、それを識別する人にとって、一切は苦であると説かれました。本節では、過去の苦しみはすでになく、現在の苦しみも次の瞬間にはなくなることから、未来の苦しみのみが、絶たれるべきものであると説かれます。

ヨーガ・スートラ第2章第15節

Hindu God Yoga Sutra of Patanjali Statue on Exterior of Hindu Temple


परिणामतापसंस्कारदुःखैर्गुणवृत्तिविरोधाच्च दुःखमेव सर्वं विवेकिनः॥१५॥
Pariṇāmatāpasaṁskāraduḥkhairguṇavṛttivirodhācca duḥkhameva sarvaṁ vivekinaḥ||15||
パリナーマターパサンスカーラドゥフカイルグナヴリッティヴィローダーッチャ ドゥフカメーヴァ サルヴァン ヴィヴェーキナハ
変化、苦痛、潜在印象は苦しみであり、また、グナの働きが互いに相反するため、識別力のある人にとって、すべては苦である。

簡単な解説:前節において、業報(出生、寿命、経験)は、その原因となる業が有徳であるか、または不徳であるかによって、喜び、あるいは苦しみをもたらすと説かれました。本節では、物事の変化、現実の悩み、潜在意識に残った印象、それに、三つのグナの働きが加わり、最後にすべては苦をもたらすことから、それを識別する人にとって、一切は苦であると説かれます。

ヨーガ・スートラ第2章第14節

Hindu God Yoga Sutra of Patanjali Statue on Exterior of Hindu Temple


ते ह्लादपरितापफलाः पुण्यापुण्यहेतुत्वात्॥१४॥
Te hlādaparitāpaphalāḥ puṇyāpuṇyahetutvāt||14||
テー フラーダパリターパパラーハ プンニャープンニャヘートゥトヴァート
これらは、有徳か不徳かによって、喜び、苦しみをもたらす。

簡単な解説:前節において、煩悩という根源がある限り、出生、寿命、経験が生じると説かれ、煩悩という根源を断つことが、輪廻からの解放をもたらすということが説かれました。本節では、それらの業報(出生、寿命、経験)は、その原因となる業が有徳であるか、または不徳であるかによって、喜び、あるいは苦しみをもたらすと説かれます。

ヨーガ・スートラ第2章第13節

Hindu God Yoga Sutra of Patanjali Statue on Exterior of Hindu Temple


सति मूले तद्विपाको जात्यायुर्भोगाः॥१३॥
Sati mūle tadvipāko jātyāyurbhogāḥ||13||
サティ ムーレー タッドヴィパーコー ジャーティヤーユルボーガーハ
根源が存在する限り、出生、寿命、経験が生じる。

簡単な解説:前節において、煩悩を根源とする行為の潜在的な印象(業遺存)は、それが強い場合、即座に現世において現れ、またそれが弱い場合、転生した来世において現れるであろうと説かれました。本節では、煩悩という根源がある限り、出生、寿命、経験が生じると説かれ、業遺存の根源である煩悩を断つことが輪廻からの解放をもたらすということが分かります。

ヨーガ・スートラ第2章第12節

Hindu God Yoga Sutra of Patanjali Statue on Exterior of Hindu Temple


क्लेशमूलः कर्माशयो दृष्टादृष्टजन्मवेदनीयः॥१२॥
Kleśamūlaḥ karmāśayo dṛṣṭādṛṣṭajanmavedanīyaḥ||12||
クレーシャムーラハ カルマーシャヨー ドリシュタードリシュタジャンマヴェーダニーヤハ
煩悩を根源とする業遺存は、現世において、また来世において現れる。

簡単な解説:前節において、煩悩が心の働きとして現れた場合、瞑想によって除去することができると説かれました。本節では、煩悩を根源とする行為の潜在的な印象(業遺存)は、それが強い場合、即座に現世において現れ、またそれが弱い場合、転生した来世において現れるであろうと説かれます。

ヨーガ・スートラ第2章第11節

Hindu God Yoga Sutra of Patanjali Statue on Exterior of Hindu Temple


ध्यानहेयास्तद्वृत्तयः॥११॥
Dhyānaheyāstadvṛttayaḥ||11||
ディヤーナヘーヤースタッドヴリッタヤハ
それらが働きとなった場合、瞑想によって絶つことができる。

簡単な解説:前節において、煩悩が潜在意識的に存在する精妙な形態である場合、心を自分自身の本質へと戻すことで除去することができると説かれました。本節では、煩悩が心の働きとして現れた場合、瞑想によって除去することができると説かれます。