ヨーガ・スートラ第2章第13節

Hindu God Yoga Sutra of Patanjali Statue on Exterior of Hindu Temple


सति मूले तद्विपाको जात्यायुर्भोगाः॥१३॥
Sati mūle tadvipāko jātyāyurbhogāḥ||13||
サティ ムーレー タッドヴィパーコー ジャーティヤーユルボーガーハ
根源が存在する限り、出生、寿命、経験が生じる。

簡単な解説:前節において、煩悩を根源とする行為の潜在的な印象(業遺存)は、それが強い場合、即座に現世において現れ、またそれが弱い場合、転生した来世において現れるであろうと説かれました。本節では、煩悩という根源がある限り、出生、寿命、経験が生じると説かれ、業遺存の根源である煩悩を断つことが輪廻からの解放をもたらすということが分かります。

ヨーガ・スートラ第2章第12節

Hindu God Yoga Sutra of Patanjali Statue on Exterior of Hindu Temple


क्लेशमूलः कर्माशयो दृष्टादृष्टजन्मवेदनीयः॥१२॥
Kleśamūlaḥ karmāśayo dṛṣṭādṛṣṭajanmavedanīyaḥ||12||
クレーシャムーラハ カルマーシャヨー ドリシュタードリシュタジャンマヴェーダニーヤハ
煩悩を根源とする業遺存は、現世において、また来世において現れる。

簡単な解説:前節において、煩悩が心の働きとして現れた場合、瞑想によって除去することができると説かれました。本節では、煩悩を根源とする行為の潜在的な印象(業遺存)は、それが強い場合、即座に現世において現れ、またそれが弱い場合、転生した来世において現れるであろうと説かれます。

ヨーガ・スートラ第2章第11節

Hindu God Yoga Sutra of Patanjali Statue on Exterior of Hindu Temple


ध्यानहेयास्तद्वृत्तयः॥११॥
Dhyānaheyāstadvṛttayaḥ||11||
ディヤーナヘーヤースタッドヴリッタヤハ
それらが働きとなった場合、瞑想によって絶つことができる。

簡単な解説:前節において、煩悩が潜在意識的に存在する精妙な形態である場合、心を自分自身の本質へと戻すことで除去することができると説かれました。本節では、煩悩が心の働きとして現れた場合、瞑想によって除去することができると説かれます。

ヨーガ・スートラ第2章第10節

Hindu God Yoga Sutra of Patanjali Statue on Exterior of Hindu Temple


ते प्रतिप्रसवहेयाः सूक्ष्माः॥१०॥
Te pratiprasavaheyāḥ sūkṣmāḥ||10||
テー プラティプラサヴァヘーヤーハ スークシュマーハ
これらは、精妙な場合、本来の状態に戻すことで、絶つことができる。

簡単な解説:前節までに、無明、我想、欲望、憎悪、生命欲という5つの煩悩について説かれてきました。本節では、これらの煩悩が潜在意識的に存在する精妙な形態である場合、心を自分自身の本質へと戻すことで除去することができると説かれます。

ヨーガ・スートラ第2章第9節

Hindu God Yoga Sutra of Patanjali Statue on Exterior of Hindu Temple


स्वरसवाही विदुषोऽपि तथारूढोऽभिनिवेशः॥९॥
Svarasavāhī viduṣo’pi tathārūḍho’bhiniveśaḥ||9||
スヴァラサヴァーヒー ヴィドゥショーピ タタールードービニヴェーシャハ
本能によってもたらされ、賢者にさえもあるのが、生命欲である。

簡単な解説:前節までに、煩悩である欲望とは、快楽に伴う物惜みをするような心情であり、憎悪とは、苦痛に伴う反感や怒りといった心情であると説かれました。本節では、煩悩の一つである生命欲について、前世に経験をしてきた死の苦痛から生まれる生命への愛着によってもたらされ、それは本能として、賢者さえも持つ煩悩であると説かれます。

ヨーガ・スートラ第2章第8節

Hindu God Yoga Sutra of Patanjali Statue on Exterior of Hindu Temple


दुःखानुशयी द्वेषः॥८॥
Duḥkhānuśayī dveṣaḥ||8||
ドゥフカーヌシャイー ドヴェーシャハ
苦痛に伴うのが、憎悪である。

簡単な解説:前節において、煩悩の一つである欲望とは、快楽に伴う物惜みをするような心情であると説かれました。本節では、他の煩悩である憎悪について、苦痛に伴う反感や怒りといった心情であると説かれます。

ヨーガ・スートラ第2章第7節

Hindu God Yoga Sutra of Patanjali Statue on Exterior of Hindu Temple


सुखानुशयी रागः॥७॥
Sukhānuśayī rāgaḥ||7||
スカーヌシャイー ラーガハ
快楽に伴うのが、欲望である。

簡単な解説:前節において、煩悩の一つである我想とは、見る力(プルシャ)と、見る働きである力(ブッディ)を、一体であるかのようにみなすことであると説かれました。本節では、他の煩悩である欲望について、快楽に伴う物惜みをするような心情であると説かれます。

ヨーガ・スートラ第2章第6節

Hindu God Yoga Sutra of Patanjali Statue on Exterior of Hindu Temple


दृग्दर्शनशक्त्योरेकात्मतेवास्मिता॥६॥
Dṛgdarśanaśaktyorekātmatevāsmitā||6||
ドリグダルシャナシャクティヨーレーカートマテーヴァースミター
見る力と見る働きである力を、一体であるかのようにみなすことが我想である。

簡単な解説:前節において、煩悩を生み出す地である無明とは、無常を常として、不浄を清浄として、苦痛を幸福として、自己の本質でないものを自己の本質としてみなすことであると説かれました。本節では、煩悩の一つである我想について、見る力(プルシャ)と、見る働きである力(ブッディ)を、一体であるかのようにみなすことであると説かれます。

ヨーガ・スートラ第2章第5節

Hindu God Yoga Sutra of Patanjali Statue on Exterior of Hindu Temple


अनित्याशुचिदुःखानात्मसु नित्यशुचिसुखात्मख्यातिरविद्या॥५॥
Anityāśuciduḥkhānātmasu nityaśucisukhātmakhyātiravidyā||5||
アニッティヤーシュチドゥフカーナートマス ニッティヤシュチスカートマキャーティラヴィディヤー
無常、不浄、苦痛、自己の本質でないものを、常、清浄、幸福、自己の本質と見なすことが、無明である。

簡単な解説:前節において、5つある煩悩(無明、我想、欲望、憎悪、生命欲)のうち、無明は常に、我想、欲望、憎悪、生命欲の4つが生まれる地として存在していると説かれました。本節では、その無明について、無常を常として、不浄を清浄として、苦痛を幸福として、自己の本質でないものを自己の本質としてみなすことであると説かれます。

ヨーガ・スートラ第2章第4節

Hindu God Yoga Sutra of Patanjali Statue on Exterior of Hindu Temple


अविद्या क्षेत्रमुत्तरेषां प्रसुप्ततनुविच्छिन्नोदाराणाम्॥४॥
Avidyā kṣetramuttareṣāṁ prasuptatanuvicchinnodārāṇām||4||
アヴィディヤー クシェートラムッタレーシャーン プラスプタタヌヴィッチンノーダーラーナーム
無明は、眠り、弱まり、中断し、高まる、その他の煩悩の地である。

簡単な解説:前節において、煩悩には、無明、我想、欲望、憎悪、生命欲の5つがあると説かれました。本節では、その煩悩について、我想、欲望、憎悪、生命欲の4つは、眠ったり、弱まったり、中断したり、高まったりするが、無明は常にそれらの生まれる地として存在していると説かれます。