ディーワーリー(光の祭典)

本日は、光の祭典ともいわれるディーワーリー(ディーパーヴァリー)の日です。
このお祭りは、インドやネパールで祝われ、またヒンドゥー教に限らず、ジャイナ教やシーク教など、宗教の垣根を越えてお祝いされる盛大なお祭りです。
このお祭りの起源は、もともとは収穫祭だといわれておりますが、現在では、その起源にまつわる多くの言い伝えが残されています。
(参照:光の祭典−ディーワーリー(ディーパーヴァリー)
http://blog.sitarama.jp/?eid=133762)
またこのお祭りは、ラクシュミー女神と強い結びつきがあり、各地でラクシュミー・プージャーなどが行われます。
もとは収穫祭が起源のために、豊作を願ってのことだと思われますが、言い伝えでは、この日に、ラクシュミー女神が乳海の攪拌によって誕生したともいわれます。
また、別の言い伝えでは、ヴィシュヌ神の第5番目の化身であるヴァーマナ(矮人)が、神々を恐怖におとしいれたバリ王から世界を救った日であり、その妻であるラクシュミー女神が慈悲と幸福の象徴として祝われるようになったともいわれます。
ディーワーリーでは、光の祭典の名にふさわしいように、各家庭でロウソクやオイルランプに火を灯し、光に満ち溢れた時を過ごします。
また一歩外に出れば、街中さまざまなイルミネーションに彩られ、人々の目を楽しませてくれます。
自然科学から宗教まで、さまざまな分野で光は特別な存在として扱われています。
光の活用なくしては、現代社会はあり得ませんが、その基本的な性質は、今なお多くの謎に満ち溢れています。
そして聖典では、光は神そのものともいわれます。
ロウソクやオイルランプの煌めく炎を見つめながら、光に満ち溢れた生活に日々の感謝しつつ、自身の内なる光を見つめ直してみる最適な日かもしれません。

ナヴァラートリ

今日12日から9日間にわたって、インドではナヴァラートリ祭が行われます。
ナヴァラートリとは、ヒンドゥー教の女神ドゥルガー、ラクシュミー、サラスワティーをたたえる9日間の夜のことです。
(参照:http://blog.sitarama.jp/?eid=119359)
ナヴァラートリは、夏のはじまりと、冬のはじまりの時期、年2回行われます。
ではどうして、夏と冬のはじめに、このような盛大なお祭りが行われるのでしょうか。
インドでは、太陽は非常に神聖なものとして崇められています。
そして、太陽が地球に与える環境の移り変わりの時期が、ナヴァラートリの時期にあたると考えられています。
太陽から降り注ぐ、莫大なエネルギーが、このナヴァラートリを境にして微妙に変化してきます。
エネルギーの移り変わりの時期は、いろいろと不安定になりがちですが、その時期にトラブルなくスムーズに移行できるように、宇宙を維持している神々に感謝の気持ちを捧げるお祭りがナヴァラートリになります。
また環境の変化は、心と身体に自然と結びつきます。
季節が移り変わるにしたがって、わたしたちの心と身体も、季節にあわせて変化していきます。
その変化の波にうまく乗れて、わたしたちの心身がともに健康に過ごせるよう、お祈りを捧げるお祭りでもあります。
このように、ナヴァラートリには、大宇宙を維持しているエネルギーに感謝し、心身ともに、無事に変化を迎えられるように神々に感謝します。
季節の変わり目で、体調を崩しやすい日々が続きますが、ナヴァラートリに倣って、自然の神々に感謝を捧げることも、健康であることの秘訣かもしれません。
参照
http://hinduism.about.com/od/festivalsholidays/a/navaratri.htm

ガネーシャ・チャトゥルティー

2007年9月15日は、ガネーシャ・チャトゥルティーと呼ばれる、ガネーシャ誕生祭の日です。
人々は、土でガネーシャ像を造ったり、露天で買ったりしたものを、数日間家でお祀りし、最終日には、水の中に沈め、その年の家内安全を祈願します。
ガネーシャは、さまざまな別名でも示されているように、智慧と幸運を支配するインドの神様です。そして、ガネーシャは、自身が最高の師であるため、師を持ちません。ガナ(群衆)のイーシャ(主)を意味するガネーシャは、師の中の師と呼ばれる存在です。
ガネーシャは、ねずみを乗り物としていますが、どうしてこのような小さなねずみを乗り物としているか不思議に思うかもしれません。
ねずみは、無知と暗黒の象徴です。ガネーシャは、ねずみに乗ることによって、ねずみが象徴している、無知と暗黒を支配することを示しています。
無知と暗黒を克服するために、以下のガネーシャ・マントラを唱えるのも良いでしょう。
「ヴァックラトゥンダ・マハー・カーヤ
スーリヤ・コーティ・サマップラバ
ニル・ヴィッグナム・クルメー・デーヴァ
サルヴァ・カーリェーシュ・サルヴァダ」
Vakratunda Maha Kaya
Surya Koti Samaprabha
Nir Vighnam Kurumey Deva
Sarva Karyeshu Sarvada
意味:
曲がった鼻の、大きな身体をした
太陽の数億倍もの輝きを放つ主よ
どうか我らに叡智を授け、障害から常に
自由になりますように
当日は、午前4時〜午前8時のブラフマムフルタと呼ばれる神聖な時間帯に、ガネーシャについて瞑想します。
それから、沐浴をして、寺院にいき、ガネーシャ神をお参りします。
ガネーシャ神への捧げものとしては、ココナッツや甘いお菓子が好まれます。
心からの祈りを捧げることで、霊性に関する障害、そして直面しているさまざまな現実的な問題を、ガネーシャ神が取り除いてくれるでしょう。
もちろん、ガネーシャ神の存在を肌で感じながら、自宅でお祈りしても構いません。
ところで、ガネーシャ・チャトゥルティーの期間中は、月を見てはいけないと言われています
月を見ることは、ガネーシャを侮辱することになると考えられているからです(※[1]参照)。
しかし、この行為の真意は、この日から、あなたの信じる神や師匠、宗教などを侮辱する悪い仲間とは付き合わないようにしなさいと解釈されています。
ガネーシャ誕生祭を機に、心新たに、仕事、勉強、家事に取り組むことで、ガネーシャ神の恵みとして、精神的に、肉体的に充実した日々を送ることができるでしょう。
参照
[1] 天竺迦羅倶利庵 http://plaza.rakuten.co.jp/jagannatha/diary/200509070000/

クリシュナご降誕祭

本日、2007年9月4日は、ヴィシュヌ神第8番目の化身であるクリシュナが誕生した日です。
この期間中、インドでは、ミルク、凝乳、バター、はちみつ、フルーツなどを入れた大きな陶器の壺を、6〜12メートルもの高さに吊し、青少年たちが競って奪い合うお祭りが行われます。
壺を手に入れるためには、お互いの肩に足を乗せ、その高さまで人間ピラミッドを組んで手に入れなければなりません。一番上の人が運良く壺を手に入れることができたとき、この競技は終了となります。
通常、壺にはロープと一緒に紙幣が縛り付けてあり、一番上の人が手に入れた紙幣は、ピラミッドを組んだ人々に配られます。
この競技は、ミルクやバターが好物のクリシュナを讃えるために、行われるようになりました。クリシュナがまだ幼いとき、仲間といっしょに、ミルクやバターを手に入れるために、隣家に忍び込んだという言い伝えはとても有名です。
またこの日、人々は特に水分を絶つ断食をします。そして、クリシュナの栄光が書かれた書物を読んだり、賛歌を歌ったりして神聖な時を過ごします。
クリシュナが産まれた時刻である夜中には、アーラティが行われます。ここでは、ブランコの上にベビークリシュナが奉られ、豪華な食事が捧げられます。特にクリシュナの好物であったバターは欠かすことができません。
伝統的なプラサードは、「パンチャジリ」と呼ばれる、ショウガの粉末やコリアンダー、砂糖、ギーなど、5種類の成分からできたものです。
アーラティのあと、人々はクリシュナの化身を大喜びして、賛歌などを歌って讃え合います。



グル

僅かな光と音の世界から、外界の空気にはじめて触れるとき、いったい何を思うのでしょうか。
思いっきりの力を込めて、この世界を憂い嘆くのか、大きな産声を上げ、生を授かります。
産まれたばかりの赤ん坊にとって、母親こそ第一の師(グル)であり、生命をつなぐ、切れない糸で結ばれています。
今日29日はグル・プールニマです。
師に対する尊敬の念が常に強いインドであっても、この日はとくに盛大に祝福されます。
「グ」は暗黒や無知を意味し、「ル」はそれを追い払う者というサンスクリットの語源をもちます。
すなわち、グルとは、暗黒や無知を追い払う者という意味になります。
「グル」は霊性の道において、大きな道標となって、わたしたちを照らします。
しかし、いわゆる「グル」以外でも、親というグルもあります。
母親は、その限りない愛をもって、我が子の無知や暗黒を追い払う第一のグルです。
「機が熟したとき、グルは地球の裏側からでも姿をあらわす。」
よく知られたこの諺は、しかし、すべての真実を語ってはいません。
種を蒔き、水をやり、手入れをすることで、花を咲かせ、実をつける。
ただこれだけでも、わたしたちは、因果の概念をそこからから学びます。
裸足で大地を踏みしめ、清々しい空気を全身で呼吸する。
自然というグルに生かされ、偉大さと恵みを感じる瞬間です。
そして、もっとも身近である内なるグル。
一生涯ついてまわる、きっても切れない内なる良心です。
どのようなグルであっても、いつもお世話になっているお気に入りの「グル」に思いを馳せ、感謝するのに最適な日かもしれません。

土星の神 シャナイシュチャラ

ヴェーダ占星術では、土星はシャナイシュチャラと呼ばれます。シャナイシュチャラの語源は、サンスクリット語で「ゆっくり動くもの」を意味する「シャニシュチャラ」です。シャンという言葉はシャナイシュチャラから派生した言葉で、「無知」、「意識しなくなること」を意味し、土星はその象徴です。この「意識しなくなること」は、物質界への執着が希薄になることも意味します。
土星は、霊性が高く、物質次元にとらわれなくなった修行者を示しています。しかし、不吉な惑星ともいわれます。土星は、山羊座と水瓶座の支配星であり、天秤座において高揚し、牡羊座において減衰します。
土星は長寿、惨めさ、悲しみ、老齢、死、修養、制約、責任、遅延、大志、統率、権威、謙虚、誠実、経験による知恵、そして、苦行、拒絶、無執着、霊性、勤勉、組織、現実、時間のカーラカ(表示体)です。
チャート上、土星は第7室とケーンドラ(アセンダント、第4室、第7室、第10室をさす)において最も力が強まり、特にアセンダントが牡牛座や天秤座に位置する人にとって有益な星です。土星の性質はヴァータ、すなわち軽快さです。土星に対応する石はブルーサファイア、あらゆる黒い石、そして金属は鉄です。方角は西であり、曜日は土曜日です。ヴェーダの神話においては、土星は太陽の息子であり、太陽の影の妻チャヤの下に生まれました。太陽の第一婦人サンジャナの子供たちのひとりから怒りを買い、足を折られてしまったために、土星は足が不自由です。足を引きずって歩くことから、惑星の中で一番ゆっくりと進みます。
マンダ(遅いもの)としても知られる土星は、一般的にサディ・サティ(7年半続く)や、アシュタマ・シャニ(第8室にあり、2年半続く)といったある特定のハウスに位置するとき、人に逆境をもたらすことで知られています。土星は山羊座と水瓶座の支配星であり、また、最も歩みが遅く、それぞれのラーシを2年半かけて進み、1つの周期に30年かかります。このデーヴァター(神)への祈り、特に土曜日に行なわれる祈りは、そうした逆境の時期に向き合わねばならない苦難を軽減するといわれています。シャナイシュチャラは真心を持って祈りをささげる帰依者にはあらゆる恩寵を注ぎます。
シャナイシュチャラはそれぞれのラーシに2年半とどまりますが、出生時の月を第1室とした場合の第12室、第1室、第2室を土星が通過する期間はサディ・サティ(ナートゥ・シャニ)と呼ばれ、それは7年半続きます(サディ・サティは7年半の意味)。また第4室にあるときには、アルタシュタマ・シャニと呼ばれ、第8室にあるときには、アシュタマ・シャニと呼ばれます。こうした時期にある者には、シャナイシュチャラによって困難がもたらされます。
政府、同僚、妻、子供に起因する問題、業績の悪化、財産の損失、ハンセン病といったものは土星のトランジットによってもたらされます。
人生において、サディ・サティ(ナートゥ・シャニ)は30年周期でおよそ3度巡ってきます。最初のサイクルはマング・シャニと呼ばれ、本人よりもむしろ近親者に影響があるとされます。第2サイクルはポーング・シャニと呼ばれ、家庭内や事業面での影響があるとされます。第3サイクルは、マーラナ(死)・シャニと呼ばれ、子供、家族、健康面に影響を与え、本人の死を意味することもあります。第4サイクルは、肉体や魂からの解放を示すものとされています。
シャナイシュチャラは与えるものであり、また破壊するものであると考えられています。シャナイシュチャラに祈る者は、直面している悩みや心配から解放されるだけでなく、望んだ人生を与えられることによって祝福されます。
シャニ・マントラ
『プラーナ』より抜粋された次のマントラを唱えることで、土星を沈静化します。
ニーラーンジャナ・サマーバーシャム・ラヴィプトラム・ヤマーグラジャム
チャーヤー・マールターンダ・サンブータム・タム・ナマーミ・シャナイシュチャラム
(neelaanjana samaabhaasam raviputram yamaagrajam|
Chaayaa maartaanda sambhootam tam namaami shanaishcharam|| )
ビージャ・マントラ
オーム・プラーム・プリーム・プラウム・サハ・シャナイシュチャラーヤ・ナマハ
(om pram preem proum sah shanaischaraaya namah)
一般的なマントラ
オーム・シャナイシュチャラーヤ・ナマハ
(om shanaishcharaaya namaha)
土星を鎮めるためには、上の3つのマントラのどれを唱えても構いません。
マントラを唱える回数(総回数):2万3千回
マントラを唱える時間帯:夕刻
出典:
MailerIndia.com, “Shanaiswara – The Saturn”,
http://mailerindia.com/nava/grahas/index.php?saturn
Chakrapani Ullal, “What is Sade-sati?”,
http://www.vedicastrology.com/articles/articlewhatissadesati.htm

サイババ・ジャヤンティ

本日11月23日は、シュリー・サティヤ・サイババ・ジャヤンティ(誕生祭)です。インドで現存している聖者の中では、おそらくもっとも有名な聖者だと思われますが、日本や西欧諸国ではスキャンダル報道が先行し、あやしいと感じる方も多いと思われます。
わたしたちが手に入れた情報を判断する場合、その情報は本当に信頼できるソースからのものであるかどうか、まず周到に確認する必要があります。インターネットの世界では、数多くの情報が氾濫していますので、正確な情報を探し出すというのは非常に難しい作業です。
例えば、学術研究者であれば、さまざまな理由から、個人の作成したサイトをそのまま信用することはまずありません。そのような情報は、概して誤りが多く、学術的な情報として信用するに足らないからです(このサイトもご注意ください(笑))。
多くのメディアは、視聴率や本や雑誌の販売部数に重点をおいているために、正確な情報を伝えるという本来の使命が失われつつあります。そのため、他人のスキャンダルやうわさ話など、わたしたちが本能的に飛びつく情報を優先的に流しがちになります。一部の週刊誌や新聞などの報道記事を巡る訴訟が常に絶えないのは、すべてがそうとは限りませんが、メディアの本来の正確な情報を流すという役割を失った結果であると考えることもできるでしょう。
ここでは最終的な結論は出すに至りませんが、サイババの報道を巡る在り方も、内容をよく吟味し、真偽は自身で判断するしかないと思われます。
そのための判断材料として、代表的な反サイババ・サイトと、その疑惑について反論している擁護サイトを、参考までに掲載いたします(英語)。
反サイト http://www.exbaba.com/
擁護サイト http://www.saisathyasai.com/
インド、プッタパルティのアシュラムでは、アブダル・カラム大統領もかけつけ、盛大に誕生祭が行われたようです。

アシュラムでのニュース記事:
http://www.puttaparthilive.com/news.html

シルディ・サイババの誕生日はいつ?

9月28日(あるいは27日)は、シルディ・サイババの誕生日であるといわれています。日本人がサイババと聞くと、まずサティヤ・サイババを連想する方が多いと思いますが、インドでは、サイババというと普通はシルディ・サイババのことを指します。
しかし、実はこのシルディ・サイババの出生は謎とされていて、シルディ・サイババ寺院などでも、シルディ・サイババの降誕祭などが催されることは現在もありません。
ではなぜ、9月28日(あるいは27日)がシルディ・サイババの誕生日として広まったのでしょうか?
それは、シルディ・サイババの生まれ変わりといわれるサティヤ・サイババが、その講話の中で、シルディ・サイババの出生の秘密を詳細に述べたことからはじまります。シルディ・サイババ本人でないとわからないようなことにも言及していることから、サティヤ・サイババがシルディ・サイババの生まれ変わりであると広く受け入れられるようになりました。
この根拠のひとつに、シルディ・サイババが、「私は8年後に再び生まれ変わる」と預言してその生涯に幕を閉じ、そのちょうど8年後の1926年にサティヤ・サイババが誕生したことがあげられます。
しかし、シルディ・サイババ信者からしてみれば、サティヤ・サイババが自らをシルディの生まれ変わりと称していることに大変ないらだちを感じる人も少なくありません。2005年11月、サティヤ・サイババ生誕80周年記念式典に並行して計画されていたシルディ・サイババの降誕祭をきっかけに、シルディ・サイババの信者たちがサティヤ・サイババの信者を訴えたという記事があります[1]。その後も、シルディ・サイドは、サティヤ・サイドにシルディの生まれ変わりと称さないよう要求しています。
シルディ・サイババも、サティヤ・サイババも、ヒンドゥー教の世界観に基づいた普遍的真理を説いているにもかかわらず、それを信仰する人々との間で対立が絶えることがありません。また大局的にみても、同じ真理を説いているにもかかわらず、宗教間での対立が絶えることはありません。そこに宗教すなわち神を信じることの難しさが潜んでいるようにも思えます。
宗教では、同じ文献を参照しても、解釈する人々の意識により、その意味はどのようにも理解することができます。真に正しい解釈は、まさに「神」のみにしかできないでしょう。
それとは逆に、すべての人々が同じ解釈に達することができるのが、現代の自然科学です。さまざまな解釈や仮説が提案されることはあっても、幾多の議論や実験を通して理に適わないことは排除され、最終的には共通の真理のみが受け入れられます。
自然科学的な真理は、わたしたちの生活の中でも大いに活用されていることから、この真理を否定できる人はいないでしょう。
しかし、どちらの「真理」も、偏りすぎることで真理ではなくなってしまいます。
宗教的な「真理」についてみれば、聖典を解釈する意図、目的、意識によって、真理がゆがめられる可能性があります。たとえば、信者を獲得しようとする意図があれば、教祖は聖典を自分に都合のよいように解釈しないとも限りません。
また自然科学的「真理」については、物質論的な観点ではその右に出るものはありませんが、物質主義に偏りすぎることは、思考に偏りを生じる原因ともなり得ます。この偏りをどう捉えるかにもよりますが、数の原理、損得の原理にとらわれすぎると広い意味での真理がゆがめられることになるでしょう。
サティヤ・サイババは、その講話の中で、シルディ・サイババの誕生日について言及しています。1990年に行われた講話の中では、シルディ・サイババは、1835年9月28日に生まれたと述べています[2]。しかし、1992年9月27日に行われた講話の中では、シルディ・サイババは1838年9月27日に生まれたと述べています[3]。
このような論理的矛盾を巧みに突くことで、サイババは「真理」を述べていないと主張することも可能です。しかしそのような主張にも、なんらかの偏りを感じずにはいられません。
ヒンドゥー教では、火の神アグニ、風の神ヴァーユなど、自然の摂理を人格化し、それを神として崇める習慣があります。その神々は、多種多様な人格をもち、わたしたちの感覚でみても必ずしも完璧な人格の持ち主であるともいえません。しかし、インドでは、そのような必ずしも完璧でない人格の神々を、真心を込めて崇拝します。それはわたしたち日本人が、自然の中に神を見出す感覚に優れているのと同様に、インド人は多種多様な性格をもった人格の中に神を見出す感覚に優れている証でもあります。
「すべてのものの中に神が宿る」−これはヒンドゥー教の聖典に共通して述べられている言葉です。神は善人に多く存在するものでもなく、邪悪なものに存在しないということでもありません。すべてのものに共通して神が浸透しているということを意味しています。この言葉の真意を理解することができれば、宗教間の対立、個人の争い、または論争の種をまき散らすようなことはなくなるでしょう。
わたしたちの視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触覚の五感、または知性で感じ得られるものに絶対の真理を投影しようとすると、そこにはなんらかの矛盾が生じます。本当の真理は、わたしたちの五感では悟り得ないところ、知性を超越したところに存在しているのかも知れません。
ダシャラー(ヴィジャヤーダシャミー)の祝日
本日はナヴァラートリ10日目にあたるダシャラー(ヴィジャヤーダシャミー)の吉日になります。
ダシャラー(Dussera)はダサラ(Dasara)と混合してしまいがちなのですが、ダサラ(Dasara)祭は、前回のブログで紹介したナヴァラートリとも呼ばれる、10日間のヒンドゥーの祭典のことを指します。ダシャラー(Dussera)は、そのお祭りのクライマックスである10日目の祝日を指します。Dasaraをダシャラーと読んだり、Dusseraをドゥッセラーと読んだり、読み方が統一されていないためにどの読みが正しいのか不明確ですが、学術的な辞典を参照するとDusseraの読みがダシャラーとなっていますので、ここでは、Dusseraをダシャラー、Dasaraをダサラとして区別することにしました。
今日ダシャラー(ヴィジャヤーダシャミー)の吉日に、お祭りは最高潮に達し、悪魔ラーヴァナの像が各地で燃やされ、善の勝利(ヴィジャヤ)がお祭りされます。ぜひこの吉日を祝して、日々、心の中で行われている善と悪の戦いの中で、善が勝利を収められることができるように、心を律してみるとよいかもしれません。
[1]Sai Baba Exposed
http://saibabaexposed.blogspot.com/2006/01/sai-baba-devotees-sued-by-sai-baba.html
[2]Sai Baba Discourse on 1990.Sept.28
http://www.sssbpt.info/ssspeaks/volume23/sss23-28.pdf
[3]Sai Baba Discourse on 1992.Sept.27
http://www.sssbpt.info/ssspeaks/volume25/sss25-31.pdf

クリシュナ・ジャンマーシュタミー(御生誕祭)

2006年8月16日、ヴィシュヌ神の第8番目の化身とされるクリシュナの御生誕祭が行われました。ジャンマーシュタミー(ジャンマ[生誕]+アシュタミー)とはクリシュナの誕生日の意味であり、その他、ゴークラ・アシュタミー、クリシュナ・ジャヤンティー(誕生祭)とも呼ばれています。アシュタミーとは、8番目の意味であり、ヒンドゥーの暦で、シュラーヴァナ月(七月〜八月)、アセンダントがローヒニーの時、月が欠けはじめて第8日目の夜にクリシュナが誕生したことからこのようにいわれています。
クリシュナの生誕については「バーガヴァタ・プラーナ」に詳述されています。その一部を『インド神話』(上村勝彦著、ちくま学芸文庫)[1]を参照してご紹介いたします。
『悪魔どもは暴虐な王の姿をとって地上に出現した。
大地の女神は彼らに苦しめられ、牝牛に姿を変えて梵天に救いを求めた。
梵天はシヴァをはじめとする神々をつれて乳海の岸に行き、瞑想して最高神プルシャ(ヴィシュヌ神)を崇拝した。
梵天は瞑想のうちに天の声を聞いて神々に告げた。
「最高神はヴァスデーヴァの家に生まれるであろう。
天女たちは彼を楽しませるために、(牛飼女として)地上に生まれなさい。
ヴィシュヌ神の一部分であるアナンタ竜は彼の兄として生まれなさい。
聖なるヴィシュヌのマーヤー(幻力)も、主の目的を成就させるために地上に下るであろう。』
クリシュナの生まれた時代は、世界を支配する王が悪魔であったとされ、人々は王の暴政に悩み悲しんでいました。
そのため、人々の願いに応え、ヴィシュヌ神自身が悪魔を滅ぼすためにクリシュナとして地上に降誕しました。
『ある夜、ヴィシュヌ神は、当方に昇る満月のように、デーヴァキーの胎内より出現した。その子はヴィシュヌ神の特徴をことごとくそなえていた。……』
幼児期のクリシュナは、さまざまなリーラー(神の戯れ)が言い伝えられています。
『やがて幼児の誕生日がおとずれ、ヤショーダー[クリシュナの養母]は祝宴の準備でいそがしく働いていた。
幼児は母の乳を吸いたかったが、彼女が来ないので大声で泣き、怒って足をばたばたさせて、そばにあった車を遠くまで蹴とばしてしまった。
車がぶつかって多くのものがこわれた。
ヤショーダーたちは驚いて駆けつけた。
そばにいた子供たちが、この幼児が車を蹴とばしたと言ったが、牛飼いたちは信ずることができなかった。
またある日、ヤショーダーが幼児を膝にのせていると、突然その子が山のように大きくなったので、彼女は驚いてその子を地面に置き、最高神に祈念してバラモンたちを呼びに行った。
ちょうどその頃、カンサに派遣されたトリナーヴァルタという名の悪魔が旋風の姿をとってそこへやって来た。
人々が埃のために何も見ることができないでいる間に、旋風は幼児をさらっていった。
ところが、幼児を運んで空を飛んでいるうちに、悪魔は幼児の異常な重みに耐えることができなくなり、幼児を放そうとしたが、その子は彼の首にしっかりと抱きついて離れなかった。
悪魔はついに地上に墜落し、岩にぶつかって死んでしまった。
またある時、ヤショーダーは幼児に乳を飲ませていた。
子供が乳を飲み終わり、母がやさしく笑ってその顔をなぜていると、その子はあくびをした。
ところが、ヤショーダーは、その子の口の中に、空・星々・太陽・月・海・大陸・山々など、ありとあらゆる世界を見たのであった。
彼女は幼児の口の中に宇宙を見て仰天し、両眼を閉じてしまったものだ。
(『バーガヴァタ・プラーナ』10.5-7)』
クリシュナは実在の人物であるといわれておりますが、そのクリシュナが織りなす奇跡の数々は魅力に満ちあふれ、クリシュナの本質を体現しているようです。クリシュナは、彼の人々を惹きつけて止まないその愛の本質により、いまなお世界中の人々を魅了し続けています。
「アティ・ルドラ・マハー・ヤジュニャ」追記
前回お伝えいたしました人類の平安と繁栄を祈願して行われている「アティ・ルドラ・マハー・ヤジュニャ」についてですが、一部誤解を生む表現がございましたので、ここに追記させていただきます。
「アティ・ルドラ・マハー・ヤジュニャ」の僧侶団代表であるシュリー・ナンジュンダ・ディキシット氏の講話で、次のような解説がございました[2]。
「一人がルドラ(ナマカと思われる)を11回とチャマカを1回唱えると、ルドラとなる。それを11倍するとルドライエーカーダーシニー(エーカーダシャ・ルドラム)となる。さらにそれを11倍すると、マハー・ルドラとなる。マハー・ルドラを11倍すると、アティ・ルドラとなる。1,331人の僧侶が、一日のうちに11回のルドラとチャマカを1回唱えると、アティ・ルドラとなる。あるいは、11人の僧侶が、121日間それを続けるとアティ・ルドラとなる。……」
今回プッタパルティでは、121人の僧侶によりルドラムが朗誦されているようですので、11日間ルドラムを唱え続けるとアティ・ルドラムとなることになります。
アティ・ルドラムは合計14,641回のナマカムと、1,331回のチャマカムを唱えることですが、一人一人の僧侶が14,641回のナマカムと1,331回のチャマカムを唱える必要はなく、僧侶の人数によって唱える回数を割ることができるようです。
誤解を招いてしまいまして申し訳ございませんでした。プッタパルティでのアティ・ルドラ・マハー・ヤジュニャは、本日で終了いたします。占星学的にも霊性修行に適した日であるとされておりますので、この一日を瞑想やジャパなどで過ごし、神聖な想いで満たすとよいかも知れません。
[1] 村上勝彦著,『インド神話』,ちくま学芸文庫,2003
[2] Athi Rudra Maha Yajna: Day One – 9th Aug 2006,
Elaborate Report on the Afternoon Session,
http://www.sssbpt.org/Pages/reports/armyreportfirstday.htm

「アティ・ルドラ・マハー・ヤジュニャ」

8/9(満月の日)より12日間にわたり、インド・プッタパルティのサイババのアシュラムで、「アティ・ルドラ・マハー・ヤジュニャ」が行われているようです。このヤジュニャ(祭祀)は、人類の平安と繁栄を願って、ルドラ(シヴァ神)に祈願するものです。アティ(甚大な・莫大な)という言葉にもあるように、このヤジュニャには甚大な手間がかかるために、インドでも頻繁に行われるものではありません。過去には2001年にシルディ・サイババ寺院[1]や、1997年にはアメリカ[2]で行われたとの報告があります。
このヤジュニャがどのようなものか、SSSBPTのホームページ[3]を参照してご紹介いたします。
『聖者サターパータは、彼の著作「マハールナヴァ・カルマ・ヴィパーカ」の中で、ヴェーダや聖典に共通するアビシェーカの四つの形式について列挙しています。それらはルドラム、エーカーダサ・ルドラム、マハー・ルドラム、アティ・ルドラムであり、後者になるほど効果が強くなります。この中で、もっとも強力なアティ・ルドラムには、14,641のルドラムが含まれています(クリシュナ・ヤジュル・ヴェーダ・サムヒターの第4カーンダ(章)第5プラパータカ(節)にあるルドラーディヤーヤムに、ナマカムとチャマカムの組み合わせとしてのルドラムが記載されています)。
ナマカムとチャマカムはそれぞれ11のアヌヴァーカ(ヴェーダの章節)から成り立ちます。ナマカムを全11アヌヴァーカ吟唱した後に、チャマカムを1アヌヴァーカ唱えると1ルドラムとなります。
ナマカムを唱えた後にチャマカムを1アヌヴァーカづつ唱えていくと、ナマカムを11回唱えたところで、チャマカムを全章唱えることになります。これがエーカーダサ(11の意味)・ルドラムとなります。
そして、エーカーダサ・ルドラムを11回繰り返すことをラグ(手軽なという意味)・ルドラムといいます。ラグ・ルドラムを11回繰り返すと、マハー・ルドラムとなります。マハー・ルドラムを11回繰り返すと、アティ(甚大な、莫大なの意味)・ルドラムとなります。
したがって、アティ・ルドラムは合計14,641回(11×11×11×11回)のルドラムを唱えることになり、その中で14,641回(11×11×11×11回)回のナマカム、1,331回(11×11×11回)のチャマカムが唱えられています。
以上がルドラ・パーラーヤナであり、ルドラービシェーカでは、同時に儀式に精通した121人の僧侶によってルドラ・ホーマが執りおこなわれます。そこでは、この目的のために、11のホーマ・クンダ(儀式用の穴の開いた台)がつくられます。』
ナマカムは、11章からなるシヴァ神を讃える祈りですので、これだけでも大きな労力がいると思われます。それを一日に1,331回唱えるわけですから、この祭祀の意義が伝わってきます。
月の満ち欠けは、しばしば欲望の増減に例えられます。満月の日にこのようなヤジュニャがはじめられるのは、ヤジュニャによってわれわれの欲望が少しずつ減少し、ついには滅してしまうようとの願いが込められていると思われます。欲望は少なければ少ないほど、旅は快適になるとはよくいわれますが、このような機会を生かして、すこしでも欲望を抑えられるような生活をしてみるとよいかもしれません。
ルドラム(ナマカム、ルドラム)の吟唱が含まれたCD-ROM(VCD)を掲載いたしましたので、興味がございましたらこちらよりご参照ください。
[1]Sai Vichaar, volume 3-44
http://www.saibaba.org/newsletter3-44.html
[2]Hinduism Today
http://www.hinduismtoday.com/archives/1997/12/1997-12-11.shtml
[3]Sri Sathya Sai Books & Publication Trust
http://www.sssbpt.org/Pages/reports/armyreportfirstday.htm