いよいよガネーシャ降誕祭が迫ってきました。スピリチュアリティ溢れるインドにおいて、もっとも広く崇められる神ともいわれるガネーシャ神。それ故、ガネーシャ神にまつわるさまざまな神話が、霊性を育む教えとして多岐に渡り伝えられています。そんな中に、子どもであった小さなガネーシャ神が財宝の神であるクベーラ神に、愛と謙遜について教えた神話があります。
クベーラ神は、有り余るほどの自らの富を世に示そうと、ご馳走をふんだんに用意し、神々を招いて盛大な宴を開くことを決めます。敬愛するシヴァ神とパールヴァティー女神を招くも、やってきたのは息子の小さなガネーシャ神でした。
ガネーシャ神はご馳走を食べ続けます。しかし、いくら用意しても、ガネーシャ神のお腹が満たされることはありません。ついにガネーシャ神は怒り始めてしまいます。困ったクベーラ神は、シヴァ神とパールヴァティー女神に助けを求めます。
パールヴァティー女神はガネーシャ神のために食事を用意し、それをガネーシャ神に食べさせるようクベーラ神に手渡しました。パールヴァティー女神の用意した食事を食べたガネーシャ神はすっかり満足し、クベーラ神の宴を去って行ったといわれます。
クベーラ神の用意した食事にガネーシャ神が満たされなかったのは、そこに愛がなく、自尊心や慢心が満ちていたからでした。一方、パールヴァティー女神が用意をした食事には、ただただ大きな愛が満ちていました。
障壁除去の神であるガネーシャ神は、心のこもった食事に満たされ喜んで去ることで、クベーラ神に大きな気づきを与え、自らの富に傲慢となっていたクベーラ神の自尊心や慢心を取り除いたのだといわれます。
自尊心や慢心は、私たちに苦しみや困難をもたらす大きな障壁であり、愛や謙遜は、私たちに喜びと平安をもたらすとてもシンプルな術であることをこの神話が伝えています。シヴァ神とパールヴァティー女神が宴に参加しなかったように、神々は自尊心や慢心があるものは快く受け取ってくれません。代わりに、自尊心や慢心を取り払うような何かを与えられるのかもしれません。
心が込められたものは、どんな質素なものでも神々は喜び、私たちを祝福してくれます。それは、私たちが日々を豊かに生きる術でもあることを教えてくれているようです。ガネーシャ降誕祭が近づき、皆様にもガネーシャ神の大きな恩寵がございますよう、心よりお祈りしております。
(文章:ひるま)
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