女神を讃える9間の夜、ナヴァラートリに見られるように、インドでは女神への礼拝が日々の中で欠かせません。女神たちの多くは、神々が世界を創造する時の力を具現したものとして、日常の一瞬一瞬において崇められています。山や川、木や花、大地、食物など、この世界のあらわれはすべて女神であり、礼拝の対象として存在しています。それを深く教えられたのは、ガネーシャ神と母であるパールヴァティー女神のある例え話を通じてでした。
ある時、ガネーシャ神は外へ遊びに出かけた際、一匹の猫を見つけ戯れ始めました。猫が小さかったのをいいことに、引っ張ったり突いたり、しまいに猫は、ガネーシャ神から逃げてしまいます。家に帰ったガネーシャ神は、母であるパールヴァティー女神を見て驚きます。パールヴァティー女神の髪は乱れ、体には痣、顔には引っ掻き傷がありました。
ガネーシャ神が「誰がそんなことをしたの?」と尋ねると、パールヴァティー女神は「今まであなたは猫と遊んでいましたね。どんな風に接しましたか?」と答えます。ガネーシャ神は思い出し、「猫の飼い主が仕返しにしにきたの?」と尋ねます。パールヴァティー女神は答えました。「いいえ。あなたは、全世界が私のあらわれであることを忘れたのですか。あなたが猫にしたことは、私にしたことに変わりないのです。」パールヴァティー女神は、虐げられた自らの姿を通じ、その事実をガネーシャ神に教えました。
私たちのまわりにあるものは、自分自身を含め、すべて神々の力のあらわれです。それを知り崇める時、私たちは大きな世界をより深く、愛することができるはずです。しかし、自分自身の内で欲望や自尊心といった悪質が強くなる時、私たちは大きな世界との調和を見失い、自らさまざまな困難に苦しみます。
大自然の移り変わりにあたるナヴァラートリは、とりわけ女神の力が大きくなる時といわれます。ナヴァラートリの最終日は、ドゥルガー女神が悪神を倒したことを祝福するダシャハラーが祝福されます。ダシャハラーで倒される魔王ラーヴァナは、10の頭を持ち、それは私たちの内に渦巻く悪質の数々を象徴しているといわれます。
ナヴァラートリを通じた女神への礼拝は、自分自身の内の悪質を倒し、大きな世界と調和するこの上ない吉兆な時です。自分自身も神々の力のあらわれに他ならないことを忘れずに、大きな世界を愛し、自身の内と外に平和を見出せるよう、ナヴァラートリを迎えたいと感じています。
(文章:ひるま)
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