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インド音楽

99、生命体の構造と七つの音の役割 (その1)

七つの音の不思議
世界には、様々なジャンルに於いて、様々な不思議なこと。現代科学でも説明も解明もされていないことが数多く在ります。

中学二年生の頃から世界中の民族音楽を学んで来ました私にとって、何故、洋の東西を問わずにオクターヴには「七つの音」があると考えたか? は、長年の謎でした。

しかしそれは、「古代インド科学音楽の存在」と「その論理性」、及び保護猫たちの為がそもそもの発端だった「全身医療・予防医療・自然治癒サポート」を学ぶことによって、実に明快に理解することが出来たのです。

「七つの音」とは、西洋ラテン諸国の「ド、レ、ミ、ファ、ソ、ラ、シ」であり、ドイツ語の「ツェー、デー、エー、エフ、ゲー、アー、ハー」であり、英語の「C、D、E、F、G、A、B、」日本語の「ハ、ニ、ホ、ヘ、ト、イ、ロ、」であり、インドの場合は「サ(Sadaj)、レ(Reshabh)、ガ(Gandhara)、マ(Madhyam)、パ(Pancham)、ダ(Dhaivat)、ニ(Nishad)、」です。

ちなみに西洋とそれを邦訳した日本で、「普通始りはABC....(イロハ...)だろ?」がズレているのは、古くは、今日の「ハ長調」ではなく、「A(ラ、ハ)から始るイ短調」が「基本音階」であったことの名残で、言い換えれば「未だに基本音階の開始音はAであり、ハ長調(C-Major)は、(第三音=Cから始めた)派生型」という概念が存在するということになります。
ですが、インドの場合「Sadaj」は、極めて重要な「原点」であり、紛れも無い「不変的な基本音」です。

勿論、西洋には「12の半音」があり、ペルシアでは「24の微分音」があり、これを引き継いだトルコは後世「1音を九分する」理論を構築しました。古代インドでは「22の微分音」がありましたが、中世前に「24音、もしくは12音」にほぼ統一されてしまいましたが、私の師匠の代迄は、「このラーガ(旋法)に於いては第三音は微妙に低い」などの具体例として生き続いていました。
東南アジアの有名な民族音楽「ガムラン」もまた、古代インド音楽の影響を受けつつ、五音音階や九音音階を構築しました。

しかし、いずれも「7音以上の微分音を7音に大別し、それから選択や割愛して7音以下の数の音階(六音音階や五音音階)を作る。という考え方が共通しているのです。

勿論、物事には例外が付きもので、ガムランの「九音音階」もある意味この考え方から逸脱しているかも知れません。また、タイ古典音楽は、古代インド仏教音楽を踏襲しながらも、後世(と言っても古代)に「オクターヴを平均に七分した」ので、そこには、「7音以上の微分音の観念」は存在しないとも言えます。

何故、世界中でシンクロニシティー的に「微分音を7音でまとめた」のでしょう。これは、古代の人間が、如何に「自然の摂理」を人間の諸生活形態に取り入れようとしたか?を物語っています。

「7」は、言う迄もなく「週の日数/七曜」であり、「七曜」は、言う迄もなく「主要七惑星(太陽は恒星ですが)」であるからです。これとは別に、「虹の七色」も、人間が「7」を選択する理由のひとつの現れとも考えられます。
そして、「古代インド科学音楽」でも、その他のアーユルヴェーダやヨガ同様に「チャクラ」の数も、基本的に「7」を基準にしています。

しかし、実際の「虹の色」は、その境目はグラデーション的に「あらゆる色がある」訳で、音もまた、「西洋の12、ペルシアの24、インドの22、トルコの54」と言わず、実際は無限にある訳です。即ち、それら「微分音」も、「無限」の中から「選ばれた代表」に過ぎないのです。そして、その代表をまた「7」に束ねたということです。

従って「古代インド科学音楽〜インド古典音楽の七音」と、「チャクラの数」が一致するのは、或る意味「感動的」でもありますが、「当然」でもあるということです。

そして「チャクラ」もまた、無限とも思える様々な「ナーディ、経絡」や「血管、神経、リンパ管、その他の様々な関係性」の中の、「選ばれた、主要なジャンクション」と言うことも出来る筈です。つまり、細かな横道、十字路は沢山在るけれど、大きな交差点が「七つ」ということです。

Chakraの意味するもの
実際、より深く検証した「チャクラと楽音の関わり」では、幾つかの「チャクラ」には、「中心のチャクラ」の他に、「左右のサブ・チャクラ」が説かれています。

一見話しが逸れるようですが、

1980年の初渡印で、驚いたことのひとつに、ほぼ全ての交差点が「ラウンド・アバウト(環状交差点)」だったことです。日本でも多くないですが見ることが出来ると思います。ここ福岡でも他所者の私でさえ、ひとつ知っています。

交差点の中心には、大概椰子の木のようなものが植えられており、その回りを2〜4車線の環状の道があって、(右回りに入る地域の場合)直進したい車は(蛇行した直進の感じで)半周回り、右折は四分の三、左折は外側の車線に居れば四分の一周ですが、内側に居れば「一周と四分の一」回らねばなりません。

ですが、理論上は、「どの車も止まる(待つ)必要が無い」「衝突事故が起らない」という賢い仕組みです。

しかし、実際のインドのラッシュアワーでは、3〜4車線に5列以上もの車、バイク、バイク力車が溢れ。不都合な車線に居た車が強引に斜めに行こうとしますし、ぶつかりそうになるとバイクの運転手は他人の車を足で押しやりますから、「スリル満点」と言いますか、危険極まりないのが現実です。

事実、世界的には交通量の増加と共に廃れる傾向にあるようです。日本は何故昔から殆ど無かったのか? インド人などに言わせると「日本人の生真面目さと辛抱強さの賜物」だそうですが。

しかし、これを「科学音楽の音の流れとチャクラ周辺の様々な機能への様々なものの流れ」に当てはめて考えると、恐らくチャクラのジャンクションは、十字交差のようなものではなく、「準ラウンド・アバウト」的なものであろうと考えることが出来るのです。

つまり、「右のサブ・チャクラ」に関わって流れて行くべきものと、「左のサブ・チャクラ」に関わって流れて行くべきものは、チャクラの中で渦巻くように交差するのではなく、その前後に自然な路線を選んでいるのだろう、ということです。従って、「サブ・チャクラ」を認めない考え方であっても、「チャクラの右寄り、左寄り」的な解釈の余地はあろうと思われます。

要するに、「チャクラ」と言えば、下(尾てい骨付近)から上(頭頂部のそのまた上)に「抜ける、通る」ことばかりをイメージしがちですが、各チャクラと周辺の臓器や、関わり合いながら平行する様々なナーディとの関わりを深く理解すれば、必ずしも「下から上へ一直線」的な、世間で一般的に考えられているイメージ通りではないと考えるべきでしょう。

少なくとも、古代インド科学音楽のより深く正しい解釈に於いては、「音の影響」は、チャクラ・センターに直接的に関わった後に、縦横無尽に様々な臓器やナーディに至って作用すると考えられています。

最後までご高読下さりありがとうございます。

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是非ご参考にして下さいませ。

Hindu Chant講座Vol.1

Hindu Chant講座Vol.2

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Vedic Chant入門講座(基本理解編)

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アーユルヴェーダ音楽療法 (実践編1)

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(文章:若林 忠宏

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