38、末尾にこだわるインド音楽

Beautiful clay dolls of miniature folk musicians performing in a band of classical Indian music

世界の様々な伝統的な民族音楽を展望しますと、旋律や歌、フレイズの「始まり」と「終わり」のどちらに「こだわり」があるか? の傾向で、大きくふたつに分かれることに気付きます。
具体的に言うと、西アフリカ系の音楽が伝わった、カリブ海とブラジルの黒人系音楽は、「始まり」にこだわります。つまり、音楽演奏(演唱)のスタートに、もしカウントを入れたとしたら、カウントの「4」(や「3」)の裏拍から始まる感じです。なので、曲のエンディングも、「1」や「3」以外の拍の裏で終ったりが多い傾向があります。
もちろんこれはインド音楽家にとては「不気味」な終り方です。以前にもお話したようにリズムサイクルの「第一拍目」で終わってくれないと、「まだ終っていない」解釈になってしまうからです。

逆に、インド人がいくら「終わりは始まり、始まりは終わり」「だからインド音楽はどちらもこだわっているのだ」と力説しても、オリエントやアフリカ、カリブ、ブラジルの音楽家には「終わりにこだわっている」としか思えないでしょう。

リズムサイクルの「第一拍目」まで伸ばし届かせるこの「掟」は、次第に習慣化(当たり前)して、四つの大きな個性(特性)をインド音楽に与えたと考えられます。
それは、第一に「音を伸ばす」ということ、第二に「伸ばした音に装飾を着ける」ということ、第三は、第一の特性と第二の特性を合わせて「末尾の密度が上がる」ということです。第四の個性は、それらとは逆の発想で、「始まりをずらす」ということです。これはかなり「発展的な解釈」であり、基本から見れば、かなり上級編です。

以前、唱歌「もみじ」は「インド人には不愉快な拍で終っている」と述べました。が、実は、インド人の感覚においても、「もみじ」の歌詞は、「裾模様」で、完結しているのです。しかし、「第一拍迄届かない」。なので、「裾模様の様だ」と「蛇足」を足さねばならないのです。そうこうしているうちに、その「蛇足」に、「洒落、味、粋、妙技」を見せるようになったと考えることができます。「蛇足」ゆえに、あれこれイジルことが可能だからに他なりません。即興性や演奏家の個性の見せ処とも言えます。そして、その為には、「余韻が長いこと」が大きな武器になります。声楽家の場合は、「息が長く続くこと」です。その結果、いずれ詳しくご説明したいと思いますが、インド楽器の多くは、とにかく「余韻を伸ばすこと」に、命を掛けたと思えるものばかりです。

ところが、第四の特質は、これらと全く逆の発想で生まれました。唱歌「もみじ」で言うならば、原曲のままでは「4+4+4+4の16拍子」の「4小節目の第一拍目」で終ってしまい、「サイクルの第一拍目(Sam)」まで4拍足りないのです。なので、始まりを「2小節目の第一拍」から初めてしまえば解決する、という手法です。つまり「もみじ」の合唱で、識者が「3、ハイ!」と言っても、インド人は、更に四拍待ってから歌い出す、ということです。
しかし、このままでは、サイクル感がありません。もちろん「終わりが第一拍に到達」してしまえば、徒競走や競馬のゴールと同じで問題ないのですが、「サイクル感」を重視するならば、「空白の4拍」は、インド人とて放っては置かないでしょうし、そもそも「終わりは始まり」と言う限りには、「音を伸ばしコブシで工夫」をしても物足りなさや誤摩化しらしさは否めません。なので、完璧を期するならば、冒頭に「お山の」という歌詞を足すのです。そうすれば、末尾の「もよお」の「お」と始まりが同じ音になりますから完璧です。「模様は”う”だ」とおっしゃるならば、「裏山の」でも「美し」でもかまいません。

(文章:若林 忠宏

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