塩の女神

ガネーシャ神とカールッティケーヤ神という息子に恵まれた、シヴァ神とパールヴァティー女神。
そんな二人には、アショーカ・スンダリーという娘がいると伝える俗伝があります。
その俗伝の一つを見てみると、私たちが生きる意味が見えてきます。

パールヴァティー女神はシヴァ神と結ばれ家庭を築くも、瞑想に耽るシヴァ神は家庭を顧みず、寂しく悲しい思いをしていました。
そんなパールヴァティー女神は、願いを叶える木として知られるカルパヴリクシャに、常に側にいてくれる娘が欲しいと願います。
すると、すぐに娘となる子どもがあらわれました。
パールヴァティー女神は、その娘を、アショーカ(悲しみのない)・スンダリー(美しい娘)と名づけます。

ある日、シヴァ神が帰ってくると、自分の子どもだと気づかずに、ガネーシャ神の頭を切り落としてしまったことがありました。
その光景を恐れたアショーカ・スンダリーは、とっさに塩の袋の陰に隠れます。
ガネーシャ神を助けなかったアショーカ・スンダリーは、パールヴァティー女神の怒りに触れ、そのまま塩にされてしまいます。
しかし、後にガネーシャ神が命を吹き返すと、アショーカ・スンダリーも許され、女神として崇められるようになったといわれます。

塩の摂り過ぎは健康リスクを高めるとされますが、塩は生命の維持に必要不可欠なものでもあります。
男性原理であり精神(プルシャ)を象徴するシヴァ神と、女性原理であり物質(プラクリティ)を象徴するパールヴァティー女神の結合によって、肉体を持ち生まれた私たちに、その重要性は計り知れません。
暑さが厳しいインドの地では、生きるために特に塩が重要であり、非暴力・不服従運動の一環として、かのガーンディーは「塩の行進」を実行しました。

そして、流れる涙には、塩気を感じます。
パールヴァティー女神が悲しみを経験したように、私たちも人生の中では悲しみを経験する瞬間があります。
しかし、生じた肉体という現象の中で、そうした苦難が解脱への気づきとなるとき、肉体を持ったことも実りあるものとなるはずです。
流れる涙に感じる塩気こそ、私たちを解脱に導いてくれるものなのかもしれません。

塩の女神として崇められるアショーカ・スンダリーの存在は、私たちが肉体を持って生まれたことの意味、そして、その命の重要性を気づかせてくれるようです。
適度な塩が料理に豊かな味をもたらすように、人生の苦難を通じて豊かな気づきを得られるよう、神々と向き合いながら学びを深めていきたいと感じます。

(文章:ひるま)