今回の図は、先にご紹介した左上の「日本の密教曼荼羅」の部分を取り出したものです。
左下には、二列の回廊(院)の内側にある、中心的な円形の院を取り出しました。
最も中心には、絶対神的な存在がありますが、この連載では、敢えて「Ishvar(普遍的な絶対神)」もしくは「宇宙の真理」としておきましょう。
その上下左右に紫色の円で示した「四如来」が配置されています。それぞれが、やはり上下左右に従神を従えています。同じように、最も中心の如来も上下左右に波羅蜜菩薩を従えていますが、先に述べたように、チベット曼荼羅には無いことがあります。
中心の上下左右の「四如来」の間には、黄色い丸で描かれた「四供養妃」が置かれています。チベット曼荼羅では、後世、チベット独自の女神に置き換えられ、更に発展したようです。
これらの左下の図の「如来と菩薩」の院の外周を囲む四角い城壁は、内側の回廊の内壁と接します。その内側の四角には、書かれている通りの「地神、火神、水神、風神」が守護神として置かれています。
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その外側には、二重の回廊(院)が置かれています。内側には八尊、外側には、二重尊が置かれていますが、実は、内側の回廊には、八尊の他に、宗派によっては「十六尊」もしくは「千仏」が置かれていますが、今回は割愛させて頂きました。チベット曼荼羅では、この内側回廊に八尊が見られず、「千仏」が回廊状に置かれているものを多く見ます。チベット曼荼羅では、外側回廊の中心の各一尊が、内側に移動し門(Dwara)に置かれます。
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「密教」という言葉を見れば、誰しもが「秘密の宗教」と考えると思いますが、それは二つの意味合いで正解ですが、その二つは全く異なる次元と考えられます。ひとつは、史実として、弾圧を逃れるために地下に潜った経緯があったからでありますが、他方は、奥義が秘密であったからです。私自身は、「今日もその多くは秘密の奥義とされる」という解釈に賛同しています。
しかし、その一方で、ご存知のように、空海自身や門弟(空海が分身の術を使ったのかも知れませんが)は、創始直後から百年の間に、日本全国津々浦々物凄い布教活動をしています。そこでは、多分に「ご利益宗教」的な説法を行っており、今日の「密教曼荼羅の解説」は、「この全く異なる二つの次元」がかなりごちゃ混ぜになっていると思わざるを得ません。
「ご利益宗教」という表現に、違和感・反発心を抱く人が居ると思いますが。やはり多分に「大衆迎合的」であり、その深い意味を説かず。極論的に言えば、「説いてもどうせ分からんだろう」と考えていたとさえ思えるほどに「分かり易く」のみならず「大衆が喜びそうな」教えを説いて来たことは、事実であり反論は無い筈です。
ところが、南西アジア~アフリカの「イスラム系神秘主義」の多くの宗派のように、「大衆化=俗化」を嫌い、出家信者のみで構成され、厳しい奥義を厳格に学ぶ宗教も少なくありません。日本の密教もまた、例外ではなく、前述した「大衆向けの教え」と「出家者向けの教義」には、大きな隔たりがあるということです。問題は、ネット情報では、これが中途半端に混同されている、ということです。
尤も、洋の東西を問わず、時代の変遷(大衆心理の変化)に伴って、一部奥義を公開したり、翻訳して新たに出したりのことは、多くの宗教がしていますから、ネット情報の中には、背後にその意図があるものもあるのかも知れませんが。
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例えば、
前述した、中心の上下左右の「(紫色の)四如来」の間の、黄色い丸で描かれた「四供養妃」は、それぞれ「(時計回りに)隣の如来を供養する為に置かれた」と説かれます。
これを「ご利益宗教的」に解釈すると、例えば、右下で「技」と書いた供養妃は、隣の「安」と書いた如来を供養するために置かれたと大衆には説かれた訳です。
これでは「へ~そうなんだ」以上の理解も学びも気づきも得られません。
しかし、そもそも「如来」が、菩薩の供養を必要とするのでしょうか?
逆に考え、それぞれの如来が、自らの上下左右の従菩薩の他に、特別な使命を与えて「供養妃」を出生させたならば、理解・学び・気づきは深まります。また「供養」を、「誰かが誰かを癒す」という短絡安直敵に理解してしまっては元も子もありません。ヴェーダの叡智では、それは「自浄能力・自己治癒能力」だった筈です。
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例えば、四如来の上に置かれ「時」と書いた如来は「阿弥陀如来」で、それを供養するために右に置かれた「歌菩薩」は、「歌で阿弥陀如来を供養する」と説かれるのです。やはりこれでは何も始まりません。そもそも「阿弥陀如来」は、一般大衆には、「寿命を司る」などと説かれ、「祈願して長生きしなさい」では、全く「ご利益宗教」の粋を出ません。
私が「時」と書いたのは、「命=時」であると共に、「時」は、絶対値のようであって、その密度や意味・価値によって、大きく変化し得るものだからです。またヴェーダの叡智は、アインシュタインの数千年も前に「時間」を物質的に捉えてました。つまり、「時の意味や価値」は、「軽い時もあれば重い時もある=質量がある」ということです。
そして、
それを「Yantra/Mandraは、個々の人間の精神領域(脳機能)と深く強い相似性(転写)がある」というヴェーダの叡智に沿って述べるならば。「人間には『時の質量』を感じる能力が(本来)ある」ということです。
更に、「日本の密教曼荼羅(原典ではチベット曼荼羅とほぼ共通します)」に於ける「阿弥陀如来」は、「その能力を活性化させる力を与えてくれる存在(DNAのSwichかも知れません)」であり、それは同時に、如来の上下左右に置かれた「法/剣/言/悟」の菩薩によって細分化されると共に、右の菩薩の「歌」によっても更に活性化される、と解釈出来るのです。
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法菩薩の「法」も一般向けには「(守るべき)Dharma」で終わってしまいますが。より深い説明では「清浄・覚醒」を強く伴うと説かれます。つまり、私たちが日常の世知辛さに対応・反応して鈍らせ・曇らせた感覚(論理思考)が、この菩薩を想い・念じることで「覚醒・活性」され、「物事の真の正誤を判断し」始めて「Dharma」の実践に至る訳です。つまり、現代人のように「法で裁かれるからしないでおこう」という「抑止力」の「法」ではなく、それとリンクした「内面的なものさし」としての「Dharma」を覚醒(思い出す・取り返す)する、という意義です。
「剣」は、そのような「正しさ」の実践の為の「勇気・決断」であり、「言(詞・言語・聖音・言霊)」は、言うまでもなく「Mantra(や真言)」の助けであり、「言語化・文章化と読解力の活性化」であり、「悟」は、「論理思考の活性化・叡智と悟性の復活」に他ならないのです。そうした上で初めて、「供養菩薩の歌」、例えば「マントラ」や「キールターン」が命を得、意味を持つ訳です。言い換えれば、この摂理と道理が理解出来ない「論理思考領域が疲弊し、気分感情・感覚でしか理解出来ない現代人」が、歌を歌ったところで「自分を癒す行為」「(同好を集めた集団的な)自己満足」以外の何ものにも至り得ないということなのです。
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