紀元前2千年前頃の古代インドで音楽は、「Dadik-Sangit (寺院・僧侶音楽)」と、それ以外の「Laukik-Sangit(世俗音楽)」に大別されていました。後者は、宮廷の宴会音楽から民謡に至る寺院音楽以外の全てを指し、前者の一部には「Shastriya-Sangit(科学音楽)」と呼ばれる特別な音楽がありました。「Shastriya-Sangit(科学音楽)」は、後に「古典音楽」にも括られますが、宮廷宴会音楽も、やはり「古典音楽」であるわけで、この辺りのややっこしさがインド音楽の特徴のひとつです。
世界の様々な地域に寺院音楽や教会音楽がありますが、それらはほぼ「宗教音楽」と言ってしまっても問題はないのですが、インド音楽の場合、そうでもないのです。何故ならば「科学音楽」は寺院に於いて僧侶が実演しましたが、宗教音楽とも言い切れないからです。
現に、10世紀以降、北インドのほぼ全域をイスラム宮廷が支配した以降、「科学音楽」は、イスラム宮廷古典音楽の主流音楽の立場へと変わり。宮廷楽師のほとんどはイスラム教徒に改宗し、その後千年近く発展しつつ継承され続けたのです。
つまり、「科学音楽」は、ヒンドゥー教寺院にて僧侶階級によって始められ育まれた後、イスラム宮廷古典音楽として更に発展したもので、根本にはヒンドゥー教の科学がありますが、宗教の壁を越えた芸術古典音楽となったわけです。
ある程度同じことは、西洋クラッシック音楽にも言えます。本来キリスト教会の宗教音楽家であったバッハなどが開発した音楽理論が、その後のモーツァルトやベートヴェンにも受け継がれて宮廷や貴族の芸術古典音楽となったように、宗教音楽としてスタートした音楽理論が宗教音楽の範疇を越えることが西洋でも見られるのです。
しかし、西洋のそれは、「理論的な音楽」ではありますが、インドの「科学音楽」のような性質は持っていません。ちなみに、イスラム教文化圏では、音楽と宗教を厳しく分離させていますので、芸術古典音楽は、誕生の頃から非宗教的な存在でした。
このように、インドの「科学音楽」は、世界的に見て非常に独特な存在であると言うことができるのです。
一方、インド・ヒンドゥー宗教音楽は、中世に庶民の間で献身思想(Bakti)が盛んになった以降、寺院の外にも存在するようになりました。また、分類上では、「世俗音楽」であり「民謡」である祭り音楽などの庶民の音楽も、多くがヒンドゥー民間宗教に根ざしていたり、より古い、仏教以前のブラフマン教信仰や、それ以前の地域の土着宗教(アニミズム)に根ざしています。そもそもヒンドゥー教は、そうしたアニミズムやブラフマン教信仰を吸収し包括して確立したとも言えます。例えば、ヒンドゥー教三大神のひとりヴィシュヌ神は多くの化身(アヴァターラ)を持ちますが、例えば「川の神」の「Matya(マツヤ/ヴィシュヌ神第四の化身、下半身は魚)」「Kurma(ヴィシュヌ神第五の化身、下半身は亀)」などは、その地方のアニミズムの神が原点かも知れないとも言われます。
このように、インド・ヒンドゥー教の宗教音楽は、寺院で僧侶が実演したものから庶民の宗教音楽、民謡、祭り音楽に至る、宗教儀礼の為の音楽や神々の讃歌、献身歌であるのに対し、「科学音楽」は、「音楽科学の実践」という全く異なる目的によって存在しているのです。
もちろん、寺院における宗教音楽には、科学音楽の一部の要素や科学音楽の影響も見られますし、科学音楽の考え方の根底にはヒンドゥー教独特の、例えば「輪廻」の概念などに根ざしているものもあり、きっぱりと区別しきれない要素もあり、インド音楽をより複雑なものとしているところもあります。
(文章:若林 忠宏)
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