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インド音楽

82、花柳界出身の太鼓:Tabla

シタールの伴奏によって、シタールと共に世界を旅したことで世界的に有名になり、その後、シタールが入ると「如何にもインドの世界」になってしまうのに対し、タブラは世界の様々な音楽にも自然に溶け込み、色を変えないことからシタールよりも普遍的且つユニークな楽器(太鼓)としてより好まれた経緯があります。
シタールの項で述べました「ラーガ・ロック」は恐らくほとんど演奏しなかったエリック・クラプトンも、名曲「ライラ」のアルバムでタブラを起用しています。
この「タブラ」は、前回ご紹介した「ムリダングを左右で二分した、高低二個一組の片面太鼓」ということが出来、正式には「タブラ(右高音太鼓)・バヤン(左低音太鼓)」であると知っている人は、タブラをご存知の方の中でも七割位でしょうか? 「バヤンが単に『左』の意味で、タブラは元々アラビヤ語で『太鼓』である」となってくると五割程度かも知れません。
更に、実は「タブラ・バヤン」に至る迄に、過渡期の同様の太鼓が数種あることは「タブラを持って居る」人や「そこそこ演奏するぞ」という人の中でも殆どご存じないかも知れません。

そもそも何故「ムリダングを二分する必要があったのか?」
ひとつには,西域からインドに来た(つまり移動して)イスラム教徒にとって、移動出来る太鼓は、馬の鞍の両側に取り付けた「二個一組」の太鼓であったからに他なりません。
他方「ムリダングを二分しないと、叩けない」ということは、ある程度はあります。手の甲が上を向くか横を向くかでは重力を利用出来る出来ないの大きな違いがあります。ですが、決定的な問題ではない筈です。

実は、より決定的な理由は「音量と余韻」にありました。前回お話しましたように、ムリダングは、世界有数の音量と余韻を誇る太鼓で、正にヒンドゥー寺院の厳かな儀礼音楽や、宮廷音楽の最高峰ドゥルパドには適しているのですが、花柳界の歌姫の叙情詩には全く不向きです。
もちろん「楽器の格」がありましたから、ムリダングを宮廷や寺院から持ち出して花柳界で用いることなど許されませんでしたが。誰もそれを望みもしなかったということです。

なので、当初花柳界では「馬の鞍の両側」に吊るされた太鼓「ナッカーラ(Naqqara)」を指と掌で叩いて歌姫を伴奏していたのです。本来はスティックで叩きますが、しっとりとした叙情詩では音が大き過ぎです。
この太鼓も大小で音の高低を付けましたが、音色変化は4種類程度でしょう。
そもそも花柳界の歌姫は、宮廷楽師に弟子入りしていました。これは日本の芸者さんも同様で、長唄や浄瑠璃の師匠に昼間稽古を付けてもらうのです。
歌姫の家系は、女子に生まれれば、歌姫と舞姫になり、男子に生まれればタブラ奏者とサーランギー奏者になりますから、恐らく男子もラーガ音楽やターラ技法を学びに行っていた筈です。そこで、ムリダングの「スャヒ」を知り、恐る恐る遠慮がち「どうにかナッカーラにも応用出来ないか?」とチャレンジしたのでしょう。

ところが、その当時も今でもムリダングの左側低音太鼓にはスャヒを貼らず、演奏の度に米粉を捏ねて貼ります。演奏中に渇くと剥がれてしまいますから器の水を用意し常に湿らせます。右のスャヒは汗でも痛むので、むしろ頻繁に手を拭きながらです。「音の高低」のみならず「乾きと湿り」も同時に存在するのです。実に「二元論を象徴している楽器」と言えましょう。
なので、初期の花柳界ナッカーラにはスャヒは全くなく、演奏時に左低音太鼓に米粉(ラヴァ)を塗って演奏していた訳です。
このペア太鼓の名はやはり「ナッカーラ」でしかなく、左右は「サギールとカビール(アラビヤ語の小と大)」かヒンディー語(ウルドゥー語)で「ダヤンとバヤン(右と左)」程度だったと思われます。

次に開発された花柳界太鼓が、左低音太鼓のみ木製にして、ムリダングのラヴァの他に「縁皮」をも取り入れて、音の変化を際立てたものです。それは「ダーマ」と呼ばれます。何故そのような太鼓が必要であったのか? それは、ラヴァを塗った左は手のかかとを鼓面に付け、スライド音を出すからです。もちろん、かかとがラヴァに乗り上げてしまうとぬかるみに足を突っ込んだようになってしまいますから「寸止め」ですが。
なので、断面が三角なナッカーラより円筒形の方が安定するからがその理由です。そして、右側は変わらず小さなナッカーラ。しかし、そもそも「ナッカーラ」はアラビヤ語で複数形ですが、その頃にはアラビヤ語会話者は少なくなっていたのでしょう、それでも「ペア太鼓の一方」を旧名で呼ぶことはしなかったようです。なので、「高音(頂き)」の意味(前回のムリダングのイスラム教徒の呼称と同じ)の「アワジ」を用い「アワジ&ダーマ」だったのです。もちろん単に、アラビヤ語の「太鼓」の意味の「タブラ」の語を用い「タブラ&ダーマ」であったかも知れませんが、後述の同名太鼓と同名異形ですから割愛します。
そして、次に「アワジ」もムリダングを真似た木製片面太鼓に替え今度はスャヒを塗って、今日の右側高音太鼓「タブラ」が出来上がります。そのセットが「タブラ&ダーマ」です。

ところが、楽派によっては「ダーマ」を用いず、ナッカーラの左太鼓をずっと用いていた奏者も居ました。彼らはナッカーラのインド名「ドゥッギ」と称します。その彼らも右高音太鼓にスャヒが着いた「タブラ」は大歓迎。そこで「タブラ&ドゥッギ」が誕生します。倒れにくいように「お椀型」に改良されています。
そのドゥッギのラヴァをスヤヒに替えたのが今日の「バヤン」です。なので、今日の「タブラ・バヤン」を未だに「タブラ・ドゥッギ(ドゥッガ)」と呼ぶ人も少なくありません。 当初左低音の「ドゥッギ」にはラヴァが塗られていたのでしょうが、近年ではもっぱらスャヒが貼られています。一方の「ダーマ」は、未だに鼓面には何もなく、演奏時にラヴァを貼るようになっています。
また、1990年代に日本でも人気となったスーフィー・チシュティー教団の献身歌(神秘詩)カッワーリの歌い手:ヌスラット・ファテ・アリ・カーンの楽団では「タブラ・バヤン」「両面民謡太鼓:ドーラク」の他に、「アワジ・ドゥッギ」をしばしば使っていました。この場合のドゥッギは今日のバヤンと同じ「スャヒ付き」で右側「アワジ」はナッカーラのままです。

「タブラ」もまた、流石にシタールの相棒であるだけあって、シタール同様に波瀾万丈の歴史を経て古典音楽太鼓に至ったのです。

(文章:若林 忠宏

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