ハムサ 〜 呼吸に潜むマントラ

 近年の脳科学では、実際に使用されている脳は、脳全体に比べると、ごく僅かであることが明らかにされています。それと同様に、わたしたちが意識している領域は、無意識の領域に比べると、芥子粒のようでしかありません。
 古代の聖者たちは、この無意識の領域に普遍的真理が潜んでいることを体験的に悟り、無意識の領域を意識するために、瞑想やヨーガなど、さまざまな行を探求してきました。
 わたしたちが普段、無意識に行っている呼吸は、生命維持に欠かすことができません。探求者たちは、この無意識に行っている呼吸を意識的に行うことで、広大な無意識の世界を探求できることに気がつきました。現代の情報化社会では、古代の探求者が見出した果実を容易に享受でき、ヨーガや瞑想法では、真理に到達する手段としての多くの呼吸法が紹介されています。
 無意識の領域を探求する別の方法として、マントラ(真言)があります。マントラは、無意識の領域に流れている音を聖者が見出し、真理とつながる方法として伝わっています。マントラは、宇宙創造時に生まれた音であり、それを唱えることにより、真理を悟ることができると信じられています。探求者たちは、真理を悟るために数多くの苦行を行ってきましたが、マントラを繰り返し唱えるジャパは、誰もが容易に、安全に、そして確実に真理に到達できる方法として、古くから行われてきました。
 ともに真理に到達するための方法である呼吸法とマントラは、しかしながら、同時に行う事もできます。それが、アジャパ・ジャパ(ジャパでないジャパ※注1)と言われる、ハムサ・ガーヤトリーです。ハムサ・ガーヤトリーは、舌や数珠を使わずに唱える、呼吸と共に、自然と湧き出るマントラです。それは、声に出す必要のない、自身と融合したマントラであり、生きとし生けるものが一生涯唱え続けているジャパです。このマントラは、他のマントラとは異なり、聖者やヨーガ行者が発見したものではなく、神自身がわたしたちに授けてくれたものといわれています。それは、呼吸と同じく1日に21,600回繰り返されるといわれます。
 ガルヴァ(胎児)・ウパニシャッドによると、胎児は7ヶ月目の時に、魂が過去世からの知識を引き継ぐといわれています。そして、胎児が母体の中で、身動きがとれずに泣き始めるとき、神がハムサ・ガーヤトリーを授けるのです。しかしながら、この究極のマントラを授かりながらも、多くの胎児は、母胎から生まれ出るときに「クワン、クワン」(コーハム、コーハム)と泣き叫び、私は誰か?(※注2)という疑問を持ちながら、生き続けることになります。
 シヴァ派の聖典では、「マントラがそれを唱える人と分離し、目的を異なるものにするならば、その人はマントラの果報を得ることはない」と述べています。多くの人々が、生まれながらにして究極のマントラを授かりながらも、そのマントラから果報を得ることができないのは、ハムサの正しい意味と目的を理解していないことに原因があります。ハムサの正しい知識を得ることは、自己を理解することであり、それは自身と神との融合、すなわち二元性の消滅をあらわし、究極の平等と心の平安をもたらすものです。それは、プラーナーヤーマ(呼吸法)や瞑想法の最終目的です。究極の平安に達することは、自身の中の神の顕現につながります。
 シヴァとその妃であるシャクティの対話を記した聖典であるヴィジュニャーナ・バイラヴァでは、ハムサについて、ダーラナー(集中すべきもの)として、シヴァがシャクティに次のように説いています。「万物を創造する至高の女神は、肉体の中心より上方においては呼気の姿で、下方においては吸気の姿で、自身を表現する。」
 またシヴァ派にとって重要な聖典のひとつであるスパンダ・カーリカーでは、「呼気と吸気の脈動は、シヴァとシャクティのダンスである」と述べています。ハムサの音は、原初音オームより生じたとされ、吸気である「ハム」はシヴァ神に、呼気である「サ」はシャクティに対応します。逐語訳では、ハムはサンスクリット語の「私」、サは「それ」を意味し(※注3)、ハムサは「私はそれである」と訳されます。マハー・ヴァーキヤ(偉大な箴言)には、「アハム・ブラフマースミ」(わたしはブラフマン【宇宙の根本原理】である)、「タット・トヴァム・アシ」(汝はそれである)という箴言があります。ハムサは、このマハー・ヴァーキヤと同一の意味であり、ハムサを理解することは、宇宙の根本原理と自己の同一性を悟ること、すなわちすべてを超越した至高の真理に到達することにつながります。グル・ギーターでは、「ハム・ビージャム」(ハムは種子である)とされ、ハムとサは世界の源泉であることが述べられています。
 ハムサを理解するためには、まず宇宙に満ちた生気であるプラーナを理解する必要があります。プラーナには、専門語として呼気の意味があります。プラーナは、ハートの上方に上り、生命を支え、肉体と宇宙を維持するために必要不可欠な力です。ウパニシャッドでは「プラーナは神である」といわれ、またシヴァ派の聖典では「蟻からシヴァまで、万物はプラーナによって生きる」といわれています。
 プラーナに対するアパーナは、吸気に対応し、ハートの下方に下り、ジーヴァとしての個人の魂を意味しています。
 宇宙につながるプラーナは「サ」(それ)の音に、個人の魂を意味するアパーナは「ハム」(私)の音に対応しています。ハムサが、究極の瞑想法かつ呼吸法であるといわれる所以は、「それ」(宇宙の根本原理)と「私」の融合を象徴しているからです。
 「ハム」(私)が吸気として、自身の内に取り込まれるとき、呼気である「サ」(それ)との間に一瞬だけ、完全な静寂の状態が訪れます。吸気と呼気の間にある完全な静寂に意識を集中することは、もっとも高度な瞑想法といわれています。ハムサの真の目的は、吸気と呼気(または呼気と吸気)の間であるマディヤーダーシャに意識を集中し、ハム(私)とサ(それ)が完全に融合することを知ることにあります。
聖ブラフマーナンダは次のように述べています。

サードゥよ、高貴な人々よ
ソーハム(ハムサ)・マントラを熟考し
ソーハム(ハムサ)・マントラを知りなさい
指は数珠を括る必要なく
舌は声を出す必要もない
この唱える必要のないマントラは、
四六時中、あなたの内に流れ続けている
観察しなさい
呼気としてのソー(サ)の音を
吸気としてのハムの音を
昼夜、あなたが寝ても覚めても
このマントラは常にあなたの内にある
1日21,600回、このマントラは流れ続けている
歓喜をもって、常にそれを瞑想しなさい

聖ブラフマーナンダはまた、「このマントラを瞑想するとき、あなたは至高の状態に達するだろう」と述べています。
 普段、わたしたちが無意識に行っている呼吸には、偉大な真理への気づきが潜んでいます。ハムサは、日常生活において、誰もが行うことのできる究極の瞑想法であり呼吸法です。あなたを完全に変える力を持つこのマントラに、意識を集中してみてください。そこには、「それ(ブラフマン)」と「私」とが融合した至高の状態と、完全な静寂が隠されています。
参考文献:
Swami Muktananda, “I am that : the science of Hamsa from the Vijnana Bhairava”, SYDA Publication, 1978
注1:ジャパは、マントラ(真言)を繰り返し唱える霊性修行のこと。
注2:コーハム(ko’ham)は、サンスクリット語で「私は誰か」の意味。
注3:ハムとサを置換して読む場合、サンスクリット語の連声の規則により、ソーハム(so’ham)と変化します。ソーハムは「それは私である」と訳されます。一般的なウパニシャッドの慣例では、「ソー」を吸気に、「ハム」を呼気に対応させてソーハムが唱えられますが、シヴァ派の教典ヴィジュニャーナ・バイラヴァ(155a節)では、「サ」を呼気に、「ハム」を吸気に対応させてハムサを唱えることが述べられています。どちらも実際は同じマントラであると考えられていますが、ここではハムサに対応するヴィジュニャーナ・バイラヴァの記載に従っています。
※この原稿は、「ハムサの会 会誌No.35 2011年11月号」に掲載されました。

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