移り気な女神

新月の暗闇が光に包まれるディーワーリー祭。
そんな美しい夜に広く礼拝されるのが、ラクシュミー女神です。
ヒンドゥー教の創造神話である乳海撹拌を通じ、ラクシュミー女神はこのディーワーリー祭の日に、姿をあらわしたと信じられています。

豊かさの女神として崇められるラクシュミー女神には、チャンチャラという別名があります。
チャンチャラとは、あちこちに動く、不安定になる、などといった意味があります。
それはまるで、私たちが手にする富のようです。
ラクシュミー女神がそんな風に呼ばれるようになった理由には、ある神話が伝わります。

神々と敵対するアスラの生まれであるバリ王は、献身的に力をつけ、王国を繁栄させました。
しかし、強欲になったバリ王にうんざりしたラクシュミー女神はバリ王を離れ、神々の王であるインドラ神のもとへ行きました。
バリ王は力を失うも、インドラ神は力をつけます。
しかし、力をつけたインドラ神は遊びに耽り怠惰になると、ラクシュミー女神はインドラ神のもとも離れ、インドラ神は力を失いました。

バリ王のもとへ行ったり、インドラ神のもとへ行ったりするラクシュミー女神は、アスラたちから移り気で気まぐれな女神、チャンチャラと呼ばれてしまいます。
すると、ラクシュミー女神は答えました。
「私は正義に忠実である」と。

強欲になったり、怠惰になったり、私たちが正義を欠く時、さらなる富は生まれません。
それは、ラクシュミー女神が離れていくからです。
そんなラクシュミー女神が常に寄り添うのが、夫であるヴィシュヌ神です。
世界を維持するヴィシュヌ神は、正義の下で、大変な努力と働きを行う者であると考えたからだといわれます。

ヴィシュヌ神の下で維持されるこの世界を見てもわかります。
動きがある場所には、命や再生があり、動きがない場所には、死や腐敗があります。
自然の摂理に従って動くこの世界には、豊かな恵みが溢れています。

あちこちに動くラクシュミー女神を側に留めておくためには、私たちは常に、誠実な努力の下で動き続けなければなりません。
その人生には、限りのない豊かさというラクシュミー女神が、どんな時も側にいてくれるはずです。

(文章:ひるま)