ヴィシュヌ神の8番目の化身として、この地に喜びを広めるためにあらわれたと伝えられるクリシュナ神は、数々のリーラー(神の戯れ)を通して、私たちを真の喜びへと導きます。
そんなクリシュナ神にまつわる数ある神話の中に、牛飼いの乙女たちとのある有名な神話が伝わります。
聖地ヴリンダーヴァンに住む牛飼いの乙女たちは、早朝にヤムナー川で身を清めながら、クリシュナ神を夫として得るための祈りを捧げていたと伝えられます。
ある時、クリシュナ神は、そんな牛飼いの乙女たちが身を清めるために脱いだ服を持ち去りました。
そのリーラーが描かれる神話を通じては、霊性を育む大切な教えが伝えられます。
その教えは、まず牛飼いの乙女たちに礼節を示します。
クリシュナ神という至高の存在への祈りのためとはいえ、川で裸になることは、水の神であるヴァルナ神に無礼であり、適切な祈りではないと考えられていたといわれます。
それはまた、乙女たちの安全を守るためであったのかもしれません。
一方で、クリシュナ神は持ち去った牛飼いの乙女たちの服を手にし、カダンバの木に登ると、その服を取りに来るようにいいました。
裸である牛飼いの乙女たちは、川から出られず、なかなかクリシュナ神のもとへ行くことができません。
この観点から、牛飼いの乙女たちの服は、物質に対する執着であるとも教えられたことがありました。
それは、私たちが抱くこの世界への執着でもあります。
私たちは、物質世界への執着を手放すことができず、なかなか神に近づくことができません。
そんな私たちの執着を取り去るクリシュナ神は、裸で自分のところへ来るようにいいます。
それは、地位や名誉、容姿など、この物質世界で自分自身を定義するものを捨て去り、真の喜びであるクリシュナ神に向かうこと意味します。
その時、私たちは本来の純粋な魂に安住することが可能となります。
クリシュナ神は、常に私たちを真の喜びへと導いています。
その御名を繰り返し唱えたり、瞑想をしたりして、クリシュナ神から離れないように生きることを努めなくてはなりません。
その人生においては、この物質世界に惑わされることなく、真の喜びの中で生きることができるはずです。
(文章:ひるま)
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