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雑記帳

ありのままに観る

精神性を深める道を行く中で大切な行いとなり得る瞑想には、インドにおいても、数多くの方法が存在します。仏陀が悟りを開いたとされるヴィパッサナー瞑想もその一つです。「ありのままに観る」その瞑想法は、現代社会において、人々の心に存在する苦悩を和らげる術とも伝えられるものです。
瞑想と言うものが何なのか、このヴィパッサナー瞑想を通じ少しだけ理解できたように感じたことがあります。呼吸、感覚、感情といったものをただ見つめるだけで、外側に向いていた意識は集中的に自分自身の内へと向かい、そこで見えてくるものは更に深く大きな世界でした。
「ありのままに観る」ことは、決して容易いことではありません。好きや嫌い、損や得など、様々にものごとのあり方を定義したい心は常に大きく動き続け、幸せや苦しみをもたらします。波のように出ては消え、出ては消え行くその動きをただ見ている時、まるで迷い込んだように、波にのみ込まれた感覚を抱いたことも事実です。
私たち人間が苦悩を抱えるのは、現れるその波に気づかないことが原因であると言われます。しかしそれは、明確に現れています。呼吸は乱れ、様々な感覚となって体を巡り、新たな波を引き起こします。ありのままに観るという行いを繰り返すうちに生じる気づきは、波から自分自身を遠ざけ、飲み込まれることも、更なる波を立てることもありません。いつしか波が小さくなり、そしてなくなることがあれば、心は濁らず、常に清浄であることが可能なのだろうと確かに感じたことを思い返します。
「私は幸せが欲しい」その言葉に、仏陀は返します。「自我である『私』、そして欲である『欲しい』が取り除かれれば、そこに『幸せ』が在ります。」ただそこに在る幸せを濁らせるものは、心の波が生み出す自我や欲望に他ありません。あるがままに観るという術は、その根本を除去していくものでもあります。
ヨーガを通じ、日々をより清らかに美しく生きる術を実践する中で、ものごとをありのままに観る術も、同じように日々に豊かさをもたらします。現代にも生きるその叡智が、多くの人々の心に平安をもたらすことを、ブッダ・プールニマーを迎える今、心からお祈りしております。
(文章:ひるま)

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