幸せが内にあり
喜びが内にあり
光が内にある者
そのようなヨーギーは
ブラフマンと一体となり
永遠の至福へと到達する
(バガヴァッド・ギーター第5章24節)
幸せと喜びについて、バガヴァッド・ギーターの中でクリシュナ神が述べる言葉を思い出します。
ホーリー祭は喜びそのものです。この日ばかりは、社会の中で生み出される貧富の差、老若や男女、地位や役割、あらゆる差異がなくなり、誰もが平等に、ただカラフルな喜びに満ち溢れます。そしてそこには、自分自身の内に喜びを見出すという霊性を育む深い意味が秘められています。
私たちは、自我や欲望から生じる姿や形、名前、持っているものに幸せを見出し、その移ろう現象に囚われ、多くの苦難を経験するということが古くから伝えられてきました。そしてこのホーリー祭の喜びが見せるものは、姿形のない、ただ在る喜びであることを思い出します。
インド全体がカラフルな色に染まるホーリー祭の前夜には、大きな焚き火と共に神々が礼拝されます。それは、自我や欲望を焼き尽くすことを意味するものでもあり、そうして自分自身の内が浄化される時、あらゆるものを平等に見ることのできる清らかさを私たちは獲得するのだと教えられました。
あらゆるものを平等に見ること、それは全てが神々のものに一つであることを理解することにも他ありません。清らかな心でその真実を理解する時、私たちの内は、既に在る絶対の幸せと喜び、そして光に溢れます。さまざまな差異を超え、あらゆるものが一つになったホーリー祭の喜びが、それを物語っています。
私たちが生きるさまざまな姿や形が現れるこの現象世界こそ、その真実を理解するための貴重な機会に満ちているのだと感じてなりません。日々の一瞬一瞬において、自分自身の内なる喜びに気づいていられるよう、真実の理解に励みたいと感じています。
こうして訪れるインドの祝祭の数々は、日々に大きな気づきを与えてくれるものです。その気づきが喜びであるからこそ、学びの数々が美しいものとなり変わります。今年もまた、このホーリー祭を通じ世界が大きな喜びに包まれるよう願っています。
(文章:ひるま)
雑記帳
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