インド科学音楽および古典音楽のリズム「Tala」は、太鼓・打楽器が無くても、手拍子で理解し、表現することができます。南インドの弦楽器「Vina(ヴィーナ)」の場合は、右手の人差し指と中指で、旋律弦を弾きながら、それが如何に複雑であろうと、小指で、側弦を「Tala」の手拍子のように一定に弾くという離れ業を当然のようにやってのけます。それゆえに、「Vina」は、「Sampurna-Vadhyam(サンプールナ・ヴァディヤム)」つまり「完全なる楽器」と呼ばれています。
北インドの弦楽器ではシタールが有名ですが、シタールの一方の元祖の北インドのヴィーナである「Vin(ヴィーン)」も古くは南の楽器と同様の「ターラを刻む弦」とその奏法があったと思われますが、中世からその奏法は止めてしまった様です。これも北インド音楽が即興を主とし、南インド音楽が作品を主とすることの違いから生じています。
南インドのVinaを例外とすれば、弦楽器は、両手が塞がっているので、「ターラ」を示すことが出来ません。歌い手は可能ですが、北インドの声楽家は、生徒向けのデモ歌唱でもない限り、ターラを取りながら歌うことはしません。ここに南北インドの音楽的価値観の大きな隔たりがあります。
南インドは、前述しましたように、作品の再現が主体で、その作品は、非常に凝った作りになっており、シンコペーションが多くあるので、うっかりすると聴衆は、元のビートを忘れてしまいかねません。それを防ぐためと、如何に作品が凝っているかを客観的に示すために「ターラ(手拍子)の実演」は、むしろ不可欠になるのです。
それに対し、北インドでは、即興が主体なので、一二時間に及ぶ演奏(歌唱)であろうとも、作曲された主題などは、数小節しかない場合がほとんどなのです。
もちろん、即興演奏では、南インドの作品に劣らぬ複雑なリズム分割をすることは大いにありますが、そこで、物差しを示さないのが北の粋でもあるのです。かと言って、全く何もないのでは、聴衆も基本ターラが守られているか?そうでないか?が分からなくなりそうですし、演奏者も、間違いに気づかないということも有り得るわけです。南インドの場合、作品が有名なので、少しでも間違えれば、演奏者も伴奏者も聴衆も直ぐに気づきますが、北インドでは即興ですから気づかない可能性もあるわけです。
そこで、太鼓が重要なパートナーであり、物差しであるわけです。とは言っても、太鼓奏者が基本パターン「Teka(テカ)」ばかりを叩くとも限りません。
一方南インドでは、手拍子が実際の舞台の演奏にも加わる他、大きさの少し異なる二枚のハンドシンバルを叩くこともあります。舞踊音楽では不可欠で、その名も「Talam」と言います。逆に、手拍子やTalamがある為、南インドの太鼓は、「Teka」に相当する基本パターンはほとんど叩かず、めまぐるしく複雑なリズムを即興的に叩きまくります。
北では歌や弦楽器が即興的で、太鼓が基本的なのですが、南では、歌や弦楽器は、作品の再現を主にしていますが、太鼓は北インド顔負けなほど即興的というおもしろい現象が見られるのです。かと言って、北のシタールと南の太鼓が共演したらさぞかしスリリングだろう、と期待しても、不思議なことにインドの玄人が聴いても「ぐちゃぐちゃな音楽」にしかならないのです。このあたりに、インド音楽の太鼓が如何に主旋律を盛り上げサポートするために存在するかが、良くわかるというものです。
(文章:若林 忠宏)
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