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インド音楽

41、科学音楽の継承者:Gopal Nayak

Indian sitar

13世紀のデリー王朝宮廷楽壇で見せた非凡な才能でインド音楽史に名を遺したGopal Nayak(ゴパール・ナーヤク)は、中世インド古典音楽の楽聖の中でも、比較的信憑性の高い逸話が残されている最も初期の音楽家であろうと思われます。
インドに限らず、中世の偉人の逸話には、いわゆる眉唾ものがかなり多いのですが、相当量の記述を照らし合わせ解読するとおおよその姿は見えて来るものです。

Gopal Nayakの特筆すべき逸話のひとつが、次回詳しく述べますHazrat Amir Khusrawとの「歌合戦」の話です。当然のことながら、勝敗については、インドのヒンドゥー教徒音楽家の伝承とパキスタンのイスラム教徒音楽家の伝承では全く逆のものが多く、パキスタン側の伝承では、「Khusrawは、見事にGopalの技法を真似てみせたが、Gopalはその逆が出来なかった」と記し、インド側の比較的公平な伝承でさえも、「勝負には負けたが、音楽は負けていなかった」と記します。

事実、Khusrawが持ち込んだ西域の楽風が「新音楽」としてインド古典音楽に定着するのは、500年も後のことです。一方のGopal Nayakが歌った声楽様式「Prabandha」の系譜は、16世紀ころには、多分に簡略化されたとは言え依然重厚な音楽であり、科学音楽の厳格さも保つ「Dhrupad」に受け継がれ、18世紀以降は、「新音楽」に主流を譲りましたが、品格と地位は1945年の宮廷音楽の終焉まで保たれていました。

ほとんどの音楽家がイスラム教に改宗した宮廷音楽楽壇において、この事実は奇跡的とさえ思えます。西域渡来の宗教に帰依し、服飾から料理に至るまで西域へのあこがれを強く示し、詩や散文は多分に西域風となったにもかかわらず、何故音楽だけは、ヒンドゥー科学音楽~寺院古典音楽の系譜が最高位のまま継承され得たのか?は、大きな謎です。
ヒンドゥー様式の重厚さと論理性の品格、そして、科学音楽が伝える「音の力」は、普遍的に人間の価値観に強く訴え、心を捕らえ、魂に響くのでしょうか。だとしたら、技と感覚的印象的評価では負けても、「音楽は負けてなかった」も、あながち眉唾でもないのかもしれません。

Gopal Nayakの逸話や伝承から学ぶべき点のもうひとつは、推測から計り知るべき事実です。
私がとりわけ強く関心を抱いたのは、Gopalの出身がカシミールのバラモン僧侶の家柄であることです。カシミールは、様々な宗教宗派が、布教的活動とは逆の側面、すなわち、探求や修行を行った多宗教アシュラムのような土地であり、広く定説にまでは至っていないようですが、タントラ密教などもカシミールで大いに育まれたように思います。
奇しくも、対戦相手のAmir Khusrawもまた、イスラム教正派の信徒であると共に、亜大陸で隆盛したスーフィー神秘主義の一派「Chishti(チシュティ)教団」の熱心な信徒でもありました。教団の活動拠点は、パキスタンからインド西北部にまたがる地域ですが、やはり精神的拠点のひとつにカシミールが挙げられます。
重要なことは、Amir KhusrawとGopal Nayakは、いずれも恵まれた天性の才能と、それを鍛え磨く機会に恵まれたことの他に、科学的探究心の厚い、神秘主義傾向が強い信仰環境に在ったという共通項です。
さすれば、その「歌合戦」も、様式や技法の優劣以上に、音楽的深み、精神性、人間力が露になったはずではないでしょうか?
しかし、「歌合戦」の様子を伝える伝承は、いずれも「技」や「知識」ばかりが取りざたされています。人間の心が信仰から離れがちで、知識や情報ばかりに価値を見出し、精神性はおざなりな現代ならともかく、1700年前の当時の人々でさえ、他者や次世代に伝える表現方法を持っていなかったようで残念です。

(文章:若林 忠宏

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