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たくましい女神:ラクシュミ
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インドの飲食店や様々な雑貨屋から煙草屋に至る迄、およそ商店には必ずと言って良いほどそのポスターが飾られている「商売繁盛の女神」でもあるラクシュミ女神。
日本では「弁才天」が「弁財天」となってしまったので、かぶってしまった感があります。また、ラクシュミの日本での姿「吉祥天」は、四天王の一柱「毘沙門天」の妃とされます。しかし、「毘沙門天=クベーラ」は、ヴェーダ・ブラフマン教の中でも比較的後期の経典とされるアタルヴァ・ヴェーダで言及されているとしても、ブラフマン教の神であることには違いはありません。
シヴァと友好関係を結びカイラースにてヤクシャ(夜叉)、ガンダルヴァ(乾闥婆)、ラークシャサ(羅刹天)などの「下級神」と共に暮らすとされます。
仏教でもそれらは下級神ですし、そもそも四天王もしかり。本来は滅ぼされるところ、仏の慈悲を乞い、仏典の守護を誓って武神として存続したとされます。
これらのことから、吉祥天(ラクシュミ)も、かなり古いヴェーダの女神であったであろうことは容易に推測出来ます。サラスワティーも同様ですが、女神は比較的厚遇されているのか、ヴィシュヌの妃という高い地位を得て存続し、むしろ数多の神々の中でも最も庶民に愛される存在になっています。 ちなみに吉祥天の母は、「鬼子母神」とされ、「鬼子母神」は、Yakshini、すなわち「夜叉」の女性形ですから、やはり本来は下級神です。
ラクシュミの別名も多数ある中で、インド古典音楽のラーガ(旋法)の名前に起用されている「Shri」は、ラクシュミの多様な側面を総括したような、女神としてはかなり重たく深い存在感があると思われます。そして、ラーガ:シュリーもまた同様で、かなり修行を積まないと表現し切れない重く重要なラーガのひとつです。
一方意外で面白いと思ってしまったのが、何処の地方の呼び名なのか、「Chanchal」という別名です。「チャンチャル」は、「すばしっこい」「あちこち飛び回る」などのイメージがある言葉で、これをインド古典音楽の太鼓:タブラの腕前に用いる時には、とても良い「褒め言葉」になり、本名かどうか?Chanchal Khanという演奏者もいました。
ところが、チャンチャルには、別な悪い意味もあり、女性に用いる時は公然とは決して言えない陰口・悪口で、はっきり言って「尻軽女」でしかないのです。
まさか、ヴェーダ・ブラフマン時代から、苦労して今日の高い地位に登り詰めたラクシュミのたくましさを褒めつつ、前述しましたような時代時代のトップクラスの神の妃となった遍歴から来ているとしたら凄い話しです。何方かご存知でしたら教えて下さい。
しかし、そのようなことも含めて、パールヴァティー・ドゥルガーなどの圧倒的な神力を誇る女神と比較して、魔神・鬼神を滅ぼすような力は発揮せずとも、ラクシュミも、かなりたくましい女神ではないでしょうか。
別な視点から言いますと、「幸運や金運をもたらす」ということを、ご利益宗教的感覚ではなく、もっと深い意味合いで分かろうとした時、そこには、「運気の乱れ・滞りを正す力」があることに辿り着きます。つまり、「ナーダの流れを潤沢にする」「ナーディーの詰りをクリーンにする」ことも含め、「運気」のみならず、「経絡」そして「思考」に於いても、「体・気・思考」の三位に対してバランス良く「滞りを解除し、乱れを取り除く」ということに他ならないのです。
実際、アーユル・ヴェーダ音楽療法でも「Raga:Shri」の重要な効能にそれが挙げられています。
逆に言えば、自身の「体・気・思考」特に、「思考」についてが無頓着であったり削除されがちですが、自身で出来る努力を惜しみ、ご利益を乞うようでは、果たして如何なものか?と思わざるを得ません。
尤も、このテーマ「自力本願と他力本願(※)」は、インドでも昔から議論されているところです。いずれ近々、しっかりお話し出来たらと思います。(※)本来の仏教用語の意味であり、慣用句の意味ではありません。
「滞り」の最も質の悪い「原因」が、「執着」と「依存」です。だからと言って、近年流行の「断捨離」や「Detox」をすれば良いということではなく、「心と思考」に潜み、こびりついている「執着と依存」をクリーンにせねば何の意味も持たない、ということです。
ところが哀しいことに、むしろ心と思考にその問題を抱えている人に限って、より一層「人間関係」や「身の回り(目の前の物)」を「すっきりさせないと過負荷を強く感じる」ものですから、結果として、内面的な問題をむしろ温存する為かのように、外因を解決させようとしてしまいがちです。勿論、無意識に。
しかしこれは、極めて危険な発想であり行為であることは紛れもないことです。
勿論、様々な物事が「カオス状態」になっていることを由と言っているのではありません。大切なことは「整理整頓」であり、良いものをより深く吸収し、より正しく消化することと、害のあるものを、より初期にその侵入を防ぐこと。そのために、デフォルトの機能を正常に戻すことが大切であり、それが「生命力」であり「体力」であるという考え方です。
その基本をないがしろにして、局所対処的に、表面や気になることだけを解決しても、一時凌ぎとしては有効でも、長く続ければ弊害の方が大きい、ということなのです。
つまり、ラーガ:シュリーの名演奏に運良く巡り合わせたとしても。自らで「滞りと乱れの原因」を温存しているようでは、その「清らかで果てしなく解き放たれた自由な流れ」を感じ取ることは出来ないだろうとも言えます。
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Raga:Shriの素晴らしい構造
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Raga:Shriは、数在るラーガ(一説には34,776種とも)の中でも、格別な地位を持って居る、現存するラーガでは最も古い部類に属するものです。しばしばShri-Ragaとも呼ばれ、その場合は、Raga:Shri-Ragaとは言いませんが、そのようなラーガは、唯一かも知れません。
Raga:Shriがラクシュミに因んだものであることは間違いないのですが、中世前期にヒンドゥー教徒音楽家の間で流行した「Raga-Ragini」という分類法では、なんとShri-Ragaは、「夫ラーガ」なのです。
同分類法では、ラーガ観念が確立する以前からの古いShrti旋法、Grama旋法、Murchchana旋法などの生き残りのラーガを「六大Raga」とした結果、古いShri-Ragaは、それに含まれてしまったのです。
「夫ラーガ」は、それぞれ「六つの妻:Ragini」を持ち、36種が整理されました。その後も増え続け、「息子」のみならず、「息子の嫁」まで至ったのですが、「古い主要ラーガ=六大夫ラーガ」以外は、何故に「Ragini」なのか、息子なのか?嫁なのか?の音楽的・構造的な概念は確立していません。従って、Shri-Ragaが「男性旋法である」という根拠は、論理的にも理論的にも存在しないのです。
図に示しましたように、Raga:Shriは、レとラがフラットし、ファがシャープの「Purvi」という代表音列の引き出しに整理され、主音はフラットの「レ」、副主音は「ソ」です。
上行音列は、ミとシを割愛した五音音階で「ドレファソシ」となり、下行音列は、七音使いますが、かなり複雑に「ジグザグ(Vakra)」進行することが定められています。
例えば、オクターヴ上の「ド(Sa)」は、上行音列で辿り着いたと思ったその音が「Vakra」なので「ドシラソ~」と降りては来れないのです。なので、一歩引いて「上のレ」に行き、「ド」を飛び越えて「レシラ~」とせねばなりません。
下行音列に於ける「ソ」は、このラーガ独特の「半Vakra」のようなもので、その解釈・説明はいささか難解です。
純然たる「Vakra」ですと、「その音にぶち当たったら、一歩引いて(助走を付けるようにして)その音を飛び越して行く」のですが、
このラーガでは、一旦「シラソファ」と普通にソを経由してしまいます。ところが、まるで思い出したように、「ソラ」と戻り二度目には「ソ」を飛び越えて「ラファミレ」と進むのです。
「半Vakra」と述べましたのは、この「半Vakraの壁」が、通常の「Vakraの壁」のように、「助走を付ければ飛び越えられる高さだか、普通に歩くならば、頑強な上にまたぐのは無理」とは異なり、まるで、「ゴムロープ製」かのように、「シラソファ」とファ迄は行けてしまうのです。が、そこでゴムロープの力で「ミ迄は行けない」のです。なので、戻って、ちゃんと「飛び越えて」「ミレド」に行くしかない、というものです。
私たち演奏者は、「シラソー」と弾いた段階で、「しりとり」的に、次のフレイズ「ファソラファミレー」が反射的に出てしまうと言いますか、「そう弾きたくなる」という感じです。
その他にも、「Pakad(特徴的なフレイズ)」では、「ドレファソ」の他に、「シレファソ」と、「ミ」の他に「ド」も飛び越え(割愛)たりします。
また、高音域の「レドレー」のような、「Vakraのド」を越えて「シ」には進んでいないのですが、「Vakraのド」を強調するようなフレイズが幾つかあります。
また、上記の「半Vakra」の超法規的フレイズですが、「ソからの下降」の前に「ソファソラ」のフレイズを弾くと、「半Vakra」も解除され、「ソファミレ」と進むことが可能なのです。また「ファラファミレ」のように、まるで「ソ」を嫌ったかのようなフレイズも頻出します。
「ド」と「ソ」の割愛をよりキツくすると。基音伴奏楽器や、シタールなどに付属の伴奏弦の音が聴こえていても、一瞬「シが基音」のように聴こえる効果が得られます。
すると、「レ・フラット、ファ・シャープ」のおどろおどろしい雰囲気が消え、「短二度、短六度、短七度」の所謂「短調」に聴こえたりするのです。が、そこに「意図的に隠し(Tiro-Bhav)ていた基音(ドやソ)」が突如現れると、「錯覚から現実に戻された」大きなインパクトが与えられるのです。
このように、「Raga:Shri」は、流石の神のラーガ、ラクシュミのラーガだけあって、「単純でシンプルな面」と「複雑で頑固な面」、「畏怖の念を抱かせる面」と「平穏で安心で優しい面」を併せ持ち、それが神出鬼没的に現れるということで、聴くにしても奥が深く、弾くにしても難解で重たい、というラーガ(旋法)であることが分かると思います。
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何時も、最後までご高読を誠にありがとうございます。
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また、現在実施しております「インド音楽旋法ラーガ・アンケート」は、まだまだご回答が少ないので、
是非、奮ってご参加下さいますよう。宜しくお願いいたします。
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(文章:若林 忠宏)
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