喜びで在ること

美しさや穏やかさだけでなく、時に恐ろしさや荒々しさをみせる見せるインドの神々の中でも、クリシュナ神はとてもカラフルで喜びに満ち、その姿は常に人々を魅了し続けています。フルートを奏で、牛飼いの乙女たちと戯れ、その周りに絶えず喜びが溢れる姿は、苦行や禁欲だけではない、精神性を深める道をあらわしています。
クリシュナ神が世界中で崇拝され、そして深く愛されるのは、どんな時も大きな喜びがその姿に映し出されているからに他ありません。神々は人々の内に存在していると言われます。クリシュナ神も同じように、私たち一人一人の内に生き、その内で喜びとして存在しています。クリシュナ神の降誕祭は、自分自身の内のその存在を確かめる時でもあると言われます。
クリシュナ神が人々に広く愛される理由の一つに、何よりも、その言葉が綴られた東洋の聖書「バガヴァッド・ギーター」の存在があります。その中でもクリシュナ神は述べています。
あらゆるものに私を見る者
私にあらゆるものを見る者
その者は私から離れることはなく
私もその者から離れることはない
(バガヴァッド・ギーター第6章第30節)
クリシュナ神は、崇拝の対象としてどこか遠いところにいる存在ではなく、その存在を見る者の内に常に存在しているということが強く述べられています。喜びは、一人一人の内に既に在ることに、私たちはただ気づかねばなりません。
クリシュナ神がどんな姿にあっても変わらず喜びであったように、こうして社会を生きる日々において常に喜びとして在ることは、精神性を深めるための何よりもの修行となり得ます。自分自身の生きる日々の中で、どんな時も喜びを見出し、クリシュナ神の存在を証明していきたいと感じています。それは、常に自分自身の本質であることに他ありません。
移り変わる事象の中で、その本質を見失いそうになる時は、決して変わることのないクリシュナ神が述べる言葉に心を寄せたいと感じています。皆さまもどうぞ、喜びに満ちたクリシュナ降誕祭をお過ごしください。
(文章:ひるま)