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雑記帳

神への経路

ヒマラヤ山脈の麓に源を発するガンジス川は、広大なインドの大地を抜けベンガル湾へと出た後、世界を繋ぐ海と一体になります。穏やかに、そして時に激しく流れるガンジス川の側ではいつの時も、人々が祈り、神に思いを捧げ、その真摯な行いが変わることのない神聖な流れを生み出していました。
インドでは、人々の多くが川を「ナディ」と呼びます。「流れ」や「経路」という意味を持ち合わせるこのナディは、私たちの身体の中にも存在し、それは生命エネルギーであるプラーナを身体中に行き渡らせる「経路」として大切な役割を担っています。ムーラダーラ・チャクラに眠るクンダリニーが目覚め、サハスラーラへと向かうその道筋も、このナディの他にありません。ナディは、ヨーガの修練の中で最高の境地へと至るために欠かかすことのできない重要な存在です。
生命エネルギーであるプラーナはその名の通り、人々に生きるための活力を与えます。一方で、私たちを悩ませる感覚器官を働かせる力でもあり、心の作用を生みだす力、そのものでもあるとされています。そんなプラーナは、ヨーガの修練で目覚めたクンダリニーの上昇によって同じようにナディを昇り、そしてサハスラーラに達した時、ブラフマ・ランドラと呼ばれる頭の中の梵洞、神の穴へと飲み込まれていくと言います。
感覚器官を働かせるプラーナがその神の下に収まれば、生きるエネルギーに満たされながらも感覚器官は穏やかに静まっていきます。それは、ただその「存在」を喜ぶ三昧の境地そのものであり、その境地を得た者は、「生きながらにして解脱した者」と伝えられるほどです。神と一体になった生きるエネルギーは、人々に迷いや混乱を決して与えることはありません。
ガンジス川の神聖な流れを思い浮かべると、いつもこのヨーガの大切な教えを思い出します。人々の祈りや思いに包まれた神聖な川の流れは雄大で 、静かに海へと飲み込まれ、大本と一体となり消えていきます。いつも神と共にある人々の心が、揺るがず確かなものであるように、日々の生活を祈りとし、行いの全てを神に捧げることで、肉体と精神の双方が浄化され、自分の内に神へと近づくための聖なる流れを生み出していくに違いありません。その先にあるものは、大本との一体です。
祈ることや思いを捧げること、神へと近づきながら精神性を育むあらゆる行いは、自分自身を神聖なものとする術に他ないのだと、今改めて気付かされています。
(文章:ひるま)

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