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雑記帳

インドの叡智と共に

自分自身を至福へと導いていく術は、ここで時を超えた存在である神と向き合う日々が明確に示し、そしてその行いの中心に自分自身を位置付けていきます。神聖さが溢れるこの世界を離れようとしても、真実に心を定める日々繰り返すその修習が、今となっては心身に深く染みわたっていることに気がつき、その瞬間にある至福から遠く離れることはありません。
持てるものだけを持ち、自分を定義するものを最小限にした動き続ける生活もまた、現在と言う瞬間、その真実である神の居る場所により強く自分を留めてくれるように感じています。形や名前に限定されないこの生活は、自分自身の本質的な存在に気づく瞬間を多く与えていきます。
古くから多くの探求者がインドを訪れ、精神性を高める行いを続ける意味をそこに理解し、そんな人々が一層際立たせる神の存在が胸の奥深くまで入り込んでくることを実感しています。そんな中で努めるヨーガの行いが日々をこれほどまでに豊かにさせてくれることに、惹かれる思いは強くなるばかりです。
目に見える聖や俗、富や貧、幸や不幸、その差が両極端に現れるこのインドの社会に身を置くことは、ヨーガの行いの意味を強めていきます。何が聖で、何が俗なのか、富も貧も、幸も不幸も、時に分からなくなるほどに全てが強烈に現れる世界だからこそ、その中心を探ろうと努める心が一段と色濃く浮かび上がるように感じます。
中心へと自分自身を位置付ける行いの、背筋の伸びる感覚は、日々をさらに美しく豊かなものとしていきます。そこにある限りのない至福に気づくことは、この世界を生きる人々の努めに他なく、そしてそこから生まれる世界の平安をどんな時も願ってやみません。だからこそ、自分自身の内がその平安で満たされるよう、ここで学ぶ生きる術を実践し続けねばならないと感じています。
ヨーガの目指すところである、真実のみが存在する現在と言う瞬間と常に繋がり、そこに溢れる至福を広めることは、いつしか私の目指すところとなりました。どこにおいても、いつの時でも、インドの叡智であるヨーガを通じ学ぶことを心に、社会へと平安をもたらす存在でありたいと今願っています。
(文章:ひるま)

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