動き続ける生活の中で見る中心は、自分自身の心を最も大切なものが存在する現在と言う瞬間に強く定めてくれることをここでも確かに実感しています。それはやはり、古くから伝わるインドの叡智が根本にあるからであり、その学びの実践が日々続いています。
宇宙から始まり、この大きな世界の中で生きる私たちが抱く個人としての自我は、精神性を歩む道だけではなく、時に日常生活の中においても様々な課題を与えてくれます。全体の中で生かされているという謙虚さや感謝の念が、強い自我によって奪われた時、様々な苦悩や困難が始まることは、多くの聖典でも述べられていることです。
アーサナだけではない日々努めるヨーガの行いは、毎日の生活において全体との繋がりを強く見せ、その中心に自分自身を定めていきます。その過程において得られる、生かされているという感覚は、自分自身を常に平安と至福の内に留めます。特に、インドの叡智の一つであるバガヴァッド・ギーターに触れることは、私にとって大切なヨーガの行いの一つです。
ヴィシュヌ神の化身でもあるクリシュナ神とアルジュナの対話が記されたその神の詩の中で、クリシュナ神は全体であり、アルジュナが自我となり得ます。アルジュナの姿を通じ、自我にまみれた私たち人間の弱さや不安定な心が、全18章においてありのままに描写され、それを優しく、時に勇ましく諭すクリシュナ神の言葉が、まさに神の詩として響き渡ります。
二つの離れていたその存在が、全章を通じ最後に一つとなる時、全体と個の一体を見るように、私自身の心もまた、大切なものへと繋がります。中心から離れることにより生じる苦悩が、一体によって静かに消え去っていく中で、残るものは平安と至福のみです。それはインドの叡智が教えてくれる、この世界をより美しく生きるための術に他ありません。
見えるものや聞こえるもの、全てが大きく異なる世界を動き続ける生活の中で、揺れ動く心は常に存在します。それは単調な日々の生活の中でも、同じことです。しかし、こうして支えとなる神の言葉があること、そしてヨーガを努められることに、心から感謝をせずにはいられません。これからも、このインドの叡智を大切に抱き学びを深めながら、より清く一つ一つの行いを努め、豊かな日々を育んでいきたいと感じています。
(文章:ひるま)
雑記帳
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