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雑記帳

私たちのすべくこと

雨の季節が、インドにも訪れています。7月に入ればインド全土を覆い尽くすモンスーンは、乾ききった大地に潤いをもたらし、灼熱の夏から人々を解放します。そしてこの時期に迎えるのが、ヒマラヤ山麓のガンジス河源流を辿るチャールダムの巡礼です。
3000mの山々を行くこの巡礼は、激しい雨風をもたらすモンスーンに重なり、毎年幾多の事故が絶えなくとも、人々は神々がいる聖地を求め、歩みを止めることはありません。しかし、今年はかつてない豪雨により、多くの川が氾濫し、山や崖が崩れ落ち、聖地では寺院が土砂に埋もれ、身動きが取れなくなった巡礼者にも多くの被害が出ているニュースが伝えられています。
大雨や突風、雷雨など、インドが見せる荒れ狂う自然の姿は、時に身がすくむほどの恐ろしさを感じることがありました。しかし、その恐ろしさの中で必死に求め見えてくるものが、偉大な存在であったことも事実です。人々が危険を冒しながらこうして聖地に向うのも、そこでより強く、偉大な存在との一体を経験しているからなのかもしれません。
重要な局面においては、一瞬でも心が乱れれば、そこには危機的な状況が生じていきます。ヨーガにおいても同じです。深い集中力を伴うアーサナの修練において、心が一瞬でも揺らぐ時、身体には痛みや不安定さが現れます。だからこそ、その過程で人々の心は偉大な存在を切に求め、定まることが出来るのかもしれません。
偉大な存在は、自分自身の本質でもあります。多くがその本質から離れている現代において、人の心は乱れ様々な過ちを犯し、困難に面していることも事実です。そして、小宇宙である肉体に痛みが生じるように、大宇宙であるこの世界にももちろん痛みが生じています。絶えない自然災害が、その痛みを世界に訴えているようにも映ります。
私たちがすべくことは、一人一人が本質を理解すること、ただそれだけです。そして今、こうして偉大な存在に心を定める機会を与えられていることは、何よりも重要なことであるに違いありません。心の働きに惑わされず、個人が本質と共に平安にあることで、この大自然もまた平安の内に落ち着くことは、個と全体の繋がりがしっかりと示しています。
2013年、この豪雨によりチャールダムの一つであるケダルナートへの巡礼は閉ざされました。今私たちにできることは、自らによって自らを向上させることだけかもしれません。全てが平安に落ち着くことを切に願いながら、自分自身が今すべくことを全うしたいと感じています。
(文章:ひるま)

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