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雑記帳

聖地のあるところ

インドの世界に身を置く時、苦難の中で、人々の歩む姿に心を打たれる瞬間が多くあります。中でも、神々がいる聖地に向う巡礼者の、暑さや寒さ、飢えや渇きに惑わされない確かな足取りに、定まった心の強さを見せつけられることが幾度となくありました。
古くから、巡礼は世俗的な行事から離れ、神の下へと歩みよる大切な行いと位置付けられています。最低限に必要なものだけを持ち、裸足で、質素な食事と共に続けるその静かな歩みは、重要な修行の一つとして、インドでは現代でも多くの人々がいそしんでいます。
ヒマラヤ山麓を行く巡礼は、厳しいものではあっても特に美しいものです。天険の山々が神々の存在を際立たせる中で、険しい道のりが深い集中力を引き出し、心に乱れる隙を与えません。その過程において意識が完全に現在に留まり、時間を超えた存在である「神」との一体を人々に経験させていきます。その中にある喜びは、巡礼者の姿が明確に物語っていました。
静かに歩みを続ける中で、大自然が何を語り、どう命を育んでいるのか、自分を取り巻く中心が聞こえ、見えてくるように感じたこともあったように思います。心の雑音が消え失せる時、そこにある本質に容易に近づくことが可能です。それを可能にさせる聖地の存在には、どんな時も敬服せざるを得ません。
インド北部で生じた豪雨により、そんな聖地の一つが閉ざされたことには、気づくべく多くのことがあるはずです。一人一人が、自身の内と向き合う時機を与えられているのかもしれません。自身の内に、その聖地が存在することを、日々を歩みながらしっかりと確認し、証明していくことが必要のように感じます。それは、インドの叡智が示す最も美しい生き方に他ありません。
個々の美しい心によって、神々が喜び、この世界に聖地として再び美しい姿を見せてくれることを心から願っています。何度も目にしてきた、苦難に遭ってもひたすらに強く生きるインドの人々が、それも確かなものとしてくれるに違いありません。
(文章:ひるま)

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