宇宙の根本原理であるブラフマンは、あらゆる存在が生まれ、あらゆる存在が帰する究極の真理として讃えられます。
このブラフマン(梵)とアートマン(我)が同一であると理解することは、真の悟りに必要不可欠とされてきました。
しかし、このブラフマンは言葉や思考で捉えることが難しいものとされ、私たちの認識からはぐれることが少なくありません。
そんなブラフマンが重要な教訓を与えるという神話が、ケーナ・ウパニシャッドに見られます。
かつて、アグニ神(火の神)、ヴァーユ神(風の神)、インドラ神(神々の王)に率いられた神々が、悪しきアスラを打ち倒しました。
その成果に酔いしれた神々は、勝利はブラフマンの力によるものではなく、自分たちの力によるものだと錯覚し、驕り高ぶるようになります。
そんな神々の前にヤクシャ(夜叉)の姿をしたブラフマンが現れます。
神々はヤクシャの真の姿を見極めることができず、アグニ神にその正体を突き止めるように命じました。
アグニ神がヤクシャに立ち向かうと、ヤクシャは先にアグニ神の正体を尋ねます。
アグニ神は誇らしげに、世界のあらゆるものを燃やすことができると豪語しました。
すると、ヤクシャは乾草を指差し、それを燃やすようにアグニ神に伝えます。
アグニ神は力の限りを尽くすも、乾草に火はつきませんでした。
次に、ヴァーユ神がヤクシャに立ち向かいます。
そして、ヴァーユ神も自慢げに、世界のあらゆるものを吹き飛ばすことができると高言しました。
すると、ヤクシャはヴァーユ神に乾草を吹き飛ばすように伝えます。
ヴァーユ神は力を振り絞るも、乾草は微動だにしません。
最後に、インドラ神がヤクシャに立ち向かおうとしました。
その時、ヤクシャは忽然と姿を消しました。
そこにウマー女神(神聖な知識)が現れ、神々の勝利はブラフマンの力によるものであると教えを示します。
この神話は、ブラフマンの意志なしにこの宇宙のいかなるものも動くことはないという事実を伝えています。
アグニ神やヴァーユ神は、その理解を見失い、自分たちの本来の役割を果たすことができませんでした。
これは、真の悟りは自分の持つ力や成果にあるのではなく、自分と宇宙の本質を理解することにあるということを示しています。
しかし、アグニ神やヴァーユ神という神々ですらヤクシャの正体を見極められなかったことに、ブラフマンという究極の真理を理解することの難しさを窺い知ることができます。
その難解さの中で、この神話は、「私が成し遂げた」という思いがブラフマンの理解を妨げるという事実をわかりやすく伝えています。
この価値ある教えを胸に、自分自身の本質の理解に努める時、私たちは実りのある霊性の道を進み、最高の目的を果たすことができるはずです。
(文章:ひるま)
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