数多くのリーラー(神の戯れ)を通じて、人々を魅了し続けるクリシュナ神。
この地に喜びを広めるためにあらわれたと伝えられるそのクリシュナ神の教えは、私たちを真の喜びへと導きます。
そんなクリシュナ神にまつわる数多くの神話の中で、聖仙ナーラダとの神話に深く学んだことがありました。
クリシュナ神とナーラダ仙が、共に歩いていた時のことだといわれます。
ナーラダ仙はクリシュナ神に、マーヤー(幻影)とは何か教えて欲しいと尋ねました。
クリシュナ神はマーヤーについて教えるために、その歩みを止めます。
そして、まずは喉の渇きを潤すために、一杯の水が欲しいとナーラダ仙に頼みました。
ナーラダ仙は一杯の水を求めて、近くの村のある家を訪ねます。
扉を開けたのは、美しい娘でした。
ナーラダ仙は心を奪われ、娘と結婚をします。
時は過ぎ、ナーラダ夫妻は家を建て、二人の子どもにも恵まれると、温かな家庭を築くことができました。
そんな恵まれた生活を享受していた時のこと、ナーラダ夫妻が住む村は、大洪水に見舞われます。
愛しい妻と子どもたち、幸せが溢れる家、その豊かな生活は一瞬にして奪われました。
ナーラダはすべてを失い、絶望しました。
その絶望の中で、クリシュナ神の声が聞こえます。
「一杯の水はどこですか。」
その言葉で、マーヤーとは何か、ナーラダは理解しました。
一杯の水を求めて歩き出したナーラダ仙は、次々に現れるマーヤーに心を奪われ、クリシュナ神からどんどん離れると、終いには絶望に打ちのめされました。
この物質世界に生きる私たちの前にも、数々のマーヤーが現れます。
それは、真実の世界を覆い隠す幻影であり、私たちを魅惑的に物質世界に引き込みます。
感覚的に満たされる快感の中で、私たちはクリシュナ神から遠く離れ、時には絶望を経験することも少なくありません。
だからこそ、常にクリシュナ神を思うこと、その御名を唱えること、そうして真実から離れないように、気づきを持って生きる必要があります。
その気づきと共にある時、この物質世界に幻惑させられることなく、真の喜びの中で生きることができるに違いありません。
(文章:ひるま)
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