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雑記帳

ダッタートレーヤ神と矢師のグル

全人類を導く偉大なグルとして崇められる存在に、ダッタートレーヤ神の姿があります。
ダッタートレーヤ神は、ブラフマー神、ヴィシュヌ神、シヴァ神の三神一体をあらわし、その究極の存在は3つの頭をもった姿で描かれます。

そんなダッタートレーヤ神には、24のグルがいたことが広く知られます。
そのグルは、私たちを育むこの世界のあらわれが見せる、さまざまな動きのひとつひとつでした。
その動き通じて真理を会得したダッタートレーヤ神は、究極の知識を持つ永遠の導き手として現代でも崇められています。

その24のグルの中に、ある矢師の存在が伝えられます。
王の軍隊に武器を納める仕事をしていたその矢師は、自分の仕事に誇りを持っていました。
ダッタートレーヤ神が目にしたのは、そんな矢師が鋭い矢の成形に夢中になっている姿でした。
しかし、矢の成形に夢中になるあまり、矢師は自分自身の隣に立っている王の存在に気づいていませんでした。

この光景を見たダッタートレーヤ神は、一心不乱に自己に没入することで、この物質世界の誘惑は自然と見えなくなるという事実に気づきます。
これこそが、精神修養を成功させる唯一の秘訣であることを悟りました。
こうして、矢師はダッタートレーヤ神に真の集中を学ばせたグルになったといわれます。

多くの誘惑が溢れる日々において、私たちは心を乱され、正しい道を見失うことが少なくありません。
そうして自分自身の本質から離れ、時には絶望を経験することも往々にあります。
しかし、私たちは何かに夢中になると、他のことが気にならなくなるほど心を打ち込むことができる力を秘めています。
その目的を不変の存在に向け、究極の集中に定まることができれば、私たちは不変の喜びの中で生きることが可能になります。

矢師がそうであったように、私たちは何よりもまず、自分自身のやるべきことに集中する必要があります。
そうすれば、他の一切を思わない究極の目的に留まる無常の幸福を知り、そこから離れることは決してないはずです。

ダッタートレーヤ神が真理を得たように、私たちを育む世界には、多くの学びが溢れています。
日々の一瞬一瞬の中で豊かに成長していくことができるよう、こうした世界のあらわれに学び続けたいと感じます。

(文章:ひるま)

参照:Srimad Bhagavatam, CANTO 11: Krishna's Final Instructions

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