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雑記帳

結ぶ行い

霊的叡智の宝庫であるウパニシャッドに以下の節があります。
「アートマン(霊魂)を車主(馬車の主人、乗りて)、肉体を車体、覚(理性)を御者、意(思考器官)を手綱と心得よ。」(カタ・ウパニシャッド第3章3節 「ヨーガの宗教理念」 佐保田鶴治著)
これは、バガヴァッド・ギーターの教えが描かれる有名な場面でも同じように映し出されるものです。手綱をもって馬に繋がれた車(馬車)を操るクリシュナ、その後ろにアルジュナが座り、終わりなき自由、そして永遠の至福に向けクリシュナがアルジュナを導く情景です。
私たちの肉体には、快楽だけでなくさまざまな苦難を生み出す感覚器官が宿ります。変化に富むその感覚器官が奔放に働く時、肉体は暴走する馬のように私たちを大きく掻き乱し、そしていつしか制御不能な状況を生み出します。しかし、感覚器官が永遠不変の存在である神々に結ばれる時、それらは正しく機能を始め、私たちは終わりのない自由と至福を得ることができると叡智は伝えています。
美しい音楽を聴くこと、おいしいものを食べること、愛らしいものを見ること、日々を豊かに生きることは決して間違いではないと、インドでヨーガを学ぶ日々の中で言われたことがあります。しかしそれは、決して感覚を満たすためのものではなく、内なる神を喜ばせ、真実を知るためにものに他ないと教えられました。神々に捧げられる賛歌、甘い供物、祭壇を飾る美しい花、それらが見せる絶対の喜びが、真の豊かさを物語っていたことをいつも思い出します。
―私にあらゆるものを捧げることにより、あなたは終わりなき平安を得る―
バガヴァッド・ギーターの美しい詩句の中で、クリシュナは繰り返しそう述べています。絶対の存在を通じ獲得する真の喜びと平安は、より清く、そして正しく生きることを学ばせてくれるものであり、それは何よりもの豊かさを授けてくれるものに違いありません。
「馬を車に結び付ける」その「結ぶ」を意味するyujは、yogaの語源としても知られています。肉体に生じるさまざまな感覚を神々に捧げ、そして結びつけ、何にために喜びを感じ、日々を生きるのか、その本質を忘れずに過ごすことを今日も努めています。
(文章:ひるま)

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