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雑記帳

神の詩を味わう

アルジュナよ 感覚の欲求は
まことに強く 烈しいもので
修行を積んで道をわきまえた人の
心をさえも力ずくで奪いさるのだ
肉体の感覚を制御して
意識をわたしに合致させて
しっかりと固定できた人を
不動智を得た聖者とよぶ
(バガヴァッド・ギーター2章60、61節 田中 嫺玉 (著, 翻訳))
バガヴァッド・ギーターにおいて、聖地クルクシェートラの戦場で苦悩するアルジュナに、クリシュナはそう述べます。ギーターでは、私たちの肉体がクシェートラ(用地)として捉えられ、そこで起こるものに欲望や憎悪、喜楽や悲苦があり、それらに打ち勝つための術が事細やかに述べられます。
肉体に生じるさまざまな作用の中で苦悩する私たち。そんな中では、欲望を満たすこと、称賛を得ること、成功を収めること、それらが人生において最も重要で、そして必要なことであると考え、必死になることも少なくありません。
しかしギーターは、欲望の対象から心を離し、自分自身への執着をなくすこと、生きることや老いることを苦と見なし、本質を究めることが生きる目的であると説きました。それは、永遠の至福である至上者を知ることであるとも言い換えられます。
ギーターにおいて説かれる言葉は、そのどれもが、至上者である永遠の至福を知るための術として、そして、解脱を得るための道として綴られています。肉体に生じるさまざまな作用にもがき、その奥深くに存在する永遠の至福を見失う瞬間に溢れている私たちを、本質へと引き戻してくれるものに他ありません。
肉体が経験してきた味わいは、より上質なものを味わうことにより消滅すると、クリシュナは述べています。今こうして生きる日々において、永遠の至福である至上者をより深く味わうことで、肉体の感覚を超え神々にしっかりと定まることができるに違いありません。
そのためにも、繰り返し繰り返し、神の詩を読み続けたいと感じています。その言葉は常に、私たちを上質な味わいに結び付け、感覚を超えた永遠の至福に留まらせてくれるのだと叡智が述べているように思います。
(文章:ひるま)

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