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雑記帳

ラーマーヤナの教え

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春のナヴァラートリの最後に祝福されるラーマ・ナヴァミーは、叙事詩ラーマーヤナの主人公であるラーマ神の生誕祭にあたります。ラーマ神はヴィシュヌ神の7番目の化身として、この地にはびこる邪悪な力を破壊するために誕生したと伝えられます。正義の誕生を象徴するこの日は、多くの寺院や家庭において、ラーマ神の伝説が描かれたラーマーヤナが読まれます。

ラーマーヤナは、私たちの心のあらわれとも言われるように、精神的な教えが存分に記された叙事詩です。単なる物語ではない、深い教えが秘められたラーマーヤナを読むことは、人生の意味をより明確に示してくれるものでもあると伝えられます。

さまざまに教え説かれるラーマーヤナの中で、ラーマ神は主であり、シーター女神は心、魔王ラーヴァナは欲望、ラーマ神の弟ラクシュマナは感覚、猿の神様ハヌマーンは肉体であると教えられたことがありました。

ラーマーヤナの中で、ある時シーター女神は、森にあらわれた黄金の鹿に魅せられ、捕まえてほしいとラーマ神に頼みます。鹿を捕まえようとラーマ神がシーター女神のもとを離れた時、シーター女神は魔王ラーヴァナに誘拐されてしまいます。

魔王ラーヴァナ(欲望)に誘拐されたシーター(心)を救い出すためには、ラクシュマナ(感覚)とハヌマーン(肉体)の助けが必要でした。ラーマ(主)に忠誠を誓うラクシュマナ(感覚)とハヌマーン(肉体)は、シーター(心)を救い出し、再び二人を結びつけます。

心は常に欲望のもとに動き回り、さまざまな苦難を引き起こします。散漫な心の働きを止めるためには、常に欲望を制御しなければなりません。私たちの日々には、欲望に惑わされる瞬間が溢れています。しかし、感覚と肉体を主に捧げることで、欲望から常に心を守ることが可能です。そうして心が主と共にある時、不変の喜びを知ることができるに違いありません。

私たちがこうして感覚と肉体を持って生まれたことにも大切な意味があることがわかります。ラーマーヤナで起こることは、私たちの日常でも繰り返されているものです。日々をより豊かに過ごす術が溢れる古代の叡智に、今改めて触れてみたいと感じています。

2016年のラーマ・ナヴァミーは4月15日です。皆様もどうぞ良いラーマ・ナヴァミーをお迎えください。

(文章:ひるま)

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